世界遺産NEWS 18/10/02:奈良・興福寺の中金堂、301年ぶりの再建が完了
世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産のひとつである興福寺で再建が進められていた中金堂(ちゅうこんどう)がいよいよ完成を迎えます。
10月7~11日の日程で完成を祝う落慶法要が行われ、20日から一般拝観やライトアップがはじまります。
■天平の威容300年ぶり復活 興福寺中金堂の再建完了(日本経済新聞。記事に写真あり)
かつて中金堂は興福寺の中でも中核を占める建物でした。
1717年に焼失して以来、関係者は再建を悲願としていましたが、ついに達成されることになりました。
今回はこのニュースをお伝えします。
※2018/10/12追記
動画を落慶法要のものに差し替えました。
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興福寺は669年に藤原氏の氏寺として京都山階(やましな)に建てられた山階寺を起源としています。
藤原京遷都で奈良に移り、さらに710年の平城京遷都にあたって現在の場所に移転し、その名を興福寺に改めました。
710年に創建された興福寺は正門である南大門から中門、金堂、講堂が南北の軸線上に並んでいました。
「金堂」というのは本尊(仏像)を収める本堂のことで、仏舎利(ぶっしゃり。釈迦の遺骨)を収める塔、講義・説経を行う講堂とともに伽藍を構成しています。
720~30年代に中央の金堂の東西に新たな金堂が建設されると、それぞれ東金堂、中金堂、西金堂と呼ばれるようになりました。
興福寺は平城京の南都七大寺のひとつですが、藤原氏が全盛を誇った時代には実質的に大和国を支配するほどの勢力を手にしました。
中金堂はその興福寺の中心に座していたわけです。
しかしながら興福寺を構成する建物はいずれも幾度かの火災で失われており、中金堂はこれまでに7度の焼失と建設を経験しています。
直近は1717年の大火で、このとき南大門や講堂、西金堂も焼失してしまいました。
この火災後、中金堂の再建が強く望まれましたが予算不足や政情変化などで進まず、1819年に小ぶりの仮堂が建設され、1974年には講堂跡に仮金堂が建設されて仏像群が保管されました。
仮堂の老朽化が進んだこともあって1990年代に興福寺境内整備構想が協議され、1998~2023年の間に中金堂を中心に整備を進める第1期整備計画が打ち立てられました。
この計画に沿って2000年に仮堂の解体や中金堂基壇の発掘調査が行われ、2007年には8度目の再建計画が立案されました。
これまでの再建は創建当時の姿の再現にこだわったものでした。
今回の再建も可能な限り天平の工法や素材・様式を踏襲し、創建時の礎石配置を維持、大きさも記録通り高さ21.2m、36.6×23.0mに設定されました。
ただ、木材については国産でそろえることが難しく、カメルーンのケヤキやカナダのヒノキなどが輸入されています。
そして再建は2010年10月の立柱式ではじまり、実質的な作業はこの9月に終了しました。
仮金堂から本尊である釈迦如来坐像と薬上菩薩立像が移され、南円堂に安置されていた四天王像が周囲に配されました。
その代わりとして南円堂には仮金堂の四天王像が納まっています。
10月7~11日には落慶法要が行われて正式な完成を迎えます。
興福寺の整備はこの後も続き、今後は南大門、中室、北室、西室、経蔵、鐘楼の再建がはじまり、東金堂と北円堂の回廊基壇の発掘調査等が行われる予定です。
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中金堂、ぜひ見学してみたいものですね!
一般拝観は10月20日からで、拝観時間は9:00~17:00(入堂は16:45まで)となっています。
また、10月20日~11月11日の17:30~20:00には落慶記念夜間特別拝観が開催され、ライトアップが行われます。
拝観料や夜間特別拝観料は公式サイト等を参照ください。
[関連サイト]
中金堂一般拝観開始のお知らせ(興福寺公式サイト)
中金堂再建勧進のお願い(同上)
落慶記念夜間特別拝観 興福寺中金堂ライトアップ(あをによし なら旅ネット。奈良県観光公式サイト)
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