世界遺産と世界史29.中世ヨーロッパの飛躍

シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の歴史」では世界史と関連の世界遺産の数々を紹介します。

なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。

 

■電子書籍『世界遺産で学ぶ世界の歴史 ~海外旅行から世界遺産学習まで~』

 1.古代編、2.中世編、3.近世編、4.近代編、5.世界大戦編

 

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<大開墾時代>

■ヨーロッパの時代へ

世界遺産「ブルージュ歴史地区(ベルギー)」
中世、羊毛業で栄えたブルージュの美しい街並み。一帯は世界遺産「ブルージュ歴史地区(ベルギー)」に登録されているほか、写真の鐘楼は世界遺産「ベルギーとフランスの鐘楼群(フランス/ベルギー共通)」の構成資産でもあります

中世、西ローマ帝国滅亡前後から、ゲルマン人、ノルマン人、スラヴ人、アジア系諸民族等が次々とヨーロッパに進出(民族大移動)あるいはヨーロッパ内を移動し、東西ヨーロッパはその姿を大きく変えました。

 

オリエント(西アジア)から見れば、中世初期のヨーロッパは地中海沿岸部を除けば森に閉ざされた辺境中の辺境。

文化・文明の最先端はアジアにあり、科学や芸術、農産物・水産物にしても暖かい地域の多彩な産物に比べれば貧相なものだったに違いありません。

これが変わりはじめるのが11~13世紀です。

 

第1ミレニアム(西暦1~1000年)末の世界滅亡説(千年王国説)を乗り切り、諸民族の大移動も終了し、人々は森を開拓して都市を築き、落ち着きを取り戻します。

そして大開墾時代、商業ルネサンス、大翻訳時代、12世紀ルネサンスといった数々のイノベーションを経て経済と文化が飛躍。

やがてルネサンス、大航海時代を生んで「ヨーロッパの時代」が幕を開けます。

 

■大開墾時代と封建制

世界遺産「チェスキー・クルムロフ歴史地区(チェコ)」
13世紀にボヘミアの貴族ロジェンベルク家が深い森を切り開いて造り上げた世界遺産「チェスキー・クルムロフ歴史地区(チェコ)」。ブルタヴァ川がΩ形に湾曲するその中に位置する街並みが非常に美しい

古くからヨーロッパに住んでいた「森の民」ケルト人は大地とともに暮らしていました。

そして自然のあらゆる場所に神や妖精を見て巨人や人魚、火の精や水の精などの伝説を伝えました。

 

ところが『グリム童話』で描かれる森は恐怖そのものです。

「赤ずきん」でも「ヘンゼルとグレーテル」でも森は避けるべき場所であり、野獣や魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈する恐怖の対象となっています(ただし「白雪姫」のような例もあります)。

 

「生めよ、増えよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚、空の鳥、地を這うすべての生物を支配せよ」(『旧約聖書』「創世記」より)。

中世にヨーロッパ中に広がったキリスト教思想には、根底にこのような考え方があります。

新たにヨーロッパに定住をはじめたキリスト教徒にとって森は支配すべき敵であり、切り拓いて手なずけるべき相手だったのかもしれません。

 

11~13世紀の大開墾時代、鉄器を手に入れた人々は次々と森を伐採して街を造り、畑を開いて農業を行いました。

当初は畑の地力がなくなると新たに森を開墾して移動する略奪農業でした。

おかげで森は一気に減少し、たとえばイングランドでは森の約9割が消え去ったといわれています。

 

やがて畑を春耕地-秋耕地-休耕地の3つに分けて輪作を行う三圃制(さんぽせい)を確立。

こうした工夫によって移動の必要がなくなると、郊外の森を切り開いて放牧地を造り、ウシやヒツジなどの家畜を飼って混合農業をはじめました。

 

当初農奴たちは諸侯や騎士と主従関係を結んで仕えていました。

諸侯や騎士は大きな荘園(領地)を持っており、農奴を保護し封土を与える代わりに種々の税や貢納・賦役(労働)を課しました。

領主の所有物となった農奴は荘園で作物や家畜を育て、それを食べ、農奴同士で結婚し、子供を産み、生活のすべてが荘園内で完結しました。

この頃の荘園は国王の力さえ及ばず、役人の立ち入りを禁止し(不輸不入権)、農奴に対しても移動の自由を奪っていました。

 

[関連サイト]

おとぎの国の世界遺産チェスキー・クルムロフ/チェコ

 

■封建制の衰退

イタリアの世界遺産「ピサのドゥオモ広場」
イタリアの世界遺産「ピサのドゥオモ広場」、左が洗礼堂、その右が大聖堂と斜塔(鐘楼)。ロマネスク様式の傑作ながら、洗礼堂の上部にはゴシック様式が混在しています。ピサはジェノヴァやアマルフィ、ヴェネツィアと並んでイタリアの4大海洋都市国家と呼ばれて繁栄しました

しかし、こうした封建制(農奴制)は13世紀頃から崩れはじめます。

 

後述するように商業が活発になると貨幣経済が浸透。

諸侯や騎士は小作に土地を貸し出し、地代を貨幣で納めさせるようになります(小作制)。

 

小作は農奴と違って土地に縛られず、領主を代えたり都市に移住することもでき、これにより労働力の流動化が進みました。

農業技術の恩恵で収穫量が飛躍的に増えたこともあり、小作たちの中には大きな富を築く者も現れ、こうした富農は農業経営者として独立しました(独立自営農民)。

 

また、14世紀にはペスト(黒死病)が大流行し、ヨーロッパ人口の3~5割、2,000万~3,000万人が病死したといわれています。

ペスト菌はノミが媒介し、そのノミはネズミに巣くっているのですが、大開墾時代後の畑や街はネズミの生息に最適で、森林の伐採はフクロウやオオカミといった天敵の減少をもたらしてネズミはその数を増やしていきました。

このためペストは「森からの復讐」といわれます。

 

貨幣経済への移行や農業人口の減少のおかげで農民が立場を強める一方で、都市の興隆もあって諸侯や騎士は弱体化していきます。

 

* * *

 

<商業ルネサンス>

■都市の繁栄と地中海貿易

イタリアの世界遺産「ヴェネツィアとその潟」、カナル・グランデ(大運河)とサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂
イタリアの世界遺産「ヴェネツィアとその潟」、カナル・グランデ(大運河)とサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂。「水の都」ヴェネツィアはゲルマン人の大移動から逃れてきた人々が、5世紀に潟に杭を打って水上都市を築いたことにはじまりました
イタリアの世界遺産「アマルフィ海岸」、アマルフィの街並み
イタリアの世界遺産「アマルフィ海岸」、アマルフィの街並み。9世紀にナポリ公国から独立したアマルフィはいち早く羅針盤を導入して東方貿易を行い、ヨーロッパ・西アジアのレヴァント地方・北アフリカを結ぶ三角貿易で9~11世紀に繁栄しました

中世初期、ヨーロッパの地方を支配していたのは以下のような都市と身分です。

 

○中世ヨーロッパの都市と支配者

  • 帝国都市・自由都市:帝国都市は神聖ローマ帝国の直轄都市で、諸侯の支配を受けず、ある程度の自治が認められています。一方、司教区に属さず、教会組織から解放された都市が自由都市で、両者を兼ねる都市を帝国自由都市といいます。ただ、これらの差異は次第にあいまいになっていきます
  • 司教都市:教区を統括する司教座(カテドラ)が置かれた都市で、キリスト教の統治機関として建設されました。領主は大司教や司教です
  • 諸侯:皇帝や国王から封土を授かった有力貴族。公・侯・伯・子・男などの爵位(大公・公爵・侯爵・伯爵……)は諸侯の上下関係を示します。彼らの治める領地が大公領・公領・侯領・伯領等々で、主権を持ち独立性が高い場合は大公国・公国・侯国・伯国などと呼ばれます
  • 聖界諸侯:大司教領や司教領など領地を持つ上位聖職者
  • 騎士:皇帝や国王・諸侯に仕える戦士階級で封土を持つこともありました

 

大開墾時代に人口が急増して交通ネットワークが整備されると、都市も急激に増えていきました。

荘園で農業を続ける諸侯や騎士に対して、新しい都市住民は地中海や北海を渡って商業を行い、あるいは毛織物業などの産業を興して貿易を行いました(地中海貿易、北海貿易)。

そして貨幣経済を導入して富を蓄積しました。

 

ひとつのきっかけになったのが十字軍です。

十字軍の影響は、政治的な側面はもちろん、文化的にも経済的にも非常に大きなものでした。

キリスト教とイスラム教という宗教上の対立はあっても文化・経済の交流は活発化して、地中海ではヨーロッパとレヴァント地方(現在のシリア、レバノン、イスラエル、パレスチナ、ヨルダン周辺)を結ぶ東方貿易(レヴァント貿易)が発達しました。

 

これにより東方貿易の中心を担ったイタリアの都市国家が大いに発展。

ヴェネツィア①、ジェノヴァ②、ピサ③、アマルフィ④、ナポリ⑤などは貿易港として、内陸部にあるミラノ、フィレンツェ⑥などは毛織物業や金融業によって繁栄しました。

※①世界遺産「ヴェネツィアとその潟(イタリア)」

 ②世界遺産「ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度(イタリア)」

 ③世界遺産「ピサのドゥオモ広場(イタリア)」

 ④世界遺産「アマルフィ海岸(イタリア)」

 ⑤世界遺産「ナポリ歴史地区(イタリア)」

 ⑥世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア)」

 

[関連サイト]

ベネチアとその潟/イタリア

ピサの斜塔とドゥオモ広場:世界でもっとも有名な鐘楼

アマルフィ海岸/イタリア

フィレンツェ歴史地区/イタリア

 

■商業ルネサンス

世界遺産「リガ歴史地区(ラトビア)」
「バルト海の真珠」の異名を持つ世界遺産「リガ歴史地区(ラトビア)」。13世紀にインノケンティウス3世が派遣した北方十字軍によってキリスト教化し、バルト海貿易によって栄えてハンザ同盟に加盟しました
世界遺産「ブリッゲン(ノルウェー)」の倉庫群
ハンザ同盟4大在外商館のひとつが置かれたベルゲン旧市街。その中心にあったのが世界遺産「ブリッゲン(ノルウェー)」の倉庫群です。倉庫にはタラの干物や塩漬けが山積みされ、西ヨーロッパへ輸出されました

北・東ヨーロッパでも北方十字軍やノルマン人の大移動の影響から文化・経済の交流が進み、北海・バルト海貿易が発達します。

北方の貿易港としてはベルゲン(中心地がブリッゲン)①、ストックホルム、リガ②、ノヴゴロド③、プスコフ④等が、ヨーロッパ側の貿易港としてダンツィヒ(グダニスク)、リューベック⑤、ブレーメン⑥、ブルージュ⑦等が繁栄しました。

 

地中海商業圏と北方商業圏の急速な発達を受けて、主要輸出品である毛織物業が大いに振興します。

その中心を担ったのが加工地であるフランドル地方のガン(ヘント)、ブルージュ、ブリュッセル⑧、アルトウェルペンや、羊毛の生産地であるグレートブリテン島のロンドン⑨⑩といった都市です。

また、フランスやドイツの内陸の要衝も発達し、パリ⑪、プロヴァン⑫、リヨン⑬、ケルン⑭、ニュルンベルク、アウクスブルク⑮といった都市が飛躍しました。

 

こうして11~12世紀にヨーロッパ全域で商業が活性化して都市が発達します。

商業ルネサンスです。

※①世界遺産「ブリッゲン(ノルウェー)」

 ②世界遺産「リガ歴史地区(ラトビア)」

 ③世界遺産「ノヴゴロドの文化財とその周辺地区(ロシア)」

 ④世界遺産「プスコフ建築派の教会群(ロシア)」

 ⑤世界遺産「ハンザ同盟都市リューベック(ドイツ)」

 ⑥世界遺産「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像(ドイツ)」

 ⑦世界遺産「ブルージュ歴史地区(ベルギー、2000年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ⑧世界遺産「ブリュッセルのグラン・プラス(ベルギー)」

 ⑨世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院及び聖マーガレット教会(イギリス)」

 ⑩世界遺産「ロンドン塔(イギリス)」

 ⑪世界遺産「パリのセーヌ河岸(フランス)」

 ⑫世界遺産「中世市場都市プロヴァン(フランス)」

 ⑬世界遺産「リヨン歴史地区(フランス)」

 ⑭世界遺産「ケルン大聖堂(ドイツ)」

 ⑮世界遺産「アウクスブルクの水管理システム(ドイツ)」

 

[関連サイト]

ブルージュ歴史地区:運河が美しいベルギーの世界遺産

ブリュッセルのグランプラス/ベルギー

世界一有名な幽霊屋敷!? ロンドン塔/イギリス

ウェストミンスターとビッグベン/イギリス

ケルン大聖堂:世界最大のゴシック建築/ドイツ

 

■都市同盟

ハンザ同盟 "Hanseatic League" の解説動画。英語ですが画像だけでも参考になると思います

世界遺産「ハンザ同盟都市リューベック(ドイツ)」、ホルステイン門
ハンザ同盟の盟主リューベックの象徴、ホルステイン門。リューベックは12世紀にホルステイン伯によって造られた街で、この門は15世紀の建造。世界遺産「ハンザ同盟都市リューベック(ドイツ)」構成資産

商工業が発達し、貨幣経済が浸透すると、都市は諸侯や騎士たちを超える富を手に入れ、自治を求めるようになります。

 

イタリアの諸都市は自治権を獲得して「コムーネ」と呼ばれる自治都市へ移行。

ドイツでも都市は神聖ローマ皇帝から特許状を得て、諸侯や騎士・司教の統制を離れて帝国都市や自由都市として自立します。

 

こうして独立した都市は自らを守るために城壁で街を囲み(城郭都市)、軍を保持。

お互いを守るため都市同士で同盟を組み、イタリアのロンバルディア同盟やドイツのハンザ同盟が結成されました。

デンマークやスウェーデンは後にハンザ同盟に対抗してカルマル同盟を結成しています。

 

■ギルド

ベルギーの世界遺産「ブリュッセルのグラン・プラス」
ベルギーの世界遺産「ブリュッセルのグラン・プラス」。写真右がネオ・ゴシックの「王の家」、その左の建物はそれぞれの職人たちが集まるギルドハウス。花は2年に一度、8月に開催されるフラワーカーペットのもの(デザインは毎回異なります)

イギリスやフランスでは国王が都市の自治を認める代わりに税を納めさせました。

こうして都市は国王に近づき、地方を治めていた諸侯や騎士の手を離れました。

 

また、中世の自治都市では自分たちの産業を守るために「ギルド」と呼ばれる同業者組合を組織しました。

最初に生まれたのが遠隔地商業を担う商人たちによる商人ギルドで、貿易と富を独占して市政を担いました。

これに対して手工業者が手工業ギルドを結成し、商人ギルドとのツンフト闘争(市政参加を求めた闘争)を通じて地位を向上させます。

 

ギルドは商品の価格や品質をコントロールし、それぞれの産業を独占しました。

経済発展局面においてこうした独占体制はギルドに大きな利益をもたらしました。

 

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<教会勢力の衰退>

■大シスマ

世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋(フランス)」、教皇庁宮殿
1309~1377年まで教皇庁が置かれたアヴィニョンの教皇庁宮殿。教皇の座所である教皇聖座はローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂→バチカンのサン・ピエトロ大聖堂→アヴィニョンの教皇庁宮殿→ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂→バチカンのサン・ピエトロ大聖堂と移動しました。世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋(フランス)」構成資産
世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン共通)」、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂
ローマのサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂。アヴィニョン捕囚後に荒廃しましたが、16世紀に現在見られるバロック様式に改修されました。世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン共通)」構成資産 (C) Livioandronico2013

12~13世紀、教皇権は絶頂期を迎えて教皇インノケンティウス3世は「教皇は太陽、皇帝は月なり」と語りました。

 

しかし、十字軍が失敗に終わって信頼は失墜します。

さらに諸侯や騎士が力を失い王が勢力を伸ばしたイギリスやフランスでは、次第に教皇との対立が表面化します。

その最大の出来事が1303年のアナーニ事件です。

 

フランス王フィリップ4世はイギリスとの戦いの費用を調達するために、1302年に貴族・聖職者・平民からなる三部会を開いて聖職者に対する課税を検討します。

教皇ボニファティウス8世はこれに反発してフィリップ4世を破門。

フィリップ4世は激怒してボニファティウス8世を彼の出身地であるイタリアのアナーニで捕らえます。

ボニファティウス8世はまもなく釈放されましたが、わずか3週間後に憤死してしまいます。

 

1305年、フィリップ4世が支持するクレメンス5世が教皇に即位。

1309年には教皇庁をローマ①から南フランスのアヴィニョン②に遷し、実質的にフランスの支配下に置きました(教皇のバビロン捕囚/アヴィニョン捕囚)。

こうしてフランスでは教皇に対する国王の優位を確認し、教皇と国王の序列が覆りました。

 

1377年、時の教皇グレゴリウス11世は教皇庁をローマ③に戻します。

翌年グレゴリウス11世が死去すると、ローマではウルバヌス6世が即位。

一方、アヴィニョンでもクレメンス7世が教皇を名乗って即位し、ふたりの教皇が並び立つ大シスマ=教会大分裂がはじまります。

※①世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン共通)」

 ②世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋(フランス)」

 ③世界遺産「バチカン市国(バチカン)」

 

[関連サイト]

ローマ歴史地区/イタリア・バチカン

 

■ウィクリフとフス

世界遺産「プラハ歴史地区(チェコ)」、ティーン聖堂とプラハ旧市庁舎の天文時計
左はプラハ旧市庁舎の天文時計、右のゴシック様式の建物はティーン聖堂。ティーン聖堂はフス派の拠点として使用されていました。世界遺産「プラハ歴史地区(チェコ)」構成資産
世界遺産「プラハ歴史地区(チェコ)」旧市街広場、ヤン・フス像
比較的自由な信仰が認められていたプラハではフスに共感する者もたくさんいました。こちらはプラハの旧市街広場にたたずむヤン・フス像。世界遺産「プラハ歴史地区(チェコ)」資産内

こうして世俗的な争いを繰り返す教会に対し、イギリスのジョン・ウィクリフは聖書の教えから逸脱しているとローマ・カトリックを非難します。

聖書の教えに戻ることを主張し、聖書を英訳してイギリスに広めました(聖書主義)。

 

1411年にローマ①②の教皇ヨハネス23世が戦費調達のため、それを買って敵を倒せば罪が許されるという贖宥状(しょくゆうじょう。免罪符)を発行します。

これに対しヤン・フスはウィクリフ同様に聖書主義を掲げて強く非難。

フスの主張はボヘミア(チェコ西部)民衆の支持を集め、ボヘミアは国を二分するほどに混乱します。

 

こうした混乱を収拾するために神聖ローマ皇帝ジギスムントの提唱で開催されたのが1414年のコンスタンツ公会議です。

この会議で並立していた教皇の教皇位を全廃し、教皇庁を正統として大シスマを終結させました。

同時にウィクリフとフスの異端を決議しています。

 

フス処刑後の1419年、プラハ③でフス派と神聖ローマ帝国との間でフス戦争が勃発。

クトナー・ホラ④を拠点とする神聖ローマ皇帝ジギスムントは教皇マルティヌス5世とともに十字軍を組織して送り込みました。

結局フス派は1436年に大敗を喫して敗北しますが、教会の改革を求める運動は後を絶ちませんでした。

※①世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン共通)」

 ②世界遺産「バチカン市国(バチカン)」

 ③世界遺産「プラハ歴史地区(チェコ)」

 ④世界遺産「クトナー・ホラ:聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂(チェコ)」

 

[関連サイト]

プラハ歴史地区/チェコ

 

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<12世紀ルネサンス>

■大翻訳時代

世界遺産「古都トレド(スペイン)」
イスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化を伝える世界遺産「古都トレド(スペイン)」の美しい街並み。ゲルマン人が建てた西ゴート王国の首都として発展し、ウマイヤ朝、カスティリャ王国でも主要都市として繁栄しました。世界遺産「古都トレド(スペイン)」構成資産

古代ギリシアやローマで生まれた芸術や学問はキリスト教が浸透していく過程で失われていきました。

これらを研究したのはむしろイスラム圏で、アッバース朝やマムルーク朝をはじめとするイスラム王朝の庇護下で大いに研究が進められました。

 

そして東方貿易を経て研究成果はヨーロッパに逆輸入され翻訳されました。

これが大翻訳時代で、それ以後の文化的興隆を12世紀ルネサンスと呼びます。

 

大翻訳時代の中心となったのがかつてイスラム諸国の支配下にあったシチリア島のパレルモ①やイベリア半島のトレド②で、ここでアラビア語からラテン語に翻訳されました。

※①世界遺産「パレルモのアラブ=ノルマン様式の建造物群及びチェファルとモンレアーレの大聖堂(イタリア)」

 ②世界遺産「古都トレド(スペイン)」

 

[関連記事]

世界遺産と建築09 ロマネスク建築

 

■大学の隆盛

世界遺産「コインブラ大学-アルタとソフィア(ポルトガル)」
コンビブラの街並み。右上のコインブラ大学はポルトガル王国の政治・経済・文化をリードしたほか、イエズス会の教会(旧カテドラル)や修道院(サンタクルス修道院)が併設されたキリスト教大学でもありました。世界遺産「コインブラ大学-アルタとソフィア(ポルトガル)」構成資産

イスラム圏のマドラサ(モスク付属の高等教育機関)の影響もあって、12世紀頃からヨーロッパでも盛んに大学が築かれました。

 

ヨーロッパ最古の大学といわれるのが11世紀創立のイタリアのボローニャ大学やサレルノ大学(医学校)で、12世紀にはオックスフォード大学やパリ大学、サラマンカ大学①、13世紀にはケンブリッジ大学やナポリ大学などが創設されました。

 

神聖ローマ帝国や教皇庁は最高の教育機関を「ストゥディウム・ゲネラーレ」として認定し、学問を修めた修道士を各地に送り込んで宗教と哲学・科学の振興に努めました。

上記の大学はすべてストゥディウム・ゲネラーレです。

 

世界遺産リストに登録されたこの時代の大学の例としては、ポルトガルのコインブラ大学②やスペインのアルカラ大学③があります。

※①世界遺産「サラマンカ旧市街(スペイン)」

 ②世界遺産「コインブラ大学-アルタとソフィア(ポルトガル)」

 ③世界遺産「アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区(スペイン)」

 

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<修道院の活躍>

■修道院と修道士

世界遺産「ラヴォー地区の葡萄畑」
レマン湖岸に広がるスイスの世界遺産「ラヴォー地区のブドウ畑」。ブドウの生産はローマ時代にさかのぼるといわれ、11世紀以降はベネディクト会とシトー会が現在につながるワイン生産の基礎を築きました
フランスの世界遺産「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ」、ロマネ・コンティのクリマ
フランスの世界遺産「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ」に登録されているロマネ・コンティのクリマ(畑の区画)。ブルボン朝コンティ公に由来する小さなクリマで、ピノ・ノワール種のブドウから世界有数のワインを生産しています

教皇と皇帝、諸侯・騎士と大司教・司教が聖職者の叙任権や課税を巡って争っていた一方で、生涯貧しいままに生き、隣人を愛しつづけたイエスの生涯を範として生活する人たちもいました。

こうした修道士たちは清貧・貞潔(結婚の否定)・服従といった修道誓願を立て、「祈り、働け」という戒律の下で厳しい修行生活に勤しみました。

 

修道士は中世ヨーロッパの地方に大きな影響を与えました。

神学や種々の科学を修め、この頃各地に整備された大学に赴任して地方の教育レベルを底上げし、建築や農業・手工業の先端技術を普及させて農地の開拓や架橋・道路の建造といった社会インフラの整備に貢献しました。

また、貧困層に対しては社会福祉を行い、病人やケガ人に対しては医療施設を開放しました。

 

修道院で生産する飲食物が地域振興・町興しとなり、地方の名物になるケースもありました。

現在ヨーロッパ中に存在する地ビールやワインの中でこの頃に修道院が普及させた銘柄も少なくありません。

たとえば世界一有名なワインであろうブルゴーニュ地方ヴォーヌ・ロマネ村①のロマネ・コンティやシャンパーニュ地方エペルネー②のドン・ペリニヨンはいずれもベネディクト会が開拓したブドウ畑で作られた修道院ワインです。

※①世界遺産「ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ(フランス)」

 ②世界遺産「シャンパーニュの丘陵、メゾンとカーヴ(フランス)」

 

○修道院とワインが関係する世界遺産の例

  • サン・テミリオン地域(フランス)
  • ボルドー、リューヌ港(フランス)
  • ブルゴーニュのブドウ畑のクリマ(フランス)
  • シャンパーニュの丘陵、メゾンとカーヴ(フランス)
  • アルト・ドウロ・ワイン生産地域(ポルトガル)
  • ライン渓谷中流上部(ドイツ)
  • ラヴォー地区のブドウ畑(スイス)
  • ヴァッハウ渓谷の文化的景観(オーストリア)
  • ピエモンテのブドウ畑の景観:ランゲ=ロエロ、モンフェッラート(イタリア)
  • コネリアーノとヴァルドッビアーデネのプロセッコの丘(イタリア)

■ベネディクト会

スイスの世界遺産「ザンクト・ガレン修道院」
スイスの世界遺産「ザンクト・ガレン修道院」の見事なロココ装飾。7世紀に建設された小さな教会堂がベースで、ベネディクト会の中心的な修道院となり、18世紀にバロック・ロココ様式に改修されています

代表的な修道会を紹介しましょう。

 

カトリック最古の修道会がベネディクト会です。

6世紀、ベネディクトゥスがイタリアのモンテ・カッシーノにベネディクト修道院に創建したのがはじまりで、「労働は祈りにつながる」というモットーを掲げて共同生活を行いました。

先の「清貧・貞潔・服従」や「祈り、働け」といったモットーはベネディクト会の会則です。

ベネディクト会の修道院で世界遺産リストに登録されているものには以下の例があります(活動中止、あるいは会派を変えた修道院を含みます)。

 

○ベネディクト会が関係する世界遺産の例

  • カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院及び聖マーティン教会(イギリス)
  • ザンクト・ガレン修道院(スイス)
  • ミュスタイアのベネディクト会ザンクト・ヨハン修道院(スイス)
  • ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会(ドイツ)
  • パンノンハルマの千年史を持つベネディクト会修道院とその自然環境(ハンガリー)
  • モン=サン=ミシェルとその湾(フランス)
  • ランスのノートル=ダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院及びトー宮殿(フランス)

■シトー会

フランスの世界遺産「フォントネーのシトー会修道院」、薬草庭園から見た修道院教会のアプスと修道士部屋・共同寝室棟
フランスの世界遺産「フォントネーのシトー会修道院」、薬草庭園から見た修道院教会のアプス(右)と修道士部屋・共同寝室棟(左)。シトー会は建物も行動もいっさいの装飾性を廃し、実に徹して活動を行いました (C) Marc Ryckaert

11世紀にベネディクト会から派生したクリュニー会から、さらに派生したのがシトー会です。

1098年にモレームのロベール(聖ロベール)がフランス・ブルゴーニュ地方に築いたシトー修道院を頂点とする組織で、ベネディクトゥスが提唱した理念に戻ることを目標としました。

労働を重視し、特に農業の開墾と三圃制の普及に尽力し、フランス大開墾時代の先頭に立ちました。

 

特にクレルヴォーのベルナール(聖ベルナール)がクレルヴォー修道院を設立してから大いに繁栄しました。

シトー会の修道院で世界遺産リストに登録されているものには以下の例があります(活動中止、あるいは会派を変えた修道院を含みます)。

 

○シトー会が関係する世界遺産の例

  • フォントネーのシトー会修道院(フランス)
  • ファウンティンズ修道院遺跡群を含むスタッドリー王立公園(イギリス)
  • ラヴォー地区のブドウ畑(スイス)
  • ポブレー修道院(スペイン)
  • エルツゲビルゲ/クルシュノホリ鉱業地域(チェコ/ドイツ)
  • クトナー・ホラ:聖バルボラ教会のある歴史地区とセドレツの聖母マリア大聖堂(チェコ)
  • ゼレナー・ホラの聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会(チェコ)
  • マウルブロン修道院の建造物群(ドイツ)
  • ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム(ドイツ)
  • アルコバッサ修道院(ポルトガル)

■ドミニコ会

世界遺産「バターリャ修道院(ポルトガル)」
1385年にポルトガル王ジョアン1世が建設した世界遺産「バターリャ修道院(ポルトガル)」。ゴシック様式の修道院ですが、イスラム装飾をはじめエスニックなテイストを取り入れており、マヌエル様式の影響が見られます

定住や所有を否定し、地方を移動しながら托鉢(たくはつ。鉢を持って家を回り食物等を受けて回ること)によって活動を行う托鉢修道会がドミニコ会です。

1216年にドミニコが興し、教皇の認可を得て活動を開始。

教皇に直接仕えることで諸侯・騎士から独立した立場を貫きました。

世界遺産リスト登録のドミニコ会修道院の例には以下があります(活動中止、あるいは会派を変えた修道院を含みます)。

 

○ドミニコ会が関係する世界遺産の例

  • バターリャ修道院(ポルトガル)
  • レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院(イタリア)
  • ポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群(メキシコ)

■フランシスコ会

イタリアの世界遺産「アッシジ、サン・フランチェスコ聖堂と関連遺跡群」、サン・フランチェスコ聖堂
イタリアの世界遺産「アッシジ、サン・フランチェスコ聖堂と関連遺跡群」、サン・フランチェスコ聖堂。教皇グレゴリウス9世がフランチェスコ生誕の街アッシジに建てたもので、周囲にサンタ・キァーラ修道院をはじめ数多くの関連施設が築かれました

1223年にはイタリア、アッシジのフランチェスコがフランシスコ会を結成します。

粗衣粗食に加えて裸足で托鉢を行い、個人の所有を否定して托鉢と喜捨(金品の寄付)によって生活を行いました。

世界遺産リスト登録のフランシスコ会修道院には以下の例があります(活動中止、あるいは会派を変えた修道院を含みます)。

 

○フランシスコ会が関係する世界遺産の例

  • アッシジ、サン・フランチェスコ聖堂と関連遺跡群(イタリア)
  • サンタ・マリア・デ・グアダルーペ王立修道院(スペイン)
  • ポポカテペトル山腹の16世紀初頭の修道院群(メキシコ)

 

* * *

 

次回はイギリスとフランスの抗争と百年戦争・バラ戦争を紹介します。

 


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