世界遺産NEWS 16/11/03:キリストの墓、数世紀ぶりに開放
NATIONAL GEOGRAPHICによると、世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群」の構成資産のひとつである聖墳墓教会の小聖堂「エディクラ」で、イエスの遺体が納められたと伝わる石墓の覆いが取り外されました。
正確な記録はないようですが、遅くとも1555年、もしかしたらそれより数世紀も以前から封じられていたようで、数世紀ぶりに内部が明らかになりました。
イエスは天に昇ったはずですから、もちろん遺体はありません。
今回はこのニュースを解説します。
■Christ's Burial Place Exposed for First Time in Centuries(NATIONAL GEOGRAPHIC公式サイト)
まずはイエスの死の物語です。
西暦30~33年頃、独自の教えを伝えるイエスはユダヤ社会でも知られるような存在になっていました。
一部の人々がイエスをユダヤ教に伝わる救世主=キリストであると喧伝したり、王を名乗って反乱を起こすのではないかといった噂が流されたりしたために、ユダヤ人社会から次第に疎ましく思われるようになりました。
エルサレムを支配していたローマ帝国の総督ピラトは告発もあってイエスを捕らえますが、嫌疑は不十分。
無罪を決定しようとしますがユダヤ社会の反発は大きく、結局人々の声を聞き入れてイエスの処刑を宣告します。
イエスはエルサレム城内でイバラの冠を被され、鞭打たれ、十字架を背負わされます。
そして処刑場となるドクロの丘=ゴルゴダの丘まで歩かされたのち、自ら運んだ十字架に貼り付けられて死亡します。
このとき脇腹に槍を刺したのがロンギヌスで、彼の持つ槍はのちに聖槍として伝わります。
イエスが死亡した際、大きな地震が起こったと伝えられています。
そしてこの地震によって大地に亀裂が走り、イエスの血が地下深くに眠っているとされる最初の人間=アダムの骨に滴り落ちました。
これがイエスの贖いで、これによってアダムとイブがエデンの園で犯した原罪が清められたといわれています。
イエスの遺体は石墓に納められ、隣接する園に保管されました。
しかし3日後、遺体に油を塗るために墓を開けた人々は、空になった石墓を発見します。
復活したイエスは弟子たちの前に姿を現し、人々に福音を伝えるよう述べたのち、天に昇っていきました。
この復活を祝うのが復活祭=イースターです。
* * *
イエスが殺害されたゴルゴダの丘ですが、ユダヤ戦争やローマ都市の建設等々の混乱の中で場所は不明となってしまいました。
これを特定したと伝えられているのが、ローマ帝国ではじめてキリスト教を公認した皇帝コンスタンティヌス1世の妻ヘレナです。
そしてコンスタンティヌス1世はその場所に立っていたローマ神殿を取り壊し、教会の建設を命じました。
これが聖墳墓教会の最初の形です。
今日の聖墳墓教会はイエスが十字架にかけられてから石墓が納められるまでの一帯をカバーしていますが、その中でも石墓がある場所に建てられた教会内小聖堂がエディクラです。
エディクラはこれまでに何度も再建されているのですが、最近では1808~1810年に行われました。
地震等の影響でエディクラの状態がきわめて悪いことは以前から指摘されていました。
危険ということでエディクラへの立ち入りが制限されたこともあったりします。
しかしながら聖墳墓教会を管理する6教会(ローマ・カトリック、正教会、エチオピア正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会)の不和のため、修復が進まないような状態でした。
今回は2015年にようやく各教会の同意が得られたことから修復プロジェクトが始動することになりました。
修復にかかる費用は400万ドル超で、期間は約1年。
ヨルダン国王アブドラ2世をはじめさまざまな個人や教派からの寄付によって賄われており、竣工は2017年春の予定です。
なお、プロテスタント諸派は福音書などからヘレナが特定した場所を否定しており、エルサレム城外の「園の墓」をゴルゴダの丘であると考えています。
* * *
石墓ですが、3日間にわたって開放され、破損した部分を修復すると同時に調査が行われました。
内部は空ではなく、石をはじめさまざまな内容物が詰まっていたようです。
これらがなんなのかは今後の調査によって明らかになるものと思われます。
研究チームはイエスやヘレナに関する伝説の真相が明らかになるものと期待しています。
なんだかエヴァンゲリオンの話をしているような気さえしてきます。
今後の調査結果が非常に楽しみです。
[関連サイト]
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