哲学的考察 ウソだ! 16:タイム・トラベルとタイム・パラドックス2 <時間の非実在性>

タイム・トラベルを行うと親殺しのパラドックスやブート・ストラップのパラドックスという問題が立ち上がる。

前回はこれを避けるためにパラレル・ワールド仮説とマルチプレックス・ワールド仮説を考察したが、いずれにおいても問題が発生し、時間の問題が独我論的な主観世界の問題にすり替わってしまった。

 

この点について考察を進めたい。

 

* * *

■時間停止のパラドックス ~時間停止と物質停止

まず「時間停止」について考えてみたい。

 

SF系の小説や漫画・アニメ・映画等ではよく時間を止める描写が登場する。

なんらかの条件や能力等で時間が停止するわけだが、ここにもやはり主観と世界が深く関与してくる。

なお、以下でいう「物質」にはその一形態としてエネルギーなども含まれるものとする。

 

こうした物語でいう時間停止は基本的に時間を停止させる本人(主観)に適用されることはない。

自分以外の人間や物質の時間が停止し、その中で自分だけが動くことができるところに意味がある。

 

自分も含めてすべてが停止するような時間停止があった場合、時間停止は意味をなさない。

仮に今この瞬間に時間が1万年間止まったものとする。

しかし、誰も意識せず、物質の状態も変わらないような停止は停止していないことと同義だ。

 

時間停止が意味を持つためには、主観が「時間が停止した」ことを認識できなければならない。

主観が存在しなければ、あるいは主観まで停止してしまったら、時間停止には意味が与えられない。

 

しかし――

 

停止した時間の中であろうと主観が活動しているのであれば、主観には時間が流れていなければならない。

だからこそ、「1秒間だけ時間を止める能力」とか「1時間、時間を停止させた」というようなセンテンスが意味を持つ。

つまり、時間を停止させたとしても、主観には別の時間が起動しているのだ。

 

停止させた時間と、主観に流れる別の時間――

ふたつの時間は並存しうるだろうか?

 

不可能だろう。

「ふたつの時間が存在する」ということ自体が意味不明だ。

この問題を解決するもっともシンプルな解釈はおそらくこうだろう。

 

停止しているのは時間ではなく、物質である――

 

本質的に、「時間の停止」と「全物質の停止」は区別できない。

先述の「今この瞬間に時間が1万年間止まったものとする」という仮定について、時間的に1万年間停止することと、全物質が1万年間停止することは区別不能だ。

同じことを意味しているのだ。

 

そして、すべてが停止している中で自分のみが活動しているのだとしたら、自分には時間が流れているのだから、停止しているのは時間ではなく自分以外の物質だ。

 

結局、時間停止は物質停止なのだ――

 

やはり、タイム・トラベルのときと同じように時間の問題がこぼれ落ちてしまう。

 

* * *

■時間とは何か? ~力と波、そして時間

パラレル・ワールドの場合、時間移動は主観による世界の移動を意味する。

マルチプレックス・ワールドの場合、時間移動は主観を中心とした世界の創造を意味する。

時間停止は主観以外の物質世界の停止を意味する。

 

いずれの場合でも「時間」の問題が「主観」と「世界」の問題に置き換わっていることがわかる。

これは時間の本質に関わる問題だ。

 

時間が主観と世界に分割されるのは、もともと時間が主観と世界で構成されているからだ。

ここでいう世界とは物質世界のことで、そのまま物質と言い換えてもよい。

 

人が時間を認識する際には主観と物質を必要とする。

物質の変化を主観が感知することで時間を捉えるのだ。

 

その前に、時間とよく似た存在を紹介しておこう。

「波」と「力」だ。

 

海の波は海を見ることで観察できる。

音の波は音楽を聴くことで観察できる。

地震の波は揺れている物を見ることで観察できる。

 

水の分子が上下に動いて海の波になる。

空気の分子が前後に動いて音の波になる。

大地が上下左右に動いて地震の波になる

 

物質の動きが波を生むのだ。

しかし、波そのものは観察することができない。

力も同じだ。

 

重力はリンゴを落とすことで観察できる。

磁力は磁石に砂鉄をくっつけることで観察できる。

電力はポットで湯を沸かすことで観察できる。

 

物質の動きに変化をもたらすものが力だ。

しかし、力そのものは観察することができない。

 

時間も同様だ。

砂時計は砂の量、振り子時計は振り子の往復数、クオーツ時計は水晶の振動数で時間を計る。

波や力と同様に、時間も物質で計量されるものなのだ。

そしてやはり、時間そのものは観察することができない。

 

このことは、時間停止と全物質停止の区別がつかないことでも示されている。

時間的に1万年間停止することと、全物質が1万年間停止することは区別することができない。

これは物質という現象の中に時間が含まれていることを意味している。

 

波や力や時間の本質は物質の「変化」にある。

物質の振動が波であり、物質の加減速が力であり、物質の変化のペースが時間なのだ。

 

しかし、変化そのものが存在するわけではない。

変化は観察者、つまり主観の認識だ。

波も力も時間も主観の認識であって、波や力や時間が現実に存在するわけではない。

だから全物質を停止させると変化が消え、波も力も時間も消滅してしまう。

 

そして波や力や時間は観察する主観と物質に分割される。

海の波は観察する主観と水分子の上下動に分割される。

重力は観察する主観と物質の加減速に分割される。

そして時間は観察する主観と物質世界に分割される。

 

だからタイム・トラベルも物質の話に変換することができる。

たとえば今この瞬間の宇宙の全物質の配置。

この配置を完全に再現すればいつでも今この瞬間になる。

 

同様に、1970年のある瞬間の全宇宙の物質配置を再現すれば1970年のその瞬間になる。

「1970年にタイム・トラベルする」ということは、「主観が1970年の物質配置がなされた世界を訪れる」ことを意味する。

 

そしてタイム・パラドックスは物質配置が本来のものと異なる矛盾であると言い換えることができる。

物質配置が異なっていたらそれは1970年ではないのに、それでもそれを1970年だと言うためには別の1970年であると定義づけるしかない。

だから別世界の1970'年や1970"年が想定されることになる。

 

最初から時間移動は物質世界の移動を意味していたのだ。

 

* * *

■時間を巡る思考実験 ~主観と今この瞬間

時間と世界の関係を思考実験で明らかにしてみよう。

まずは「Logic 1:哲学的探究 哲学入門」で書いた思考実験をそのまま引用する。

 

コンピュータ上に仮想空間を作り、ぼくたちのこの現実世界と同様に物質を作り、物理法則も忠実に再現する。

そしてぼくたちとまったく同じ身体組成を持つシミュレーション人間を作って活動させる。

 

シミュレーション人間は仮想空間の宇宙の中でぼくたち人間と同じように生活をしている。

ぼくたちが仮想空間を再生している限りにおいては、ぼくたちとなんら違いはない。

ただ、コンピュータ上のシミュレーションなので、停止させることも早送りすることも巻き戻すこともできるし、時間を指定してその年月日・時間に移動することも可能だ。

 

仮想空間を普通に再生しているとき、仮想空間の中には時間が流れているように見える。

しかし、時間が流れていると言えるのは仮想空間を見ているぼくたちの空間であって、仮想空間の中ではない。

ぼくたちが仮想空間内の時間を自由に動かせるのは、仮想空間に時間が流れていないからだ。

 

これを仮想空間内のシミュレーション人間から見たらどうだろう?

 

シミュレーション人間に知性や感性があるのなら、過去→現在→未来という不断の時の流れを感じるはずだ。

彼らにとって時間は巻き戻るものでも早送りされるものでも移動できるものでもない。

一定のスピードで淀みなく流れているものであるはずだ。

 

彼らはぼくたちが時間を巻き戻そうと、早送りしようと、どこかの時間へ移動しようと、認識することはけっしてない。

ぼくたちがどのように再生しようと、それとは無関係に滑らかな時間の流れを感じている。

各々の瞬間の中で過去を認識し、未来を予想し、時間を感じながら今という瞬間を生きるのだ。

 

つまり、時間認識と時間の実在性はまったく関係がない。

時間は認識にすぎないのだ。

 

次に、話を変えて世界線を考えてみよう。

 

世界線を想像してみてほしい。

直線や曲線のようなものでよいだろう。

 

世界線は過去-現在-未来を含む時間の全体であるから物質や物質の変化をすべて含んでいる。

過去の物質の状態や、その物質の現在の姿、未来の変化をすべて含んでいなければならない。

 

世界線は時間をも含むものであるから時間的なものではない。

世界線は生まれるものでもなければ、今あるものでも、将来なくなるものでもない。

 

世界線が生まれたり滅んだりするのであれば、世界線のある世界に別の時間が必要になってしまう。

そうすると世界線を含む世界の世界線が必要になり、その世界線の世界線の世界線が必要に……と循環論に陥ってしまう。

 

だから延びていく世界線や、線の上を「今この瞬間」がスライドするような世界線は否定される。

したがってパラレル・ワールド仮説が正しいのだとしたら、世界は分岐するのではなく、最初から無数のパラレル・ワールドが存在しているのだ。

 

世界線は時間を含むものだが、時間は観察できない。

各点が「今この瞬間」であるが、各点が生き生きとした「今この瞬間」になるためには必ず主観が必要になる。

どこかの点に自分の主観、自分の視点を当てはめたとき、はじめて世界は生き生きと現前し、今この瞬間が体験され、時間が感知されるのだ。

 

つまり。

主観こそ今この瞬間であり、主観こそ時間の主なのだ。

 

* * *

■刹那生滅

主観が過去に移動したとき、移動した先の世界の物質配置に相違が生じる。

この矛盾を解消するために別世界を想定する他なく、世界の移動(パラレル・ワールド)あるいは世界の創造(マルチプレックス・ワールド)で対応される。

世界の移動とは主観の世界間移動を意味し、世界の創造とは主観を中心とした世界の破壊と再生を示す。

 

時間移動に主観がつねに独我論的に関わってくるのは、主観を中心に世界の移動が行われなければならないからだ。

だからたとえ第三者の時間移動を想定したとしても、その第三者の主観に立って世界の移動や世界の創造が行われることになる。

 

時間の話がいつの間にか世界の移動や創造といったずいぶん大きな話になってしまった。

しかし、時間移動とはもともとそれほどの大事なのだ。

 

そもそもパラレル・ワールドでは世界が無数に存在することを想定していたし、マルチプレックス・ワールドでは世界の消滅と創造が想定されていた。

最初から時間移動は世界を丸ごと変えようという大事だった。

そういう意味で、タイム・トラベルは世界を破壊・創造するほどの事柄であり、普通に考えればまぁ不可能だろうということになる。

 

しかし、思うのだ。

 

今この瞬間――

今この瞬間とは、厚みのない時間だ。

それは1秒でも0.1秒でもない0の刹那(せつな)だ。

 

今この瞬間は厚みがないため集まっても0にすぎない。

だから今この瞬間は他の瞬間とつながらないし継続しない。

どこまでも孤立した永遠の瞬間だ。

 

それならどうやって今この瞬間は次の瞬間に移動するのだろう?

 

今この瞬間がスリップするしかないのではないか?

今この瞬間がリープするしかないのではないか?

 

つまり。

 

今この瞬間こそ時間移動の場なのではないか?

今この瞬間こそが世界の破壊と創造の場なのではないか?

 

仏教ではこれを「刹那生滅(せつなしょうめつ)」あるいは「刹那滅(せつなめつ)」という。

 


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