Study 7:成功する人しない人
先日、東大生ふたり、東大出身の売れっ子教授ふたり、計4人に話を伺った。
こりゃ何をやっても成功するわ、この人たちなら――
すなおにそう思った。
先日家の近くの居酒屋に入った。
老夫婦が経営していたのだが、明らかに閑古鳥が鳴いている。
挨拶も言葉遣いも丁寧だし、人がよいのも伝わってくる。
でもどこかオドオドしていて頼りなく、やはりというか、予想できたのだが料理がまずい。
この人たち、何をやっても失敗するだろうな――
率直にそう感じた。
どちらのタイプがいいとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そういう話ではない。
自分の見込み違いかもしれないし、「成功」なんて求めていない人だっているはずだ。
しかし、成功しそうな人、しそうにない人というのが確実にいる。
あの東大生たちは他の人たちといったい何が違うのか?
まずは情熱。
「これをやりたい」と決めると徹底的にやる。
東大生はふたりとも研究室で行っている実験がとにかく楽しいらしく、深夜まで徹底的にやっている。
誰よりも早く未知を解き明かすために、同様の研究をしている国内はもちろん海外のグループの論文も片っ端から読んでいるし、「自分が解明する」とか「絶対に負けない」という情熱に溢れている。
同時に、ふたりとも研究とはまったく関係がない書籍を出すために原稿を書き、TVにも極力出て、オファーはなるべく断らない。
ぼくも原稿を頼んでいるわけだが、内容・文章もこだわりに満ちていて、完全にオリジナルで他に例がない。
そんな作家活動や芸能活動も「とても楽しい」と言う。
「将来どうするの?」と聞くと、「迷いますねー。でもまだ徹夜すればなんとかなるから、やれるだけやってみます」。
ナポレオンだ。
続いて情報力と問題解決能力。
受験時代の話を聞いたがハンパじゃない。
「東大しか行かない」
4人ともこう決めて、高3の春あたりから授業を捨てて、ひたすら東大に特化した勉強に集中する。
どうしたら合格できるか?
まずは先生や先輩、友人に聞きまくり、本を読みまくって、もっとも効率的な勉強法を導き出す。
とにかく合格最低点さえとれればいいと聞けば、すぐに調べて過去数年分を分析する。
続いて現状の自分の実力を調べる。
ひとりなど、最初は0点だった科目もあったらしい。
次に過去問を分析し、これから身につけるべき知識をピックアップして、それにふさわしい参考書を探す。
これを全科目で出し、入試までの時間を逆算しながら時間対効果で優先順位をつける。
たとえば東大理2の場合、550点満点で合格最低点がだいたい320点。
A君の場合、2次の数学は6問120点満点中40点でいい、と分析した。
40点なら2問正解か、1問正解と2問の部分点でいいので、残り3問は捨てられる。
確率や数列が2問ずつ出ることはないから、確率と数列の勉強をすべて捨てても問題はない。
だから捨てる。
実際の入試で運悪く確率と数列が1問ずつ出たとしても、ひと目見て捨てればいいのだから、他の問題を解く時間的余裕だって生まれてくる。
どうせ2次の問題は全部解けるだけの時間的余裕なんてないのだから。
こんな具合に、全教科で試験戦略を練るわけだ。
こういう試験戦略に対してよくこんな非難をする人がいる。
「試験戦略で東大に入った人間は、社会に出てから使えない」
これに対して教授はハッキリこう言った。
「むしろ勉強せずに楽々東大理3に入ったような天才よりも、試験戦略を駆使して入った人の方が社会では使えます」
先述の居酒屋と空気が似ているフレンチ・レストラン(ビストロ?)が神楽坂にあった。
一応フランス国旗を掲げてはいるけれど、料理はまずいし、ギャルソンにそもそもフレンチの知識がない。
コーヒーカップの向きはバラバラ、ワイングラスに水滴はついてる、客の皿を全然見ない、デザートも忘れてる……
たしかにこちらも安フレンチ・レストランでそんなもの求めちゃいない。
求めちゃいないが、フレンチの激戦区・神楽坂には同価格帯で高級店のようなサービスをさり気なく提供するフレンチ・レストランがいくつもある。
そんな心地よい店のギャルソンは、自分がレベルの高いサービスを行っている自負があるのか、堂々と胸を張って仕事をしている。
それでいながら気軽にフレンチを味わってもらいたいからなのか、少しも片意地張ってない。
気楽なのに、心地いい――
誰だってそんな店に行きたくなるんじゃないか?
先ほどの居酒屋も同じ。
客が何を求めているのかまるでわからず、自分たちのサービスにも味にも自信がないのだろう。
だからオドオドしてオーダーを聞き、料理を出す。
もしあの東大生たちが経営者ならどうするだろうか?
まず、こんな店をどうしても出したい。
そんな理想の店を思い描くだろう。
そしてあらゆる飲食店を食べ歩くだろう。
売れている店と売れていない店を分析し、その理由を探るだろう。
専門家を探し出してきて話を聞きに行くだろう。
立地と客層と売上げの関係を数値化するだろう。
費用対効果や採算ラインを計算し、店のコンセプトを明確化するだろう……
ある問題があるとする。
ある希望があるとする。
それをどのようにしたら実現できるのか?
これを徹底的に分析して徹底的に押し進めていけるのが、彼ら最大の資質だろう。
だから成功する確率が高い。
彼らが成功する確率が高い人種だというのは傍から見てもわかるので、周りの人間も彼らをより信頼するようになる。
たとえばぼくのようなクライアントは彼らに発注すれば楽だし、コンセプト内で自由に展開してこちらの希望の一歩上を行ってくれるので、次回もまた仕事を頼むようになる。
彼らが一歩上を行ってくれると、今度はこちらも「そのアイデアならこのデザイナーを使ってこうしたら楽しくなりますよね!」と話は広がり、作品のレベルはグングン上がり、関わる人間がみんなドキドキワクワクしながら質の高い仕事をするようになる。
こういう人間関係に囲まれているから、彼らはより上を目指すし、また周りが彼らをさらに上へと引き上げる。
* * *
別にそういう生き方がいいとか悪いとか言うつもりはまったくない。
それどころか、ぼく自身はそのような生き方をするつもりはない。
「成功」そのものに興味ないし、分析ではけっして生み出せないものもある。
もっとも、おいしいものを食べたいし、いろんなところへ行きたいし、正直お金はほしいけれど。
まぁなきゃないでなんとでもなるだろう。
居酒屋の老夫婦が成功できそうにないのは想像できるが、また同程度に、彼らが孫に見せる大きな笑顔も想像できるのだ。
もちろん東大の彼らだっていい笑顔をするだろう。
じゃあ何が言いたいのかって?
うーん……
いろんな人にいてほしいってことかなー。