世界遺産と世界史8.エジプト文明
シリーズ「世界遺産で学ぶ世界の歴史」では世界史と関連の世界遺産の数々を紹介します。
なお、本シリーズはほぼ毎年更新している以下の電子書籍の写真や文章を大幅に削ったダイジェスト記事となっています。
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<エジプト文明>
■古王国時代
紀元前10000~前8000年、ナイル川流域で農耕・牧畜がはじまり、セペトと呼ばれる都市国家が誕生します。
紀元前3000年頃、メネス王がナイル諸都市を統一。
以来およそ3,000年、30王朝にわたって繁栄する古代エジプトの第1王朝を築きました。
紀元前2700~前2200年頃の古王国時代、首都は現在のカイロ近くのメンフィスに置かれました。
エジプトでピラミッドが造られたのはほぼこの時代に限られます。
紀元前2600年頃、ジェセル王がメンフィス近くのサッカーラに、イムホテプ設計の階段ピラミッド※を築きます。
それまで造られていた四角形の墳墓=マスタバを縦に重ねて階段状に増築していったようです。
マスタバが墓であったように、階段ピラミッドも地下の玄室を中心に神殿などを備えた宗教コンプレックスでした。
紀元前2500年頃にはメンカウラー王、カフラー王、クフ王による「ギザの3大ピラミッド※」が築かれました。
最大を誇るのがクフ王のピラミッドで、底辺各230m・高さ137mの四角錐で、各面は東西南北を指し、傾斜は51.5度に及びます。
この巨大なピラミッドの目的は不明で、宗教コンプレックスの中心的な神殿とする仮説が有力視されていますが、クフ王らの棺はいずれも未発見であることからピラミッド=王墓説も完全には否定されていません。
※世界遺産「メンフィスとその墓地遺跡-ギザからダハシュールまでのピラミッド地帯(エジプト)」
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■中王国時代、新王国時代
ヌビア遺跡群の移転の様子。1964年、アブ・シンベルの神殿全体を20~30tのブロック1,000個以上に切り分けて解体し、5年をかけて約110m西、60m上方に移転しました。カブラシャ神殿やフィラエ神殿などは一度水没しており、水中からの救出となりました
紀元前2100~前1800年頃の中王国時代、首都はナイル川をメンフィスから約500km上ったテーベ(現在のルクソール)に遷されました。
ただ、内乱やヒクソスなどの侵入が相次いで、やがてエジプトは分裂してしまいます。
紀元前1600~前1000年頃の新王国時代、イアフメス1世がヒクソスを破ってエジプト再統一に成功。
首都テーベにはナイル川東岸にカルナック神殿①とルクソール神殿①が並べられ、テーベの守護神アメン神と太陽神ラーが結びついた最高神アメン・ラーを祀る聖地として繁栄します。
新王国の国王トトメス1世やトトメス3世はメソポタミアに攻め込み、ヒッタイトや古バビロニアに勝利。
さらにヌビア(現在のスーダン)を支配して東アフリカからメソポタミアに至る大帝国を築きます。
トトメス1世はナイル川西岸の谷の深くに穴を掘り、内部を装飾した地下墓に自分の遺体を隠しました。
以来、西岸の谷には60を超える王墓が築かれました。
「王家の谷」「王妃の谷」「貴族の谷」と呼ばれるナイル川西岸の死者の町=ネクロポリス①です。
こうして東岸は神殿を中心とした生者の町、西岸は墓や葬祭殿(死者の魂を祀る廟)を中心とした死者の町として整備されました。
紀元前1250年頃、ラムセス2世がヒッタイトと戦い、カデシュの戦いで敗れたのは先述の通りです。
ラムセス2世はカルナック神殿を大幅に増築したのみならず、大神殿・小神殿からなるアブ・シンベル神殿②を造り、遠征の様子をレリーフに残しました。
アブ・シンベル大神殿・小神殿やフィラエ島のイシス神殿がアスワン・ハイ・ダムの建設によって生まれるダム湖に沈んでしまうことから救済プロジェクトがはじまり、これを発端として価値ある遺産を守ろうという機運が高まって世界遺産条約に発展しました。
※①世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡(エジプト)」
②世界遺産「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群(エジプト)」
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次回はインダス文明と古代インドを紹介します。