世界史06 人類の夜明け - ART+LOGIC=TRAVEL [旅を考えるweb]

世界遺産と世界史6.人類の夜明け

シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の歴史」では世界史と関連の世界遺産の数々を紹介します。

なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。

 

■電子書籍『世界遺産で学ぶ世界の歴史 ~海外旅行から世界遺産学習まで~』

 1.古代編、2.中世編、3.近世編、4.近代編、5.世界大戦編

 

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<人とは何か?>

■考える葦

世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群(フランス)」、ラスコー洞窟
オーリニャック文化の傑作、ラスコー洞窟。ヨーロッパでは絶滅したバイソンなども描かれており、失われた生態系を解明する手掛かりにもなっています。世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群(フランス)」構成資産

「人間は考える葦(あし)である」

パスカルの言葉です。

 

「人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中でもっとも弱いものである。だが、それは考える葦である。彼を押しつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼を押しつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢を知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、我々の尊敬のすべては、考えることの中にある。我々はそこから立ち上がらなければならないのであって、我々が満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある」

(ブレーズ・パスカル著、前田陽一、由木康訳『パンセ』中公文庫より)

 

人とは何か?

ぼくの答えは「感じ、考える者」です。

 

人はこのふたつができるし、このふたつしかできません。

人は感じることによってこの世界を捉え、考えることで世界を創造します。

そして歴史を見出し、さまざまな理論や思想を生み出します。 

「歴史があるから私がある」というより先に、「考えるから歴史が生まれる」のです。

 

千年前の人類は同じ世界をまるで別様に見ていたし、千年後の人類は私たちとはまるで違う見方で世界を見ることでしょう。

知識が正しいか間違っているかなどということはまったく関係がありません。

感じ・考えたように世界は現れ、私が世界を包むのです。

 

「私が私の尊厳を求めなければならないのは、空間からではなく、私の考えの規制からである。私は多くの土地を所有したところで、まさることにならないだろう。空間によって、宇宙は私を包み、ひとつの点のように飲み込む。考えることによって、私が宇宙を包む」

(同上)

 

哲学はカテゴリー「LOGIC」に譲り、人類史的に捉えましょう。

下はスタンリー・キューブリック監督『2001年 宇宙の旅』冒頭部(大幅な編集あり)。

サルが道具を見出し、宇宙船にまで発展させる様子を一瞬で描き出しています。

見事!

■人の定義

テナガザル、人、チンパンジー、ゴリラ、オラウータンの骨格
左からテナガザル、人、チンパンジー、ゴリラ、オラウータンの骨格。もっとも近いチンパンジーの場合、ゲノムは98%以上が一致あるいは酷似しています(ただし、一致率の高さと種の遠近は必ずしも比例しません)

人とは何か?

 

さまざまな定義がありますが、生物学的には人類は動物界の哺乳綱霊長目のヒト科ヒト亜科ヒト族ヒト亜族ヒト属ヒトのホモ・サピエンス(知恵ある人)、亜種まで入れる場合はホモ・サピエンス・サピエンスに分類されており、直立二足歩行を行い、脳が大型化し、手が発達して道具や言葉を使用するといった特徴を備えています。

 

歴史的にはヒト亜族の誕生は約700万年前で、チンパンジー亜族との分岐をもって人類の誕生とされています。

人類の進化は一般的に、猿人→原人→旧人→新人のように示されます。

 

○人類の進化と代表的な種

  • 猿人:アウストラロピテクス
  • 原人:ホモ・エレクトゥス
  • 旧人:ホモ・ネアンデルターレンシス
  • 新人:ホモ・サピエンス(ホモ・サピエンス・サピエンス)

 

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<ヒトの進化>

■猿人

世界遺産「南アフリカ人類化石遺跡群(南アフリカ)」のスタークフォンテン発掘現場
レイモンド・ダートがアウストラロピテクスの化石を発見し、「人類発祥の地」「人類の揺りかご」の異名を持つ世界遺産「南アフリカ人類化石遺跡群(南アフリカ)」のスタークフォンテン発掘現場

最初期のヒト亜族がアウストラロピテクス属、すなわち猿人です。

 

1924年、オーストラリアの考古学者レイモンド・ダートは、南アフリカのスタークフォンテン洞窟①で人ともサルともつかない化石を発見します。

アウストラロピテクス(アウストラロピテクス・アフリカヌス)です。

ヨーロッパではすでに進化論が広まってはいましたが、受け入れられていたとはいえず、人類の祖先がサルであること、しかも人類発祥の地がアフリカにあることを主張したダートには大きな非難が寄せられました。

 

1974年、エチオピア北東部、アワッシュ川沿いの農村②でアウストラロピテクス(アウストラロピテクス・アファレンシス。アファール猿人)の化石が発見されました。

「ルーシー」と名づけられた女性の骨格は全身の40%に及び、人類の大きな特徴である直立二足歩行が可能であることを示していました。

※①世界遺産「南アフリカ人類化石遺跡群(南アフリカ)」

 ②世界遺産「アワッシュ川下流域(エチオピア)」

世界遺産「ンゴロンゴロ保全地域(タンザニア)」、オルドヴァイ峡谷
サバナが広がる「人類の故郷」オルドヴァイ峡谷。グレート・リフト・バレー(大地溝帯)では猿人や原人の多数の化石が発見されています。世界遺産「ンゴロンゴロ保全地域(タンザニア)」構成資産 (C) Noel Feans

1960年、ルイス・リーキーがオルドヴァイ峡谷※でより人に近い化石を発見します。

この化石の脳の大きさはアウストラロピテクスの1.5~2.0倍に及び、アウストラロピテクスが大きく進化を遂げたものと考えられました。

同時代の地層からは打製石器が発見され、彼らが多彩な道具を使っていたことも明らかになりました。

リーキーはこれを「最初の人」と考え、精巧な石器を使っていたことから「器用な人=ホモ・ハビリス」と名づけました。

 

「ホモ~」という名称はヒト属を示すのですが、このホモ・ハビリスは最初期のヒト属で、猿人と原人をつなぐものと考えられています。

※世界遺産「ンゴロンゴロ保全地域(タンザニア)」

 

■原人

世界遺産「アタプエルカの考古遺跡(スペイン)」、グラン・ドリナの洞窟
ホモ・ハイデルベルゲンシスが多数出土しているスペイン・アタプエルカ村、グラン・ドリナの洞窟。世界遺産「アタプエルカの考古遺跡(スペイン)」構成資産

猿人の化石はアフリカでしか発見されていませんが、200万~20万年前に活動していた原人の化石はアフリカ、ヨーロッパ、アジアで広く発見されています(南北アメリカやオセアニアでは未発見)。

原人は猿人に比べて脳が大きく発達しており、石器や火を使いこなしていました。

特にアジアに拡散した原人がヒト属のホモ・エレクトゥスです。

 

その後ドイツ人考古学者ケーニヒスヴァルトがトリニールに隣接したサンギラン①でジャワ原人(現在はホモ・エレクトゥスの一種とされています)の化石を発見し、世界の初期人類の化石の半分に及ぶといわれるほどの量を発掘します。

1920年代に中国・北京近郊②で次々発見された北京原人や、1980年代にケニアのトゥルカナ湖畔③で発掘されたトゥルカナ・ボーイもこのホモ・エレクトゥスです。

 

ホモ・エレクトゥスに近い人類はヨーロッパでも発見されています。

1907年、ドイツのハイデルベルク近郊の採石場で偶然発見された原人の下顎がハイデルベルク人=ホモ・ハイデルベルゲンシスです(ホモ・エレクトゥスと同種とする説もあります)。

似た化石はスペイン・アタプエルカ村のシマ・デ・ロス・ウエソス④の洞窟でも大量に見つかっており、同じ村のグラン・ドリナ④の洞窟からは80万年前にさかのぼる「最初のヨーロッパ人」ホモ・アンテセッサーの化石が発掘されています(こちらもホモ・ハイデルベルゲンシスと同種とする説もあります)。

※①世界遺産「サンギラン初期人類遺跡(インドネシア)」

 ②世界遺産「周口店の北京原人遺跡(中国)」

 ③世界遺産「トゥルカナ湖国立公園群(ケニア)」

 ④世界遺産「アタプエルカの考古遺跡(スペイン)」

 

■旧人

世界遺産「ゴーハムの洞窟群(イギリス)」
ゴーハム洞窟。200を超えるイギリス領ジブラルタルの洞窟群からは125,000年前までさかのぼるネアンデルタール人の化石やペトログリフが発見されている。このうち46洞が世界遺産「ゴーハムの洞窟群(イギリス)」に登録されている (C) Gibmetal77ーWikimedia Commons
世界遺産「人類の進化を示すカルメル山の遺跡群:ナハール・マロット/ワディ・エル・ムガラ洞窟(イスラエル)」
旧人から新人まで50万年にわたる初期人類の化石が発掘されている世界遺産「人類の進化を示すカルメル山の遺跡群:ナハール・マロット/ワディ・エル・ムガラ洞窟(イスラエル)」(C) Yitzhak Marmelstein

旧人はぼくたち現世人類と同じヒト属で、現生人類と交配さえ可能といわれています。

旧人をホモ・サピエンスに含める説さえあるくらいです。

 

1856年、ドイツのネアンデルの谷(=ネアンデルタール)で現生人類に近い人骨が発見されました。

脳の大きさは現生人類よりも大きく、火や石器を多用し、壁画を描き、埋葬を行っていたようです。

これらはすでに「文化」と呼べるもので、ムスティエ文化と呼ばれています。

彼らネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス。ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスとする説もあり)の誕生は40万~30万年前と考えられています。

 

イギリス領ジブラルタルのゴーハム洞窟※では10万年以上前にさかのぼるムスティエ文化の石器やペトログリフが発見されています。

なお、ペトログリフは岩に刻まれた線刻・石彫でレリーフや彫刻を、ペトログラフは岩に塗られた岩絵・壁画で絵画を示します。

  

近年のDNA解析によると、わずかではありますが人類の多くがネアンデルタール人やデニソワ人(ホモ・デニソワあるいはホモ・アルタイエンシス)の遺伝子を持つことがわかっています。

ホモ・サピエンスは想像以上にダイナミックに共生・交配していたようです。

 

こうしてアフリカ大陸とユーラシア大陸で繁栄を極めた旧人たち。

ところが3万~2万年前、その血は途絶え、絶滅してしまいます。

※世界遺産「ゴーハムの洞窟群(イギリス)」

 

■新人

人類拡散の様子。最終氷期(氷期と間氷期の繰り返しにおける最新の氷期)が7万~1万年前で、氷期が緩む時期を見て人類は北に進出しました

世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟(フランス)」のショーヴェ洞窟
世界最古の洞窟壁画のひとつといわれる世界遺産「ショーヴェ=ポン・ダルク洞窟として知られるアルデシュ県ポン・ダルクの装飾洞窟(フランス)」のショーヴェ洞窟の彩色壁画。フランス南西部ではネアンデルタール人のムスティエ文化が紀元前35,000年前後にクロマニヨン人のオーリニャック文化に引き継がれたと考えられています
リビアの世界遺産「タドラット・アカクスのロックアート遺跡群」
リビアの世界遺産「タドラット・アカクスのロックアート遺跡群」のペトログラフ。キリンが描かれていますが、現在は砂漠でキリンは生息していません。絵はおよそ1万~1千年前のもので、時代を下るとウマやラクダなど乾燥地帯の動物の絵が増えていきます

以前は各地の原人や旧人がそれぞれ進化して新人=現生人類が誕生したと考えられていました。

しかしDNA解析の結果、北京原人やジャワ原人といったアフリカ以外の原人たちとぼくたちとはまったく血がつながっていないことが明らかになりました。

旧人についてはDNAの一部に痕跡が確認されていますが、主流ではありません。

初期人類はかつて何度もアフリカを出ているのですが、その試みはほとんど失敗し、幾度もの絶滅を経験したことを意味しています。

 

では、私たちの祖先はいつ、どこから来たのでしょうか?

世界各地の人のミトコンドリア・DNAを分析した結果、共通して20万~10万年前に生きたひとりの女性のDNAを持つことがわかりました。

彼女を「ミトコンドリア・イヴ」と呼びます。

 

そして世界各地の男性が共通して30万~10万年ほど前に生きていたあるひとりの男性のDNAを持つことが判明し、「Y染色体・アダム」と名づけられました。

これらの結果から、アフリカにいた人類共通の祖先が世界各地に広まったという「アフリカ単一起源説」が強く支持されるようになりました。

 

総合すると、現生人類であるホモ・サピエンスが誕生したのが約20万年前。

そしてアダムとイヴの子孫が10数万~5万年前にアフリカを出て、先住民である旧人のネアンデルタール人やデニソワ人と交流・闘争しながら世界中へと広がったようです。

 

有名なクロマニヨン人は4万年ほど前にヨーロッパや西アジア、北アフリカに拡散した新人の一派で、コーカソイド(白色人種)の祖先と考えられています。

 

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次回は文明の誕生、メソポタミア文明を紹介します。

 


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