世界遺産と世界史21.東西教会の分裂と十字軍

9~10世紀頃のヨーロッパには次のような実力者がいた

  • 皇帝……帝国の君主。神聖ローマ帝国やビザンツ帝国の頂点
  • 国王……王国の君主。フランス王国やイングランド王国の頂点
  • 教皇……カトリックの盟主。ローマ教会の頂点
  • 総主教……正教会の盟主。総主教庁の頂点

皇帝というのは帝国の君主のこと。

「皇」は「王」の上の概念なので、王をまとめる者といった意味を持つ(始皇帝や天皇も同様)。

そして帝国というのはこの時代、ローマ帝国を示す。

東西に分裂したので東ローマ帝国=ビザンツ帝国と、西ローマ帝国を再興した神聖ローマ帝国がそれに該当する。

というわけで、この時代にはふたりの皇帝が存在した。

 

国王は国の数だけ存在する。

ドイツの土地などではザクセン王というように地方政権も王を名乗ったりしているので王は多数存在した。

 

総主教は総主教庁の数だけ存在したので教皇のように権力が集中しなかったし、現世を治めるのはあくまでビザンツ皇帝で役割分担ができていた。

ローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂
サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂。当初ローマ総主教座はここにあったが、9世紀以降、首席教会堂の座はサン・ピエトロ大聖堂に移された。世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」構成資産
サン・ピエトロ大聖堂
ローマのサンタンジェロ城から見たサン・ピエトロ大聖堂。20世紀にムッソリーニがバチカンの独立を認めて以来、大聖堂の前の道は「和解の道」と呼ばれている

西ローマ帝国滅亡後、教皇はローマ帝国の再興と強力な保護国を確保するために、フランク王国に接近する。

 

800年、教皇レオ3世がサン・ピエトロ大聖堂①にてフランク王カール大帝にローマ皇帝の帝冠を授け、形的には西ローマ帝国が復活(カールの戴冠)。

962年には教皇ヨハネ12世がアーヘン大聖堂②でビザンツ帝国に無許可のまま東フランク王国オットー1世に戴冠(オットーの戴冠)し、神聖ローマ帝国が誕生する。

※①世界遺産「バチカン市国(バチカン、 1984年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「アーヘン大聖堂(ドイツ、 1978年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 

[関連サイト]

ローマ歴史地区/イタリア・バチカン

バチカン市国

 

カールの戴冠はレオ3世によるだまし討ちだったようで、突然戴冠されたカール大帝はビザンツ帝国との対立を恐れてサン・ピエトロ大聖堂への訪問を後悔したといわれている。

一方、オットー1世はローマ帝国の再興を標榜し、ローマに滞在してイタリア統治に腐心した。

 

カールとオットーの戴冠をはじめ、聖像禁止令への反発、典礼方法の差異、教皇首位件問題(総主教の中での教皇の優位性の問題)などさまざまな問題が積み重なり、1054年、ついにローマ教皇レオ9世とコンスタンティノープル総主教ミハイル1世が互いを破門する。

東西教会の分裂=シスマだ。

 

これによりキリスト教はカトリック(普遍)とオーソドックス(正統)、ローマ・カトリック教会と正教会が明確に分裂する。

もっともこれ以前から組織は分かれていたし、本当に教皇と総主教の相互破門だったのかもハッキリしていない。

 

なお、1964年1月5~6日、聖地エルサレムにてローマ教皇パウロ6世とコンスタンティノープル総主教アシナゴラス1世が会談を開催。

翌年12月7日、互いの破門が解消され、911年ぶりに和解が成立している。

世界遺産「アーヘン大聖堂」
世界遺産「アーヘン大聖堂」の1900年前後の姿。カール大帝による造営で、オットー1世が戴冠式を行って以降、代々神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われた

* * *

 

東西教会は分裂した。

西ヨーロッパにおいて、教皇と皇帝(神聖ローマ皇帝)の関係も万全ではなかった。


民族移動が終わり、フランク王国や神聖ローマ帝国が西ヨーロッパを広く支配していた頃、人々は安定した定住生活を求めて生活の基盤となる「土地」を重視した。

多くの土地を持つ者は主君として家臣に領地(封土)を与え、移住者・侵略者からその土地(荘園)を守った。

一方家臣は軍務、賦役(荘園労働)、貢納(税)といった義務を持つ代わりに、強力な主君の庇護下で比較的安定した生活を送った(封建的主従関係)。

 

荘園はその内部で社会がほとんど完結しており、それぞれの領主は半ば独立していた。

皇帝-国王-諸侯-騎士-家臣-農奴といった序列はあっても、実際力を持っているのは諸侯・騎士で、皇帝も国王も諸侯の代表者にすぎなかった。

たとえば諸侯は不輸不入権を持ち、国王や政府の立ち入りは制限されていた。

だから神聖ローマ帝国といってもそれは地方政権や都市国家の連合体で、人々には帝国に所属しているという意識はほとんどなかった。

 

一方で、ローマ・カトリック教会もローマ教会-大聖堂-教会-修道院、あるいは教皇-大司教-司教-司祭-修道院長という組織で人々を心理面から支配した。

子供の洗礼や教育、結婚の祈祷、葬式の終油、争いに対する調停・裁判をはじめ、教会が果たす役割は大きく、地方に深く浸透していた。

 

司教や司祭は皇帝や王が任命し、教皇が承認を与えていたが、力をつけた諸侯たちは司教や司祭を自分たちで任命し、世襲をはじめた。

こうした腐敗に対し、クリュニー修道院が改革を起こし、教皇グレゴリウス7世がこれを引き継いで、聖職者の任命権(聖職叙任権)を取り戻し、聖職の売買を厳しく禁じた。

 

これに神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が反発して教皇と皇帝の対立が表面化。

教皇の勢力拡大を恐れるイタリア諸侯は皇帝側につき、皇帝の勢力拡大を恐れるドイツ諸侯は教皇側につき、聖職叙任権闘争がはじまる。

 

1076年、グレゴリウス7世はついにハインリヒ4世を破門する。

これを受けてドイツ諸侯が帝位の廃位を求めたために、その座が危うくなったハインリヒ4世は1077年、イタリアのカノッサで教皇に謝罪。

雪が降る城門の外で3日間もグレゴリウス7世を待ち、許しを請い続けたという(カノッサの屈辱)

 

ちなみに、このとき司教都市ザルツブルクの大司教は教皇側についていた。

そのザルツブルク大司教が帝国の侵攻に備えて築いた城がホーエン・ザルツブルク城だ※。

※世界遺産「ザルツブルク市街の歴史地区(オーストリア、1996年、文化遺産(ii)(iv)(vi))

 

この後ハインリヒ4世は帝位を巡ってドイツ諸侯と争い、一時はローマにも遠征してローマ教会を封鎖する。

叙任権闘争自体は1122年のヴォルムス協約で一応の決着を見るが(皇帝はドイツ以外の地での叙任権を放棄)、ドイツ諸侯の対立や、皇帝と教皇の確執は以後長きにわたって引き継がれることになる。

 

* * *

クラック・デ・シュバリエ
クラック・デ・シュバリエ。サラディンがひと目で攻略をあきらめ、アラビアのロレンスが「世界でもっともすばらしい城」と評した美しい城塞

民族移動の脅威やウマイヤ朝、アッバース朝といったイスラム系超大国の圧力に耐えたビザンツ帝国だったが、11世紀にトルコ人のイスラム王朝セルジューク朝が起こると、第二代スルタン、アルプ・アルスラーンが小アジアに侵入。

1071年、マラズギルトの戦いに敗れると、多くのトルコ人が小アジアに侵入し、トルコ化・イスラム化を進めていく。

 

こうした危機に対してビザンツ皇帝アレクシオス1世は教皇ウルバヌス2世に援軍の派遣を要請する。

1095年、ウルバヌス2世はクレルモン公会議でイスラム教国の征伐とエルサレム奪回を呼び掛ける。

 

翌年、諸侯や騎士たちはこれに応えて集まり、第一回十字軍を結成。

小アジア・アナトリア高原を横断して陸路西アジアに入り、略奪と虐殺を繰り返しながら進軍し、1099年にエルサレム※を落とす。

エルサレムではイスラム教徒、ユダヤ教徒、正教会の人々を無差別に殺害。

街は血に染まったという。

※世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請、1981年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

 

エルサレムの周辺にはエルサレム王国、エデッサ伯国、アンティオキア公国、トリポリ伯国という聖地四国を中心にキリスト教国が成立し、山の峰にカラット・サラディン※やクラック・デ・シュバリエ※といった城を連ねて防衛戦を張った(キャッスル・ベルト)。

※世界遺産「クラック・デ・シュバリエとカラット・サラディン(シリア、2006年、文化遺産(ii)(iv))」

 

[関連サイト]

クラック・デ・シュバリエ/シリア

古都アレッポ/シリア

アレッポ城
十字軍の攻撃に耐え抜いたアレッポ城。もともと神殿だったが十字軍に備えて城塞化した。世界遺産「古都アレッポ(シリア、1986年、文化遺産(iii)(iv))」構成資産
ヴァネチア、サン・マルコ大聖堂
ヴァネチア、サン・マルコ大聖堂。馬の彫刻は第四回十字軍遠征の手土産としてコンスタンティノープルより持ち帰ったもの

1147年にエデッサ伯国がイスラム諸国に敗れると、第二次十字軍を結成。

しかし、ダマスカス郊外で返り討ちにあう。

 

1187年、エジプトのイスラム国家アイユーブ朝の英雄サラディン(サラーフッディーン、サラーフ=アッディーン)がエルサレムを奪還。

十字軍国家と戦い、次々に版図を広げていく。

サラディンは捕虜を解放し、財産の持ち出しを認め、貧困者や子供には贈り物まで持たせたり、異教徒にもエルサレム巡礼を認めたために敵味方から愛され、現在でも英雄として崇められている。

 

1189年には西ヨーロッパの三大王、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、イングランド王リチャード1世、フランス王フィリップ2世が集結して第三回十字軍を結成。

アッコ①を攻略しエルサレム王国を再興してエルサレムに迫るが、結局1192年に休戦協定を結び、攻略は失敗に終わる。

この戦いでも十字軍は捕虜を大量虐殺するなど凄惨な戦いを続け、これに対してサラディンはアッコのキリスト教徒に対しても巡礼を認めている。

なお、サラディンは翌年死去し、ウマイヤド・モスク②隣接のサラディン廟に眠っている。

※①世界遺産「アッコ旧市街(イスラエル、2001年、文化遺産(ii)(iii)(v))」

 ②世界遺産「古都ダマスカス(シリア、1979年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

1202年、インノケンティウス3世が第四回十字軍を結成。

十字軍はベネチア①の輸送船団とともにイタリア半島を発ち、地中海貿易のライバルであるバルカン半島ダルマチア地方のサダル②を攻略。

続いてビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル③を落としてラテン帝国を建国する。

エルサレム奪還のはずが同じキリスト教国であるビザンツ帝国を攻撃したということで当然インノケンティウス3世は激怒。

一連の動きはベネチアが主導したものであったようだ。

※①世界遺産「ベネチアとその潟(イタリア、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi))」

 ②クロアチアの世界遺産暫定リスト記載

 ③世界遺産「イスタンブール歴史地域(トルコ、1985年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 

結局1291年にアッコが落ちるまで計7回(数え方によっては8~9回)の十字軍が派遣されたが、エルサレム奪還はならなかった。

 

[関連サイト]

聖地エルサレム

ベネチアとその潟/イタリア

イスタンブール/トルコ

* * *

城塞都市カルカソンヌ
カルカソンヌ。ローマ帝国時代以来の城郭都市で、城壁に囲まれた中心地はシテと呼ばれている
アルビのポン・ヴィユー
アルビのポン・ヴィユー(古い橋)。1053年の建築で、これをきっかけにアルビが発展した

エルサレムではなく、ヨーロッパ域内を攻撃した十字軍も紹介しておこう。

まずはインノケンティウス3世が南フランスに送ったアルビジョワ十字軍だ。

 

諸侯として権力と財力を手に入れた聖職者の腐敗に対し、キリスト教カタリ派(アルビジョワ派)はフランス王国の力が及ばない南フランスやイタリアで独自の信仰を広めていた。

教皇はローマ・カトリック教会への帰属を求めるが、これを拒否。

12世紀後半に異端としてその布教を禁止されてしまう。

 

1209年、インノケンティウス3世は十字軍(アルビジョワ十字軍)を送り込み、ベジエを攻撃して住民を虐殺。

続いて難攻不落の城郭都市カルカソンヌ①を包囲して落とすと、その勢いでカタリ派の拠点のひとつであるアルビ②やミネルヴを制圧する。

 

フランス王ルイ8世、ルイ9世が南フランスの領有権を求めて参戦すると、アヴィニョン③や最大の拠点トゥールーズ④が1215年に陥落。

その後カタリ派が勢いを盛り返したりもするのだが、1229年にフランス王とトゥールーズ伯が協定を結び、アルビジョワ十字軍は解散する。

※①世界遺産「歴史的城塞都市カルカソンヌ(フランス、1997年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「アルビ司教都市(フランス、2010年、文化遺産(iv)(v))」

 ③世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(フランス、1998年、文化遺産(ii)(iv)(vi)」

 ④世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋(フランス、1995年、文化遺産(i)(ii)(iv))

マルボルク城
13世紀に建築されたドイツ騎士団の拠点、マルボルク城

続いて北方十字軍だ。

 

現在のバルト三国、エストニア、ラトビア、リトアニアの地には異教徒が暮らしていた。

これに対して1193年、教皇クレメンス3世は北方十字軍を組織して送り込む。

1200年には教皇インノケンティウス3世がふたたび北方十字軍を組織してリガ①を制圧。

リガを拠点にリヴォニア帯剣騎士団を組織して、周辺の異教徒への攻撃を継続した。

 

13世紀にはエルサレム攻略から帰還したドイツ騎士団がバルト征伐に参加。

リヴォニア帯剣騎士団を吸収し、ポーランドのトルニ②やマルボルク③、クルシュー砂州④、ダンツィヒ(グダニスク)、ケーニヒスベルク(カリーニングラード)などに拠点となる城塞を築き、タリン⑤などの都市を落とすと同時に、異教徒を虐殺したり、奴隷として売り払った。

 

ハンザ同盟の繁栄もあって上の諸都市はドイツ騎士団の下で繁栄するが、やがてポーランドが反映するとこれと対立して敗れ去り、16世紀に騎士団長を輩出するホーエンツォレルン家がプロイセン公になることで消滅した。

この辺りは「世界遺産と世界史38.三十年戦争とイギリス革命」を参照のこと。

※①世界遺産「リガ歴史地区(ラトビア、1997年、文化遺産(i)(ii))」

 ②世界遺産「中世都市トルニ(ポーランド、1997年、文化遺産(ii)(iv))」

 ③世界遺産「マルボルクのドイツ騎士団の城(ポーランド、1997年、文化遺産(ii)(iii)(iv))」

 ④世界遺産「クルシュー砂州(リトアニア/ロシア、2000年、文化遺産(v))」

 ⑤世界遺産「タリン歴史地区[旧市街](エストニア、1997年、2008年拡大、文化遺産(ii)(iv))」

マルタ騎士団の館から見たサン・ピエトロ大聖堂
ローマ・アヴェンティーノの丘にあるマルタ騎士団の館の鍵穴から覗いたバチカンのサン・ピエトロ大聖堂。騎士団領は各国の大使館同様、治外法権が認められている
ヴァレッタ
城壁に囲われたヴァレッタ市街。この名はマルタ騎士団団長ジャン・ド・ヴァレットに由来する

十字軍ではないが、聖ヨハネ騎士団の動きも見てみよう。


騎士団というのは修道士となった騎士階級の貴族を中心とする修道会の一種。

エルサレム防衛のために結成されたテンプル騎士団のように、十字軍の時代には武装し、イスラム教徒と戦った。


12世紀初頭、エルサレムに結成された聖ヨハネ騎士団も同様で、十字軍の戦闘に参加したり、サラディンと争った。

しかしエルサレムが奪われ、1291年にアッコが落ちると居場所を失い、キプロスに撤退。

キプロス王に追われると、1309年にはロードス島に移り、中世ヨーロッパ風の都市①を建設して定住する(ロードス騎士団)。

 

しかし1522年、オスマン皇帝スレイマン1世の攻撃を受けてシチリア島へ移動。

教皇と神聖ローマ皇帝の仲介でマルタ島に移り、拠点都市ヴァレッタ②を建築する(マルタ騎士団)。

18世紀にナポレオンの攻撃を受けてマルタ島を失うが、現在も世界各国に騎士団領を持ち、主権が認められて国連のオブザーバー組織となっている。

※①世界遺産「ロードス島の中世都市(ギリシア、1988年、文化遺産(ii)(iv)(v))」

 ②世界遺産「ヴァレッタ市街(マルタ、1980年、文化遺産(i)(vi))」

 

なお、ヨーロッパ中世の続きは「30.中世ヨーロッパの飛躍」を参照のこと。

 

 

次回はイスラム教の成立とウマイヤ朝(アラブ帝国)・アッバース朝(イスラム帝国)の繁栄を紹介する。

 


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