INAH(メキシコ国立人類学歴史学研究所)の調査チームは11月16日、メキシコの世界遺産「古代都市チチェン・イッツァ」で新たなピラミッドを発見したと発表しました。
見つかった場所ですが、なんとマヤ文明でもっとも有名なピラミッド「エル・カスティーヨ」の内部!
実は、中にピラミッドがあることは1930年代にすでに明らかになっていましたが、今回の発見はそのさらに内部です。
三重ピラミッドということになりますね。
担当者は「ロシアのマトリョーシカのようだ」と語ったとか。
今回はこのニュースをお伝えします。
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前半のドーム状の建物は古典期に建造された天体観測所カラコル、そのあと登場する四角錐のピラミッドがエル・カスティーヨ
マヤは紀元前10~後16世紀頃、メソ・アメリカ(中央アメリカの古代文明地帯)で栄えた文明です(時期については諸説あり)。
その歴史は3つに分けられることが多く、3世紀以前は先古典期、3~10世紀は古典期、11世紀以降は後古典期と呼ばれています。
チチェン・イッツァは古典期と後古典期にまたがって栄えたマヤ都市国家のひとつで、古典期の遺跡は旧チチェン、後古典期の遺跡は新チチェンと言われます。
新チチェンを代表する建物が、高さ24m、基壇55mのピラミッド=エル・カスティーヨです。
羽毛を持つヘビの姿をした創造神ククルカン(アステカ文明などではケツァルコアトル)に捧げられた神殿で、ククルカン神殿とも呼ばれています。
このピラミッドは天文学的なさまざまな仕掛けが施されていて、たとえば1面の階段総数は91、4面に最上段の祭壇の1段を加えると365段となって1年の日数を表します。
また、ピラミッドは9層で階段を境にふたつに分かれているので18層となりますが、これはマヤ暦の1年=18か月を示しています。
驚くべきは春分と秋分の日のククルカン降臨です。
ピラミッドの下にククルカンの頭部が置かれているのですが、1年に2回、春分と秋分の日に、階段の側部にかかる陽光がヘビの胴体のようなジグザグの形をとることからククルカンの降臨を表現していると考えられています。
下の動画を見るとその様子がよくわかります。
実はこのエル・カスティーヨ、1930年代に内部への通路が発見されており、調査の結果、中でピラミッドが見つかっています。
この内蔵ピラミッドにはジャガーの玉座や生け贄の心臓を捧げたチャックモール像が設置されており、出土したヒスイが当時交易など行われているはずのない中国の出土品だったことから大きな謎を呼ぶことになりました。
内蔵ピラミッドは古典期後期、9~10世紀の建造と見られており、11世紀以降の後古典期に、上にカバーをするように現在のエル・カスティーヨが築かれたと考えられています。
さらに昨年、地中に電流を流して地盤状況を把握する電気探査によって、エル・カスティーヨの地下20mほどに25×35mほどの地底湖があり、地下河川が流れていることが明らかになりました。
だからこそ、羽毛を持つヘビの神ククルカンがここに住むと考えたのかもしれませんね。
地盤が石灰質で雨が地中に浸透してしまうユカタン半島には川がないので、このような天然の井戸=セノーテは非常に貴重な水源で、神聖視されていましたから。
そして11月16日の発表によると、三次元比抵抗探査(ERT-3D)と呼ばれる電気探査によって、内蔵ピラミッドのさらに内側に高さ10mほどのピラミッド型構造物が発見されました。
担当者はこの小型ピラミッドを6~9世紀の古典期の建造と考えているようですが、実際に発掘調査をしてみないとハッキリしたことは言えないということです。
実は1940年代に、内蔵ピラミッドの内部にさらに構造物があると報告した考古学者がいたようです。
ただ、通路の状態が悪く危険だったため追跡調査をすることができませんでした。
今回の結果はこれを裏打ちするものですから、今後なんらかの調査が行われることになるかもしれません。
ちなみに、世界遺産「古代都市テオティワカン」の太陽のピラミッドや月のピラミッドなどでも内部にピラミッドが発見されています。
たとえば月のピラミッドは1世紀頃に最初の小さな神殿が建てられて、増改築を繰り返すうちに大きくなり、7回の増築を経て現在見られる高さ47m、底辺140×150mの巨大な神殿になったと考えられています。
メソ・アメリカのピラミッドでは珍しいことではなかったのかもしれませんね。
今後の調査が非常に楽しみです。
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