2月下旬、イギリスの考古学チームはストーンヘンジを構成するブルー・ストーンについて、その採石場を特定したことを発表しました。
■Stonehenge May Have First Stood in Wales, According to Speculative Idea(Live Science。英語)
これまでもブルー・ストーンは直線距離で220kmほど離れているプレセリの丘から運ばれてきたとは言われていましたが、今回は具体的な場所も特定されています。
それだけでなく、いったんプレセリの丘周辺でストーン・サークルとして組み立てられていた可能性も指摘されています。
今回はこのニュースをお伝えします。
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世界遺産「ストーンヘンジ、エーヴベリーと関連する遺跡群」の構成資産のひとつであるストーンヘンジ。
この遺跡は主にサーセン・ストーンと呼ばれる砂岩と、ブルー・ストーンと呼ばれる玄武岩で築かれています。
最大50tにもなるサーセン・ストーンは30kmほど離れた場所にあるマールバラの丘から、ひとつ2~4tほどながら80個(現在残っているのは43個)はあったと見られるブルー・ストーンにいたっては直線距離で220kmほど離れたウェールズのプレセリの丘から運搬されたと考えられています。
ただ、具体的にマールバラの丘やプレセリの丘のどこから切り出されたのかはわかっていませんでした。
2月19日、ロンドン大学をはじめとするイギリスの考古学チームは学術誌 "Antiquity" 上でブルー・ストーンの採石場を特定したことを発表しました。
採石場は "Carn Goedog" や "Craig Rhos-y-felin" と呼ばれる場所で、プレセリの丘の北斜面に位置します。
岩を切り出していた岩盤や、切り出したあと滑らせた斜面、人工的に築かれた石のプラットフォームが発見されており、大型の採石施設だったようです。
ここの岩盤を削って木のくさびを打ち込み、雨などによる膨張を利用して岩を割ったと考えられていますが、その跡も発見されています。
ただ、酸性が強い土壌で溶けてしまうためか、くさびやロープといった道具類は出土していません。
周辺から発掘された木炭を放射性炭素同位体法で年代測定したところ、紀元前3400~前3200年ほどという結果が出ています。
ブルー・ストーンのヘンジの建築年代は紀元前3000年よりは新しいと考えられていますから、数百年の差が生じます。
そこで、プレセリ山地でいったんストーン・サークルとして組み立てられていたのではないかという仮説が提唱されています。
ストーン・サークルを建てた候補地として挙げられているのが "Banc Du" です。
"Banc Du" は1990年代に航空写真の調査で発見された遺跡で、同心楕円形の記念碑跡が見つかっており、使用されていた年代は紀元前3700年前後、あるいは紀元前3000~前2600年前後と見られています。
なんらかの儀式に使われていたようですが、それをストーンヘンジと結びつける決定的な証拠は出ていません。
また、これまでブルー・ストーンはプレセリの丘の南斜面で切り出され、斜面を下って南西の海岸沿いにあるミルフォードヘイブン周辺から船に乗せられて持ち運ばれたと考えられていました。
しかし、採石場が北斜面であることから海路ではなく陸路で運ばれた可能性が高くなっているようです。
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いやー、おもしろいですね。
それにしても2~4tにもなる80個の石を直線距離で約220km、移動距離にして約250kmを運ぶというのはたいへんな労力です。
なぜここまでしなければならなかったのでしょうか?
文字史料はいっさい存在しないのでこの謎が解き明かされることはないでしょうけれど、ここにとてつもない魅力を感じます。
なお、ストーンヘンジの採石場については以下の記事もご参照ください。
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ストーンヘンジ:謎に包まれた巨石文明の遺産(All About 世界遺産)
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