世界遺産と世界史37.絶対王政とオランダの台頭

ピエール・パテル「ベルサイユ宮殿と庭園の眺め」1668年、ベルサイユ宮殿美術館
ピエール・パテル「ベルサイユ宮殿と庭園の眺め」1668年、ベルサイユ宮殿美術館。絶対王政の象徴であるベルサイユ宮殿は現在でも十分巨大だが、当初は現在の10倍、10,000ha超(東京ドーム2,000個分以上)という規模を誇った

絶対君主政とは、君主に統治の権力を集中させた政治体制をいう。

絶対君主が国王である場合、これを絶対王政と呼ぶ。


ちなみに、権力に制限が加えられる場合は制限君主政となり、憲法が制限する場合は立憲君主政、権力がほとんどない日本の天皇のような場合は象徴君主政と呼ばれる。


中世・近世のヨーロッパは大司教・司教や諸侯・騎士といった支配階級をトップとする封建社会で、荘園の中で農奴が農業を行っていた。

一応、教皇が皇帝や国王・大司教・司教を指名し、国王が諸侯や貴族や騎士を承認する形をとってはいたが、皇帝や国王は実質的に諸侯や騎士の代表者にすぎなかった。


たとえば神聖ローマ皇帝はハプスブルク家に世襲される前、ドイツの司教や貴族から選挙で選ばれるものとされていた。

皇帝に選ばれてもどうこうできるのは自分の土地だけで、たとえばハプスブルク家の皇帝でも自由が利くのはオーストリアのみ。

他の司教や諸侯の土地に口出しはできなかった。

だから「神聖ローマ帝国」といっても確固たる領土があったわけではなく、小国が集まった連合体のようなものにすぎなかった。

差はあるものの、基本的にこれは中世・近世のヨーロッパのいずれの国でも同様だ。

 

絶対王政ではこれとは違って国、特に国王に権力が集中した。

 

こうした権力の移動が起こった理由のひとつは商業の拡大だ。

11世紀以降の商業ルネサンス(地中海貿易や北海・バルト海貿易)や15世紀以降の大航海時代に商業が拡大し、貨幣経済が浸透。

同時に毛織物業や金融業が発達して都市が繁栄し、農業を行う諸侯や騎士以上に豊かになった。

都市は城壁で街を囲んで軍を持ち(城郭都市)、やがて国王や皇帝に税を納める代わりに特権を得て自治都市となる。

絶対王政期の国々はこうした都市やギルド(職業組合)といった社団を後ろ盾としたことから社団国家とも呼ばれる。

世界遺産「シェーンブルン宮殿と庭園群」
オーストリア・ハプスブルク家がベルサイユ宮殿を凌駕しようと建設したシェーンブルン宮殿。この時代、絶対君主・啓蒙専制君主の下で多くの宮殿が建設された。世界遺産「シェーンブルン宮殿と庭園群」構成資産

農業の変化も影響を与えた。

貨幣経済が浸透すると、諸侯や騎士は農奴に土地を貸し出し、地代を貨幣で納めさせた。

三圃制(冬耕地・夏耕地・休閑地で3年かけて輪作を行うこと)や重量有輪犂などの導入で農業技術が飛躍的に高まると、余剰作物が生まれて農民が富裕化し、やがて独立自営農民としてひとり立ちする者も現れた。

また、ペストや戦争によって農民が減少すると農奴の引き抜きが行われ、待遇が大幅に改善された。

一方で、恵まれない農奴たちの中には荘園を捨てて都市に逃げる者が現れ、場合によっては自由民になることができた(「都市の空気は自由にする」)。


そして決定打となったのが戦争だ。

11~13世紀、諸侯や騎士たちは借金をして十字軍に参加したが、ほとんど得るものなく敗退。

14~15世紀の100年戦争やバラ戦争でフランスやイギリスの国土が荒廃して諸侯や騎士が没落。

借金を返せぬ貴族層は土地を国や都市に売ったため、ますます国と都市が強大化した。

また、こうした国家間の争いや戦争が頻発したため、国に権力を集中して他国に対抗する必要に迫られた。

そして国境を画定し、強力な常備軍を設置すると同時に徴税を行う行政組織(官僚制)を整備して、国王を唯一の代表者として祭り上げた。

いわゆる主権国家の誕生だ。


そして軍と官僚の維持に必要なお金を稼ぐために海外に進出して貿易を振興(重商主義)。

商人同士が競い合うと価格破壊が起こるので、各国とも東インド会社を作って独占させた。

当初は金や銀といった資源を手に入れるために海外に進出し、やがては奴隷貿易やプランテーションの経営・商工業の輸出入先として植民地経営に乗り出した。

これにより、国は都市や諸侯ではたちうちできない莫大な富を手に入れ、絶対王政を推進していく。


こうして諸侯・騎士は次第に没落し、権力は国王に集中していくのだが、それを裏付けたのが王権神授説だ。

「国王は神の代理として地上を治める者であり、神聖不可侵である」という考え方で、王の絶対的な権力を神の名の下に肯定した。


以下では絶対王政の典型といわれるフランスの例を見てみよう。

なお、啓蒙専制君主政については「世界遺産と世界史39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア」で述べる。


* * *

 

世界遺産「パリのセーヌ河岸」テュイルリー庭園
テュイルリー宮殿。奥に見えるのがルーブル美術館。ここにはカトリーヌ・ド・ メディシスが建設したテュイルリー宮殿があったが、1781年のパリ・コミューンで破壊された。世界遺産「パリのセーヌ河岸」構成資産

<フランスの絶対王政>

 

フランスではアルビジョワ十字軍やイギリスとの百年戦争を通して諸侯や騎士が没落し、中央集権化が進んでいた(「世界遺産と世界史32.イングランド・フランスと百年戦争」参照)。

しかし、16世紀にはカルヴァン派のプロテスタント=ユグノーたちの新教派とカトリックの旧教派の対立が深刻化し、国を二分する騒ぎに発展していた。


この頃実権を握っていたのは、10歳で国王となったシャルル9世の母にして摂政であるカトリーヌ・ド・ メディシス。

イタリア・メディチ家の娘で、メディチ家と教皇庁との関係が濃かったことからどちらかといえば旧教派に近かった。


1562年、カトリーヌ・ド・ メディシスが信仰の自由を認めたことに反対し、旧教派のギーズ公が反発して74人の新教派を殺害。

ユグノー戦争が勃発する。


カトリーヌ・ド・ メディシスは両派の融和を図るために、娘のマルグリットと新教派でブルボン家の当主アンリとの結婚を計画し、1572年8月18日に式が行われた。

ところが、勢力を伸ばした新教派はオランダ独立戦争への参戦を主張。

これは旧教国であるスペインとの戦争を意味するため、旧教派は新教派の一掃を決意する。

サン・バルテルミの祝日である8月24日、旧教派は大祭に出席したユグノーたちを虐殺すると混乱は国中に広がった(サン・バルテルミの虐殺)。


その後、新教派のイギリス、ネーデルランド、ドイツ諸侯、旧教派のスペインを巻き込んで内戦は複雑化。

そんなときシャルル9世が崩御し、続くアンリ3世が暗殺されるとヴァロワ家は断絶してしまう。

世界遺産「シャルトル大聖堂」
アンリ4世が戴冠式を行った世界遺産「シャルトル大聖堂」。フランス王家はランスのノートル・ダム大聖堂で戴冠していたが、この頃、新教派の手に落ちていたためにシャルトル大聖堂が選ばれた

先のアンリがアンリ4世として即位してブルボン朝が成立するが、旧教派はプロテスタントの国王を認めることができずにパリ①を封鎖し、別の王の擁立を図る。

フランスを二分する混乱に対し、アンリ4世は1593年にサン・ドニ大聖堂②でカトリックに改宗し、翌年シャルトル大聖堂③で戴冠式を行った。

1598年、アンリ4世はカトリックをフランスの国家宗教であると宣言しつつ、信仰の自由を認めるナントの王令を発布し、ユグノー戦争に終止符を打った。

とはいっても、アンリ4世は1610年にカトリック狂信者によって暗殺されてしまう。

※①世界遺産「パリのセーヌ河岸(フランス、1991年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ②フランスの世界遺産暫定リスト記載

 ③世界遺産「シャルトル大聖堂(フランス、1979年、文化遺産(i)(ii)(iv))」


フランスはこうしてカトリックに留まったものの、プロテスタントをも認めて教皇による支配からも脱することができた。

これが中央集権化を一層後押しすることになる。


[関連サイト]

シャルトル大聖堂/フランス

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世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」ブロワ城
ルイ12世、フランソワ1世、アンリ3世、アンリ4世等が居城としたブロワ城。王たちはパリの宮殿とともに、ロワール渓谷の城にもしばしば滞在した。世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」構成資産

フランス絶対王政はブルボン朝の下で最盛期を迎える。


アンリ4世の跡を継いだルイ13世が8歳で即位すると、母であり摂政のマリー・ド・ メディシスと側近のコンチーニで政治を進めるが、諸侯の圧力を受けて三部会(第一身分=聖職者、第二身分=貴族、第三身分=都市・農民という三部の代表者からなる身分制議会)が召集されるなど、宗教や身分を巡って対立は続いていた。

ルイ13世がスペインのフィリップ3世の娘アンナと結婚すると、旧教派が力をつける一方で新教派はこれに対して反乱を起こす。

こうした動きを見ていたルイ13世は母をブロワ城※に幽閉してコンチーニを暗殺。

リシュリューを宰相として自らの政治を推し進めていく。

※世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷(フランス、1981年、2000年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv))」


ルイ13世は三部会の開催を中止して人々の声をシャットアウト(以後、ルイ16世が1789年に開催するまで開かれていない)。

貴族を政府から追放しつつ、官僚を登用して中枢に据え、重商主義を推進して海軍力を増し、北アメリカや大西洋で植民地を拡大してケベック①やレユニオン島②を獲得した。

また、反乱を起こしていた新教派を打ち破ると諸侯の城を破壊し、徹底的に鎮圧。

1618~48年にオーストリアのボヘミア(ベーメン)ではじまった三十年戦争では、神聖ローマ皇帝を世襲するハプスブルク家に対抗するため旧教国であるにもかかわらずドイツ諸侯側(新教側)に立って戦い、アルザスを手に入れている。

※①世界遺産「ケベック旧市街の歴史地区(カナダ、1985年、文化遺産(iv)(vi))」

 ②世界遺産「レユニオン島の火山峰、圏谷と岩壁群(フランス、2010年、自然遺産(vii)(x))」

世界遺産「ベルサイユの宮殿と庭園」鏡の間
ベルサイユ宮殿でもっとも豪奢な空間、鏡の間。高さ12.5m、73×10mの細長い空間で、シャルル・ル・ブランが描いたルイ14世が天井より見下ろしている
世界遺産「パリのセーヌ河岸」ルーヴル美術館
12世紀にフランス王フィリップ2世が建てたルーヴル城にはじまり、16世紀にフランソワ1世がルネサンス様式に改めたルーブル宮殿。ベルサイユ宮殿が建設されると別館的な扱いとなり、美術品が収蔵された。現在はルーブル美術館として公開されている。世界遺産「パリのセーヌ河岸」構成資産

そして絶対王政は太陽王・ルイ14世の時代に花開く。


ルイ13世がルーブル宮殿※で崩御すると、1643年、息子のルイ14世がわずか4歳で王位を継ぐ。

このとき宰相としてルイ14世を補佐したのがマザランだ。

※世界遺産「パリのセーヌ河岸(フランス、1991年、文化遺産(i)(ii)(iv))」


マザランは三十年戦争以降悪化していた財政を立て直すため重税を課し、国の借金の一部無効を宣言。

これに対して貴族が1648年にフロンドの乱を起こすと、中央集権化と重税に反対する民衆や農民がこれに追随する。

ルイ14世はパリ脱出を余儀なくされるが、マザランは一時神聖ローマ帝国に逃れながらもこれを巧みに鎮圧。

1652年にルイ14世、翌年マザランがパリに帰還すると貴族勢力を取り締まり、徴兵制を取り入れて近代的な軍制を導入し、強力な国軍を整備した。


フロンドの乱を教訓として、ルイ14世はより安全なパリ郊外に新たな宮殿の建設を開始する。

その地は水もない不毛の荒野だったが、セーヌ河岸に「マルリーのポンプ」と呼ばれる巨大な組み上げ装置を建設して水を引き、荒野を直線で区切って幾何学庭園を造り、都市といってもよいほど豪壮な宮殿を築いた。

これがベルサイユ宮殿※だ。

宮殿が完成すると各地の王を宮殿に招き、貴族たちを移住させ、庭園を庶民に開放して王の力を世に知らしめた。

 

そして国王こそが国の主権者であることを「朕は国家なり」の言葉で示し、自らが神の意志で地上を征服すること(王権神授説)を「私の中には太陽が宿っている」という言葉で表した。

※世界遺産「ベルサイユの宮殿と庭園(フランス、1979年、2007年、文化遺産(i)(ii)(vi))」

 

[関連サイト]

ベルサイユ宮殿/フランス

世界遺産「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」
世界遺産「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」。ルイ14世はフォンテーヌブロー宮殿も使用したが、ベルサイユのような豪奢な補修はしなかった。ここでフォンテーヌブローの王令に署名し、フランスは旧教国として立場を固めた

ベルサイユ宮殿は他の絶対君主や啓蒙専制君主たちに絶大な影響を与えた。

18世紀以降の多くの君主がベルサイユにならって巨大な宮殿を建設し、王権の強大さを喧伝した。

以下は影響を受けた世界遺産の一例だが、世界遺産以外だとドイツのヘレンキームゼー城や中国の円明園などが挙げられる。

 

■ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群

ドイツ、1990年、1992・1999年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv)

プロイセン王フリードリヒ1世のシャルロッテンブルク宮殿やフリードリヒ2世のサンスーシ宮殿は特に影響が濃い。

 

■ヴュルツブルク司教館、その庭園群と広場

ドイツ、1981年、文化遺産(i)(iv)

ベルサイユ宮殿を参考にバルタザール・ノイマンが設計したドイツ・バロック&ロココの傑作。

 

■シェーンブルン宮殿と庭園群

オーストリア、1996年、文化遺産(i)(iv)

ハプスブルク家の宮殿で、シェーンブルン宮殿は「オーストリアのベルサイユ」の異名を持つ。

 

■ドロットニングホルムの王領地

スウェーデン、1991年、文化遺産(iv)

ドロットニングホルム宮殿はプファルツ朝の宮殿で「北欧のベルサイユ」と呼ばれる。

 

■サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

ロシア、1990年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi)

ピョートル1世はベルサイユ宮殿に感銘を受けて「ロシアのベルサイユ」といわれるペテルゴフ宮殿を建設した。

 

■アランフェスの文化的景観

スペイン、2001年、文化遺産(ii)(iv)

フランス・ブルボン家の血筋を引くスペイン・ブルボン朝のカルロス3世らがベルサイユ宮殿を模して築いた離宮などがある。

 

カゼルタの18世紀の王宮と公園、ヴァンヴィテッリの水道橋とサン・レウチョ邸宅群

イタリア、1997年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)

こちらもカルロス3世の建設で、カルロス3世はナポリ王国とシチリア王国の王にも就いて、のちの両シチリア国成立の基礎を築いた。

 

国立歴史公園 -シタデル、サン・スーシ、ラミエ

ハイチ、1982年、文化遺産(iv)(vi)

ハイチのサン・スーシ宮は、将軍アンリ・クリストフがベルサイユ宮殿を参考にバロック建築を取り入れて完成させたものだ。

世界遺産「ヴォーバンの要塞群」ヌフ・ブリザックの要塞
ファルツ戦争終結後、ルイ14世がヴォーバンに最前線に造らせたヌフ・ブリザックの要塞。ヴォーバンはルイ14世に仕えた軍事技術者で、ヴォーバン式と呼ばれる星型要塞をはじめ数々の軍事施設を築いた。そのうち12件が世界遺産「ヴォーバンの要塞群(フランス、2008年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」に登録されている (C)Norbert Blau
世界遺産「ミディ運河」
ルイ14世の国家プロジェクトとして建設が進められた世界遺産「ミディ運河(フランス、1996年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi)」。地中海と大西洋を360kmつないでイベリア半島をショートカットすることに成功した

宮廷文化もこの頃、頂点を極める。

 

食を愛したルイ14世とルイ15世は、カトリーヌ・ド・ メディシスが持ち込んだイタリア料理や食器・作法をさらに洗練してフランス料理の文化を作り上げた。

たとえば、それまで手で食べていたものをスプーンとフォークに変えただけでなく、その置き方にまでこだわってマナーを整備した。

また洋服や装飾品・カツラなどにもこだわり、貴族たちにも強要したおかげで華麗な文化が花開いた。

 

この時代の経済政策としては、財務総監コルベールがリシュリューの重商主義を引き継いで東インド会社を再建。

工場で手工業を行うマニュファクチュアを創設して工業を推進するなどして商工業を盛り上げた。

 

「領土拡張ほど気持ちのよい仕事はない」と言ったルイ14世はほとんどの周辺国と戦ってもいる。

 

まずフランドル地方の領有を求めて南ネーデルラント継承戦争(フランドル戦争。1667~68年)を起こし、アーヘン和約でハプスブルク家からいくつかの都市を奪取。

さらにオランダ侵略戦争(1672~78年)でイギリスのチャールズ2世とともにオランダを攻撃。

オランダのウィレム3世は神聖ローマ帝国、スペインと同盟を組んで対抗し、英仏が勝利したものの国土は守り抜いた。

 

1685年にはフォンテーヌブロー※の王令を発布してナントの王令を廃止。

これによりプロテスタントの信仰は否定され、フランスは純粋な旧教国となり、商工業者の多くがオランダをはじめとする国外に逃亡した。

これがフランスの衰退を加速した。

※世界遺産「フォンテーヌブローの宮殿と庭園(フランス、1981年、文化遺産(ii)(vi))」

 

[関連サイト]

フォンテーヌブローの宮殿と庭園/フランス

宮廷文化もこの頃、頂点を極める。

食を愛したルイ14世とルイ15世は、カトリーヌ・ド・ メディシスが持ち込んだイタリア料理や食器・作法をさらに洗練してフランス料理の文化を作り上げた。

たとえば、それまで手で食べていたものをスプーンとフォークに変えただけでなく、その置き方にまでこだわってマナーを整備した。

また洋服や装飾品・カツラなどにもこだわり、貴族たちにも強要したおかげで華麗な文化が花開いた。


この時代の経済政策としては、財務総監コルベールがリシュリューの重商主義を引き継いで東インド会社を再建。

工場で手工業を行うマニュファクチュアを創設して工業を推進するなどして商工業を盛り上げた。


「領土拡張ほど気持ちのよい仕事はない」と言ったルイ14世はほとんどの周辺国と戦ってもいる。

 

まずフランドル地方の領有を求めて南ネーデルラント継承戦争(フランドル戦争。1667~68年)を起こし、アーヘン和約でハプスブルク家からいくつかの都市を奪取。

さらにオランダ侵略戦争(1672~78年)でイギリスのチャールズ2世とともにオランダを攻撃。

オランダのウィレム3世は神聖ローマ帝国、スペインと同盟を組んで対抗し、英仏が勝利したものの国土は守り抜いた。


1685年にはフォンテーヌブロー※の王令を発布してナントの王令を廃止。

これによりプロテスタントの信仰は否定され、フランスは純粋な旧教国となり、商工業者の多くがオランダをはじめとする国外に逃亡した。

これがフランスの衰退を加速した。

※世界遺産「フォンテーヌブローの宮殿と庭園(フランス、1981年、文化遺産(ii)(vi))」

 

[関連サイト]

フォンテーヌブローの宮殿と庭園/フランス

世界遺産「ブリュッセルのグラン・プラス」
世界でもっとも豪華な公園と称される世界遺産「ブリュッセルのグラン・プラス」。1695年、ルイ14世の砲撃を受けてグラン・プラスは焼失し、左の市庁舎と右の「王の家」だけが残った。その後石造りで修復され、現在の姿が完成した
世界遺産「ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群」
ブルボン家とハプスブルク家を行き来したルクセンブルクのグルント地区とアルゼット川。1684年にルイ14世の攻撃を受けて破壊された

さらにファルツ戦争(アウクスブルク同盟戦争。1688~97年)では神聖ローマ帝国内のファルツ侯国の領有を主張して開戦。

新教国のオランダ、スウェーデンが参戦すると同時に、フランスの強大化を恐れたスペインと神聖ローマ帝国を巻き込んでアウクスブルク同盟を結成して対抗した。

加えて1689年、イギリスで名誉革命が起こるとオランダのウィレム3世がウィリアム3世としてイギリス王に就任し、イギリスも同盟に加わってフランスと戦った。

イギリスとの間ではアメリカでウィリアム王戦争が勃発し、インドなどでも争いが起こった。

結局戦争はライスワイク条約で集結し、フランスはファルツをあきらめる代わりにストラスブール※やハイチなどを得た。

※世界遺産「ストラスブールのグラン・ディル(フランス、1988年、文化遺産(i)(ii)(iv))」


なお、この一連の戦争によって世界遺産の「ブリュッセルのグラン・プラス(ベルギー、1998年、文化遺産(ii)(iv))」や「シュパイヤー大聖堂(ドイツ、1981年、文化遺産(ii))」「ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群(ルクセンブルク、1994年、文化遺産(iv))」などがルイ14世によって破壊されている。


また、スペインとの間では後継者を巡って争った。

ルイ14世の王妃マリー・テレーズはスペイン国王カルロス2世の妹にあたる。

カルロス2世に後継者がいなかったことから、ルイ14世は自分の孫にあたるブルボン家のアンジュー公フィリップの王位継承を要求する。

カルロス2世は遺言で、フランスの王位継承を放棄することを条件としてこれを承認。

フィリップはフェリペ5世としてスペイン国王に就任する。

 

[関連サイト]

ルクセンブルク市/ルクセンブルク

ブリュッセルのグランプラス/ベルギー

世界遺産「シュパイヤー大聖堂」
世界遺産「シュパイヤー大聖堂」。11世紀に建てられたロマネスク様式の教会だが、1689年にルイ14世率いるフランス軍に破壊され、18~19世紀に再建された。 (C)Alfred-Hutter

フェリペ5世は何かとフランスに便宜を図ったため周辺国が反発。

イギリス、オランダ、オーストリアが同盟を組んで宣戦布告し、スペイン王家と同じハプスブルク家のカール大公をスペイン王として擁立する。

フランス国内ではユグノーが反乱軍を蜂起。

アメリカではアン女王戦争が起き、このスペイン継承戦争(1701~13年)もファルツ戦争に続いて世界戦争の様相を呈した。


この頃、神聖ローマ帝国では皇帝レオポルド1世、ヨーゼフ1世が相次いで急死し、カール大公がカール6世として帝位に就く。

カール6世がスペイン王を兼ねるとハプスブルク家の権勢が増すことから、同盟国側は1713年のユトレヒト条約でフェリペ5世の王位を承認。

その代償としてフランスとスペインの合同を永久に禁止し、フランスは海外植民地の多くを放棄した。

最大の受益者となったのがイギリスで、スペインからジブラルタル、フランスからニューファンドランドやアカディア・ハドソン湾などを獲得した。

なお、オーストリアは翌年のラシュタット条約で南ネーデルランドを得ている。


ルイ14世の時代に絶対王政は全盛期を迎えたが、ベルサイユ宮殿の建設や周辺国との度重なる戦争は財政を疲弊させ、植民地も減少した。

これらがやがて絶対王政の打倒、市民革命を導くことになる。

 

なお、英仏植民地戦争については「世界遺産と世界史39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア」の「英仏植民地戦争」参照。


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世界遺産「マドリードのエル・エスコリアル修道院とその遺跡」
フェリペ2世が建設した宮殿兼修道院、世界遺産「マドリードのエル・エスコリアル修道院とその遺跡」。スペイン・ハプスブルク家が世界中から集めた宝物が収められており、王室霊廟にはカール5世やフェリペ2世等が眠っている (C)Turismo-Madrid-Consorcio-Turístico

<スペインの絶対王政>

 

さて、続いてスペインの絶対王政を見てみよう。


オーストリアのハプスブルク家は結婚政策で領土を広げ、オーストリア、ハンガリー、ボヘミア、ネーデルランド、ナポリ、シチリア、スペイン、ポルトガルなどの国々の王位に就き、神聖ローマ皇帝の座を世襲した。

「太陽の沈まぬ帝国」といわれるハプスブルク帝国の成立だ(「世界遺産と世界史33.ハプスブルク家とレコンキスタ」参照)。


スペインではフェリペ1世の時代からスペイン・ハプスブルク朝が成立し、フェリペ2世の時代に最盛期を迎えた。

フェリペ2世は熱心なカトリックで、カトリックの盟主を自認。

父にあたるカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)はアウクスブルクの和議でドイツの諸侯に対してプロテスタント(ルター派)を含む信仰の自由を認めたが、フェリペ2世はこれを不服とし、旧教国のリーダーとして新教・旧教の抗争に介入していく。


1561年、エル・エスコリアル宮殿※を建設してマドリードに遷都。

スペイン中央に移動して中央集権制を強めた。

※世界遺産「マドリードのエル・エスコリアル修道院とその遺跡(スペイン、1984年、文化遺産(i)(ii)(vi))」

 

1570年、地中海進出の足掛かりとしてキプロス島を占領したオスマン帝国に対し、翌年ベネチア※とともにレパントの海戦で大勝利を収め、カール5世の時代より続いていたオスマン帝国の脅威を軽減した。

これ以降、スペインの強力無比な艦隊は無敵艦隊=アマルダと呼ばれるようになる。

※世界遺産「ベネチアとその潟(イタリア、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi))」

世界遺産「セビリアの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館」インディアス古文書館
インディアス古文書館。もともとは1572年にフェリペ2世が商品取引所として建設したもので、18世紀に古文書館となった。世界遺産「セビリアの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館」構成資産

1580年、ポルトガル王エンリケ1世が亡くなると、フェリペ2世は王位を要求して軍を派遣。

首尾よく王位を継ぐと、ポルトガルと同君連合(同じ君主を持つ複数の連合国家)となって巨大な植民地を手に入れる。

1584年にはマドリードで日本の天正遣欧使節に謁見している。

 

こうして「太陽の沈まぬ帝国」を完成させたフェリペ2世だったが、スペイン財政は国王就任直後から芳しいものではなかった。


スペインは新世界からもたらされる金や銀によって潤ってはいたが、資源は枯渇しつつあったし、イングランド女王エリザベス1世の私掠特許状を得た私掠船による海賊行為にも苦慮していた。

そのうえイギリスやフランスのように商工業や金融業に投資して発展することもなかったので、それらが盛んなネーデルランドはスペインにとって非常に重要な徴税先となっていた。

そしてまたネーデルランドではこの頃、薄くて軽い薄手毛織物が誕生し、そのヒットがスペインの毛織物業を圧迫していた。

 

一方、カルヴァン派=ゴイセンが多勢を占めるネーデルランドではフェリペ2世の進めるカトリック化政策と重税に苦しんでいた。

そのうえ自治権が制限されたことから、1568年に反乱が起こってオランダ独立戦争が勃発する。

 

スペイン軍は大軍を送り込んで攻略を開始するが、簡単には崩せない。

そこでカトリックの多い南部10州を懐柔し、和平を結んで独立戦争から撤退させた。

 

北部7州はユトレヒト同盟を結び、オラニエ公ウィレムを総督として抗戦を続け、1581年にネーデルランド連邦共和国(オランダ)の独立を宣言する。

『エリザベス』の続編であるシェカール・カプール監督エリザベス:ゴールデン・エイジ』予告編。いよいよアマルダ海戦においてスペインとの決戦を迎える。


新教国で羊毛の生産国であるイギリスは、同じ新教派で羊毛の輸出先であるネーデルランドを終始支援。

オランダ独立戦争と並行して英西戦争が起こる。

フェリペ2世は無敵艦隊を送り込んで一掃を図るが、イギリスが私掠船を集めて対抗すると1588年のアマルダ海戦で大敗を喫してしまう。


翌年、フェリペ2世が病没。

1609年に休戦協定を結び、オランダは事実上独立する(正式な承認は三十年戦争後、1648年のウェストファリア条約にて)。

こうして16世紀を中心としたスペインの黄金世紀は終わりを告げ、17世紀の「オランダの世紀」へ引き継がれていく。


* * * 

世界遺産「アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区」
アムステルダムは環状運河を中心に築かれた計画都市で、運河の総延長は100kmを超える (C)Amsterdam Municipal Department for the Preservation and Restoration of Historic Buildings and Sites (bMA)

<オランダの興隆>

 

ほんの少し、オランダの隆盛も見てみよう。


現在のオランダを含むベルギー、ルクセンブルク①、フランス南部周辺はフランドル(フランダース)地方と呼ばれていた。

もともとリネンが特産物で、毛織物では世界最高の技術を誇り、イギリスやスペインなどから羊毛を輸入して大いに栄えた。


また、ハンザ同盟の四大在外商館が置かれて発達したブルージュ②やアントワープは世界の金融センターとなり、貿易拠点に成長。

北海・バルト海を中心とした北方商業圏の貿易や、ポルトガルのリスボン③で仕入れた香辛料を北欧でさばく中継貿易で繁栄した。

※①世界遺産「ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群(ルクセンブルク、1994年、文化遺産(iv))」

 ②世界遺産「ブルージュ歴史地区(ベルギー、2000年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ③世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔(ポルトガル、1983年、2008年、文化遺産(iii)(vi))」

 

[関連サイト]

ルクセンブルク市/ルクセンブルク

ブルージュ歴史地区/ベルギー

ジェロニモス修道院とベレンの塔/ポルトガル


スペインやポルトガルでフェリペ2世のカトリック化政策が進むと、ユダヤ人商人たちがオランダに移住を開始。

フランスでユグノー戦争が起こるとフランスの商工業者もそれに追随し、さらにオランダ独立戦争で南部十州が離脱すると、アントワープの金融業者や南部の毛織物業者が移り住んでオランダの発展を後押しした。


また、フェリペ2世がポルトガル王に就き、オランダ独立戦争がはじまる香辛料貿易が途絶えたことから、アジアとの直接取引に参入。

16世紀後半にはジャワ島にまで到達し、1602年にオランダ東インド会社を設立する。

1609年には平戸に商館を設立し、長崎の出島で鎖国中の日本と西欧で唯一貿易を行った。

世界遺産「キュラソー島の港町ヴィレムスタット歴史地域」
世界遺産「キュラソー島の港町ヴィレムスタット歴史地域」のヴィレムスタットの街並み。アムステルダムとよく似た街並みが広がっている

日本でネーデルランドをオランダというのは、日本に来航した船員が出身地をホラント州と答えたからだといわれている。

また、「フィリピン」という名前はフェリペから命名されている。

 

当時、香辛料の生産地といえば香辛料諸島といわれたモルッカ諸島。

ポルトガルがこの地を占領していたが、17世紀前半にオランダがこれを駆逐。

その後イギリス東インド会社も進出するが、1623年にイギリス人等を処刑してこれを阻止した(アンボイナ事件)。

こうして東南アジアの貿易を掌握し、特にインドネシアは第二次世界大戦の大日本帝国による支配・1945年の独立までオランダの植民地となる。

一方、一時は海上帝国を築いたポルトガルが没落し、イギリスはインドへ注力することになる。

 

オランダはアメリカにも進出して奴隷貿易に参入。

1621年に西インド会社を設立し、ニューネーデルラント植民地やキュラソー島※を確保した。

このとき建設した都市ニューアムステルダムがのちにイギリスに奪われてニューヨークとなる。

※世界遺産「キュラソー島の港町ヴィレムスタット歴史地域(オランダ、1997年、文化遺産(ii)(iv)(v))」

 

そしてまた、オランダは東インド会社と西インド会社の中継地点として南アフリカにケープ植民地を設置し、中心都市ケープタウン※を建設した。

※世界遺産「ケープ植物区保護地域群(南アフリカ、2004年、2015年拡大、自然遺産(ix)(x))」

世界遺産「キンデルダイク・エルスハウトの風車群」
世界遺産「キンデルダイク・エルスハウトの風車群」。アルブラセルワールト地方の干拓地の排水のために18世紀に建てられた風車で、現在でも19基がその姿を留めている

こうした貿易の拠点、あるいは金融センターとして急速に発達したのがアムステルダムだ。

各地から流入した金融業・商工業・毛織物業者たちがアムステルダムに集結。

思想・信条・出版・言論の自由を謳ったため学者や芸術家たちも集まって、世界でもっとも華やかな街へと変貌を遂げる。

17世紀には街に環状運河①を張り巡らせて、水上都市を整備。

18世紀には要塞線②で街を取り囲んだ。

※世界遺産①「アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区(オランダ、2010年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 世界遺産②「アムステルダムのディフェンス・ライン(オランダ、1996年、文化遺産(ii)(iv)(v))」


オランダは国土の約25%が海面より低い。

そのためつねに風車で水を排水し、そうした干拓地を利用して農業を行った。

もっとも有名な風車施設がキンデルダイク・エルスハウトの風車①で、干拓地がベームステル②やスホクラント③だ。

※①世界遺産「キンデルダイク・エルスハウトの風車群(オランダ、1997年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ②世界遺産「ドゥローフマーケライ・デ・ベームステル[ベームステル干拓地](オランダ、1999年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ③世界遺産「スホクラントとその周辺(オランダ、1995年、文化遺産(iii)(v))」

 


次回は三十年戦争とイギリス革命を紹介する。

  


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『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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