エロジー3:文化SM論
あなたはなぜおいしいものを食べるのか?
おいしいからですな。
おいしいものを食べることはしかし無駄ですの。
栄養さえ採れていればいいのでしたら栄養剤でもいいわけですから。
考えてもみてください。
もとより人が何かを感じる必要なんてあったわけですかいの?
機械のように食材の成分を分析すればよかったわけで、イチイチうま味やら痛みやら快楽やらを感じる必要はなかったはずです。
見た目は人間と同じ。
叩けば痛がるしぐさをするし、いい音楽を聴けばうっとりするフリはするけれども、脳に電気信号や化学信号が流れているだけ。
反応も人間とまったく同じで感覚も感情もない機械のような人間。
それで十分じゃありませんか。
ところが人はイチイチうま味や痛みや気持ちよさを感じる。
このすばらしき無駄。
うまいものを食べるのも無駄。
美しいものを着飾るのも無駄。
キレイな絵を描くのも無駄。
人間活動はすべて無駄・無意味。
「いや、意味があるはずだ」
強情ですの。
どんな意味があるのですかな?
人類の存続?
社会の発展?
ふむ、してその意味は?
また延々これを繰り返すだけですぞ。
そしてあなたはいずれ考えるのをやめる。
意味があるはずだと言いながら自分から意味を放棄する矛盾。
そして最後は神秘や無意味に身を委ねる。
「意味がなくては生きていても仕方ない」
無駄・無意味とはすなわち遊び。
遊びとは快楽。
そして世界は遊園地。
これほどの快楽があるのに生きていても仕方ありませんか?
文化はすべて無駄・無意味です。
しかしの、快楽はその無駄・無意味に潜んでいるわけです。
音のルールで縛り上げて美しい一曲を作曲する。
味のルールで縛り上げて美味な一皿を調理する。
文化とは、快楽のルール=縛りをつむぎあげる活動。
SMですな。
快楽をアートと呼びましたが少し美しすぎる言葉なので、ここではエロスと呼びましょう。
美しい音楽を奏でるように、無駄なルールで縛り上げて可憐を装い、エロスを追究していきましょう。
ようこそいらっしゃいました。
エロスの世界へ。