世界遺産NEWS 20/01/07:UNESCO事務局長、米とイランに文化財の保護を要請

UNESCO(ユネスコ=国際連合教育科学文化機関)のオードレ・アズレ事務局長はアメリカ、イラン両国に対し、文化財や自然の破壊は戦争犯罪にあたるとの認識を示し、両国が批准した条約の遵守を呼びかけました。

きっかけはアメリカのトランプ大統領のツイートで、イランの文化財の破壊を示唆したことに対して「文化浄化」あるいは「文化的虐殺」であるとして国際的な非難が高まっています。

 

Trump under fire for threat to Iranian cultural sites(BBC)

 

今回はこのニュースをお伝えします。

 

* * *

世界遺産「イスファハンのイマーム広場」、シェイク・ロトフォラー・モスク
世界遺産「イスファハンのイマーム広場」、シェイク・ロトフォラー・モスク

1日3日、アメリカ軍はイラクのバグダードでイランの車列を空爆し、国民的英雄であるIRGC(イラン・イスラム革命防衛隊)司令官のガセム・ソレイマニ氏を含む8人を殺害しました。

イランは激しく反発し、3日間の喪に服したのちジハード(聖戦)として報復を宣言しています。

 

これに対してアメリカのトランプ大統領は1月4日、イランが報復した場合、イランの52のサイトを標的にするというツイートをアップしました。

3つのツイートを連続して上げていますが、最後のツイートは以下のような内容になっています。

 

"....targeted 52 Iranian sites (representing the 52 American hostages taken by Iran many years ago), some at a very high level & important to Iran &  the Iranian culture, and those targets, and Iran itself, WILL BE HIT VERY FAST AND VERY HARD. The USA wants no more threats!"

 

「イランとイラン文化にとってきわめて高水準かつ重要な52のサイトをターゲットにする」と明言しています。

52という数字は1979年の在イラン・アメリカ大使館人質事件で人質となった52人を引用しています。

これを受けてイランはアメリカの300か所に攻撃を加えるとして表現をエスカレートさせていますが、軍事的・政治的施設に限るとも述べています。

 

文化財をターゲットにすることをも辞さないトランプ大統領に対し、国際的な非難が高まっています。

近年、組織的に文化を破壊する行為は "cultural cleansing"(文化浄化)あるいは "cultural genocide"(文化的虐殺)と呼ばれ、その社会のアイデンティティを破壊し所属する人々の心を殺す行為であるとして "ethnic cleansing"(民族浄化)に匹敵する戦争犯罪であると考えられるようになりつつあるためです。

 

ひとつのきっかけがユーゴスラビア紛争(1991~99年)におけるサラエボの図書館の破壊です。

1992年にセルビアの砲撃によって国立図書館をはじめとする複数の図書館が灰燼に帰し、ふたつとないイスラム教の写本を含む150万冊以上の図書や書類が失われました。

なかには何世代もかけて書かれ、伝えられ、守られてきた資料もあるはずで、世界に大きな衝撃を与えました。

この事件は記録された史資料の内容をデジタル化して永遠に伝えていこうというUNESCOの世界の記憶の活動にも影響を与えています。

 

また、2016年にはICC(国際刑事裁判所)がマリの世界遺産「トンブクトゥ」や「アスキア墳墓」を破壊した西アフリカのイスラム過激派組織アンサル・ディーンの元指導者アフマド・マフディ氏に対し、戦争犯罪を認定して禁錮9年の判決を言い渡しています(詳細は最後にリンクを張った過去記事参照)。

ICCが文化財破壊を裁く初のケースとなり、文化浄化の概念が広がるひとつのきっかけになりました。

ただ、アメリカやイランはICCに加盟していないので、今回の件に関しては何が起こっても裁く権限を持っていません。

 

こうした立場に立って活動していたのがUNESCOの前事務局長イリーナ・ ボコバ氏です。

ボコバ氏はマリやリビア、シリア、イエメン、アフガニスタンといった国々における文化財破壊に対し、政府側・反政府側両サイドにメッセージを送って文化財保護と修復支援を呼びかけました。

この立場は現・事務局長のオードレ・アズレ氏にも引き継がれています。

 

1月6日、アズレ事務局長はイランのアフマド・ジャラリー大使と会談を持ったのち、会見を開いて両国に自制を求めました。

そして文化財や自然を破壊する行為を戦争犯罪であるとし、両国が批准しているハーグ条約(武力紛争の際の文化財の保護に関する条約)や世界遺産条約、文化財の破壊行為を非難した国連安保理決議第2347号を参照して条約の遵守を要請しました。

世界遺産条約における該当箇所は第6条の最後の1文で、「締約国は、第1条及び第2条に規定する文化遺産及び自然遺産で他の締約国の領域内に存在するものを直接又は間接に損傷することを意図した措置をとらないことを約束する」というものです。

 

トランプ大統領のツイートに対してHRW(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)などの人権団体が非難しているほか、アメリカ国内においても同じ立場に立つ意見は少なくなく、議員や法学者などから批判が起きています。

そもそも戦時中の文化財保護を掲げる1954年のハーグ条約はアメリカ南北戦争(1861~65年)において文化財を保護するためにエイブラハム・リンカンが署名した規定に由来するといわれており、アメリカの誇りでもあったりします。

 

これについてアメリカのポンペオ国務長官は国際法の範囲で行動すると語り、エスパー国防長官は文化的な場所を攻撃することは戦争犯罪にあたるとの見解を示しています。

しかしながらトランプ大統領は1月5日の会見で、「彼らはアメリカ国民を殺し、拷問し、侮辱しているのにイランの文化財には手を触れることも許されないというのか。それは認められない」と述べて強硬姿勢を崩していません。

 

* * *

世界遺産「タフテ・スレイマーン」
ペルシアの皇帝たちが訪れたゾロアスター教の聖地、世界遺産「タフテ・スレイマーン」 (C) Ebrahim alipoor

UNESCOは国際連合教育科学文化機関という名前のとおり教育・科学・文化を振興させることで平和と安全を実現しようという機関です。

それはUNESCO憲章にハッキリと記されています。

 

■UNESCO憲章第1条より

この機関の目的は、国際連合憲章が世界の諸人民に対して人種・性・言語又は宗教の差別なく確認している正義、法の支配、人権及び基本的自由に対する普遍的な尊重を助長するために教育、科学及び文化を通じて諸国民の間の協力を促進することによつて、平和及び安全に貢献することである。

 

そしてUNESCO憲章前文には、戦争を防ぐ決意表明が述べられています。

 

■UNESCO憲章前文より

戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。 ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。

文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。

政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。

 

アズレ事務局長の声明はこの立場に立つものです。

しかしながらアメリカは国際組織による政治介入を嫌っており、UNESCOについても2018年末で脱退してしまいました。

 

UNESCOには国連安保理(国際連合安全保障理事会)のような強制力はありませんし、現状では実効性も乏しいものとなっています。

しかし、国家という価値観や資本主義の価値観が世界に浸透したように、新しい価値観の発信は将来的に軍事力よりも大きなものになる可能性を秘めています。

実際にICCの活動に表れているように文化浄化という概念は確実に広まりつつあります。

 

そうした意味でUNESCOの独自のアプローチは注目に値するものです。

 

 

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『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『Fine』自然遺産特集執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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