世界遺産と世界史22.イスラム帝国

シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の歴史」では世界史と関連の世界遺産の数々を紹介します。

なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。

 

■電子書籍『世界遺産で学ぶ世界の歴史 ~海外旅行から世界遺産学習まで~』

 1.古代編、2.中世編、3.近世編、4.近代編、5.世界大戦編

 

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* * *

 

<イスラム教の成立>

メッカ巡礼の様子。バックはアザーンで、イスラム教の町では1日5回、このようなアザーンが町中に響き渡ります。アザーンは歌になってはいけませんが、抑揚をつけて読み上げられます 

■ササン朝ペルシア

ササン朝の版図の推移

世界遺産「デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群(ロシア)」、ナリンカラの城壁
ササン朝によって築かれたデルベント近郊、ナリンカラの城壁。デルベントはウマイヤ朝、アッバース朝、ササン朝、モンゴル帝国、サファヴィー朝、オスマン帝国、ロシア帝国といった大国の支配を受け、多彩な文化が融合しました。世界遺産「デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群(ロシア)」構成資産 (C) Сулим Кудусов
世界遺産「シューシュタルの歴史的水利施設(イラン)」
シューシュタルの水利施設。シューシュタルはアケメネス朝の主要都市で、ササン朝では夏の首都となりました。高度な水利施設を持ち、町には水路が張り巡らされていました。世界遺産「シューシュタルの歴史的水利施設(イラン)」構成資産

ペルシア人アルダシール1世が建てたササン朝ペルシアは同じペルシア人国家パルティア(アルサケス朝)を破ってペルシアの地で覇権を握ります。

ササン朝が目指したのはアケメネス朝が築いたペルシア帝国の再興です。

アケメネス朝と同様、ゾロアスター教(聖地タフテ・スレマーン①)を奉じ、諸王の王(シャーハンシャー。皇帝)を名乗り、遠征を繰り返して3世紀半ばにはメソポタミア一帯を支配下に収めます。

 

第2代皇帝シャープール1世はローマ皇帝ウァレリアヌス率いるローマ軍と対峙し、260年、ウァレリアヌスを捕らえることに成功します(エデッサの戦い)。

これによりローマ帝国の影響力は大幅に減退し、ササン朝は西アジアで大きくその名をとどろかせます。

その後、都市国家パルミラ②に敗れて西方への進出は阻まれますが、東方ではクシャーナ朝を破ってインダス川から中央アジアにまで版図を広げます。

 

ホスロー1世は皇帝ユスティニアヌス1世が治めるビザンツ帝国(東ローマ帝国)に攻め込み、打ち破った後に休戦協定を締結。

東西が安定したこの時代はササン朝の最盛期といわれています。

 

ホスロー2世が治めた7世紀初頭、ササン朝はエジプトや小アジアを攻略し、一時はビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル③を包囲します。

一連の戦争で領土は広がったものの、相次ぐ戦争と西のビザンツ、東の突厥の圧力もあってササン朝は次第に疲弊。

やがて内乱が起きて軍は撤退し、ホスロー2世は暗殺されてしまいます。

 

7世紀半ばにアラビア半島でイスラム教が成立すると、イスラム教を奉じるアラブ人たちが連合してササン朝に侵入。

642年のニハーヴァンドの戦いで大敗を喫すると、アラブ人の侵入は歯止めが利かなくなり、651年にササン朝は滅亡します。

※①世界遺産「タフテ・スレマーン(イラン)」

 ②世界遺産「パルミラの遺跡(シリア)」

 ③世界遺産「イスタンブール歴史地域(トルコ)」

 

■イスラム教の誕生

イスラム教第一の聖地メッカのマスジド・ハラーム(ハラーム・モスク)
すべてのイスラム教徒が生涯一度は巡礼(ハッジ)するというイスラム教第一の聖地メッカのマスジド・ハラーム(ハラーム・モスク)。中央の黒い直方体が「聖なる黒石」を収めたカーバ。世界遺産ではありません
メッカのマスジド・ハラーム、カーバ
メッカのマスジド・ハラームのカーバ(黒い建物)。ここに天から落ちてきたと伝えられているイスラム教の至宝、カーバの黒石が収められています。世界遺産ではありません

神から啓示を受けた者を「預言者」といいます(未来を予知する「予言」とは異なります)。

『旧約聖書』に登場するノアやアブラハム、モーセらが預言者で、イスラム教では『新約聖書』のイエスも預言者と位置づけています。

そして、イスラム教で「最後の預言者」とされるのがムハンマド(マホメット)です。

 

610年、アラビア半島メッカ郊外のヒラー山で瞑想を行っていたムハンマドのもとに大天使ジブリル(ガブリエル)が現れて唯一神(アッラー)の啓示を授けます。

この神の言葉をまとめた書が『コーラン』です。

 

この新興宗教に対してメッカの人々が迫害を行ったため、622年、ムハンマドはメッカからメディナに移住します。

この聖遷を「ヒジュラ」と呼び、イスラム教国ではヒジュラを行った622年7月16日を紀元とした太陰暦=ヒジュラ暦を採用しています。

 

メディナの地でムハンマドはイスラム共同体ウンマを編成し、ウンマを中心に信者の輪を広げていきます。

力を蓄えると、630年にはメッカを攻略してカーバ神殿を奪取。

天から降ってきたという聖なる黒石を除いて神々の像を破壊し、カーバを取り囲むマスジド・ハラーム(ハラーム・モスク)をイスラム教最高のモスクとして整備しました。

 

この頃、カーバの方角(当初はエルサレムのアル=アクサー・モスク※の方角。この方角を「キブラ」という)に向かって1日5回行う礼拝=サラートや、特定の日にカーバを訪ねる巡礼=ハッジなどの義務や信仰の方法が体系化されました。

※世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請)」

 

[関連記事]

世界遺産と建築16 イスラム建築1:イスラム教とモスクの基礎知識

 

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<アラブ帝国、イスラム帝国>

■正統カリフ時代

世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請)」、岩のドーム
イスラム教第3の聖地、エルサレムの岩のドーム。伝説によると、ムハンマドはある夜、天使ジブリルに導かれ、天馬ブラークに乗ってカーバからこの場に降り立ち、光のはしごを昇って神に謁見したといいます。聖なる岩にはムハンマドの足跡が穿たれています。世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請)」構成資産

632年にムハンマドが没すると、アラブ人信者らは「カリフ」と呼ばれるムハンマドの代理人・イスラム教指導者を掲げて結集します。

初代カリフがアブー・バクル、第2代がウマル、第3代がウスマーン、そして第4代がアリーです。

この4代のカリフを「正統カリフ」といいます。

 

カリフを巡って後継者争いが絶えず、第2~3代カリフはいずれも暗殺されてしまいます(初代は在位2年で病死)。

第3代のウスマーンはウマイヤ家の出身でしたが、ウスマーンが暗殺されてムハンマドの血を引くアリーが第4代を継ぐと、ウマイヤ家のシリア総督ムアーウィヤが強く反発して戦争を仕掛けます。

アリーは結局、別の一派によって暗殺されてしまいました。

 

■シーア派の分岐

世界遺産「古代都市ダマスカス(シリア)」、ウマイヤド・モスク
イスラム教第4の聖地、ウマイヤド・モスク。もともとはローマ最高神ユピテルを祀るユピテル神殿で、4世紀にローマ皇帝テオドシウス1世が洗礼者ヨハネの聖堂に改修し、それをウマイヤ朝の第6代カリフ、ワリード1世が705~715年にモスクへと建て替えました。世界遺産「古代都市ダマスカス(シリア)」構成資産 (C) alazaat

第5代カリフに就いたのはウマイヤ家のムアーウィヤです。

661年、ムアーウィヤは拠点をダマスカス※に定め、カリフの世襲を開始します。

アリーまでの時代を正統カリフ時代と呼び、ムアーウィヤを初代カリフとするウマイヤ家の王朝をウマイヤ朝といいます。

ウマイヤ朝はアラブ人主導であったため、アラブ帝国と呼ばれることもあります。

 

ムハンマドは7人の子供を残していましたが、末娘のファーティマを除いて亡くなっていました。

アリーは第1~3代カリフと異なり、ムハンマドの父方の従弟で、ファーティマと結婚していることから、ムハンマドと同じ血を引く一族といえます。

アリーは暗殺されましたが、アリーとファーティマの子孫、つまりムハンマドの血縁者のみを指導者「イマーム」として認める派閥をアリーの党派=アリー・シーアと呼びます。

シーア派です。

 

しかしウマイヤ朝はこれを弾圧し、アリーの息子フサインは680年のカルバラーの戦いに敗れて戦死。

シーア派はこれ以後も第12代までイマームを立て、少数派ながら存続します。

※世界遺産「古代都市ダマスカス(シリア)」

 

■ウマイヤ朝(アラブ帝国)

正統カリフ→ウマイヤ朝の版図。Rashidun=緑:正統カリフ、Umayyad=オレンジ:ウマイヤ朝、Abbasid=赤:アッバース朝

世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請)」、アル=アクサー・モスク
エルサレム、神殿の丘に立つアル=アクサー・モスク。ワリード1世の命で705年に完成したモスクで、当初はメッカではなくこのモスクの方角に祈りが捧げられていました。世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請)」構成資産 (C) Andrew Shiva
レバノンの世界遺産「アンジャル」、ウマイヤ朝期の宮殿跡
レバノンの世界遺産「アンジャル」、ウマイヤ朝期の宮殿跡。ワリード1世が建設した町で、首都ダマスカスと港湾都市ベイルートを結ぶ途上にあり、多くの離宮が築かれました (C) Guillaume Piolle

ウマイヤ朝の最盛期を築いたのがウマイヤ朝第5代カリフのアブド・アルマリクと、その息子で第6代カリフのワリード1世です。

 

アブド・アルマリクは中央アジアのソグディアナやパキスタン南部のシンド、北アフリカのモロッコに進出し、691年にはエルサレム①に岩のドームとアル=アクサー・モスク(銀のドーム)を建設しています。

 

ワリード1世はさらにインド北部やイベリア半島(スペイン、ポルトガルのある半島)の西ゴート王国(首都トレド②)を攻略してヨーロッパに進出し、最大版図を築きました。

温泉離宮アムラ城③やダマスカスのウマイヤド・モスク④、保養都市アンジャル⑤はワリード1世による建設です。

 

広大な領域を支配したウマイヤ朝ですが、アラブ人を優遇し、他民族にのみ地租(ハラージュ)や人頭税(ジズヤ)等を課したため、各地で不満が鬱積。

また、ウマイヤ朝のカリフ就任を否定するシーア派をはじめ、イスラム教徒の中にも反ウマイヤ家を掲げる派閥も多く、次第に求心力を失っていきました。

※①世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請)」

 ②世界遺産「歴史都市トレド(スペイン)」

 ③世界遺産「アムラ城(ヨルダン)」

 ④世界遺産「古代都市ダマスカス(シリア)」

 ⑤世界遺産「アンジャル(レバノン)」

 

■アッバース朝(イスラム帝国)

緑色がアッバース朝で、細かく分かれているのは地方政権

チュニジアの世界遺産「カイルアン」のグランド・モスク
チュニジアの世界遺産「カイルアン」のグランド・モスク。カイルアンはウマイヤ朝の対ビザンツ駐屯地として建設され、マグリブ地方の主要都市に発展し、9世紀にはアグラブ朝の首都として繁栄しました

ウマイヤ朝は732年にイベリア半島からフランク王国へ侵入したものの、トゥール・ポワティエ間の戦いに敗れてしまいます。

この頃からムハンマドの叔父の血を引くアッバース家がシーア派と手を組み、反ウマイヤ家で結集。

750年、アブー・アル・アッバースがカリフに推挙され、アッバース朝を打ち立てます。

 

アッバース朝の成立は「アッバース革命」といわれるように、イスラム教の転回点となりました。

まず、アラブ人の特権を廃止し、すべてのイスラム教徒に対して『コーラン』の下の平等をうたいました。

そしてこれまでの慣行=スンナやイスラム社会の多数派による合意事項を重視する民主的な思想を掲げました。

こうした教派はシーア派に対してスンニ派と呼ばれます。

 

8世紀半ばにはアブー・アル・アッバースの跡を継いだマンスールが「神の都」バグダード※を建設。

バグダードは世界最大の都市に成長します。

アッバース朝最盛期といわれるのが第5代カリフ、ハールーン・アッラシードの時代で、ビザンツ帝国を果敢に攻撃して勝利を収めました。

 

なお、「イスラム帝国」といった場合、狭義にはアッバース朝を示しますが、広義では正統カリフやウマイヤ朝を含め、オスマン帝国などの巨大なイスラム政権を含めることもあります。

※イラクの世界遺産暫定リスト記載

 

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世界遺産と建築16 イスラム建築1:イスラム教とモスクの基礎知識

 

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次回はイスラム帝国の分裂を紹介します。

 


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