哲学的探究15.思考実験5 ~スワンプマン仮説、生体・記憶・精神転送仮説~

前回までの「シミュレーション仮説」では世界全体がシミュレーション世界である可能性を検討した。

今回はその類似の可能性として、人間に的を絞った「スワンプマン仮説」「生体転送仮説」「精神転送仮説」「記憶転送仮説」について考察してみたい。

 

* * *

 

■スワンプマン仮説

スワンプマンの「スワンプ」は英語の "swamp" で「沼」を意味する。

スワンプマン(沼男)仮説はおおよそ以下のようなものだ(若干アレンジあり)。

 

ひとりの男が沼の淵を歩いていると雷が落ち、男は死亡し、遺体は沼に落ちて消えてしまう。

ほぼ同時にもうひとつの雷が沼に落ち、沼の養分と反応して死んだ男と寸分違わぬ構造を持つスワンプマンを沼の畔に生み出してしまう。

 

スワンプマンの身体は分子・原子・素粒子レベルまで死んだ男とまったく同一だ。

脳の構造まで同じであるため同じ記憶・同じ知識を持ち、スワンプマンは何事も起こらなかったかのように歩き出し、沼から遠ざかっていった。

 

さて。

最初の男とスワンプマンは同一人物と言えるだろうか?

 

* * *

 

■生体転送仮説

生体転送はSF映画・漫画・アニメ・小説などでしばしば見られる設定だ。

有名なところでは『スタートレック』や『ザ・フライ』の転送装置があり、『ドラえもん』の「どこでもドア」も一種の生体転送装置だろう。

 

こうした転送装置のメカニズム設定はさまざまだが、空間を歪ませるようなタイプではなく、次のような転送装置を想像してほしい。

 

ここに電話ボックスのような転送装置Aがあり、男がその中に入る。

すると転送装置Aは男の身体を一瞬で素粒子レベルまで分解してスキャンし、その分子・原子・素粒子構造を明らかにする。

そのデータははるか彼方に置かれた転送装置Bに送られ、転送装置Bは男の身体を分子・原子・素粒子レベルまで忠実に再生する。

当然脳の構造もまったく同一であるため、男には一瞬で場所を移動したように感じられる。

 

さて。

転送前の男と転送後の男は同一人物と言えるだろうか?

 

* * *

 

■精神転送仮説

これはシミュレーション仮説を個人に適用したものだ。

 

ある男の脳あるいは身体全体の分子・原子・素粒子構造を完全にコピー・データ化して保存する。

このデータを実際の脳や身体の活動とまったく同様にコンピュータ上の仮想空間で走らせる。

この辺りはシミュレーション仮説と同様だ。

脳の状態も完全に再現されているため、仮想空間には男の記憶や知識を持った男の意志が現れる。

 

さて。

仮想空間上の男は現実の男と同一人物と言えるだろうか?

 

* * *

 

■記憶転送仮説

人間の脳の構造は素粒子レベルまで解明されており、それをデータ化できるものとする。

 

ここに老衰寸前の男がいる。

この男の記憶を完全にデータ化して保存する。

 

一方、男の体からクローンを培養し、20歳前後の若々しい身体を作り上げる。

男が老衰死したのち、男の記憶データを若々しいクローンの脳に移植する。

 

さて。

若々しい身体を持つこの男は老衰で亡くなった老人と同一人物と言えるだろうか?

 

* * *

 

■複数の「私」問題

上に、スワンプマン仮説、生体・精神・記憶転送仮説という4つの仮説を紹介した。

これらはほとんど同一の問いで、以下のようなものになる。

  • 物質の組成が同じなら、それは同一人物と言えるのか?

あるいは。

  • 物質とまったく同じ反応系を再現したら、そこに同じ精神が宿るのか?

 

こうした仮説が実際に実験される可能性はほとんどないため、正確な答えは出せない。

しかし、この4つの問いに対する答えはおおよそ「否」ということになるだろう。

理由は、「私」を複数作ることが可能になってしまうからだ。

 

スワンプマン仮説において、男に雷は落ちておらず、雷は沼に落ちた1度だけで、男は死ななかったものとしよう。

男は死んでいないが、しかし沼に落ちた雷から男とまったく同じ分子・原子・素粒子構造を持つスワンプマンが誕生する。

 

この場合、ふたりが同時に存在するわけだから当然「男≠スワンプマン」ということになる。

では、男とまったく同じ身体構造・記憶・知識を持つスワンプマンはいったい何者なのか?

 

生体転送仮説でも同じことが起こりうる。

転送装置Aが送った男のデータを転送装置Bが復元したから男は一瞬で場所を移動したように感じられた。

では、転送装置Aから転送装置B、転送装置Cに同時にデータを送って同時に復元したらどうなるだろう?

男がふたり復元されてしまうが、元の男はどちらなのか?

 

あるいはこうも考えうる。

転送装置Aは素粒子レベルまで身体を分解してスキャンを行ったが、分解しなくてもスキャンすることができるようになったとしよう。

その場合、転送装置Aに入った男はそのままで、なおかつ転送装置Bにも男が誕生することになる。

転送装置Bに現れた男はいったい何者なのか?

 

精神転送仮説・記憶転送仮説もまったく同様だ。

データはいくらでもコピーできるので、男をいくらでも作ることができてしまう。

しかも、もとの男はそのまま生きていても構わないのだ。

 

これらの結論は、物質の形態・状態と「今この瞬間」を感じている「私」との間の関係の不一致を物語っている。

 

「私」の身体組成を素粒子レベルまでコピーしても、仮想空間で100%再現しても、それだけでは「私」にはならないし、「私」を「私」たらしめているものには何かが足りない――

このような結論にならざるをえない。

 

そもそも、これまでの記事や仮説で述べてきたように空間や時間は人の表現形式にすぎず、物質はその表象にすぎない。

表象をコピーしたところで表象を生み出すものである「私」にたどり着けるはずがない。

 

「私」とはいったい何者なのだろうか?

 

* * *

 

さて。

哲学的探究11~15まで5回にわたって考察してきた思考実験はこれにて終了としたい。

これらの思考実験はそれ以前、哲学的探究1~10までの考察と一致する。

 

物質を中心とするこの現象世界をどんなに探究したところで真理にはたどり着けない。

「本当の世界」は物質を中心とした現象世界とは無関係であるからだ。

 

したがって真理を探究するためには「世界」に関する考察をエポケーして、テーマを「私」に移す必要がある。

次回はこのことを「科学の限界」という視点から明らかにする。

 


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