味わう世界遺産4:神の贈り物 チョコレート

テオ・ブロマ。

ギリシア語で「神の食べ物」。

18世紀にスウェーデンの生物学者リンネが名づけたカカオの学名だ。

 

アステカ神話によると、カカオは羽を持つヘビの神ケツァルコアトルが天から持ち帰ったもの。

それを雨と農業の神トラロックが育ててメソ・アメリカ(中米の古代文化地帯)に広めた。

やがてカカオは神となり、エク・チュアフとして崇められた。

 

カカオは何より珍重され、神に捧げられ、あらゆる物と交換された。

そしてカカオから作られるチョコレートは「神の飲み物」として愛飲された。


大航海時代、メソ・アメリカを侵略したスペイン・ハプスブルク家によってチョコレートは「皇帝の飲み物」となる。

製法は門外不出の秘術とされ、チョコレートの存在すら隠された。

 

そしてハプスブルク家が愛したチョコレートの集大成がウィーンの名物「ザッハ・トルテ」だ。

絶世の美女、ハプスブルク皇妃エリザベートは美を保つために過酷なダイエットを行ったことで知られるが、このザッハ・トルテは愛し続けたという。

ウィーンのベルヴェデーレ宮殿
ハプスブルク家の帝都・ウィーンに立つ、「美しい眺め」を意味する夏の離宮・ベルヴェデーレ宮殿。オーストリアの世界遺産「ウィーン歴史地区」構成資産

<DATA>

テーマ:チョコレートを名物とする世界遺産の歴史地区

 

世界遺産:ウィーン歴史地区

     Historic Centre of Vienna

国  名:オーストリア

登 録 年:2001年

登録基準:文化遺産(ii)(iv)(vi)

概  要:もともとスイスの貴族だったハプスブルク家。1273年に同家のルドルフ1世が神聖ローマ皇帝に選ばれ、その後オーストリア王となったことから拠点都市ウィーンを建設し、移住した。15世紀以降、ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝を独占し、結婚政策によって全世界にまたがる「太陽が沈まぬ帝国」を建てる。その間、ウィーンは帝都としてあり続け、大いに繁栄した。ウィーンの名物がチョコレートの王様=ザッハ・トルテで、ハプスブルク家の皇帝・皇妃に愛された。


世界遺産:オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡

     Historic Centre of Oaxaca and Archaeological Site of Monte Alban

国  名:メキシコ

登 録 年:1987年

登録基準:文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)

概  要:紀元前1,000年頃から繁栄を続けたサポテカ文明の中心地がモンテ・アルバンだ。サポテカはマヤやテオティワカンをはじめ、メソ・アメリカ全域に影響を与えた古代文明で、11世紀前後まで2,000年以上にわたって繁栄した。その後ミステカがモンテ・アルバンを再興するが、1521年にスペインによって滅ぼされ、破壊された。スペインが造った植民都市がオアハカ歴史地区。オアハカは古来カカオの名産地で、その名物がチョコレートを使った黒いソース=モレ・ネグロだ。


世界遺産:プエブラ歴史地区

     Historic Centre of Puebla

国  名:メキシコ

登 録 年:1987年

登録基準:文化遺産(ii)(iv)

概  要:サポテカに代わってモンテ・アルバンを支配したミステカ文明の地。陶器に適した土の産地で、スペイン人がタラベラ焼きをはじめて繁栄した。イベリア半島は長らくイスラム王朝の土地だったため、当時のスペイン人はイスラム芸術の影響を受けており、そのためタイルで彩られた美しい街並みはスペイン・イスラム・インディヘナ(アメリカ先住民)の影響が感じられる独特の街並みとなった。オアハカ同様、チョコレートを使ったソース=モレ・ポプラーノが名物。

 

* * *

ミステカのヌッタル絵文書
カカオトルを飲むミステカ王(ヌッタル絵文書)。ミステカはカカオの名産地で、そのためアステカに支配されたこともあった。メキシコのオアハカ州、プエブラ州にまたがる地方で、のちにチョコレート・ソース、モレ・ネグロやモレ・ポプラーノが生まれた

カカオはとても栄養価の高い豆。

大量の脂質を含んでいてカロリーが高く、各種ビタミン&ミネラルも豊富。

食物繊維、ポリフェノール、カフェイン、オレイン酸、テオブロミン、アルギニン、GABA等々有用な成分が多い。

そのためメソ・アメリカにおいて人類は3,000~4,000年も前からカカオを栽培し、栄養剤、胃腸薬、解熱剤、鎮痛剤、強壮剤、催淫剤として利用してきた。


人々はカカオにトウガラシなどのスパイスやトウモロコシなどの穀物と混ぜ合わせてすりつぶし、できた粉を水に溶かして飲んでいた。

この頃アメリカ大陸にサトウキビはなかったから、当然砂糖もなかった。

このチョコレート飲料=カカオトルはきわめて苦いものだったようだ。

 

メソ・アメリカ最古の文明といわれるオルメカ文明(紀元前1500年~紀元前後)で、カカオトルはすでに「神の飲み物」として扱われていた。

カカオが収穫されると神に捧げられ、王や貴族のみが口にすることを許された。

 

マヤ文明(紀元前4~後16世紀)でカカオはそのままエク・チュアフという神として崇められた。

エク・チュアフは同時に戦争の神でもあったから、カカオを巡って戦争が絶えなかったからなのかもしれない。

メキシコの「古代都市テオティワカン」
メキシコの世界遺産「古代都市テオティワカン」のケツァルコアトル神殿。左が雨の神トラロック、右がケツァルコアトル。カカオの壁画もあったりする

アステカ文明(13世紀~1521年)において、冒頭で紹介したケツァルコアトルが天からカカオを持ち帰る神話が広まった。

ケツァルコアトルはやがて天に帰ってしまったが、セ・アカトル(一の葦の年)に地上に戻り、人々を救うと伝えられていた。

 

そして1519年。

セ・アカトルの年。

スペイン人コンキスタドール(征服者)、エルナン・コルテスがメキシコの地に上陸。

ケツァルコアトルは人の姿に化身する際には白い肌を持つという伝説も手伝って、アステカ王モクテスマ2世は白人であるコルテスを神の遣いとしてもてなし、カカオトルを振る舞う。

おそらく、西欧人がはじめてチョコレートを口にした瞬間だ。

 

1521年。

コルテスはアステカの首都テノチティトランを攻撃して徹底的に破壊。

これを手始めに、まもなくスペインはメソ・アメリカ一帯を征服する。

 

黄金を求めてメソ・アメリカをくまなく探検するうちに、コンキスタドールたちは各地の王や貴族たちが黒くて苦い水を好んで飲み、カカオが貨幣として使われていることに気づく。

そしてその苦い水の栄養価が非常に高く、ジャングルを踏破する際の強壮剤となり、また疲れを癒す滋養剤になることを知る。

こうしてカカオトルはスペイン人たちの間に浸透していく。

 

1527年。

スペインに帰還したコルテスは国王カルロス1世にカカオを献上。

ヨーロッパにおけるチョコレート史の幕が開ける。

 

* * *

カカオ
カカオ。メソ・アメリカでは、数十粒でニワトリやウサギ、100粒前後で奴隷と交換できたという

当時のヨーロッパの政治状況を見てみよう。


スペイン王国が成立したのは、アラゴン国王フェルナンドとカスティリャ女王イザベルが結婚し、連合王国ができた1479年のこと。

そして1492年にはイスラム王朝ナスル朝を倒してレコンキスタ(国土回復運動)が完結。

イベリア半島を統一した。

 

一方。

オーストリア・ドイツの地では翌年の1493年、ハプスブルク家のマクシミリアンが神聖ローマ皇帝に即位。

そのマクシミリアンの言葉がこれだ。

「戦争は他家に任せよ。幸多きオーストリア、汝結婚せよ」

 

オーストリアを治めるハプスブルク家はこうして政略結婚を押し進めた。

自らはブルゴーニュ伯と結婚してネーデルラント(フランス東部、オランダ、ベルギー周辺)を獲得。

そして息子フィリップをスペインのフェルナンドとイザベルの娘ファナと結婚させる。

 

ふたりの間に生まれた息子がカルロスだ。

カルロスは1516年にカルロス1世としてスペイン王に即位。

さらに1519年、カール5世として神聖ローマ皇帝の座をも射止める。

 

これ以後もハプスブルク家は結婚政策を押し進め、オーストリア、ドイツ、ネーデルラント、スペイン、ハンガリー、中南米のほとんど、アフリカやインド沿岸の一部、フィリピン等を手に入れて、「太陽が沈まぬ帝国」を築く。


* * *

パリのベルサイユ宮殿
ベルサイユ宮殿。ルイ14世は水なき荒野に水を引き、大地を刻んで宮殿と庭園を造り、神に変わって地上を征服する者であることを誇示した(王権神授説)。世界遺産「ベルサイユの宮殿と庭園」、平面幾何学式庭園・南花壇
ショコラ・ショー
ショコラ・ショー。当時は油脂を除く技術がなかったため溶けにくく、かなりドロドロしていたらしい

スペインにもたらされたチョコレートだったが、カカオの苦みにもトウガラシの辛みにも慣れていないヨーロッパの人々の口には合わなかった。

そこで苦みをマイルドにするために砂糖を加え、辛みを除くためにトウガラシを抜き、高い香りを加えるためにバニラやシナモンを添加し、いつしかよく溶け合うようにお湯を使うようになった。

ショコラトル、フランスでいうショコラ・ショー(ホット・チョコレート)だ。


これが王家や貴族の間で大ヒット。

栄養価が高いため断食にも適しているということで聖職者にも愛された。

 

さっそくスペインは中南米でカカオ・プランテーションを造って栽培を開始。

カカオはもちろん、その製法も門外不出の秘術とされ、専門の技術者(のちのショコラティエ)のみが独占した。

このため17世紀に入るまで、チョコレートはスペイン以外に広まることはほとんどなかった。

 

1601年。

スペイン・ハプスブルク家フェリペ3世の娘に王女アンヌ・ドートリッシュが生まれる。

彼女の好物がチョコレート。

そして1615年、アンヌはハプスブルク家の天敵、フランス・ブルボン家のルイ13世に嫁ぐ。

このときアンヌはショコラティエを連れてパリのルーブル宮殿(現在のルーブル美術館。世界遺産「パリのセーヌ河岸」登録)へ移り住み、チョコレートをフランスの貴族たちの間に流行らせた。

 

そしてルイ13世とアンヌの息子がフランス絶対王政を築き上げた太陽王ルイ14世だ。

1660年、ルイ14世はオーストリア・ハプスブルク家のマリー・テレーズと結婚する。

マリーの好物もやはりチョコレートで、こんな言葉を残している。

「王とチョコレートこそ我がふたつの情熱」

 

ルイ14世は「宮殿の中の宮殿」といわれるベルサイユ宮殿を建築(世界遺産「ベルサイユの宮殿と庭園」)。

マリーは庭園でチョコレート・パーティを開き、人々にショコラ・ショーをふるまったという。

リオタール「チョコレートを運ぶ小間使い」
リオタール「チョコレートを運ぶ娘」1744-45年、ドレスデン国立絵画館

ルイ13世、ルイ14世の時代はフランス料理が完成する時代でもあった。

素材を活かすシンプルな調理法や、ナイフ・フォークを使った上品なマナー、コース風の料理展開はイタリア式のもので、1533年にフィレンツェ・メディチ家の娘カトリーヌ・ド・メディシスがフランス王アンリ2世に嫁いだときにもたらされたものだ。

これが世界中の芸術を集めたルイ13世、ルイ14世の時代に完成し、料理も礼儀作法も世界最先端といえるほどに洗練された。

 

ルイ14世は自国の貴族や他国の王をベルサイユ宮殿に集めては、豪華絢爛たる宮殿・庭園・料理で圧倒し、自分が王の中の王であり、神の使者としてこの地上を征服する者であることをこの言葉で宣言した。

「私の中には太陽が宿っている」

 

その影響力は絶大で、ベルサイユの宮殿や庭園はドイツのサンスーシ宮殿、オーストリアのシェーンブルン宮殿、スウェーデンのドロットニングホルム宮殿、ロシアのペテルゴフ宮殿、中国の円明園等々、各国の絶対君主や啓蒙専制君主によって模倣された。

当然、フランス料理とともにチョコレートも世界へと広まった。

 

17世紀後半には欧州各地にチョコレート・ハウスがオープンし、貴族の間でショコラ・ショーが愛飲された。

この時代、コーヒーを飲ませるカフェや紅茶を提供するティー・ハウスも浸透したが、ショコラ・ショーこそ最高級で、コーヒーや紅茶の3倍以上の値が付けられたという。

 

18世紀。

チョコレートはビスケットやケーキに混ぜられ、食べ物としてのチョコレート菓子が登場。

そして19世紀はじめ、ヨーロッパ中の貴族が憧れたチョコレート・ケーキ、「ザッハ・トルテ」が誕生する。

 

* * *

ウィーンのシェーンブルン宮殿
ハプスブルク家の離宮、シェーンブルン宮殿。ウィーンにあるものの、世界遺産「ウィーン歴史地区」とは別に「シェーンブルン宮殿と庭園群」という名で世界遺産登録されている。6歳のモーツァルトが7歳のマリー・アントワネットに求婚したのがここ

1832年のある日。

オーストリア宰相メッテルニヒは自分がホストをしたパーティで、美食を食べ尽くした貴族たちを唸らせる特別なデザートを出すことをシェフに注文する。

しかしながら、肝心のシェフは急病で欠席。

急遽デザートの制作は弱冠16歳の弟子フランツ・ザッハに任されることになった。

 

フランツが考えたのはチョコレートを用いたケーキ。

当時、まだボンボン・ショコラ(1粒大のチョコレート)やいわゆる板チョコは存在せず、チョコレートは水やお湯に溶かして飲むもの。

あるいはパンやクッキーの生地に混ぜて使うものだった。

 

フランツが求めたのはもっと濃厚で香り高いチョコレート。

そこで砂糖と水飴を混ぜたものを攪拌し、ここにチョコレートを加えた。

いわゆるフォンダンだ。

 

フランツはこのショコラ・フォンダンでケーキを覆い、爽やかさを添えるためにアプリコット・ジャムを入れてケーキを制作。

これまでにない真っ黒なチョコレート・ケーキを開発した(別説あり)。

 

メッテルニヒのもとに集まったグルマンディーズ(美食家)たちはこの見たことも聞いたこともないケーキに大満足。

ケーキにはフランツの名が冠され、「ザッハ・トルテ」の名はヨーロッパ中に鳴り響いた。

ザッハ・トルテ
チョコレート・ケーキの王、ザッハ・トルテ

1876年。

フランツの息子エドゥアルドがザッハ・ホテルをオープン。

ザッハ・トルテはホテルの名物として提供され、そのレシピは門外不出とされた。

 

ザッハ・トルテを誰よりも愛したといわれるのがハプスブルク家当主フランツ・ヨーゼフ1世の皇妃エリザベートだ。

この頃までに、ハプスブルク家はスペインをフランス・ブルボン朝に譲り、ドイツではプロイセンが独立。

オーストリア継承戦争で疲弊し、フランスにマリー・アントワネットを嫁がせたが処刑され、ナポレオンに敗れて神聖ローマ帝国が消滅……

衰退の一途をたどり、かろうじてオーストリア=ハンガリー二重帝国を治めていた


ハプスブルク家はこの時代、政治的な野望は断念していたともいわれる。

代わりに芸術を愛し、アーティストたちを庇護した。

ウィーンにはモーツァルトやベートーベン、クリムトやシーレといった天才が集い、華麗な文化が花開いていた。

 

そしてヨーゼフ1世は城壁を取り去り、リンク・シュトラーセという環状道路を整備して、その内部に美しい街並みを築いた。

これが現在見られる世界遺産「ウィーン歴史地区」だ。

 

エリザベートの美貌はヨーロッパ一と称された。

その美を保つためにあらゆる化粧品をそろえ、美容術を試み、過酷なダイエットに励んだという。

しかしザッハ・トルテを愛し続け、しばしばホーフブルク宮殿(世界遺産「ウィーン歴史地区」)やシェーンブルン宮殿(世界遺産「シェーンブルン宮殿と庭園群」)を抜け出し、お忍びでザッハ・トルテを買い求めたという。

 

ところがこの頃、ザッハ・ホテルは経営危機を迎える。

これを支援したのがデメルだ。

ウィーンのブルク劇場
ウィーンのブルク劇場。かつてデメルはこの正面にあり、地下通路で王たちにお菓子を届けていたとか。世界遺産「ウィーン歴史地区」構成資産

デメルは1786年創業の老舗ケーキ店。

1799年にハプスブルク家御用達となり、「デメルを訪れずしてウィーンを語るなかれ」といわれるほどの名店になった。

現在もハプスブルク家の紋章「双頭の鷲」をブランドマークとして使用しており、その誇りがうかがえる。

 

デメルは資金援助の代償としてザッハ・トルテの販売権を獲得。

こうしてデメルのメニューにもザッハ・トルテが登場することになる。

一説では、ザッハ・ホテルの息子がデメルの娘と結婚し、レシピが漏れたという説もあるが定かではない。

 

しかしまもなく、デメルがレシピを公開したことからホテル・ザッハは販売中止を求めてデメルを提訴。

7年にわたる裁判ののち、両者にザッハ・トルテの販売を認める代わりに、異なる名称を使うことが定められた。

 

現在オーストリアではホテル・ザッハのものは”Original Sacher-Torte”(オリジナル・ザッハ・トルテ)、デメルのものは"Demel's Sachertorte"(デメルのザッハ・トルテ)という名称で発売されている。


両者のザッハ・トルテの最大の違いはアプリコット・ジャムの扱いだ。

ホテル・ザッハではジャムをトルテ層に挟み込んであるのに対し、デメルはトルテ層の上に塗るのみとなっている。


アメリカ大陸のプランテーションからもたらされたこれ以上ない苦みを持つカカオと、このうえない甘みを持つ砂糖。

両者を合わせて作られたザッハ・トルテは、「太陽が沈まぬ帝国」を治めたハプスブルク家らしいケーキ。

その象徴とすら思えてくる。


砂糖菓子であるからその甘みは強烈。

カカオの粉末をそのまま用いるから苦み・香りも痛烈。

しかし、中に入ったアプリコット・ジャムの酸味が重さを切り、ケーキに添えられた甘みのない生クリームとブラック・コーヒーが口を引き締める。

ザッハ・トルテというのはこれらが一体となったものをいうのだろう。

 

人間の力への憧れ。

苦み・甘さへの憧れ。

健康・快楽への憧れ。


ハプスブルク家が追い求めた夢が、この一皿に込められている。

 

* * *

プエブラ歴史地区
メキシコのオアハカやプエブラといった世界遺産の植民都市は、パステルカラーで彩られたこうしたコロニアル式の家並みが魅力的。世界遺産「プエブラ歴史地区」の景観
オアハカのサント・ドミンゴ教会
オアハカのサント・ドミンゴ教会。世界遺産「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡」構成資産

話をメソ・アメリカに戻そう。

 

スペイン襲来後、メソ・アメリカにも貨幣がもたらされ、通貨としてのカカオの役割は終わる。

そしてプランテーションから持ち込まれた安価なカカオによって、チョコレートは食材として新しい展開を迎えていた。

 

もともとメソ・アメリカの人々は、ニンニクやタマネギ、トマトといった野菜にトウガラシやコリアンダー、オレガノ、アニスといったスパイスを加えて煮込んで「モレ」を作っていた。

モレとは、メソ・アメリカの言葉でソースやスパイス・ミックスの意味。

これで肉や魚を煮込んで食べていた。 

そしてオアハカ州やプエブラ州でカカオトルを加えたモレが登場する。

 

オアハカ州やプエブラ州は古代からのカカオの名産地。

カカオは貨幣であったから、その木はまさに「金のなる木」。

そのおかげもあったのだろう、サポテカ(紀元前1000~後11世紀頃)はメソ・アメリカ最古といわれる文字を持つ文明で、オアハカ州のモンテ・アルバンを中心に2,000年以上にわたって繁栄した。

11世紀に衰退すると、代わってモンテ・アルバンを支配し、オアハカ州やプエブラ州を治めたのがミステカだ。

ミステカ王がカカオトルを愛飲していたのは先に紹介したヌッタル絵文書「カカオトルを飲むミステカ王」のとおり。


そしてスペインによる征服後、オアハカ州とプエブラ州には大聖堂や教会・修道院が建てられ、植民都市が形成された。

それが世界遺産に登録されている「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡」であり、「プエブラ歴史地区」だ。

 

スペインにおいて、チョコレート飲料=ショコラトルは断食に最適ということで聖職者たちに人気が高かった。

オアハカやプエブラでもココアトルはスペイン式に飲まれるようになり、砂糖が加えられ、お湯で飲まれるようにもなった。

ポヨ・エン・モレ・ネグロ
モレ・ポプラーノ。日本ではメキシコのチョコレート・ソースは一般的に「モレ・ソース」といわれるが、実は「モレ」自体がソースという意味を持つ

一説では、プエブラにあるサンタ・ロサ修道院(現プエブラ州立民芸館)の修道僧たちが司祭に提供する料理を考えているときに、カカオトルを使ったソースを発明したのだという。

でも個人的には、あれだけ普及しているソースなのだから、それ以前に現地の人たちも料理に使っていたのではないかと思ったりする。

 

とにかく、そのソースは「プエブラのソース」ということで、モレ・ポブラーノと呼ばれた。

一方、オアハカでは「黒いソース」を意味するモレ・ネグロという名がついている。

 

もともとは精力剤・催淫剤の意味もあって結婚式などの祝いの席で出される高級料理だったようだ。

しかしいまでは市場の食堂でも食べられるほど普及し、モレ・ポプラーノもモレ・ネグロも店ごと家庭ごとレシピがあったりする。

日本のカレーのようなもので、チョコレートやスパイスを入れるという以外に、もはやこれという定形はないようだ。


モレはソースであるから、チョコレートはあくまで苦み&香り付け。

上手に調理された料理、たとえばポヨ・エン・モレ・ポプラーノ(ニワトリのモレ・ポプラーノ煮込み)はチョコレートのほのかな苦みと香り、スパイスの辛み、野菜を煮込んだ甘み、そして煮込まれた肉のうま味が溶け込んで、すばらしい一体感を醸し出す。

 

カレーやシチューの隠し味のようなもので、チョコレートが入れてあることは、集中しなければさほど感じない。

香りと味を重層的に構築したすばらしいソースなのだ。

 

こうしてヨーロッパでチョコレートはデザートに発展し、メソ・アメリカではソースとして飛躍した。

そしていまやチョコレートは世界でもっとも愛される食材のひとつとなった。

 

* * *

さて。

今回の名物、ショコラ・ショーやザッハ・トルテは全国の洋菓子店、モレ・ソースはメキシコ料理店で味わうことができる。

でも、日本で食べるものはウィーンやオアハカで食べたものとはまったく違うというのがぼくの印象だ。

だからこそ、世界遺産「ウィーン歴史地区」や「オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡」「プエブラ歴史地区」に行って楽しんでほしい!

 

たとえばザッハ・トルテ。

ザッハ・トルテというとたいていチョコレートとかガナッシュのケーキが出てくる。

でも、ザッハ・トルテができた時代にはそうした固形のお菓子としてのチョコレートは存在しなかった。

周囲にかかっているのは砂糖と水飴を煮詰めたショコラ・フォンダンだから、猛烈に甘い。

甘ったるい。

だからこそアプリコット・ジャムの酸味が引き立つというものだ。

 

こうしたものはやはり帝都ウィーンだからこそ。

ハプスブルク宮廷都市の空気があってこその味わいなのだと思う。

 

どうしても日本で本場のザッハ・トルテが味わいたい!

そんな人は、デメルだったら日本に支店がたくさんあるし、通販でも手に入るので、そちらをぜひ。

かなりお高くなるけれど、ザッハ・ホテルのものもオーストリアから取り寄せ可能だ。

 

デメル(デメル・ジャパンの日本語公式サイト)

ザッハ・ホテル(公式サイト。英語/ドイツ語)

 

モレ・ソースの方は……

本場メキシコでも店によって結構味が違う。

現地でも本当においしいお店は探さなければならないし、まして日本にはあるんだろうか。

ぼくは知らないので、おいしいメキシコ料理店、特にオアハカやプエブラ料理の店を知っていたらぜひ教えてください!

 

 

[関連サイト]

古代都市テオティワカン/メキシコ 

ベルサイユ宮殿/フランス

ウィーン歴史地区/オーストリア

 


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創造都市リスト

 

<世界遺産の見方>

知性的鑑賞法

感性的鑑賞法

異文化理解の方法論

正しい・間違いの基準

星と大地と古代遺跡

 

<味わう世界遺産>

.王様のワイン トカイ

.命の水 テキーラ

.ポルトガルの宝石 ポート

.神の贈り物チョコレート

 

<世界遺産で学ぶ世界の歴史>

.宇宙と地球の誕生

.地球と火山活動

.大陸移動と世界の形成

.生命の誕生 先カンブリア時代

.生命の進化 古生代から新生代へ

.人類の夜明け

.戦争の時代 ~メソポタミア

.古代エジプトの繁栄

.インダス文明と古代インド

10.長江・黄河文明と古代中国

11.欧州巨石文化とエーゲ文明

12.古代ギリシアの繁栄

13.アレクサンドロスとヘレニズム

14.シルクロードとクシャーナ&漢

15.東南&東アジア,アフリカの古代

16.南北アメリカ大陸の古代文明

17.共和政ローマと帝政ローマ

18.ローマの平和、そして分裂へ

19.民族大移動と西欧の形成

20.東欧の形成とビザンツ帝国

21.東西教会の分裂と十字軍

22.イスラム教とペルシア・アラブ

23.イスラム帝国の分裂

24.イスラムの拡散-インド,アジア

25.アフリカの交易とイスラム教

26.隋・唐・宋の時代

27.北方騎馬民族とその周辺

28.モンゴル帝国の世界征服

29.オスマン,サファヴィー,ムガル

30.中世ヨーロッパの飛躍

31.修道院とロマネスク&ゴシック

32.イギリス・フランスと百年戦争

33.ハプスブルク家とレコンキスタ

34.大航海時代

35.ルネサンス

36.宗教改革

37.絶対王政とオランダの台頭

38.三十年戦争とイギリス革命

39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア

40.明と清の繁栄

41.東・東南アジアの植民前史

42.産業革命とアメリカ独立革命

43.フランス革命とナポレオン

44.ウィーン体制と七月・二月革命

45.イタリアとドイツの成立

46.帝国主義と米英仏

47.アジアの衰退・植民地化

48.清、朝鮮、江戸の開国・滅亡

49.世界分割

50.第一次世界大戦

51.ファシズムと世界恐慌

52.第二次世界大戦

 

<世界遺産写真館>

1.文化交差路サマルカンド1

2.文化交差路サマルカンド2

3.アッパー・スヴァネティ

4.グラナダのアルハンブラ宮殿1

5.グラナダのアルハンブラ宮殿2

6.コトル

7.プレアヴィヒア寺院

8.福建の土楼1

9.福建の土楼2

10.フォンニャ-ケバン国立公園1

11.フォンニャ-ケバン国立公園2

12.カタルーニャ堂とサンパウ病院1

13.カタルーニャ堂とサンパウ病院2

14.オフリド地域1

15.オフリド地域2

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