2012年の世界遺産委員会でマリのふたつの世界遺産が危機遺産リストに登録されました。
いずれもマリ政府が自らリスト入りを希望したものです。
■トンブクトゥ
マリ、1988年、文化遺産(ii)(iv)(v)、2012年危機遺産登録
サハラ砂漠を挟み、北アフリカと西アフリカを結ぶ要衝に築かれたトゥアレグ人の都。ニジェール川で採れる金を中心とした隊商貿易で繁栄し、トンブクトゥは「黄金の都」と讃えられた。
■アスキア墳墓
マリ、2004年、文化遺産(ii)(iii)(iv)、2012年危機遺産登録
ソンガイ国王ムハンマドの王墓で、日干しレンガと泥壁・木杭で造られたスーダン様式が非常に特徴的な建造物。
危機遺産リスト掲載の理由は、マリの政治状況が原因です。
2012年4月、アザワド解放民族運動MNLAとイスラム過激派組織アンサル・ディーンがマリ北部を制圧。
アザワド国という新しい国家を建て、独立を宣言しました。
そして5月にはアンサル・ディーンがトンブクトゥやアスキハ墳墓に侵入し、世界遺産登録の墳墓を破壊しました。
MNLAはトゥアレグ人の独立を求める武装組織ですが、アンサル・ディーンはイスラム過激派組織です。
これに加えてアルカイダ系の国際テロ組織や、アラブの春で仕事を失ったリビアをはじめとする傭兵たちがこれに手を貸し、武器を提供したようです。
国際社会はこの地がテロ組織の温床となることを恐れ、アザワド国の独立を承認した国はありませんでした。
そして2013年1月11日、フランスが軍事介入を行い、掃討作戦を開始しました。
EUもこれを支持。
フランス軍はふたつの世界遺産をはじめ主要都市を奪回し、敵の主力戦力を砂漠や山岳地帯にまで追い払いました。
もっとも、敗戦する前に自ら撤退したともいわれていて実情はよくわかりません。
ゲリラ化やフランス軍撤退後の内戦再発も懸念されています。
2月18日、UNESCO(国際連合教育科学文化機関)はパリ本部で専門家会合を行い、10億円をかけて破壊された世界遺産を修復することを決定し、発表しました。
以下は引用です。
「文化遺産を修復することは、マリの人々に自信と力をもたらし、国家の統一と明るい未来をもたらすでしょう。……そして遺産を守ることは、彼らの生活、価値観、アイデンティティを守ることを意味するのです」
また、インターポール(国際刑事警察機構)等と協力して、世界遺産から持ち出された遺物が海外に流出しないように監視を強めることになるようです。
UNESCOは昔からこのような活動を行っていて、一例としてクロアチアの世界遺産「ドゥブロヴニク旧市街」が挙げられます
1991年、クロアチアがユーゴスラビアからの独立を宣言すると、ユーゴスラビア連邦軍はクロアチアに侵入。
「アドリア海の真珠」とうたわれた古都ドゥブロヴニクは数千発の砲弾にさらされて街の70%が破壊されました。
UNESCOは1991年にこの世界遺産を危機遺産リストに記載し、1995年に戦争が終結するといち早く支援・修復を開始しました。
そしてまったく同じ素材・製法・建築法によって再建され、1998年には危機遺産リストから外されました。
世界遺産の修復は良いニュースです。
しかし、マリという国に対するトゥアレグ人の不満は長年のものがあり、容易に解決されるものではありません。
そうした弱者である民族・組織にテロ組織が支援を行うという構図は近年世界中で見られており、問題をいっそう複雑にしています。
[関連記事&サイト]
世界遺産NEWS 15/07/24:マリのトンブクトゥ修復完了(続報)
Monday for Mali, Monday for hope(UNESCO公式サイトより)
ドブロブニク旧市街/クロアチア(All About「世界遺産」記事)