11月9日に開催されたUNESCO(ユネスコ。国際連合教育科学文化機関)定例総会でコソボ共和国の加盟が審議されました。
賛成には賛否表明国の2/3以上、つまり95票が必要でしたが、結果は賛成92、反対50、棄権29。
わずか3票の差で加盟は否決されました(日本は棄権)。
ということで、コソボのUNESCO加盟はなりませんでした。
当然、世界遺産条約も批准していません。
ところがコソボにはすでに「コソボの中世建造物群」という世界遺産があったりします。
なぜでしょう?
コソボは戦後、ユーゴスラビアのコソボ・メトヒヤ自治州と呼ばれるひとつの州でした。
ユーゴスラビアの支配層はセルビア人でしたが、コソボ・メトヒヤ自治州ではアルバニア人が人口の9割を占めていました。
アルバニア人はセルビア人らのスラヴ民族とは違いますし、言語もセルビア語ではなくアルバニア語、さらに宗教もキリスト教ではなくイスラム教を信奉するなど、文化的にセルビアとは大きく異なっていました。
人種的な差別なども少なくなかったため、独立、あるいは南部のアルバニアとの合併を求める声が当初よりあがっていたわけです。
1990年代の内戦でユーゴスラビアからクロアチア、スロベニア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立しますが、コソボもやはり独立を求めて戦いました(コソボ紛争)。
1999年にはNATO(北大西洋条約機構)が介入してユーゴスラビアを空爆。
このおかげもあって同年になんとか和平が成立します。
独立は達成できませんでしたが、国連(国際連合)などの監視下でセルビアの影響力はほぼ排除され、高度な自治を獲得しました。
2006年にユーゴスラビアはセルビアとモンテネグロに分裂して解体。
この後コソボは急速に独立機運を高め、国連の仲介によりセルビアと交渉を行いますが、これを破棄して2008年2月17日に一方的にコソボ共和国の独立を宣言します。
これに対し、セルビアやセルビアを支援するロシア、国内に同じような民族問題を抱える中国などは強く反発しました。
国連は総会でICJ(国際司法裁判所)に判断を委ね、ICJは2010年に独立を容認。
現在、日本やアメリカ、イギリスをはじめ111か国が独立を承認しています。
国連に加盟するためには国連の事実上の最高意思決定機関である安保理(安全保障理事会)の勧告が必要です。
しかし、安保理の常任理事国にはロシアと中国がおり、拒否権を持っているためコソボの加盟は絶望的です。
ところが、UNESCOは教育にかかわる機関であることから国連とは別に加盟を認めており、賛否表明国の2/3以上の賛成をもって加盟が承認されます。
この規定を利用して、同様の理由で国連に加盟できそうにないパレスチナが2011年にUNESCOに加盟しています。
今回コソボもこうした方法での加盟を目指していたのですが、わずかな差で否決されることになりました。
コソボはUNESCOに加盟していませんから世界遺産条約を批准することもできません。
しかし、コソボにはユーゴスラビアが2004年に申請して世界遺産登録された「コソボの中世建造物群(2004年、2006年拡大、文化遺産(ii)(iv))」があります。
当然コソボもセルビアも自国の世界遺産であると主張しているわけです。
こうした政情不安定さから、この物件は危機遺産リストに掲載されています。
現在UNESCOの世界遺産センターでは、コソボがUNESCO未加盟で世界遺産条約も締結していないことからセルビアの世界遺産として分類しています。
しかしコソボは今後もUNESCO加盟に向けて活動を行うということなので、加盟が認められた場合、この世界遺産の所属も変わることになるのでしょう。
パレスチナを巡ってはアメリカとイスラエルが反発してUNESCOの拠出金を停止していますが、コソボについてはロシアと中国が反発しています。
このようにコソボとセルビアの思惑だけでなく、欧米やロシア、中国の思惑も絡まって容易には解決されそうにありません。
日中韓で争っている「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」やユネスコ記憶遺産の問題をはじめ、UNESCOの政治利用が急速にクローズアップされています。
UNESCOがその存在意義を示すことができるのか、大きな岐路に立っているようです。