世界遺産と世界史19.民族大移動と西欧の形成

ローマ帝国衰退後、ヨーロッパは諸民族の侵入を受け、勢力圏が大きく変化する。

そしてラテン系・ゲルマン系・スラヴ系という三大系統が出そろい、現代に引き継がれるヨーロッパの大まかな形が形成されていく。

 

そしてギリシアやローマで生まれた建築技術や絵画・彫刻手法、哲学、文学等々、種々の科学や文化が失われ、「暗黒時代」と呼ばれる中世が幕を開ける。

その最初のきっかけといわれる匈奴の動きから見ていこう。

 

* * *

明代の長城の西端・嘉峪関
明代の長城の西端・嘉峪関(かよくかん)。世界遺産「万里の長城」の構成資産で、長城といってもここはまさに「城」。敦煌より約300kmの位置にあり、中央アジア諸民族の侵入を防ぐ拠点となった
莫高窟、九層楼
敦煌にある莫高窟、九層楼

匈奴は紀元前4世紀頃、モンゴル高原に登場した遊牧民族だ。

王を意味する「単于(ぜんう)」という君主が治める国家で、紀元前3世紀には朝鮮半島の手前から中央アジアに至る広大な領域を支配した。

秦の始皇帝による万里の長城※は、この匈奴に対抗するものでもあった。

※世界遺産「万里の長城(中国、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

漢の高祖・劉邦は匈奴を率いる冒頓単于(ぼくとつぜんう)と戦い、紀元前200年、白登山の戦いで大敗を喫する。

高祖は1週間の間包囲され、冒頓単于の妻に贈り物を贈って脱出に成功するものの、漢は匈奴の属州として扱われ、匈奴に朝貢するというかつてない屈辱を受ける。

この匈奴を討伐したのが前漢の武帝だ。

 

武帝は衛青、霍去病(かくきょへい)といった将軍を率いて匈奴を討伐すると、河西回廊を得て西へ大きく領土を広げ、紀元前111年、敦煌※をはじめとする河西4郡を設置する(「世界遺産と世界史14.シルクロードとクシャーナ朝&漢」参照)。

※世界遺産「莫高窟(中国、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi))」

 

漢に破れた匈奴は内紛などもあって次第に勢力を弱め、1世紀には南北に分裂。

北匈奴は鮮卑や後漢の攻撃を受けて滅亡し、人々は西へと敗走。

南匈奴は後漢の地に定住してその支配に従った。


決定的な確証はないものの、この西に向かった北匈奴の一派がフン人ではないかと考えられている。

 

[関連サイト]

万里の長城/中国

敦煌・莫高窟/中国

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5~7世紀のヨーロッパ
5~7世紀前後のヨーロッパ

4世紀後半、中央アジアからヨーロッパに侵入したフン人は、カスピ海-黒海-東ヨーロッパ-北海にまたがる広大な国家を興す(フン帝国)。

5世紀にアッティラが王位に就くと最盛期を迎え、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)を撃破。

西ローマ帝国が支配するガリアの地(現在のフランス)にまで侵入するが、451年のカタラウヌムの戦いに敗れると、アッティラは453年に病死してしまう。

以後フン帝国は後継者争いの果てに分裂を繰り返し、6世紀頭には崩壊する。


フン帝国の西ヨーロッパに対する影響は、帝国に定住地を奪われたゲルマン人たちによってもたらされた。


375年、フン帝国に押されてゲルマン系の東ゴート人が西へ移住すると、その圧力を受けて西ゴート人が南下を開始。

家族を引き連れ、命懸けで移動してくる人々に対し、ローマは必死で抵抗を試みる。

しかし、ローマ帝国軍にはゲルマン人傭兵も多く、士気の差は歴然。

 

ひとたびドナウ川を渡ってローマ帝国領に侵入すると、堰を切ったように数十万の西ゴート人が帝国領に押し寄せた。

ローマ皇帝ウァレンスは自ら軍を率い、378年、アドリアノープルの戦いで迎え撃つが、ローマ軍は散々に打ち破られ、ウァレンスは戦死。

西ゴート人のバルカン半島定着を許してしまう。

古都トレド
世界遺産「古都トレド」の街並み。西ゴート王国の首都として整備されたが、8世紀にイスラム政権に占領され、11世紀にはレコンキスタ(国土回復運動)によってキリスト教徒の支配下に入る。イスラム教・キリスト教文化が混在した建造物群が美しい
ラヴェンナのサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂
ラヴェンナのサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂

西ゴート人の侵入によって実質的に東西に分裂してしまったローマ帝国は、統一を断念。

395年、皇帝テオドシウス1世は帝国をふたつに分割し、ふたりの息子に分け与えた。

こうしてローマ帝国は、ミラノを首都とする西ローマ帝国と、コンスタンティノープル※を首都とする東ローマ帝国=ビザンツ帝国に分裂する。

世界遺産「イスタンブール歴史地域(トルコ、1985年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 

5世紀初頭、フン帝国が版図を広げると、それに押された西ゴート人はさらに西へ移動し、ついにイタリア半島に進出。

これに対して西ローマ皇帝ホノリウスは402年、海軍基地が隣接するラヴェンナ※に首都を遷し、守りを固めて引きこもる。

※世界遺産「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群(イタリア、1996年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 

[関連サイト]

イスタンブール/トルコ

ラヴェンナの初期キリスト教建築物群/イタリア

 

410年にはアラリック1世がローマ※を攻略。

もはや西ローマ帝国には対抗する力はなく、同盟を結んで侵入・建国を黙認することしかできなかった。

※世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

ローマ陥落を機に西ローマ帝国は一気に弱体化。

異民族の侵入はもはや防げず、ブルグント人や北アフリカ・カルタゴ①を拠点とするヴァンダル人をはじめ、ゲルマン系諸民族の侵入を許してしまう。

 

西ゴート人たちも押し寄せてくる東ゴート人やフランク人の圧力によって移動を繰り返し、イタリア→ガリア→イベリア半島と移動し、最終的にはトレド②を首都に、現在のスペインからフランス南部に至る西ゴート王国を建国する。

※①世界遺産「カルタゴ遺跡(チュニジア、1979年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

 ②世界遺産「古都トレド(スペイン、1986年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 

[関連サイト]

ローマ歴史地区/イタリア・バチカン

ヴェローナの円形闘技場
世界遺産「ヴェローナ市」の円形闘技場。ヴェローナはローマ帝国の都市として繁栄し、西ローマ滅亡後はオドアケル王国・東ゴート王国の拠点となった
ラヴェンナのテオドリック廟
ラヴェンナのテオドリック廟。ローマ、ビザンツの影響を受けない東ゴート独自の意匠

すでにローマに求心力はなく、476年、ゲルマン人傭兵隊長オドアケルによって破壊され、皇帝ロムルス・アウグストゥスの退位をもって西ローマ帝国は滅亡する。


オドアケルはイタリア王国の国王としてラヴェンナを首都として統治を開始するが、488年、今後は東ゴート人がイタリア半島に侵入。

オドアケルはヴェローナ①に要塞を建設してこれに対抗するが、ビザンツ皇帝ゼノンの要請を受けた東ゴート王テオドリックに攻め込まれ、暗殺されてしまう。

 

テオドリックはその勢いのままイタリアに居座って、493年、ヴェローナを拠点に東ゴート王国を建国。

その東ゴート王国もビザンツ皇帝ユスティニアヌスとゲルマン系ランゴバルド人に討伐され、553年に滅亡する。

なお、ラヴェンナ②にある「テオドリックの廟」はテオドリックが自ら建設した霊廟と考えられている。

※①世界遺産「ヴェローナ市(イタリア、2000年、文化遺産(ii)(iv)」

 ②世界遺産「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群(イタリア、1996年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

フリウーリのロンバルド寺院
フリウーリのロンバルド寺院。ランゴバルド式のミニマルなデザインが美しい

568年、ビザンツ帝国が力を失うと、イタリア北部をランゴバルド人が奪ってランゴバルド王国を建てる。

ランゴバルドは次第に勢力を強め、8世紀にはイタリア半島の多くを征服。

その過程でイタリアとの同化が進み、ローマ帝国の跡を継ぐイタリア王国として振る舞った。

 

ランゴバルドは現在のロンバルディア州の語源で、その後多くのイタリア王が被る「ロンバルディアの王冠」はこの時代から引き継がれたもの。

また、王国が建てたランゴバルド小神殿、サンタ・ジュリア修道院、サン・サルバトーレ・バシリカ、サンタ・ソフィア大聖堂、カストラムなどは世界遺産「イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年](イタリア、2011年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」に登録されている。

 

イタリア化して2世紀近くイタリア半島を支配したランゴバルド王国だったが、773年、ローマ教皇ハドリアヌス1世の要請に応じたフランク王カール大帝の攻撃を受け、翌年滅亡してしまう。

 

* * *

ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂
世界遺産「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群」の構成資産であるサン・ヴィターレ聖堂。ラヴェンナにはこのような美しいモザイクが多数残されている
ランスのノートル・ダム大聖堂
ゴシックの傑作、ランスのノートル・ダム大聖堂。クローヴィスが洗礼を行った場所に建てられた聖堂で、9~19世紀にかけてフランス国王の戴冠式が行われた

西ゴート、東ゴート、ブルグント、ランゴバルド……西ヨーロッパには数々のゲルマン王国が興ったが、そのほとんどを統一したのがフランク王国だ。


5世紀にガリアの地に移住したゲルマン系フランク人たちは、481年、クローヴィスが周囲を平定してフランク王国を建国(メロヴィング朝)。

6世紀末には現在のフランスからドイツに至る広大な領域を征服する。

ゲルマン諸王国は多くが異端とされるアリウス派を信奉したが、フランク王国はローマも認めるアタナシウス派に改宗し、ローマ教皇の支持を得た。

 

クローヴィスが洗礼を受けたといわれるのがフランスのランス。

その場所に立つ教会堂が世界遺産「ランスのノートル・ダム大聖堂、サン・レミ旧大修道院及びトー宮殿(フランス、1991年、文化遺産(i)(ii)(vi))」登録のノートル・ダム大聖堂だ。

 

732年にはイベリア半島・ピレネー山脈から侵入してきたアラブ帝国ウマイヤ朝の軍勢を、フランク王国の宮宰カール・マルテルがトゥール・ポワティエ間の戦いで撃破。

イスラム勢力から西ヨーロッパを守ったことでその立場を固め、751年にはローマ教皇ザカリアスの支持を得て、カール・マルテルの息子ピピン3世が王位に就いてカロリング朝を打ち立てた。


ピピン3世はランゴバルド王国を打ち破り、ラヴェンナを教皇に寄進(ピピンの寄進)。

これが教皇領の起源となり、ローマと強固な関係を築いた。

773年にはピピン3世の息子カール大帝がローマ教皇ハドリアヌス1世の援助要請を受けてランゴバルドを滅ぼし、教皇からさらなる信頼を勝ち取った。

 

* * *

ローマ教皇もこの間に勢力の拡大を目指していた。


ローマ帝国が分裂すると、西ローマ帝国の首都はミラノやラヴェンナに遷されてローマの重要性は減少。

西ローマ帝国の滅亡をもって西ローマ皇帝位は消滅する。

 

皇帝亡きあとローマで力を持ったのがローマ教皇だ。

当時のキリスト教世界には五大教会(ローマ①②、コンスタンティノープル③、アンティオキア、エルサレム④、アレキサンドリア⑤)があり、その長を総主教と呼んだ。

やがてローマ総主教は教皇と呼ばれるようになる。

※①世界遺産「バチカン市国(バチカン、1984年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ③世界遺産「イスタンブール歴史地域(トルコ、1985年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 ④世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請、1981年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

 ⑤エジプトの世界遺産暫定リスト記載

 

[関連サイト]

バチカン市国

イスタンブール/トルコ

聖地エルサレム

 

この五大教会のうち西ローマ帝国領に存在するのはローマのみ。

カールの戴冠まで強力な後ろ盾はなかったが、西ヨーロッパのキリスト教世界においてローマ教皇の権威は増した。

 

西ヨーロッパで勢力を強めるゲルマン諸国に対して、キリスト教徒たちは積極的に布教活動を行った。

6世紀にはベネディクトを中心とする修道院も広まり、修道士たちによる布教も活発化した。

こうした努力の甲斐あって、最終的にほとんどのゲルマン王国がキリスト教を容認するようになる。

 

ただ、ゲルマン諸国の多くはローマが異端としたアリウス派を信奉していた。

従ってローマはアタナシウス派に改宗したフランク王国との距離を詰めた。


726年にはビザンツ皇帝レオン3世が聖像禁止令を発令。

イスラム教では神を描いたり、神の像を作って祀ることを禁じているが、その根拠は『旧約聖書』にある。

神が自ら記したという「十戒」には「偶像を作ってはならない」という一文があるためで、レオン3世もこれを根拠に聖像崇拝を禁止した。


しかし、キリスト教はギリシアやローマで受け入れられた際に、ゼウスやアテネ、ポセイドン、アポロンといったギリシアやローマ神話の神々に対抗するため、あるいは同様の像を欲した庶民の求めにより、十字架やマリア像や天使像など、神本体以外の像を盛んに作るようになっていた。

ゲルマン人への布教の際にはキリスト教のシンボルとしてこうした像を積極的に使用していたのだ。

 

そのためレオン3世の聖像禁止令はローマ教会の反発を呼び、東西ローマ教会の対立が明確化する。

アーヘン大聖堂
約600年にわたって神聖ローマ皇帝の戴冠式を行った世界遺産「アーヘン大聖堂」。786年にフランク王カール大帝が起工した教会堂で、大帝の墓も収められている

こうした中で勢力を伸ばしてきたのがイスラム教諸国だ(イスラム教とアラブ帝国・イスラム帝国についての詳細は次回解説)。

 

711年、ウマイヤ朝(アラブ帝国)が西ゴート王国を滅ぼしてイベリア半島を占領。

続いて718年にはビザンツ帝国の首都であるコンスタンティノープルを包囲する。

こうしてヨーロッパは東西からイスラム勢力の脅威にさらされる。


西からの脅威を一掃したのがフランク王国だ。

732年、メロヴィング朝の宮宰カール・マルテルがトゥール・ポワティエ間の戦いでウマイヤ朝を撃破。

フランク王国は西ヨーロッパに広くその実力をアピールした。


ビザンツ帝国と違ってバックに強力な国家を持たないローマ教会は庇護者を必要としていた。

そのためローマ教皇は積極的にフランク王国に接近した。


カール・マルテルの死後、息子ピピン3世は宮宰としてその跡を継ぎ、国王以上の実験を握っていた。

ローマ教皇ザカリアスはピピン3世の国王就任を強く支持。

これを受けて751年、ピピン3世が国王に就き、カロリング朝が成立する。


続いてランゴバルド王国のローマ侵略を受けた教皇ステファヌス2世はピピン3世に助けを求め、ピピン3世もこれに応じてランゴバルドを討伐。

奪取したラヴェンナをローマに贈る。

この「ピピンの寄進」が教皇領の起源となる。

 

ピピン3世の跡を継いで王位に就いた息子カール大帝も、773年、ローマ教皇ハドリアヌス1世の援助要請に応じてランゴバルド王国を攻撃。

ランゴバルド王国を滅ぼすと、イタリアの一部を教皇に寄進した。

 

この後カール大帝はサクソン、アヴァール、ザクセン等を侵略し、イベリア半島にまで遠征。

フランク王国は現在のフランス、ドイツ、イタリアの多くを統一する。

 

カール大帝はまたキリスト教を布教するためにラテン語の普及に努め、文芸活動を奨励した(カロリング・ルネサンス)。

その一例がアーヘンで、この街を整備してキリスト教布教の拠点となる大聖堂を建設した。

世界遺産「アーヘン大聖堂(ドイツ、1978年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」だ。

アーヘン大聖堂は北部ヨーロッパ初の教会堂であるだけでなく、10~16世紀の間、神聖ローマ皇帝の戴冠式を行う聖地として扱われ、また1978年にはじめて誕生した12件の世界遺産のひとつに数えられている。

 

この頃の建築様式をよく伝えているのが「コルヴァイのカロリング期ヴェストヴェルクとキウィタス(ドイツ、2014年、文化遺産(ii)(iii)(iv))」だ。

教会の西面に塔が備えつけられるようになり(ウエスト・ワーク/ヴェストヴェルク)、大聖堂のファサードのモデルとなった。

ザルツブルク
7世紀にドイツ最古の修道院である聖ペーター僧院教会が置かれ、その後フランク王国によって発展したザルツブルク。かなり小さいが、中央左奥の赤い塔がノルベルク修道院、右の緑の塔が聖ペーター僧院教会。いずれも世界遺産「ザルツブルク市街の歴史地区」登録

メロヴィング朝時代からカロリング・ルネサンス期にキリスト教の修行生活を行う修道院が各地に建設された。

こうした修道院に関する世界遺産はたくさんあるが、一例を挙げておこう。

なお、修道院については「31.修道院とロマネスク&ゴシック」で詳しく紹介している。

  • ロルシュの王立修道院とアルテンミュンスター(ドイツ、1991年、文化遺産(iii)(iv))
  • 僧院の島ライヒェナウ(ドイツ、2000年、文化遺産(iii)(iv)(vi))
  • ザルツブルク市街の歴史地区(ドイツ、1996年、文化遺産(ii)(iv)(vi))の聖ペーター僧院教会やノルベルク修道院
  • サン-サヴァン・シュール・ガルタンプの修道院教会(フランス、1983年、2007年拡大、文化遺産(i)(iii))
  • ミュスタイルのベネディクト会聖ヨハネ修道院(スイス、1983年、文化遺産(iii))
  • ザンクト・ガレンの修道院(スイス、1983年、文化遺産(ii)(iv))

 

800年、こうしたフランク王国の功績に対し、教皇レオ3世はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂※でカール大帝にローマ皇帝の帝冠を授ける。

カール大帝はビザンツ帝国との確執を恐れて戴冠を断り続けていたともいわれるが、とにもかくにもこの「カールの戴冠」によって地上を物理的に支配する「皇帝」と、精神的に支配する「教皇」という西ヨーロッパ社会の二面的な基礎が完成。

同時にローマとビザンツ帝国、ローマ教皇とビザンツ皇帝の関係は一気に薄れ、のちにローマ・カトリック教会と正教会の大分裂へと発展する。

※世界遺産「バチカン市国(バチカン、1984年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 

カール大帝の死後、ルイ1世が帝位を継承。

そのルイ1世の死後起きた後継者争いによってフランク王国は分裂を余儀なくされる。


分割方法を定めたのが843年のヴェルダン条約で、条約に従ってフランク王国は東フランク、中部フランク、西フランクの3王国に分断。

さらに870年のメルセン条約によって中部フランク王国はイタリアを除いて東西フランク王国によって吸収される。

 

[関連サイト]

ザルツブルク:音楽とバロック建築の都/オーストリア

バンベルク大聖堂
世界遺産「バンベルクの町(ドイツ、1993年、文化遺産(ii)(iv))」登録のバンベルク大聖堂。バンベルクは東フランク王国時代、ハインリヒ2世やオットー2世によって繁栄した街で、非常に美しい中世街並みで知られる
クヴェートリンブルク
世界遺産に登録されているザクセン家のお膝元、クヴェートリンブルク。中央の城山にある聖堂参事会教会に、オットー1世の父・ハインリヒ1世の墓がある

こうして東フランク、西フランク、イタリアという3国が誕生し、それぞれがドイツ、フランス、イタリアの原型になる。

といっても3国はいずれも強力な中央集権体制を持っていたわけではなく、都市や地方を治める王や諸侯(封土を持つ大領主)や騎士(小封土を持つ戦士階級)が力を握っており、この時代の「国」とはこうした領主の集合体にすぎなかった。

 

西フランク王国では10世紀にカロリング家が断絶し、パリ伯ユーグ・カペーが即位して987年にカペー朝(フランス王国)を建てる。

しかし、パリ※の伯爵であるからその支配が及んだのはパリ近郊のイル・ド・フランス地区のみ。

フランスとしてある程度まとまるのは1328年にはじまるヴァロワ朝期で、イギリスと戦った百年戦争以降になる。

※世界遺産「パリのセーヌ河岸(フランス、1991年、文化遺産(i)(ii)(iv))」


東フランク王国でも力を持っていたのは諸侯や騎士だった。

10世紀にカロリング朝が終わるとそうした諸侯たちの選挙によって王を選出。

王はドイツ地方の代表者=ドイツ王といった存在でしかなかった。

この頃、第二次民族移動の影響でマジャール人やスラヴ人の侵入を受けていたが、これをレヒフェルトの戦いで一掃したのがザクセン王オットー1世だ。

962年にはローマ教皇ヨハネ12世から皇帝の戴冠を受け、ローマ帝国が復活し、神聖ローマ帝国がはじまった。

といっても実権はやはり地方の諸侯や騎士が握っており、神聖ローマ帝国はその連合体にすぎなかった。


なお、ザンセン家の居城が世界遺産「クヴェートリンブルクの聖堂参事会教会、城と旧市街(ドイツ、1994年、文化遺産(iv))」、オットー1世がザクセン王の戴冠を行ったのが世界遺産「アーヘン大聖堂(ドイツ、1978年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」、皇帝戴冠を行ったのが世界遺産「バチカン市国(バチカン、1984年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」登録のサン・ピエトロ大聖堂だ。

また、1,000年ものあいだ銀を算出しつづけて神聖ローマ帝国を支えたのがランメルスベルク鉱山で、麓の都市ゴスラーにはハインリヒ2世によって宮殿が築かれて繁栄した。

これらは世界遺産「ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラーとオーバーハルツ水利管理システム(ドイツ、1992年、2008・2010年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」に登録されている。

世界遺産「アマルフィ海岸」
世界遺産「アマルフィ海岸」の入り組んだ海岸風景。アマルフィは839年にナポリ公国から独立を果たし、羅針盤をはじめとするイスラムの進んだ航海術をいち早く取り入れてイタリア四大海洋都市国家(他はベネチア、ジェノヴァ、ピサ)のひとつにまで発展した

イタリアも同様だ。

西ローマ帝国以降、イタリア半島には数多くの小国が乱立していた。

カロリング朝もまもなく断絶し、イタリア半島全体を治める国は消滅。

ドイツ同様、ナポリ①やアマルフィ②、ベネチア③、ピサ④、ジェノヴァ⑤といった諸侯や都市国家が各地を治めた。

9~10世紀にはイタリア半島の多くが神聖ローマ帝国領となったが、実質的に地方を治めているのはこうした地方政権だった。

※①世界遺産「ナポリ歴史地区(イタリア、1995年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「アマルフィ海岸(イタリア、1997年、文化遺産(ii)(iv)(v))」

 ③世界遺産「ベネチアとその潟(イタリア、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi))」

 ④世界遺産「ピサのドゥオモ広場(イタリア、1987年、2007年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 ⑤世界遺産「ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度(イタリア、2006年、文化遺産(ii)(iv))」 

 

[関連サイト]

バチカン市国

アマルフィ海岸/イタリア

ベネチアとその潟/イタリア

 

ヨーロッパにおける中世都市の発達は「30.中世ヨーロッパの飛躍」、フランスのその後については「32.イングランド・フランスと百年戦争」、神聖ローマ帝国については「33.ハプスブルク家とレコンキスタ」で解説する。

 

 

次回は東ヨーロッパの形成とビザンツ帝国を紹介する。

 


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『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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<旅論:たびロジー>

1.あなたは幸せですか?

.麻薬は悪? ゴキブリは汚い?

.裸とワイセツ

 

<エロス論:エロジー>

.遊びの本質

.おいしい、美しい、気持ちいい

.文化SM論

 

<絵と写真の話>

.アートと魂~抽象画とポロック

.ロスコの扉 ~ロスコ・ルーム~

10.写真と抽象芸術~グルスキー

 

<哲学的探究:哲学入門>

1.哲学とは何か?

2.「正しい-間違い」とは何か?

3.証明とは何か?

4.わかる・理解するとは何か?

5.力とは何か? 波とは何か?

6.物質とは何か?

7.見る・感じるとは何か?

8.空間とは何か?

9.時間とは何か?

 

<哲学的考察:ウソだ!>

.無と偶然

.ことだま-はじめに言葉ありき

10.物質とは何か?

11.神とは何か?-一神教と多神教

 

<世界遺産NEWS>

米&イ、UNESCO脱退を表明

パルミラのライオン像、復元!

バーミヤン渓谷の磨崖仏復元法

サブラータ古代遺跡が戦闘被害

2017年新登録の世界ジオパーク

 

<世界遺産ランキング集>

登録基準に見る世界遺産

世界の七不思議

国内集計の世界遺産ランキング

海外集計の世界遺産ランキング

世界遺産国別ランキング

 

<UNESCOリスト集>

日本の遺産リスト

無形文化遺産リスト

世界の記憶リスト

世界遺産リスト

ユネスコエコパーク・リスト

世界ジオパーク・リスト

創造都市リスト

 

<世界遺産の見方>

知性的鑑賞法

感性的鑑賞法

異文化理解の方法論

正しい・間違いの基準

星と大地と古代遺跡

 

<味わう世界遺産>

.王様のワイン トカイ

.命の水 テキーラ

.ポルトガルの宝石 ポート

.神の贈り物チョコレート

 

<世界遺産で学ぶ世界の歴史>

.宇宙と地球の誕生

.地球と火山活動

.大陸移動と世界の形成

.生命の誕生 先カンブリア時代

.生命の進化 古生代から新生代へ

.人類の夜明け

.戦争の時代 ~メソポタミア

.古代エジプトの繁栄

.インダス文明と古代インド

10.長江・黄河文明と古代中国

11.欧州巨石文化とエーゲ文明

12.古代ギリシアの繁栄

13.アレクサンドロスとヘレニズム

14.シルクロードとクシャーナ&漢

15.東南&東アジア,アフリカの古代

16.南北アメリカ大陸の古代文明

17.共和政ローマと帝政ローマ

18.ローマの平和、そして分裂へ

19.民族大移動と西欧の形成

20.東欧の形成とビザンツ帝国

21.東西教会の分裂と十字軍

22.イスラム教とペルシア・アラブ

23.イスラム帝国の分裂

24.イスラムの拡散-インド,アジア

25.アフリカの交易とイスラム教

26.隋・唐・宋の時代

27.北方騎馬民族とその周辺

28.モンゴル帝国の世界征服

29.オスマン,サファヴィー,ムガル

30.中世ヨーロッパの飛躍

31.修道院とロマネスク&ゴシック

32.イギリス・フランスと百年戦争

33.ハプスブルク家とレコンキスタ

34.大航海時代

35.ルネサンス

36.宗教改革

37.絶対王政とオランダの台頭

38.三十年戦争とイギリス革命

39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア

40.明と清の繁栄

41.東・東南アジアの植民前史

42.産業革命とアメリカ独立革命

43.フランス革命とナポレオン

44.ウィーン体制と七月・二月革命

45.イタリアとドイツの成立

46.帝国主義と米英仏

47.アジアの衰退・植民地化

48.清、朝鮮、江戸の開国・滅亡

49.世界分割

50.第一次世界大戦

51.ファシズムと世界恐慌

52.第二次世界大戦

 

<世界遺産写真館>

1.文化交差路サマルカンド1

2.文化交差路サマルカンド2

3.アッパー・スヴァネティ

4.グラナダのアルハンブラ宮殿1

5.グラナダのアルハンブラ宮殿2

6.コトル

7.プレアヴィヒア寺院

8.福建の土楼1

9.福建の土楼2

10.フォンニャ-ケバン国立公園1

11.フォンニャ-ケバン国立公園2

12.カタルーニャ堂とサンパウ病院1

13.カタルーニャ堂とサンパウ病院2

14.オフリド地域1

15.オフリド地域2

16.古都京都の文化財1

17.古都京都の文化財2

18.アントニオ・ガウディ作品群1

19.アントニオ・ガウディ作品群2

20.アンコール1

21.アンコール2

22.アンコール3

 

<世界遺産攻略法>

1.世界遺産検定攻略の理念と背景

2.世界遺産検定の概要

3.試験戦略の一般論

4.試験戦略の理念

5.世界遺産検定の受検戦略

6.試験勉強の3要素

7.世界遺産検定 最効率学習法

8.時事問題・世界史・検定講座

9.マイスター試験の概要

10.マイスター試験問1・2対策

11.マイスター試験問3対策

12.マイスター試験時間術&解答術

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