哲学的考察 ウソだ! 1:人の心と心理学
心理学者「あなたはカレー派? それともステーキ派?」
回答者「カレー!」
心理学者「カレーを選んだあなたの本当の性格は○○で、ステーキを選んだあなたは××です」
心理テストだ。
このテスト、インド人に聞いてみたらどうだろう。
日本人の場合と全然違った結果が出るだろう。
なんかおかしいと思わない?
たとえばこんなテストをしてみよう。
東京でランダムに100人を連れてきて部屋に閉じ込める。
ゴキブリを100匹投げ込む。
どうなるか?
当然99%以上の人が逃げまどうか、殺してまわるだろう。
このテスト結果をもってきて、こんなことを言いがちだ。
「人はゴキブリを怖がる」
でも、たとえば同じテストを東南アジアやアフリカでやったら嬉々としてつかまえてまわる人たちもいるだろう。
「人はゴキブリを怖がる」なんてとてもじゃないが言えない。
実際彼らは紐でしばって振り回して遊んでたしね。
当然、「カレーを選んだあなたの本当の性格は○○で、ステーキを選んだあなたは××です」なんてことだって言えるはずがない。
「人の意識の深層には……」とか「人はもともと……するものらしい」とかいう言説は、ほとんどは証明不可能な仮説にすぎない。
心理学はつまるところ統計学。
統計である以上、分析できるのは心や魂ではなく、統計元の母体の構造、つまり「社会」だ。
心理学は構造上、社会を分析する能力しか持たない。
さっきのテスト。
テスト結果が示しているのは「テストで集めた人たちの社会ではゴキブリは怖がられている」という社会の構造だ。
カレーとステーキのテストなら、「その社会では一般にカレーには○○、ステーキには××という評価を与えている」という社会通念だ。
この結果が示すのは心の分析ではなく、むしろ心のコントロール。
「人々の心をコントロールする」ことだ。
カレーの心理テストが本当に言わんとすることは、「カレーに対してはそのように考えなくてはならない」「あなたもそういうふうに考えなさい」ってことだ。
昔々、5歳ほどだったか、ウチの妹はゴキブリを平気で手でつかんでいた。
自分たちは「あっち行け、汚い」、親たちが「ダメでしょ、それは汚いの」。
こう叱りつけ、妹に「ゴキブリ=汚い」という図式を覚えこませた。
小学校6年にもなると、妹はそれを見ると反射的に怖がるまでになっていた。
こうして多数派の価値観が少数派をおさえ、その価値観は身体の反射に至るほど人の身体に直接の影響を与えていく。
個々の心に触れるどころか、反対に個々の心を社会の型にはまるように教育・治療していくのが学問の本質だ。
もっとも、人は社会によって生まれるものだから、「教育」や「治療」はとても大切な作業であることは間違いないのだけれど。
ただ。
人の心というのはもっとずっと深くて偉大なものだ。
それに触れようと思ったら、社会にまだ染まっていないまっさらな心に触れなければならない。
おそらく。
心は人知が及ばないほどに深い。
まして魂なんて。
だからね。
「人間とは○○というものだ」
「人はこう生きなくてはならない」
「心とはこういうものだ」
こういう言説があったらほとんど間違いだ。
たとえ言っているのが偉大な科学者だろうと宗教家だろうと。
定義できないものを定義しているのだから。
(逆に、「私はこう生きたい」「人生は○○というものとして共に生きていこう」というセンテンスは、どんなものであれ間違いとは言えない)
だから「私なんて……」などと思う必要は全然ないんだよ。
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