20/12/04:イタリアのポンペイ遺跡で主人と奴隷の遺体を発見 - ART+LOGIC=TRAVEL [旅を考えるweb]

世界遺産NEWS 20/12/04:イタリアのポンペイ遺跡で主人と奴隷の遺体を発見

西暦79年に起きたヴェスヴィオ山の噴火で消滅したローマ帝国の古代都市ポンペイ。

イタリア文化省は11月下旬、ポンペイのチヴィタ・ジュリアーナという遺跡で非常によく保存された2体の遺体(遺骨と空洞)を発見したことを発表しました。

 

Bodies of rich man and slave discovered within Pompeii ruins(CNN)

 

今回はこのニュースをお伝えします。

 

なお、ポンペイと周辺の港湾都市ヘルクラネウム(現在のエルコラーノ)、別荘地オプロンティス(トッレ・アヌンツィアータ)の遺跡はイタリアの世界遺産「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの考古地域群」として世界遺産リストに掲載されています。

 

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西暦79年8月24日の午後、標高1,281mのヴェスヴィオ山が大噴火を起こしました。

巨大な火山弾が降りそそぎ、高温の有毒ガスと火砕流が時速100kmを超えるスピードで山麓を襲いました。

 

南東約10kmに位置するポンペイやオプロンティスは厚さ5~6mの火山灰に覆われ、約2,000人が命を落としました。

ヴェスヴィオ山の西7kmほどのヘルクラネウムは火砕流や泥流に飲み込まれて消滅しました。

 

やがてポンペイの名前は人々の記憶から消え去り、1,700年以上にわたって封印されました。

3つの都市遺跡が発掘されるのは18世紀に入ってからのことでした。

 

一気に土中に埋もれたポンペイはタイムカプセルのように当時の都市の様子を凍結させていました。

町がそのまま残されていただけでなく、家財道具や日用品・食料・文書など多彩な遺物が出土しました。

 

際立っていたのが人間やイヌ、パンといった有機物の痕跡です。

火山灰に埋もれたこうした大型の有機物は大きな骨を除いて分解されてしまいますが、身体が占めていた場所は空洞として残されました。

ここに石膏を流すことで顔の形まで明らかになるほどのレベルで遺体の様子を再現することができました。

こうした石膏像はポンペイ遺跡や国立ナポリ考古学博物館などに収められています。

 

下の動画は今回発見された2体の遺体の石膏像を作る様子を記録したものです。

この2体の空洞ですが、ポンペイ遺跡の中心部から北西700mほどにあるチヴィタ・ジュリアーナで発見されました。

一帯は別荘が連なるエリアで、発見されたのは別荘の地下回廊で2mほどの灰の下に埋もれていました。

ふたりは逃げ遅れて地下室に避難したものと見られます。

 

空洞には多くの骨や歯が残されていました。

これらを含む残留物を取り除いた後、内部をレーザー・スキャンして調査し、最後に石膏を流し込んで型を取りました。

 

ひとりは30~40歳ほどで、身長は165cm、チュニックとウールのマントを着ており裕福と思われる男性です。

もうひとりは18~23歳ほどで身長155cm、チュニックを身にまとっており、脊柱の椎骨が押しつぶされていることから重労働を行っていた奴隷と見られています。

主人と奴隷の関係のようですね。

 

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イタリアの世界遺産「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの考古地域群」
イタリアの世界遺産「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの考古地域群」、ポンペイ遺跡に置かれている石膏像

現在、新型コロナウイルス感染症の影響で遺跡の見学はできないようですが、発掘作業は続けられています。

1748年から組織的な発掘が行われていますが、まだまだ新しい遺構・遺物の発見の余地はありそうです。

 

 

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