6月中旬、約600年前のインカ帝国の時代から伝わる藁(わら)造の吊橋・ケスワチャカ橋(ケシュアチャカ橋)の架け替えが行われました。
架け替えはケチュア人の伝統芸能で宗教儀式でもあり、「ケスワチャカ橋の年次の架け替えに関する知識・技術・儀式(ペルー)」の名称でUNESCO(ユネスコ=国際連合教育科学文化機関)の無形文化遺産リストに登録されています。
また、インカ帝国が張り巡らせたカパック・ニャン(ケチュア語で王の道)の一部で、橋を含む一帯は世界遺産「カパック・ニャン アンデスの道(アルゼンチン/エクアドル/コロンビア/チリ/ペルー/ボリビア共通)」の構成資産でもあったりします。
■Gravity-defying: revamping an Inca rope suspension bridge(RFI)
今回はこのニュースをお伝えします。
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15世紀に最盛期を迎えたインカ帝国は現在のエクアドルからチリまで南北約4,000㎞に及ぶ大帝国を築きました。
首都を「黄金の都」クスコに置き、クスコを中心に総延長30,000kmを超えるインカ道=カパック・ニャンを整備して交通・通信・貿易・防衛ネットワークを構築しました。
クスコは標高約3,400mのアンデス山中にあり、カパック・ニャンは標高6,000m超の高地から標高0mに近い海岸まで、熱帯雨林の広がるアマゾンからアンデス山脈を経て海岸沿いの砂漠まで、さまざまな環境・文化・民族を結びつけました。
これがウマやラクダさえ持たないインカ帝国が大帝国を築くことができたひとつの要因となりました(リャマやビクーニャ、アルパカ、グアナコといったアンデスの動物は基本的に騎乗することができませんでした)。
アンデス山中では川や渓谷に橋が架けられましたが、橋はしばしば「イチュ」と呼ばれる草で編まれました。
イチュは標高3,500m以上の高地で見られるイネ科スティパ属の植物で、イチュを乾燥させた藁は柔軟ですが非常に強く、屋根やマット、ロープなどの原料として使用されました。
そして現存する唯一のイチュ橋がアプリマク川に架かるケスワチャカ橋です。
カパック・ニャンのルートのひとつの途上にあり、橋の周辺は世界遺産「カパック・ニャン アンデスの道」の構成資産となっています。
橋はクスコの南東約100kmにあるケウエの町の郊外に位置し、深さ約28mの峡谷に架かっています。
全長約30m・幅1.2mの吊橋で、イチュのロープ、丸太、橋脚となる石の土台のみで造られています。
橋は毎年6月の第2日曜日に架け替えられるのですが、ケチュア人に口承で伝わる手順に沿って行われます。
これが無形文化遺産「ケスワチャカ橋の年次の架け替えに関する知識・技術・儀式」です。
橋の架け替えは単なる土木作業ではなく、神聖な祭祀と見なされており、民族や村々・一族・家族を結ぶコニュニケーション手段とも考えられていました。
このため「チャカルワク」と呼ばれるリーダーが「ミンカ」と呼ばれる作業手順に沿って儀式のような形で進めていきます。
作業期間は4日間で、初日にはシャーマンが山の神々に祈りを捧げ、子羊を献上するといった儀式が行われます。
そして女性たちが天日干ししたイチュを編んで「ケスワス」と呼ばれる小型のロープを編んでいきます。
そして男性たちによって小型のロープから中型のロープ、中型のロープから大型のロープが編まれます。
何本かの大型ロープが完成したらアプリマク川の上に架け、両側から引っぱり、数百年前から置かれている石造の橋脚に巻きつけて固定します。
この時点で古い橋を落とします。
そして太いロープをまとめて橋桁を造り、小さなロープで欄干を整えていきます。
これもすべて男性が担当し、命綱も付けずに行われます。
伝説では、女性が作業を行うと人魚が嫉妬して失敗させるということです。
そして最終日、6月の第2日曜日は完成を祝う橋祭りです。
歌やダンスが披露され、食事や飲み物を用意して大宴会が催されます。
そして今年も6月8~11日に橋の架け替えが行われました。
この作業・儀式は15世紀頃から約600年もの間、続けられているそうです。
実は、近くに車が通れる橋があり、ケスワチャカ橋は不可欠というわけではありません。
橋という機能よりもその存在、あるいは橋を造るという過程・作業にこそ価値があるようです。
なんかいいですね、こういうの。
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