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世界遺産NEWS 25/03/27:聖地ブッダガヤの所有権を巡る仏教徒とヒンドゥー教徒の対立

仏教の聖地の筆頭で、開祖ブッダが悟りを開いた場所として知られるインドのブッダガヤ。

寺院を中心とした成道の地は「ブッダガヤの大菩提寺」として世界遺産リストに登録されています。

 

世界遺産名にある大菩提寺はマハーボディ寺院の名でも知られますが、現在この寺院は仏教徒とヒンドゥー教徒で構成されるブッダガヤ寺院管理委員会によって管理されています。

しかし、ヒンドゥー教徒がこの地で同教の儀式を強行するなどして両宗教は対立を深めており、2月27日には断食抗議を行っていた仏僧20名超が州警察に排除されたことから抗議活動はインド全土に広がりました。

 

Bodh Gaya: Buddhists at loggerheads with the VHP(National Herald)

 

仏教徒が求めているのは同法の廃止と寺院の返還です。

しかし、仏教の聖地なのにどうしてこのような歴史をたどることになってしまったのでしょうか?

 

今回はこのニュースをお伝えします。

 

* * *

紀元前500年頃、釈迦(しゃか)族のガウタマ・シッダールタは29歳で出家すると、名高い僧を訪ねては問答し、絶食を含む厳しい修行を実践しました。

 

6年のあいだ心身をいじめ抜いたシッダールタでしたが、この方法では苦しみは癒やされないと感じると、プラーグボディ山(前正覚山)を下り、ナイランジャナー川(尼連禅河)で身を清め、スジャータという村娘に乳の粥をもらって身体を癒やします。

そして菩提樹(ボダイジュ。種としてはインドボダイジュ)の下に座って瞑想に入ると、49日後の早朝、ついに悟りを開いて目覚めし者=ブッダとなりました。

 

時代は下って紀元前260年頃、マウリヤ朝のアショーカ王がこの地を特定し、ブッダが瞑想を行った場所にヴァジュラサナ(金剛宝座)と呼ばれる記念石を設置し、仏舎利(ぶっしゃり。ブッダの遺骨や遺灰)を収めたストゥーパを建設してマハーボディ寺院を創設しました。

このときオリジナルの挿し木から現在も葉を広げる菩提樹が植えられたと伝えられています。

 

その後の歴史はハッキリしませんが、6世紀前後に新たな寺院が建立されたようです。

その後、ヒンドゥー教に押されて仏教の信仰は下火となり、13世紀に5つのイスラム王朝が連続するデリー=スルタン朝の時代がはじまるとやがて放棄され、17世紀頃まで廃墟となりました。

インドの世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺」、マハーボディ寺院
インドの世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺」、高さ52mを誇るマハーボディ寺院。現在の建物は6世紀の寺院をベースに19世紀に大幅に改築されたものと見られています (C) Rajasekaran Ramakrishnan

1590年にヒンドゥー教の修行者であるマハント・ガマンディ・ギリがこの地に居を定め、以来実質的な所有者となりました。

 

インドにおいて仏教(特に密教)とヒンドゥー教は互いの神々を取り込み合い、習合していきました。

そしてヒンドゥー教には、「ブッダはヒンドゥー教3最高神の1柱である維持神・ヴィシュヌの9番目のアヴァターラ(化神。別の姿で降臨した神)である」とする伝説があります。

 

こうなると仏教はヒンドゥー教の一派にすぎず、ブッダはヒンドゥー教徒にとっても神の一部であり、ブッダガヤも聖地ということになります。

そもそもマハーボディ寺院はヒンドゥー教寺院の北方型・ナーガラ様式の影響を大きく受けており、仏塔はシヴァ神の象徴であるリンガであるとの主張もあったります。

こうしたこともあってかギリの一族はこの地を整備し、現在の16代目までその地位を引き継いでいきます。

 

19世紀にスリランカの仏僧であるアナガーリカ・ダルマパーラの提唱でマハーボディ寺院を仏教徒の手に戻す運動が開始され、宗主国であるイギリスなどへもアピールを行いました。

 

インド独立の2年後、1949年にはビハール州議会がブッダガヤ寺院法を可決。

この結果、ヒンドゥー教徒の委員長と、4人ずつの仏教徒とヒンドゥー教徒の計9人からなるブッダガヤ寺院管理委員会が発足しました。

なお、2013年の改正で、委員長はヒンドゥー教徒に限らないとされています。

インドの世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺」の菩提樹
インドの世界遺産「ブッダガヤの大菩提寺」の菩提樹。ブッダが悟りを開いたときの菩提樹から挿し木を取って伝えられたもので、5代目と言われています (C) PP Yoonus

そして今回のニュースです。

 

近年、マハーボディ寺院でヒンドゥー教徒がしばしばヴェーダの儀式を行うようになりました。

仏教の儀式でないばかりか、ブッダが禁じたものであるとも言われており、仏教徒は市や州・国に苦情を申し立てました。

 

2012年には最高裁判所へ嘆願書を提出し、ブッダガヤ寺院法の廃止と寺院の仏教徒への返還を求めました。

しかし、審理は一向に行われておらず、その後に州政府や中央政府に提出した文書もほとんど無視されています。

 

そして今年の2月27日、マハーボディ寺院で2週間にわたって断食による抗議活動を行っていた20人以上の仏僧が州警察によって強制排除されました。

これを受けて全インド仏教フォーラムなどがキャンペーンを行った結果、インド全土はもとより中国など海外からも抗議者が集結し、これまでにない規模に発展しました。

 

ヒンドゥー教徒でギリ一族の第16代目当主であるスワミ・ヴィヴェーカーナンダ・ギリ氏は、これを今年開催予定の州議会選挙を見据えた政治的な動きと捉えています。

そして「仏教徒も兄弟である」としつつ、仏教徒が寺院を放棄した際に保護したのはヒンドゥー教徒であり、自分たちが正当な所有者で、ブッダガヤ寺院法が廃止された場合は「ヒンドゥー教徒の寺院となる」と主張しています。

 

インドにおいて仏教徒は圧倒的な少数派で、ヒンドゥー教徒10億人に対して800万~900万人程度と見られています。

仏教徒はそれが政府や自治体・裁判所に訴えても聞き入れられない現状につながっていると見ており、「自分たちの権利は法律を通し徐々に侵害されている」としています。

 

* * *

 

ブッダガヤを訪ねたことがありますが、町には日本寺や中国寺、ネパール寺、ブータン寺、バングラデシュ寺、ミャンマー寺、タイ寺といった具合に世界の仏教寺院が集結しています。

そしてマハーボディ寺院では各地の仏僧がそれぞれの法衣を身にまとって修行を行っていました。

 

ですから疑いもなくブッダガヤは仏教の聖地だと思いましたし、マハーボディ寺院は仏教徒のものだと考えていました。

でも、場合によってはヒンドゥー教の聖地・ヒンドゥー教の寺院になってしまうというのですから穏やかではありません。

 

いずれも敬虔な宗教者なのですから、それに恥じぬ態度で対応していただきたいところです。

 

 

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