世界遺産と世界史9.インダス文明

シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の歴史」では世界史と関連の世界遺産の数々を紹介します。

なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。

 

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* * *

 

<インダス文明>

■インダス文明の誕生と消滅

世界遺産「モヘンジョダロの考古遺跡群(パキスタン)」の城塞地区
「死の丘」を意味する世界遺産「モヘンジョダロの考古遺跡群(パキスタン)」の城塞地区。右のストゥーパの下で46体の遺体が発見されたことからこの名がつきましたが、ストゥーパはずっと後年の2世紀、クシャーナ朝時代のものと判明しています

中東の砂漠・ステップ地帯の東の端に位置するのがインダス川です。

上流に降水量豊富な地域を抱えた乾燥地帯である点はティグリス川、ユーフラテス川、ナイル川と同様です。

おかげで紀元前7000~前5000年ほどには農耕・牧畜が行われていました。

 

農耕・牧畜を基礎とする定住生活は次第に広がり、紀元前2500年頃にはハラッパ①、モヘンジョダロ②、ラフマン・デリ③、ドーラヴィーラ④をはじめとする都市国家群が誕生します。

インダス文明です。

 

モヘンジョダロはレンガによって築かれた都市遺跡です。

整然と区画整理されており、下水道やゴミ処理施設・浴室・水洗トイレを完備していました。

 

ハラッパやモヘンジョダロに共通する特徴に、宮殿や神殿、軍事施設や戦争の跡が見つからない点が挙げられます。

メソポタミアやエジプトと違って強力な国王や神官がおらず、中央集権的な政治システムが整っていなかったようです。

 

これほどの文明を築いたインダス諸都市ですが、紀元前1800~前1500年頃、突如放棄されてしまいます。

その理由は諸説あり、アーリア人の侵入、気候変動によるインダス川の流路の変化、木々の伐採による環境破壊などが挙げられています。 

イラン高原やインダス川上流にいたアーリア人が移動したのは確かなようで、紀元前1500年頃から南下を開始。

やがてインド北西部にまで到達し、拡散していきました。

※①③パキスタン世界遺産暫定リスト記載

 ②世界遺産「モヘンジョダロの考古遺跡群(パキスタン)」

 ④世界遺産「ドーラヴィーラ:ハラッパ文化の都市(インド)」

 ⑤インド世界遺産暫定リスト記載

 

[関連サイト]

モヘンジョダロ/パキスタン

 

* * *

 

<ヴェーダ時代>

■ヴェーダとバラモン教

世界遺産「カラット・アル-バーレーン-古代の港とディルムンの首都(バーレーン)」の要塞跡
カラット・アル-バーレーンの要塞跡。メソポタミアとインダスを結ぶ貿易で繁栄したディルムン文明の首都遺跡で、古い遺跡は紀元前2300年ほどまでさかのぼります。世界遺産「カラット・アル-バーレーン-古代の港とディルムンの首都(バーレーン)」構成資産 (C) Beireke1

アーリア人がもたらし、後のインドの宗教・思想・哲学に多大な影響を与えたのが「ヴェーダ」です。

「知識」を表すヴェーダは膨大な思想・信仰・芸術体系で、神々への信仰や祭祀から音楽・文学まで、あらゆる分野の文化を伝えました。

 

この時代、インド北部、ガンジス川の川沿いに多数の都市国家が生まれます。

マガダ、コーサラの2大国を中心に、ヴェーダが広まっていく紀元前1500~前500年頃を「ヴェーダ時代」といいます。

 

ヴェーダを聖典とするバラモン教もこの時代に誕生しました。

バラモン教は司祭であるバラモンの祭祀を重要視しており、やがてそのバラモンが社会の要職を支配。

社会を、バラモン(司祭)>クシャトリア(貴族・戦士)>ヴァイシャ(農工商人)>シュードラ(奴隷)と、それらの階級にさえ入れない不可触民という4階級+1のヴァルナ(色。階級)に分け、身分を世襲させました(ヴァルナ制)。

 

後の時代にはさらに細分化し、生まれながら職業=ジャーティまでが固定化されていきます(カースト制)。

バラモン教は4~5世紀に多彩な神々を取り込みヒンドゥー教としてインド全土に広まりますが、カースト制はインド憲法で禁止された現代のインドでも根強く残っており、社会問題となっています。

 

■仏教の誕生

ネパールの世界遺産「ブッダの生誕地ルンビニ」
ネパールの世界遺産「ブッダの生誕地ルンビニ」。この池でブッダの母マーヤー夫人が息子シッダールタを産湯につけたと伝えられています。土台は僧院の跡 (C) Yves Picq
サールナートのダメーク・ストゥーパ
ブッダがはじめて説法を行った初転法輪の地サールナートのダメーク・ストゥーパ。直径28m・高さ43.6mを誇るレンガ造のストゥーパで、僧院が築かれていた5世紀頃に建てられました。インドの世界遺産暫定リスト記載

紀元前6世紀前後になると、都市国家の対立から戦士階級クシャトリア、貿易の活発化から商人階級ヴァイシャが力を増していきます。

そして差別への不満からバラモンの権威や祭祀、ヴァルナ制を否定した宗教が次々と登場します。

特に支持されたのがガウタマ・シッダールタの仏教です。

 

ガウタマ・シッダールタが生まれたのはマガダ、コーサラに挟まれた釈迦族の国で、ネパールのルンビニ①です。

釈迦族の王子として16歳で結婚しますが、生老病死の四苦をつねに感じていた彼は妻も息子も捨てて突如出家してしまいます。

激しい修行を断念した後、ブッダガヤ②の菩提樹の下で悟りを開き、「目覚めた人」ブッダとなりました。

 

その後サールナート③ではじめて説法を行い、やがてクシナガル④で没します。

①~④は仏教4大聖地と呼ばれています。

※①世界遺産「仏陀の生誕地ルンビニ(ネパール)」

 ②世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺(インド)」

 ③④インドの世界遺産暫定リスト記載

 

[関連サイト]

ブッダガヤ/インド

世界遺産と建築21 仏教建築1:インド編

 

■結集

インドの世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺」、大菩提寺=マハーボディ
インドの世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺」、大菩提寺=マハーボディ。高さ52mの仏塔で、本尊はもちろん釈迦如来。ブッダが悟りを開いたとされる場所に立っています
クシナガルのラーマーバール・ストゥーパ
ブッダが火葬されたとされる場所に立つクシナガルのラーマーバール・ストゥーパ。ブッダはスーカラ・マッダヴァと呼ばれる豚肉とキノコの料理を食べて腹痛を起こし、約80歳で亡くなったと伝わっています。インドの世界遺産暫定リスト記載

当初の仏教は哲学的色彩が強く、宗教色の薄いものでした。

 

神や悪魔や霊、占いや預言、天国や地獄やあの世といった超常的な話をすることはなかったし、「これを信じろ」とか「こう生きろ」などと思想を主張することもありませんでした。

したがって宗教的な祭祀、聖書的な経典、神殿的な寺院、仏像や仏塔といったものはすべて後の時代に弟子たちが作り出したものです。

 

ただ、ブッダの弟子たちは師の言葉だけは正しく伝えようと、皆で集まって経(教え)・論(解釈)・律(戒律)の三蔵を整えました。

これを「結集(けつじゅう)」といいます。

特に最重要の教説=経については間違いがないよう全員で唱和し、口伝で伝えられました。

お経の起源です。

 

ブッダの遺体は荼毘(だび。火葬)に付された後、仏舎利(ぶっしゃり。遺灰)になりました。

仏舎利は8つに分けられ、灰土を含めて10基のストゥーパ(仏舎利を収めた供養塔)の下に収められたと伝えられています。

 

ブッダ入滅の約100年後、また結集が行われました(第2回仏典結集)。

結集後、戒律に伴う対立から大衆部と上座部に分裂し(根本分裂)、紀元前2世紀頃にはさらに細分化して部派仏教と呼ばれる各派乱立の時代を迎えます(枝末分裂)。

紀元前1世紀には自分の解脱のみを追究するそれまでの上座部の仏教(上座部仏教)に対する批判から、大衆部の主張をさらに推し進めて一切衆生(生きとし生けるものすべて)を大きな船に乗せて救おうという大乗仏教が誕生します。

 

* * *

 

<マウリヤ朝>

マウリア朝の版図の推移 

■アショーカ王と仏教

世界遺産「サーンチーの仏教建造物群(インド)」、第1ストゥーパ(グレート・ストゥーパ)
サーンチーの第1ストゥーパ(グレート・ストゥーパ)。正面の門はトラナと呼ばれ、トラナのレリーフにはブッダの生涯が描かれています。世界遺産「サーンチーの仏教建造物群(インド)」構成資産 (C) Raveesh Vyas

紀元前317年頃、マガダ国ではチャンドラグプタがナンダ朝を倒し、首都をパータリプトラに定めてマウリヤ朝を建国します。

 

チャンドラグプタは史上はじめてインド北部の都市国家群を統一。

アレキサンダー大王の部隊の攻撃を退け、その勢いで現在のバングラデシュからパキスタン、アフガニスタンに至る大帝国を成立させました。

特に重要なのがパキスタンからアフガニスタンに広がるガンダーラの地で、ここでギリシアの文化とインドの文化が融合し、マウリヤ朝が仏教を伝えることで仏像をはじめとする仏教芸術が開花しました。

 

マウリヤ朝の最大版図はチャンドラグプタの孫・アショーカ王が実現しました。

アショーカ王は熱心な仏教徒で、仏教にさまざまな形で貢献しました。

 

たとえばダルマ(法。摂理・倫理)を伝える勅令をアショーカ・スタンバ(アショーカ・ピラー)という石柱の上に刻み、全国各地に立てました。

また、各地に散らばった仏典を集めて再編纂し(第3回仏典結集)、上座部仏教の体系化を進めました。

 

さらに、8基のストゥーパのうち7基を発見・発掘し、仏舎利を84,000に分割した後、各地にストゥーパを造って収めさせたといいます。

このときサーンチー※には8基のストゥーパが築かれ、うち3基が現存しています。

※世界遺産「サーンチーの仏教建造物群(インド)」

 

[関連サイト]

世界遺産と建築21 仏教建築1:インド編

 

■スリランカへの仏教伝来

世界遺産「聖地アヌラーダプラ(スリランカ)」、ルワンワリサーヤ・ダゴバ
高さ55mを誇るアヌラーダプラのルワンワリサーヤ・ダゴバ(復元)。紀元前2世紀に築かれたスリランカ最古級のストゥーパで、当時は103mの高さを誇ったといいます。世界遺産「聖地アヌラーダプラ(スリランカ)」構成資産 (C) AKS.9955
スリランカの世界遺産「ランギリ・ダンブッラ石窟寺院」の石窟寺院
スリランカの世界遺産「ランギリ・ダンブッラ石窟寺院」の石窟寺院のエントランス。主として5つの寺院で構成され、150を超える釈迦如来像のほか、ヒンドゥー教の神像も見られます

紀元前3世紀、マウリヤ朝のアショーカ王の弟あるいは息子と伝えられるマヒンダがスリランカ(セイロン)のシンハラ王国を訪れて上座部仏教を伝えます

当時の王デーワーナンピヤ・ティッサはこれを受け入れて仏教に改宗し、首都アヌラーダプラ①に僧院やストゥーパを建立して仏教の聖地として整備しました。

 

紀元前1世紀、ワッタガーマニ・アバヤ王の時代にタミル人の侵略を受けてアヌラーダプラを一時放棄。

王はダンブッラ②に逃れて僧たちに救われます。

首都を奪還した後、王は僧たちに石窟を贈ると、以来ダンブッラは仏教の聖地となり、石窟はやがて黄金の仏像や仏教壁画で覆われ黄金寺院と呼ばれて繁栄しました。

 

こうしてスリランカは上座部仏教の聖地となり、やがてミャンマー(ビルマ)やタイに伝わってインドシナ半島全域に広がっていきます。

いわゆる「南伝仏教」です。

これに対してクシャーナ朝の時代に広がった大乗仏教は中央アジアや中国に伝わり、密教はチベット仏教となってチベットやモンゴルに広がります。

これらを「北伝仏教」と呼びます。

※①世界遺産「聖地アヌラーダプラ(スリランカ)」

 ②世界遺産「ランギリ・ダンブッラ石窟寺院(スリランカ)」 だ。

 

[関連記事]

世界遺産と建築23 仏教建築3:上座部仏教編(スリランカ、東南アジア)

 

* * *

 

次回は黄河や長江に代表される中国文明を紹介します。

 


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03.地形の形成

04.生命の誕生

05.生命の進化

06.人類の夜明け

07.文明の誕生

08.エジプト文明

09.インダス文明

10.中国文明

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02.建築の種類2:宗教建築

03.建築の種類3:メガリス

04.木造建築の基礎知識

05.石造建築の基礎知識

06.ギリシア建築

07.ローマ建築

08.ビザンツ/ビザンチン建築

09.ロマネスク建築

10.ゴシック建築

以下続く。

 

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2.文化交差路サマルカンド2

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