15/08/08:ロシア、クリミア半島の世界遺産を管理下に - ART+LOGIC=TRAVEL [旅を考えるweb]

世界遺産NEWS 15/08/08:ロシア、クリミア半島の世界遺産を管理下に

AP通信やインターファックス通信によると、ロシアのプーチン大統領は8月2日、「古代都市タウリカ・ヘルソネソスとそのホーラ」の名で世界遺産リストに登録されているクリミア半島の遺跡をロシア政府の管理下に置くことを決めたということです。

この物件はウクライナの申請で世界遺産リストに登録されましたが、クリミア半島は2014年3月にロシアが併合したままとなっています。

 

この遺跡とクリミア半島の歴史を簡単に紹介しておきましょう。

世界遺産「古代都市タウリカ・ヘルソネソスとそのホーラ」
「古代都市タウリカ・ヘルソネソスとそのホーラ」の都市遺跡。右上がウラジーミル1世に捧げられた聖ウラジーミル大聖堂。ウラジーミル1世は10世紀にキリスト教を国教化したキエフ大公国の大公で、正教会やカトリックで列聖されている (C) Dmitry A. Mottl

クリミア半島のこの地は古代ギリシアの時代に植民都市ヘルソネソスとして発展しました。

ビザンツ帝国の下では北欧や東欧に対するキリスト教宣教の拠点として整備され、数多くの教会や修道院が建てられました。

特に聖ウラジーミル(聖ヴォロディームィル)大聖堂は聖人として崇拝されているウラジーミル1世が洗礼を受けたといわれる場所に建っており、正教会の聖地のひとつに数えられています。

紀元前5世紀から1,000年以上にわたって栄えた都市の遺構だけでなく、街を取り囲むように整備されたホーラ(チョーラ)と呼ばれる農地跡が残されていることから、2013年に世界遺産リストに登録されました。

 

クリミア半島は長い間ロシア帝国に占領されていた土地でもあります。

 

ロシアは長らく大西洋に出ることのできる不凍港(冬でも凍らない港)を手に入れることを悲願としており、地中海から大西洋へ抜けることのできる黒海のクリミア半島に目をつけました。

そして1783年にタタール系(モンゴル系)の人々が治めていたクリミア・ハーン国を併合し、宗主国であるオスマン帝国と戦ってクリミア半島の領有を認めさせました(ロシア=トルコ戦争/露土戦争)。

それ以来ロシア、あるいはソ連の領地となり、1991年にウクライナが独立するとウクライナ領に入りました。

21世紀に入るとクリミア半島はウクライナを巡る欧米とロシアの熾烈な綱引きに巻き込まれます。

 

2010年の大統領選でヤヌコヴィチ氏が当選して親ロシア政権が誕生しますが、2014年に議会は大統領解任を決議して親欧米派の暫定政権を成立させます。

憲法に定められた議会権限を超えていることからロシア人が過半数を占めるウクライナ東部・南部諸州はこれに猛反発。

クリミアと隣のセヴァストーポリは3月11日に独立を宣言し、16日の住民投票では賛成96%という圧倒的な支持を得ました。

 

ロシアはこれを承認し、ロシア系住民保護の名の下で軍を展開し、クリミア半島を併合。

欧米諸国は不正選挙と軍事介入に対して経済制裁を発動しました。

 

ということで、ロシアやクリミアの見解では、ウクライナが登録した世界遺産「古代都市タウリカ・ヘルソネソスとそのホーラ」は現在ロシアに所属しているということになります。

しかし国際社会はクリミア併合を認めておりませんので、世界遺産リストではウクライナの項目に記載されたままとなっています。

 

似たような世界遺産がひとつありますね。

そう、「エルサレムの旧市街とその城壁群」です。

世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群」
エルサレム旧市街。中央の壁が「嘆きの壁」で左上が「岩のドーム」。イスラエルはエルサレムを首都と宣言しているが、国際社会はこれを認めておらず、多くの国の大使館はテルアビブに置かれている。日本大使館も同様だ

エルサレム旧市街は1967年の第三次中東戦争でイスラエルが占領したままとなっていますが、1981年にヨルダンが申請して世界遺産になりました。

しかしヨルダンは1994年にエルサレムの領有権を放棄し、イスラエルとパレスチナが所有権を争っています。

このため千件を超える世界遺産の中で唯一所属する国が明記されていない世界遺産となっています。

 

プーチン大統領の意図はハッキリしませんが、正教会の聖地を手に入れたいということと、ロシアの領有をアピールしたいということなのでしょう。

聖ウラジーミル大聖堂を「ユダヤ教徒やイスラム教徒にとってのエルサレムの神殿の丘のようなもの」と語っていますし、正教徒にとって非常に重要であるとの認識を示しています。

 

ところが7月にこの遺跡を管理するヘルソネソス博物館の館長にロシア正教会の司祭が任命されると、市民や博物館の従業員から反対の声が上がりました。

司祭が巡礼地としてこの地を整備する意向を表明したことが原因で、キリスト教とは関係のない古代遺跡や農地跡が破壊されるのではないかと懸念しているようです。

学者の遺跡保存の呼び掛けに対し、司祭が「宗教はいつも科学を従えてきた」と語ったことも反発を買っています。

 

こうした批判の高まりに対し、プーチン大統領は遺跡を守ることを約束しました。

司祭の任命も再考されるようですが、ロシアの意図が明確でないため、住民の心配は払拭されていないようです。

 

今後この世界遺産がどの国の所有になるのか、そして遺跡が本当に守られるのか、気になるところです。

もしかしたら所属国の書かれていない二例目の世界遺産になるのかもしれません。

 

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