世界遺産と世界史32.大航海時代

シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の歴史」では世界史と関連の世界遺産の数々を紹介します。

なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。

 

■電子書籍『世界遺産で学ぶ世界の歴史 ~海外旅行から世界遺産学習まで~』

 1.古代編、2.中世編、3.近世編、4.近代編、5.世界大戦編

 

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<世界探検の歴史>

■世界探検古代~現代

世界史上の偉大な探検家たち(World Explorers in 10 Minutes History EDITED)。The Phoenicians=フェニキア人、Hanno the Navigator=ハンノ(カルタゴの航海者)、Zhang Qian=張騫、Ahmad ibn Fadlan=イブン・ファドラーン、Ibn Battuta=イブン・バトゥータ、Wang Dayuan=汪大渊、Zheng He=鄭和、Leif Ericson=レイフ・エリクソン、Marco Polo=マルコ・ポーロ

大航海時代の新世界発見・開拓競争

 

<ポルトガルの東航路開拓>

■インド航路を目指して

世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔(スペイン)」、ジェロニモス修道院
大航海時代の象徴、ジェロニモス修道院。ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路発見を記念してポルトガル王マヌエル1世が建設しました。ゴシック様式にイスラム装飾や海・航海関係の装飾をふんだんに使用したマヌエル様式の最高傑作といわれます。世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔(スペイン)」構成資産

レコンキスタ(国土回復運動)を終えつつあった15世紀後半のスペイン王国やポルトガル王国ですが、ヨーロッパの中では辺境にすぎません。

地中海はイタリア諸都市やオスマン帝国の独擅場。

そこで、その勢いのまま国土拡張路線を大西洋に向けました。

 

しかし、一般的には大西洋の向こうには地球の果てとなる巨大な滝があるとか、アフリカから南に行くほど太陽に接近し、やがて海は煮えたぎり、すべてが燃え上がるといった伝説が信じられていました。

 

地球球体説は紀元前のギリシア時代にすでに一部で提唱されていましたし、この時代にはトスカネリをはじめこれに賛成する科学者も少なくありませんでした。

そしてアフリカ南端を回ってインドに到達する航路があるという伝説や、西に進めばいずれインドにたどり着くという噂も唱えられていました。

 

もしこうした航路が発見できればアジア諸国との直接取引によって莫大な富を得ることができる――

地中海貿易を断念したスペインとポルトガルはこうして大西洋へと漕ぎ出します。

 

■アフリカ南下

世界遺産「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区(ポルトガル)」
テルセイラ島のアングラ・ド・エロイズモ。15世紀前半にポルトガルが発見し、植民都市を築きました。世界遺産「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区(ポルトガル)」構成資産

アフリカ西岸への探検に先んじたのがポルトガル、特にエンリケ航海王子の時代です。

エンリケがまず目標としたのは西アフリカと直接交易を行うアフリカ航路の確立です。

そして可能なら、アフリカを回ってインドに至る東回りのルート、いわゆるインド航路の発見です。

 

まずは15世紀前半、主要港であるリスボンから南西へ約1,000kmの位置にあるマデイラ島①に入植し、航海基地を建設。

後にこの島はワインや酒精強化ワイン=マデイラ・ワインの生産で繁栄します。

 

さらにリスボンの西約1,600kmの位置にアゾレス諸島を発見。

アングラ・ド・エロイズモ②を築き、ピーコ島③でもブドウ園を切り拓いてワイン生産を開始しました。

 

なぜこれほどワインを生産する必要があったのでしょうか?

それはワインがポルトガルの主要輸出品であったことに加え、産業として比較的手軽で、航海においてワインが水代わりに飲まれていたからです。

熱帯地方を航海する場合、条件にもよりますが、水は1か月ほど、ビールは2か月、ワインなら3か月ほどで腐ってしまったようで、航海では腐りやすい順に水→ビール→ワインと飲み進めていきました。

※①世界遺産「マデイラ諸島のラウリシルヴァ(ポルトガル」

 ②世界遺産「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区(ポルトガル)」

 ③世界遺産「ピーコ島のブドウ園文化の景観(ポルトガル)」

 

[関連サイト]

味わう世界遺産3:ポルトガルの宝石 ポート

 

■アフリカ航路の発見

世界遺産「クンタ・キンテ島と関連遺跡群(ガンビア)」、要塞島クンタ・キンテ
要塞島クンタ・キンテ。ガンビア川の沖に浮かぶ小島で、奴隷貿易の拠点となりました。アレックス・ヘイリー著『ルーツ』の主人公クンタ・キンテの先祖がここから奴隷として運ばれたことにちなんでジェームズ島から改名されました。世界遺産「クンタ・キンテ島と関連遺跡群(ガンビア)」構成資産
世界遺産「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群(ガーナ)」、エルミナ城塞
黄金海岸に築かれたエルミナ城塞。この辺りには名産品の名を取った象牙海岸、奴隷海岸等があり、それぞれ城塞で守られていました。世界遺産「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群(ガーナ)」構成資産

どこまでアフリカ大陸が続くかわからないため、陸地を目で確認しながら船を進める近海航法をとり、そのため大陸に近いカーボベルデ諸島やゴレ島①、クンタ・キンテ島②といった島々に立ち寄りながらの航海となりました。

 

カーボベルデにはヨーロッパ初となる熱帯地方の植民都市シダーデ・ヴェリヤ③が築かれ、後にアフリカだけでなくアメリカ大陸への中継地点となり、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスも立ち寄っています。

これらの島々にはやがて城塞が築かれ、三角貿易の拠点として整備されていきます。

 

1470年代までにサハラ砂漠の緯度を越えてギニア湾に到達。

ポルトガルはこの時点でアフリカの金を直接取引できるようになり、大きな成果を得ました。

 

エンリケ航海王子の事業を継いだジョアン2世はアフリカ航路の独占を宣言し、ギニア湾にエルミナ城塞④を建設して睨みを利かせました。

※①世界遺産「ゴレ島(セネガル)」

 ②世界遺産「クンタ・キンテ島と関連遺跡群(ガンビア)」

 ③世界遺産「シダーデ・ヴェリヤ、リベイラ・グランデの歴史都市(カーボベルデ)」

 ④世界遺産「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群(ガーナ)」

 

■インド航路の発見

世界遺産「モザンビーク島(モザンビーク)」、サン・セバスティアン要塞
世界遺産「モザンビーク島(モザンビーク)」、サン・セバスティアン要塞。左端に見える白い建物はノッサ・セニョーラ・デ・バルアルテ礼拝堂で、南半球で築かれた最古のヨーロッパ建築といわれます
ポルトガルの世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」、「テージョ川の貴婦人」ベレンの塔
ポルトガルの世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」、「テージョ川の貴婦人」ベレンの塔。リスボン港とテージョ川の防衛・監視のために建てられた塔で、マヌエル様式、ムデハル様式、ゴシック様式、ヒンドゥー教建築といった多彩な建築様式が混在しています

1488年、前年にリスボンを出発したバルトロメウ・ディアスはアフリカで嵐に遭い、13日間も漂流を続けていました。

大陸を見失ったディアスは東にあるはずの大陸を見つけることができません。

仕方なく北上してみると、大陸が北東へ伸びています。

こうしてアフリカ最南端のアグラス岬を越え、ヨーロッパの船舶としてはじめてインド洋へ進出しました。

 

インドへ進路を切ろうとしたディアスですが船員の反対もあって泣く泣く帰国。

ジョアン2世はディアスを祝福し、嵐に遭った岬を喜望峰①と命名します。

 

アフリカ南端が確認されると、インド航路の発見は時間の問題となりました。

1497年、ポルトガル王マヌエル1世の命を受けたヴァスコ・ダ・ガマがリスボンを出発。

翌年春には喜望峰とアグラス岬を越え、モザンビーク島②に到達します。

 

ヴァスコ・ダ・ガマはモザンビーク島、モンバサ③、マリンディで食糧や航路の情報を集め、アラブ商人を水先案内人に雇ってアフリカからインドへと旅立ちました。

そして1498年5月20日、ついにインドのカリカットに到達。

待望のインド航路をヨーロッパ人としてはじめて発見しました。

   

帰国したヴァスコ・ダ・ガマはポルトガルをあげての歓迎を受けました。

マヌエル1世は彼をインド提督に任命すると、インド航路発見を記念してジェロニモス修道院④やベレンの塔④を建設しました。

※①世界遺産「ケープ植物区保護地域群(南アフリカ)」

 ②世界遺産「モザンビーク島(モザンビーク)」

 ③世界遺産「モンバサのジーザス要塞(ケニア)」

 ④世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔(ポルトガル)」

 

[関連サイト]

ザンジバル島のストーンタウン/タンザニア

ジェロニモス修道院とベレンの塔/ポルトガル

 

■ブラジルの発見

世界遺産「ディスカヴァリー・コースト大西洋岸森林保護区群(ブラジル)」、デスコブリメント(英名ディスカヴァリー)国立公園
「発見」の名を持つブラジルのデスコブリメント国立公園。8件の国立公園や保護区を登録した世界遺産「ディスカヴァリー・コースト大西洋岸森林保護区群(ブラジル)」の構成資産のひとつになっています (C) Diego Teschi
ブラジルの世界遺産「サルバドール・デ・バイア歴史地区」
コロニアル様式のパステル・カラーの家並みが美しいブラジルの世界遺産「サルバドール・デ・バイア歴史地区」。サンバをはじめとするアフロ・ブラジル文化の中心でもあります

1500年、マヌエル1世はカブラルをインドに派遣します。

 

しかし一行は嵐に遭遇し、大きく西に流されて謎の大陸に到達します。

現在のブラジル、ポルト・セグーロでパウ・ブラジル(ブラジルボク)の木を発見してこの地を「ブラジル」と名づけ、ポルトガルの領有を宣言します。

一帯はブラジル発見の地ということでコスタ・ド・デスコブリメント、英語でディスカヴァリー・コースト①と呼ばれています。

 

ポルトガルは1549年にポルト・セグーロの北に植民都市サルバドール②を建設し、総督府と大聖堂を置いてポルトガル領ブラジルの首都としました。

※①世界遺産「ディスカヴァリー・コースト大西洋岸森林保護区群(ブラジル)」

 ②世界遺産「サルバドール・デ・バイア歴史地区(ブラジル)」

 

[関連サイト]

サルバドール・デ・バイア歴史地区/ブラジル

 

■極東への到達

インドの世界遺産「ゴアの教会群と修道院群」、ボム・ジェス・バシリカ
インドの世界遺産「ゴアの教会群と修道院群」、ボム・ジェス・バシリカ。日本にキリスト教を伝えたイエズス会士フランシスコ・ザビエルの棺が収められています
中国の世界遺産「マカオ歴史地区」のセナド広場
中国の世界遺産「マカオ歴史地区」のセナド広場。マカオは1557年にポルトガル人居留地となり、1999年までポルトガル領でした。イエズス会の拠点が置かれ、フランシスコ・ザビエルも一時ここで活動を行いました

1502年、ヴァスコ・ダ・ガマが第2回航海に出発。

この時点でポルトガルは友好的な交易を断念し、軍事力によるインド交易開拓に舵を切っていました。

 

途中キルワ・キシワニ①などを攻撃して支配下に収めたあと、カリカットでも市街を砲撃。

商船を焼き払い、乗客や住民を虐殺して香辛料をはじめとする金品を強奪します。

 

1506年にはインド総督としてアフォンソ・デ・アルブケルケを派遣。

アルブケルケは紅海のソコトラ島②やインドのゴア③、マラッカ王国の首都ムラカ④を占領。

特にゴアとムラカをポルトガルの拠点として整備しました。

 

ポルトガルはさらにスンダ列島やモルッカ諸島(現在のインドネシア)に進出し、中国のマカオ⑤やセイロン(スリランカ)のゴール⑥などに拠点を建設します。

 

1543年には中国のジャンク船に乗ったポルトガル商人が種子島に漂着。

こうしてポルトガルはユーラシア大陸のほぼ東端にまでその手を広げました。

※①世界遺産「キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群(タンザニア)」

 ②世界遺産「ソコトラ諸島(イエメン)」

 ③世界遺産「ゴアの教会群と修道院群(インド)」

 ④世界遺産「ムラカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群(マレーシア)」

 ⑤世界遺産「マカオ歴史地区(中国)」

 ⑥世界遺産「ゴール旧市街とその要塞群(スリランカ)」

 

[関連サイト]

マラッカとジョージタウン/マレーシア

 

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<スペインの西航路開拓>

リドリー・スコット監督『1492 コロンブス』予告編 

■コロンブスのアメリカ到達

世界遺産「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区(スペイン)」、アルハンブラ宮殿
アルハンブラ宮殿。カトリック両王がナスル朝のこの城塞に入場することでレコンキスタは完了し、イスラム教徒やユダヤ教徒たちは北アフリカなどへ移住していきました。世界遺産「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区(スペイン)」構成資産

ポルトガルは東回りでインドを目指し、要所に城塞を築いて航路の独占を図りました。

このためスペインは西回りでのインド到達を目指すことになりました。

 

1492年、レコンキスタを完了させたスペイン王国のカトリック両王(フェルナンド2世とイザベル1世)は、ジェノヴァ①の航海士コロンブスが提案した西回りルートの探索を了承し、資金提供を申し出ます。

 

そして1492年8月3日、コロンブスはインドを目指し、サンタ・マリア号、ニーニャ号、ピンタ号の3隻でスペインを出発。

コロンブスはいくつかの島に寄港し、最後にスペイン領だったカナリア諸島のゴメラ島②に立ち寄って水や食糧を補給し、いよいよ大西洋横断に漕ぎ出します。

※①世界遺産「ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度(イタリア)」

 ②世界遺産「ガラホナイ国立公園(スペイン)」

 

■新大陸の発見

世界遺産「ランス・オ・メドー国定史跡(カナダ)」
西暦1000年頃、ノルマン人レイフ・エリクソンが築いたとされる入植地跡、世界遺産「ランス・オ・メドー国定史跡(カナダ)」。住宅地や造船所・鍛冶場などの遺跡が発見されており、それらは当時のノルマン人のものと一致しています

カナリア諸島を出て約2か月、コロンブス一行は陸地を発見することができません。

船員たちの反発をなだめすかしながら航海を続けたコロンブスは、10月12日、ついにサン・サルバドル島を発見します。

いわゆる「新大陸の発見」です。

 

しかし、新大陸といってもコロンブスの第1回航海はカリブ海の大アンティル諸島に到達しただけで、大陸本土は見てもいません。

さらにコロンブスより500年近く前の11世紀初頭、ノルマン人レイフ・エリクソンが大西洋を横断して現在のカナダのニューファンドランド島に到達し、街※を切り拓いています。

それ以前に、アメリカ先住民は3万~1万数千年も前からこの大陸に住みついています。

 

コロンブスはサン・サルバドル島を探索して人間を発見し、彼らをインドの人=インディオ(英語でインディアン)と命名。

先住民たちは一行を親切に歓待しますが、コロンブスらは彼らから財宝を略奪したといいます。

さらにキューバ島(現在のキューバ)、エスパニョーラ島(現在のハイチ&ドミニカ共和国)を発見して同様に略奪を行いました。

※世界遺産「ランス・オ・メドー国定史跡(カナダ)」

 

■トルデシリャス条約

世界遺産「サント・ドミンゴ植民都市(ドミニカ共和国)」のサンタ・マリア・ラ・メノル大聖堂
サンゴ石で築かれた世界遺産「サント・ドミンゴ植民都市(ドミニカ共和国)」のサンタ・マリア・ラ・メノル大聖堂。銅像はコロンブス。サント・ドミンゴはカリブ海最古の植民都市で、ここを拠点としてアメリカ探索が行われました

コロンブスは1493年にいったん帰国し、同年第2回航海に出発。

エスパニョーラ島に到着したコロンブスは植民都市サント・ドミンゴ※を建設します。

 

前回の略奪もあって先住民たちはコロンブス一行に反抗的な態度をとります。

コロンブスはこれを武力で制圧し、数万~十数万人の先住民を虐殺したといわれています。

 

結局コロンブスは計4回の航海を行いましたがインドも香辛料も莫大な黄金も発見することはできませんでした。

それ以前に、実は北アメリカ大陸本土には到達すらしておらず、大陸に上陸したといえるのは1498年の第3回航海で上陸した南アメリカ大陸のオリノコ川周辺だけでした。

 

1494年、新世界の相次ぐ発見を受けてポルトガルとスペインはトルデシリャス条約を締結。

だいたい西経46度37分付近より東をポルトガル領、西をスペイン領に定めました。

これによりブラジルを除く南北アメリカ大陸のほとんどがスペイン領となり、ポルトガルはアフリカ・アジアにおける優位を保ちました。

 

コロンブスは死ぬまで自分が訪ねた地をインドであると疑っていなかったようですが、そうでないことをアメリゴ・ヴェスプッチが明らかにしました。

1500年前後に4回の航海を行ってカリブ海やブラジル沿岸を探索。

香辛料が存在せず、アジアやアフリカより南まで大陸が張り出している点から新しい大陸であることを確かめました。

こうして「新大陸」は彼の名を取って「アメリカ」と名づけられました。

※世界遺産「サント・ドミンゴ植民都市(ドミニカ共和国)」

 

■太平洋到達

世界遺産「プエルト・リコのラ・フォルタレサとサン・ファン国定史跡(アメリカ)」、ビエホ・サン・フアンのサン・フェリペ・デル・モロ要塞
スペインが16世紀後半に建設したビエホ・サン・フアンのサン・フェリペ・デル・モロ要塞。プエルト・リコはスペイン艦隊の経由地として整備されました。世界遺産「プエルト・リコのラ・フォルタレサとサン・ファン国定史跡(アメリカ)」構成資産
世界遺産「カルタヘナの港、要塞群と建造物群(コロンビア)」、サン・フェリペ要塞
カリブ海沿岸でも傑作と名高いカルタヘナのサン・フェリペ要塞。旧市街は4kmの城壁で囲まれ、サン・フェリペ、サン・ルイスなど数々の要塞が建設されて要塞都市として発展しました。世界遺産「カルタヘナの港、要塞群と建造物群(コロンビア)」構成資産

新大陸はたしかにインドではないようです。

そうなると問題はふたつです。

  • この大陸に黄金や香辛料はあるのか?
  • この大陸の向こうにインドはあるのか?

前者の夢を追って多くのスペイン人コンキスタドール(征服者)が南北アメリカ大陸の探索を行いました。

そして探索のために拠点となる植民都市を建設し、街を要塞化して先住民や海賊、追随するポルトガルやオランダ、イギリス、フランスといった他国の船の襲撃に備えました。

 

たとえばスペイン人たちがキューバ島を征服して造った街がサンティアゴ・デ・キューバ①やハバナ②、トリニダード③、カマグェイ④、シエンフェゴス⑤で、プエルトリコ島に築いた都市がサン・ファン⑥です。

南アメリカ大陸ではコロ⑦、サンタ・クルーズ・デ・モンポス⑧、カルタヘナ⑨といった都市が拠点となり、中央アメリカではカンペチェ⑩を皮切りに、ベラクルス、パナマ⑪、ポルトベロ⑫などが築かれました。

 

ヨーロッパ人としてはじめて太平洋を発見したのがバルボアです。

1513年、バルボア率いる一行がパナマ地峡を横断して太平洋に到達。

これによってアメリカ大陸が南北ふたつの大陸からなること(正確にはパナマ地峡でつながっています)、その西に大きな海があることが明らかになりました。

※①世界遺産「サンティアゴ・デ・キューバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城(キューバ)」

 ②世界遺産「オールド・ハバナとその要塞群(キューバ)」

 ③世界遺産「トリニダードとロス・インヘニオス渓谷(キューバ)」

 ④世界遺産「カマグェイの歴史地区(キューバ)」

 ⑤世界遺産「シエンフェゴスの都市歴史地区(キューバ)」

 ⑥世界遺産「プエルト・リコのラ・フォルタレサとサン・ファン国定史跡(アメリカ)」

 ⑦世界遺産「コロとその港(ベネズエラ)」

 ⑧世界遺産「サンタ・クルーズ・デ・モンポスの歴史地区(コロンビア)」

 ⑨世界遺産「カルタヘナの港、要塞群と建造物群(コロンビア)」

 ⑩世界遺産「カンペチェ歴史的要塞都市(メキシコ)」

 ⑪世界遺産「パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区(パナマ)」

 ⑫世界遺産「パナマのカリブ海沿岸の要塞群:ポルトベロとサン・ロレンソ(パナマ)」

 

■マゼランによる世界周航

スペインの世界遺産「セビリアの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館」のインディアス古文書館
スペインの世界遺産「セビリアの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館」のインディアス古文書館。コロンブスやマゼランをはじめとするコンキスタドールたちの数多くの書簡や日誌・地図が収められています

一方、「新大陸の向こうにインドがあるのか?」という問いを追ったのがマゼランです。

マゼランはポルトガル人で、インドやマラッカにも航海したことがありました。

 

しかしながらポルトガルの待遇に不満を抱いていたマゼランはスペインに接近。

スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の任を受け、西回りによる香辛料諸島到達を目標に、1519年8月10日、5隻の船と270人の乗組員とともにセビリア※を出帆します。

 

1520年、南アメリカのマゼラン海峡を抜けていよいよ太平洋に入ります。

しかし、大海原をひたすら西に向けて航海しますが陸地を発見できずに餓死寸前に陥ってしまいます。

このとき船に巣くったネズミさえ食べ尽くしたといいます。

 

3か月以上にわたる航海の後、ようやく島を発見。

以前マラッカで見聞きしていた言葉と似ていることからアジアにたどり着いたことを確信します。

こうしてマゼランはマリアナ諸島、フィリピン諸島に到達。

この時点で地球が丸いことが世界ではじめて実証されました。

 

しかし――。

フィリピンで宣教中に先住民が反乱を起こしてマゼランを殺害してしまいます。

残った一行は1521年、目的地である香辛料諸島に到達。

香辛料を積み込むと進路を南西に取り、ポルトガルの船団に見つからないようにインドを迂回しながら帰路に就きます。

 

1522年9月6日、ついにセビリアに帰国。

世界初となる世界周航(世界一周)を達成しました。

3年にわたる航海を経てスペインに到着できたのはヴィクトリア号に乗るたった18人でした。

 

ポルトガルとスペインは1529年にサラゴサ条約を締結。

だいたい東経144度30分より西がポルトガル領、東がスペイン領と定めました(フィリピンなど例外あり)。

※世界遺産「セビリアの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館(スペイン)」

 

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<アメリカ大陸の征服>

大航海時代以来の植民地拡大の歴史。黄:スペイン、濃緑:ポルトガル、青:フランス、ピンク:イギリス、青紫:ロシア、茶:デンマーク、灰色:オスマン帝国、赤紫:アメリカ、オレンジ:オランダ、水色:ベルギー、薄緑:イタリア、エメラルド:日本

■アステカ文明の滅亡

世界遺産「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ(メキシコ)」、メキシコシティのメトロポリタン大聖堂
テノチティトランを破壊し、アステカの中央神殿の上に築かれたメキシコシティのメトロポリタン大聖堂。その裏には中央神殿跡テンプロ・マヨールがあります。世界遺産「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ(メキシコ)」構成資産
世界遺産「古都グアナファトとその銀鉱群(メキシコ)」
1548年に銀鉱脈が発見されてから急速に発展したグアナファト。全盛期には世界の銀の25%を産出し、その富を背景に豪華なバロック様式の家々が築かれました。しばしばもっとも美しい植民都市のひとつに数えられます。世界遺産「古都グアナファトとその銀鉱群(メキシコ)」構成資産

1517年、スペイン人たちはユカタン半島を発見し、ここを起点にマヤ文明の諸都市に到達。

これまでアメリカでは発見されていなかった高度な文明と遭遇します。

 

スペイン人コンキスタドール、エルナン・コルテスはこの頃全盛を誇っていたアステカ文明の存在を確認。

その首都テノチティトランは人口20万~30万を誇るほど繁栄を極めていました。

 

アステカには古くから伝わる言い伝えがありました。

セ・アカトルと呼ばれる一の葦の年に、羽を持つヘビの神ケツァルコアトル(マヤ文明のククルカン)が再びこの地上に姿を現すという伝説です。

そしてケツァルコアトルは白い肌を持つ人間の姿で現れると伝わっています。

 

1519年、セ・アカトルの年。

この年にコルテスはテノチティトランに到達。

アステカ皇帝モクテスマ2世ははじめて白人を見ると神の遣いとして丁重に迎え入れます。

コルテスは都市のあまりの大きさと繁栄ぶりに驚き、軍勢を調えるためにいったん撤退します。

 

1521年、コルテスはスペイン軍と諸民族連合軍を率いてテノチティトランを急襲。

そして街を徹底的に破壊して略奪し、廃墟の上に植民都市を建設します。

これがヌエバ・エスパーニャ副王領の首都となるメキシコシティ※です。

※世界遺産「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ(メキシコ)」

 

○世界遺産リストに登録された中央アメリカの植民都市の例(これまでに出てきたものを除く)

  • オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡(メキシコ)
  • プエブラ歴史地区(メキシコ)
  • 古都グアナファトとその銀鉱群(メキシコ)
  • モレリア歴史地区(メキシコ)
  • サカテカス歴史地区(メキシコ)
  • ケレタロの歴史史跡地区(メキシコ)
  • トラコタルパンの歴史遺跡地帯(メキシコ)
  • アンティグア・グアテマラ(グアテマラ)
  • レオン・ビエホ遺跡群(ニカラグア)
  • レオン大聖堂(ニカラグア)
  • サン・アントニオ伝道施設群(アメリカ)

 

[関連サイト]

アンティグア・グアテマラ/グアテマラ

 

■インカ帝国の滅亡

世界遺産「クスコ市街(ペルー)」の中心、アルマス広場
インカ時代には「大地のヘソ」といわれた世界遺産「クスコ市街(ペルー)」の中心、アルマス広場。中央やや右がラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会で、スペイン占領前はインカ皇帝ワイナ・カパックの宮殿でした
世界遺産「マチュピチュの歴史保護区(ペルー)」
マチュピチュの絶景。幻の都ビルカバンバは下からは見えない空中に築かれたという伝説があったことから、一時はビルカバンバ発見が期待されました。世界遺産「マチュピチュの歴史保護区(ペルー)」構成資産

南に黄金の国がある――

こうした伝説とコルテスの成功を耳にして功を急いだフランシスコ・ピサロは1531年、160人の兵を率いてパナマから南アメリカ大陸に入ります。

 

1532年、温泉街カハマルカ①でくつろぐインカ皇帝アタワルパのもとに突如、ピサロが現れます。

ピサロは銃や騎馬で一行を攻撃し、アタワルパを捕縛。

そしてインカ帝国の首都クスコ②③に入ると太陽の神殿コリンカチャに幽閉し、金銀を搾り取った後、処刑してしまいます(1533年、インカ帝国滅亡)。

インカの残党がアンデス山中のビルカバンバ山脈に逃げ込みますが、帝国の莫大な財宝を持ち込んだという噂が広がったため財宝探索が行われました。

 

時代はずっと下って1911年。

アメリカ・イェール大学の教授ハイラム・ビンガムは空中都市の噂を聞きつけます。

そして先住民の子供に案内させて発見したのがマチュピチュ④です。

しかしながらマチュピチュは現在、パチャクティ王の離宮と考えられており、ビルカバンバに隠されたと伝わる秘宝はいまなお未発見のままとなっています。

※①ペルーの世界遺産暫定リスト記載

 ②世界遺産「クスコ市街(ペルー)」

 ③世界遺産「カパック・ニャン アンデスの道(アルゼンチン/エクアドル/コロンビア/チリ/ペルー/ボリビア共通)」

 ④世界遺産「マチュピチュの歴史保護区(ペルー)」

 

[関連サイト]

クスコ市街:インカ帝国が築いたペルーの「黄金の都」

マチュピチュ:世界遺産ランキング1位の空中都市

 

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<アメリカ大陸の開発>

■植民都市の建設

ペルーの世界遺産「リマ歴史地区」のマヨール広場(アルマス広場)
ペルーの世界遺産「リマ歴史地区」のマヨール広場(アルマス広場)。左が、ピサロが礎石を置いた南アメリカ最古の教会・リマ大聖堂で、ピサロの棺もここに収められています
世界遺産「古都スクレ(ボリビア)」
1538年にピサロが築いた世界遺産「古都スクレ(ボリビア)」。植民都市はパステル・カラーの街並みが多いのですが、スクレは白い建物が多く「白の街」と呼ばれています。現在のボリビアの憲法上の首都 (C) Micah Mac Allen

スペイン人たちはキト①やクスコ②を破壊して財宝を略奪し、インカ帝国の宮殿を大聖堂に建て替え、ヨーロッパ風の街並みに改修しました。

スペインやポルトガルの植民都市には必ず中心に大聖堂があり、大聖堂の前には中央広場が広がっています。

これは力の支配の象徴であると同時に、キリスト教の宣教による心の支配の象徴でもありました。

 

1535年、ピサロは黄金の積み出し港としてスペインのマドリード③④を模して港湾都市リマ⑤を建設。

1544年にリマはペルー副王領の首都となり、セロ・リコ銀山⑥が発見されるとヨーロッパがインフレを起こすほどの銀を輸出して大いに繁栄しました。

 

スペインはこれ以外にも数多くの植民都市を築きながら南アメリカの隅々まで入植していきます。

世界遺産リストに登録されている南アメリカの植民都市や関連の物件の例には以下があります(これまでに出てきたものを除きます)。

ただし、サン・ルイスのようにもともとフランスが建設したもの、サンクリストヴォンのようにスペイン=ポルトガル同君連合時代に築かれたもの、スペイン領の中に建設されたポルトガルのコロニア・デル・サクラメントなど、時代によって宗主国を替えた都市も存在します。

※①世界遺産「キト市街(エクアドル)」

 ②世界遺産「クスコ市街(ペルー)」

 ③世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地(スペイン)」

 ④世界遺産「プラド通りとブエン・レティーロ、芸術と科学の景観(スペイン)」

 ⑤世界遺産「リマ歴史地区(ペルー)」

 ⑥世界遺産「ポトシ市街(ボリビア)」

 

○世界遺産リストに登録されたスペインの南アメリカ植民都市の例

  • サンタ・アナ・デ・ロス・リオス・クエンカの歴史地区(エクアドル)
  • バルパライソの海港都市の歴史的街並み(チリ)
  • アレキパ市歴史地区(ペルー)
  • 古都スクレ(ボリビア)

○世界遺産リストに登録されたポルトガルの南アメリカ植民都市の例

  • コロニア・デル・サクラメントの歴史的街並み(ウルグアイ)
  • 古都オウロ・プレート(ブラジル)
  • オリンダ歴史地区(ブラジル)
  • サルバドール・デ・バイア歴史地区(ブラジル)
  • ディアマンティーナ歴史地区(ブラジル)
  • サン・ルイス歴史地区(ブラジル)
  • ゴイアス歴史地区(ブラジル)
  • サンクリストヴォンの町のサンフランシスコ広場(ブラジル)
  • リオデジャネイロ:山と海の間のカリオカの景観(ブラジル)

 

[関連サイト]

クスコ市街:インカ帝国が築いたペルーの「黄金の都」

サルバドール・デ・バイア歴史地区/ブラジル

 

■鉱山開発

世界遺産「ポトシ市街(ボリビア)」のセロ・リコ銀山
約800万人が犠牲になって「人を食う山」と恐れられた世界遺産「ポトシ市街(ボリビア)」のセロ・リコ銀山。ここで産出された大量の銀がヨーロッパの経済や商業の在り方を大きく変えました
世界遺産「古都オウロ・プレート(ブラジル)」
17~18世紀のゴールドラッシュで建設された鉱山城下町、世界遺産「古都オウロ・プレート(ブラジル)」。コロニアル・バロック様式の教会や家々が軒を連ねており、19世紀の金鉱の枯渇のためかえって町並みは改修されずに残されました (C) Rosino

アステカやインカから黄金や銀を略奪したスペインでしたが、手近な財宝を奪い尽くすと継続的に利益を出すふたつの方法を考え出します。

鉱山開発とプランテーション経営です。

 

鉱山開発の最大の成功例がセロ・リコ銀山①です。

先住民たちが銀行脈を見つけたという噂を聞きつけたコンキスタドールたちは標高約4,000mの高山で世界最大の銀鉱脈を発見。

この山は「豊かな山」を意味するセロ・リコと名づけられました。

 

スペイン人たちは鉱山都市ポトシ①を建設し、先住民を奴隷として投入。

全世界の銀流通量の数倍といわれる銀を産出しました。

この地で生産された銀はスクレ②で管理され、リマ③から輸出されました。

スペインが開発した銀山では他にボリビアのプラカヨ銀山④やメキシコのバレンシア銀山⑤、サカテカス銀山⑥などが有名です。

 

メキシコシティ⑦とグアナファト⑤やサカテカスといった鉱山都市を結び、アメリカ・ニューメキシコ州まで抜ける道が「銀の道」といわれるティエラ・アデントロ(内陸部)の王の道⑧です。

この道を通って銀が運ばれただけでなく、銀を抽出する際に水銀を使用したため(アマルガム法)、主にスペインのアルマデン⑨やスロベニアのイドリア⑨で生産された水銀も運搬されました。

 

代表的な金の鉱山都市には17世紀に金鉱山が発見されてゴールド・ラッシュで沸き返ったオウロ・プレート⑩や、18世紀にゴールド・ラッシュが起こったゴイアス⑪、コンゴーニャス⑫があります。

また、ダイヤモンドの鉱山都市にはそのままダイヤの名前を採ったディアマンティーナ⑬があります。

※①世界遺産「ポトシ市街(ボリビア)」

 ②世界遺産「古都スクレ(ボリビア)」

 ③世界遺産「リマ歴史地区(ペルー)」

 ④ボリビアの世界遺産暫定リスト記載

 ⑤世界遺産「古都グアナファトとその銀鉱群(メキシコ)」

 ⑥世界遺産「サカテカス歴史地区(メキシコ)」

 ⑦世界遺産「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ(メキシコ)」

 ⑧世界遺産「ティエラ・アデントロの王の道(メキシコ)」

 ⑨世界遺産「水銀関連遺産:アルマデンとイドリア(スロベニア/スペイン共通)」

 ⑩世界遺産「古都オウロ・プレート(ブラジル)」

 ⑪世界遺産「ゴイアス歴史地区」(ブラジル)」

 ⑫世界遺産「ボン・ジェズス・ド・コンゴーニャスの聖所(ブラジル)」

 ⑬世界遺産「ディアマンティーナ歴史地区(ブラジル)」

 

■プランテーション

世界遺産「ビニャーレス渓谷(キューバ)」
モゴーテと呼ばれる岩山が特徴的な世界遺産「ビニャーレス渓谷(キューバ)」の景観。タバコの名産地で、伝統的な製法で育てられたタバコによってキューバの名高い葉巻が作られています
世界遺産「トリニダードとロス・インヘニオス渓谷(キューバ)」、ロス・インヘニオス渓谷
トリニダードから眺めたロス・インヘニオス渓谷。サトウキビやラム酒の名産地で「砂糖の谷」の異名を持っています。世界遺産「トリニダードとロス・インヘニオス渓谷(キューバ)」構成資産

プランテーションは先住民や黒人奴隷の安価な労働力を利用した大規模農園のこと。

南北アメリカ大陸では求めていた香辛料が見つからなかったため、それに代わるサトウキビやカカオ、コーヒー、タバコ等の農園を作って経営しました。

 

労働にあたったのは、まずは奴隷狩りによって連れ去られた中南米の先住民で、先住民が少なくなるとアフリカから黒人奴隷を輸入して投入しました。

 

○プランテーションが関係する世界遺産の例

  • トリニダードとロス・インヘニオス渓谷(キューバ):サトウキビ
  • ビニャーレス渓谷(キューバ):タバコ
  • キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観(キューバ):コーヒー
  • ブルーマウンテン山脈とジョン・クロウ山地(ジャマイカ):コーヒー
  • コロンビアのコーヒー産地の文化的景観(コロンビア):コーヒー
  • サルバドール・デ・バイア歴史地区(ブラジル):サトウキビ

 

[関連サイト]

サルバドール・デ・バイア歴史地区/ブラジル

 

■奴隷貿易と混血

世界遺産「ゴレ島(セネガル)」
ダカールの沖合に浮かぶ世界遺産「ゴレ島(セネガル)」。19世紀はじめまで奴隷貿易の拠点として使用され、要塞や奴隷収容所・砲台などが残されています
世界遺産「ザンジバル島のストーンタウン(タンザニア)」、旧奴隷市場
現在は大聖堂となっているザンジバルの旧奴隷市場、奴隷のオブジェクト。ここで数十万人の奴隷が売られ、インドや中南米に送られました。世界遺産「ザンジバル島のストーンタウン(タンザニア)」構成資産 (C) David Berkowitz

アフリカにおける奴隷貿易はもともとインド洋交易でイスラム商人が行っていました。

ポルトガルがこれを応用し、16世紀にアフリカと南アメリカを結んで大西洋を渡る奴隷貿易を開始します。

 

17世紀にプランテーション経営が盛んになると、ヨーロッパから武器や陶磁器を送り、アフリカで奴隷を買い、アメリカでサトウキビやタバコ、綿花、コーヒー、カカオ等に換える「三角貿易」が成立します。

 

南アメリカではブラジルやコロンビア、ベネズエラに渡った単身のポルトガル人やスペイン人が現地の女性と結婚して子供をもうけたため混血が進みました。

白人と先住民の混血はメスティソ、白人と黒人の混血はムラート、先住民と黒人の混血はサンボと呼ばれています。

 

一方、北アメリカへは家族や一族で入植する人々が多く、「血の一滴の掟=ワン・ドロップ・ルール」で知られるように一滴でも白人以外の血が混じった人は黒人と見なされたため、混血は進みませんでした。

南アメリカのスポーツ選手に混血が多い一方で、カナダやアメリカのスポーツ選手に純粋な白人や黒人が多い理由はこんなところにあったりします。

 

○奴隷貿易に関するアフリカの世界遺産の例

  • ゴレ島(セネガル)
  • ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群(ガーナ)
  • ザンジバル島のストーンタウン(タンザニア)
  • クンタ・キンテ島と関連遺跡群(ガンビア)
  • ル・モーンの文化的景観(モーリシャス)

 

[関連サイト]

ザンジバル島のストーンタウン/タンザニア

 

■価格革命、商業革命

イギリスの世界遺産「海商都市リヴァプール」のアルバート・ドック
イギリスの元世界遺産「海商都市リヴァプール」のアルバート・ドック(2021年に「海商都市リヴァプール」は世界遺産リストから抹消されました)。イギリスの海洋貿易を担った主要港で、ここから綿織物が輸出され、プランテーションからの作物が水揚げされていました。船の建造・修理を行う最先端のドックも完備されていました

中南米からもたらされた金や銀、各種産品はヨーロッパの経済を変えました。

 

中世の社会では次第に貨幣が浸透していきましたが、貨幣は金や銀で作られていました。

大航海時代に莫大な金・銀が流入したことによって貨幣の価値が下がり、相対的に物価が上昇してインフレが起こりました。

この結果、地代を貨幣で得ていた諸侯や騎士は没落し、一方で商工業者は物価が上がることで利益を増し、その立場を強めました(価格革命)。

  

こうして新世界貿易の価値が高まる一方で、地中海貿易や北海貿易が衰退。

おかげでイタリア海洋都市やオスマン帝国、ハンザ同盟の繁栄は終わりを告げ、逆に大西洋に面したスペイン、ポルトガル、後にはオランダ、フランス、イギリスが躍進していきます(商業革命)。

 

生活面においてもヨーロッパは新世界の大きな影響を受けました。

下に列挙したような産品はアメリカ大陸からもたらされたもので、それまでヨーロッパにもアジアにもアフリカにもありませんでした。

つまり、イギリスのフィッシュ&チップスもドイツのマッシュポテトもイタリアのトマトソースもこれ以前の時代にはなかったものなのです。

 

○アメリカ大陸からもたらされた産品の例

  • トウモロコシ
  • ジャガイモ
  • トマト
  • タバコ
  • カカオ(チョコレート)
  • トウガラシ

 

なお、コーヒーの原産地は東アフリカ、サトウキビはポリネシアといわれています。

 

 

* * *

 

次回は文芸復興=ルネサンスを紹介します。

 


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