世界遺産と世界史40.明と清の繁栄

世界遺産「北京と瀋陽の明・清朝皇宮群」紫禁城
李自成に破壊された宮殿を清の皇帝たちが17世紀に再建した紫禁城(現・故宮博物院)。写真中央はその中心施設である太和殿で、皇帝の即位をはじめとする重要祭式が行われた。孔廟の大成殿、岱廟の天貺殿と並ぶ中国三大宮殿のひとつでもある

中国では14~20世紀にかけて、明と清が大帝国を築く。


特に清は明代の土地に加えて東トルキスタン(現・新疆ウイグル自治区)、チベット(現・チベット自治区)、青海省、内モンゴル(現・内モンゴル自治区)、外モンゴル(現・モンゴル国)、台湾、ロシア南部、カザフスタンやキルギス東部の一部を治め、中国史上最大の版図を獲得。

さらに現在のタイ、ラオス、ベトナム、ミャンマー、ネパール、北朝鮮・韓国といった国々にも朝貢させて、一大文化圏を成立させた。


現在中国と独立や領有権を争っている地域が上に多く含まれているように、中国共産党は清の時代の領土の再生を目標にしているとさえいわれている。


そしてまた、清は中国最後の王朝でもある。

紀元前221年に秦王・政が最初の皇帝=始皇帝となってから、清の第12代皇帝である宣統帝(溥儀)が1912年に退位するまで、2,133年の間に600人弱の皇帝を輩出してきた。

東アジア・東南アジア・中央アジアの多くの国が中国皇帝に朝貢していたように、中国の王朝は政治的にも経済的にも文化的にもつねにこれらの地方の中心であり続けた。


今回は中国王朝最後の輝き、明・清の繁栄に焦点を当てる。

なお明・清の周辺国、モンゴルやチベット、朝鮮半島、日本、東南アジアなどの動きについては「世界遺産と世界史41.東アジア・東南アジアの植民前史」を、また明・清以前の中国史については「世界遺産と世界史28.モンゴル帝国の世界征服」や「世界遺産と世界史26.隋・唐・宋の時代」を参照のこと。


* * *

世界遺産「万里の長城」金山嶺
明代の長城のひとつ、金山嶺。洪武帝が北京近郊に築いた全長10.5kmの長城で、数多く設けられた関と望楼が美しい。近郊には司馬台長城があり、長城を歩いて行き来することができる。世界遺産「万里の長城」構成資産

<明>

 

14世紀、中国ではモンゴル帝国の流れを受けた元朝が支配していた。

しかし、政治・経済面の失敗でインフレが深刻化するなど市民生活は困窮し、加えて水害をはじめとする自然災害が頻発して凶作・飢饉に見舞われ疫病が広がっていた。


農民の息子に生まれた朱元璋(しゅげんしょう)も餓死、あるいは疾病で家族を失った。

仕方なく出家して僧となり、食べ物を托鉢でもらうという物乞いに近い生活を送っていた。

そんな朱元璋が身を寄せたのが弥勒菩薩の救済を信じる仏教一派・白蓮教(びゃくれんきょう)だ。


この頃各地で反乱が起こっていたが、白蓮教徒が紅巾の乱(1351~66年)を起こすと群雄が呼応し、その勢いで元の都である上都※や首都・大都(現在の北京)を落としてしまう。

元が北のモンゴル高原に退く一方で(北元:1371~88年)、朱元璋は穀倉地帯である南部の反乱を平定し、1368年に南京を首都に明を建てる(以下、洪武帝と表記)。

※世界遺産「上都[ザナドゥ]の遺跡(中国、2012年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))」


洪武帝は政治・経済を立て直すために、まずは三省で残っていた中書省を廃止し、六部と軍を皇帝直属として皇帝独裁を確立。

明律・明令を制定して法体系を整備し、朱子学を官学として科挙によって優秀な人材を登用した。

一方で、反発する人間は容赦なく処刑し、おびただしい数の貴族を殺害し、恐怖政治を敷いた。

 

経済面では海禁を行い、民間による海上貿易や海外渡航を禁止。

これにより中世ヨーロッパで都市が力を持ったように、貿易で利益を上げて都市が振興するのを防いだ。

その代わりに冊封体制を復活させて朝貢貿易を推進し、中央集権は国外を巻き込んで拡大した。

世界遺産「天壇:北京の皇帝の廟壇」圜丘壇
もともと天壇と呼ばれていた圜丘壇(かんきゅうだん)。明・清代の皇帝たちは冬至にここを訪れ、中心にある天心石の上に立って三跪九拝(さんききゅうはい)の礼をとって天の神=天帝の声を聴いたという (C)Zcm11
世界遺産「天壇:北京の皇帝の廟壇」祈年殿
天壇公園の祈年殿。1420年、明の永楽帝の建立だが、清代に焼失して再建された。もともと祈穀壇で呼ばれたもので、明・清の皇帝たちが春節(旧正月)にここを訪れて五穀豊穣を祈った

なお、冊封とは天にいる神を「天帝」、天帝から天命を受けて地上を治める者を「天子」とし、天子である皇帝に仕える者として君臣の関係を結ぶことをいう。

皇帝に朝貢(貢物を贈ること)する代わりに皇帝から官位を受け、冊封関係を結んだ。


農村については1里110戸単位で里長を決め、里長を輪番制で担当させて自主的な管理を促進(里甲制)。

土地台帳=魚鱗図冊で戸籍を定め、租税台帳=賦役黄冊で税金を管理した。

また、六諭という六か条の教訓を定めて教育にも力を注いだ。


軍については衛所制を導入して軍人を輩出する軍戸と一般の民戸を分けて管理。

また、国境付近に息子たちを王として送り込んで警備にあたらせた。


洪武帝の死後、皇帝位に就いたのが建文帝だ。

この頃、華北でモンゴルを抑えていた北平(北京)の燕王が力を伸ばすと、建文帝は諸王の勢力の削減を図る。

これに対する燕王の反乱が靖難(せいなん)の役(1399~1402年)だ。


燕王が南京を落として帝位に就き(以下、永楽帝と表記)、北京に遷都すると広大な宮殿=紫禁城①や、神である天帝から天命を授かる天壇②をはじめとするさまざまな壇を建設した。

そして北に遷都した代わりに京杭大運河③を再開発して杭州④から天津に至る運河を整備し、南北を貫く動脈を確保して輸送体制を整え、全国統一を促した。

※①世界遺産「北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群(中国、1987年、2004年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 ②世界遺産「天壇:北京の皇帝の廟壇(中国、1998年、文化遺産(i)(ii)(iii))」

 ③世界遺産「中国大運河(中国、2014年、文化遺産(i)(iii)(iv)(vi))」

 ④世界遺産「杭州西湖の文化的景観(中国、2011年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」


[関連サイト]

北京と瀋陽の明・清朝皇宮群/中国

天壇/中国

世界遺産「マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群」マラッカの華僑・華人街
マラッカの華僑・華人街。異民族の王朝である金や元の侵入で漢民族が押し出された結果、南部沿岸部に住んでいた多くの中国人がマラッカをはじめとする東南アジアに進出。明・清の時代に最盛期を迎えた

永楽帝は洪武帝に続いて宦官を徴用して皇帝独裁を推進。

補佐のために内閣を設置した。

また、反乱で天下を取った自分を批判する学者を抑えるために『永楽大典』『四書大全』『五経大全』などの儒学書を編纂し、自らの認める儒学思想の浸透を図った。


永楽帝は外征にも積極的だった。

北においてはモンゴル高原に退いていた北元を追撃。

南ではベトナムのホー朝(胡朝)を攻め、首都タインホア①を落として征服した。

ベトナムではまもなくハノイ②に首都を置くレ朝(黎朝)が成立している。

※①世界遺産「ホー朝[胡朝]の城塞(ベトナム、2011年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「ハノイ-タンロン王城遺跡中心地区(ベトナム、2010年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

マラッカのスタダイスに設置されている鄭和像
マラッカのスタダイスに設置されている鄭和像

さらに、イスラム教徒の宦官・鄭和にインド洋一帯の遠征を命令。

鄭和は62隻の大艦隊を率いて中国~東南アジア~インド~東アフリカを回り、メッカ巡礼=ハッジも行った。

ヴァスコ・ダ・ガマがカリカットに到達するのは1498年、鄭和は1407年。

ガマの旗艦サン・ガブリエル号の全長は約27m、対する鄭和の宝船は全長約130mという驚異的な船団だった。


鄭和が立ち寄った港で世界遺産が絡むものでは、①アユタヤ、②マラッカ、③ゴール、④ジェッダなどがある。

特にマラッカは鄭和の航海後に急成長して東南アジア最大の貿易港となっている。

※①世界遺産「古都アユタヤ(タイ、1991年、文化遺産(iii))」

 ②世界遺産「マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群(マレーシア、2008年、文化遺産(ii)(iii)(iv))」

 ③世界遺産「ゴール旧市街とその要塞群(スリランカ、1988年、文化遺産(iv))」

 ④世界遺産「ジェッダ歴史地区:メッカへの玄関口(サウジアラビア、2014年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」


[関連サイト]

古都アユタヤ/タイ

マラッカとジョージタウン/マレーシア

世界遺産「万里の長城」慕田峪
北斉の長城が明代に改修された慕田峪。北京中心部から70kmの位置にあり、首都防衛線としてたびたび改修された。重さ500kgに達する花崗岩ブロックで築かれ、馬5頭が並んで駆けられたという

モンゴル遠征中に永楽帝が死去すると、子の洪熙帝、孫の宣徳帝の順で帝位を継承する。

ふたりの時代は「仁宣の治」といわれ、明の絶頂期とされている。


この頃、急速に勢力を伸ばしたのがモンゴルのオイラートだ。

オイラートはエセン・ハーンの下でモンゴル高原を統一し、一時期ではあったが朝鮮半島から中央アジアまで広大な版図を収めた。


オイラートは明に朝貢していたが、朝貢貿易については朝貢国の貢物より価値あるものを皇帝が下賜(かし)する習わしがあったので、朝貢されている明の財政負担の方が大きかった。

エセン・ハーンはこれ求めて法外な貢物を贈ったが、明が拒否したため軍を派遣した。


これに対して明の正統帝が自ら迎撃するも、1449年に土木堡で捕らえられ(土木の変)、北京を包囲されてしまう。

その後、明はモンゴル系の諸部族と結んで離間策を計り、無条件で正統帝が返されて窮地を脱する。


それから約100年後の1550年、今度はモンゴル系のタタールがモンゴル高原の多くを統一。

アルタン・ハーンがやはり朝貢を求めて中国に侵入し、略奪したのち北京を包囲する(庚戌[こうじゅつ]の変)。


度重なるモンゴル系部族の侵入に対し、明は万里の長城※を大改築してこれに備えた。

現在北京近郊で見られる八達嶺や居庸関、慕田峪(ぼでんよく)、司馬台といった美しい長城はほとんどがこの時代のものだ。

なお、中国国家文物局は2009年に明代の長城の総延長を8,851.8kmと発表し、2012年には秦代や漢代のものも含めて長城の総延長は21,196.18kmとしている。

北部にあるもの以外の長城も含めると、地球の円周40,000kmを超えるおよそ50,000kmともいわれる。

※世界遺産「万里の長城(中国、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

[関連サイト]

万里の長城/中国

世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」龍源寺間歩
豊富な銀鉱脈と灰吹法という抽出技術で最盛期には世界の銀の三分の一を産出したという石見銀山。莫大な富から大内氏、尼子氏、毛利氏、豊臣氏等が幾多の争奪戦を繰り広げた。写真は代官所直営の坑道で、長さ約600mを誇る龍源寺間歩

北からの侵入に加えて、南部の海岸沿いでは倭寇に苦しめられていた。

海禁政策によって貿易ができなくなった日本の商人たちが海賊となって略奪を開始。

室町幕府の足利義満が朝貢を行って日本国王になると、明との間で勘合貿易(日明貿易)が行われて倭寇は下火になる。

しかし、日本人倭寇が衰退すると今度は中国人が主体となって倭寇を構成し、沿岸部のみならず河川沿いの都市の襲撃をはじめた。


北のモンゴルと南の倭寇、このふたつの苦難を北虜南倭という。


16世紀中盤、日本で石見銀山①が発見されると日本銀、あるいは丁銀という名で中国に大量に輸出された。

同じ頃、新世界のスペイン領でも南米のセロ・リコ銀山(ポトシ銀山)②が発見され、続いてメキシコのバレンシア銀山③やサカテカス④近郊の銀山、ボリビアのプラカヨ銀山⑤などでも巨大な銀鉱脈が見つかり、スペイン銀貨に鋳造されて中国にもたらされた。

特に16世紀後半から活発化したのがメキシコのアカプルコとフィリピンのマニラを結ぶアカプルコ貿易で、このルートで運ばれる銀はメキシコ銀と呼ばれてアジアの基軸通貨となった。

セロ・リコ銀山は世界の銀の二分の一、石見銀山は三分の一、バレンシア銀山は四分の一を生産するとまでいわれた。

銀が行き渡ることで貨幣経済が浸透し、世界的に商工業が発達した。

※①世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観(日本、2007年、文化遺産(ii)(iii)(v))」

 ②世界遺産「ポトシ市街(ボリビア、1987年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ③世界遺産「古都グアナファトとその銀鉱群(メキシコ、1988年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 ④世界遺産「サカテカス歴史地区(メキシコ、1993年、文化遺産(ii)(iv))」

 ⑤ボリビアの世界遺産暫定リスト記載

世界遺産「明・清朝の皇帝陵墓群」
1875~1908年頃に描かれた明十三陵の水墨画。北京近郊の明十三陵には永楽帝の長陵、洪熙帝の献陵、宣徳帝の景陵をはじめ、13人の皇帝陵墓が集中している。世界遺産「明・清朝の皇帝陵墓群(中国、2000年、2003・2004年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」構成資産
世界遺産「古都平遥」
明・清の時代に塩や金融業で富をなした山西商人の拠点として繁栄した城郭都市・平遥。明代の街並みがいまに伝えられている。世界遺産「古都平遥(中国、1997年、文化遺産(ii)(iii)(iv))」構成資産

商工業が活性すると中国でも生糸や陶磁器の生産が増し、家内制手工業が広まっていった。

そのため貿易の圧力が高まり、海禁は次第に緩和された。

そして一部の富農は郷紳となり、郷村社会のリーダーとなった。

 

また、長江中流域で米の生産が伸び、この時代は「湖広熟すれば天下足る」といわれた。

湖広とは湖北省・湖南省・江西省辺りのことで、「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」の蘇湖(江蘇省・浙江省周辺)より上流に移っていることがわかる。

変わって蘇湖では絹や綿の織物で繁栄した。


1572年、万暦帝がわずか10歳で即位すると、張居正が宰相として政治の立て直しを図る。

北虜南倭によって財政は悪化し、宦官が要職を独占して悪政に悩まされていたが、張居正は宦官を取り締まり、税金を厳しく徴収。

一条鞭法を導入して複雑化していた税を銀での納税に統一し、タタールと和解して北の憂いを断った。


万暦帝の時代に中国にやってきたのがイエズス会のマテオ・リッチだ。

時計や地図などを万暦帝に贈って気に入られると布教を認められて中国に滞在。

世界地図『坤輿万国全図』や数学書『幾何原本』などを編纂した。

 

張居正の活躍で立て直された財政だが、日本の侵入でこれが反転。

豊臣秀吉が文禄の役(1592~93年)・慶長の役(1597~98年)で朝鮮王朝(李氏朝鮮)に侵入すると(朝鮮出兵)、首都・漢城府(現在のソウル)を落として景福宮や昌徳宮※を焼き払う。

明は冊封国である朝鮮王朝の求めに応じて大軍を派遣して日本に対抗。

秀吉の死で撤退するが、明の軍事費負担は莫大なものになっていた。

※世界遺産「昌徳宮(韓国、1997年、文化遺産(ii)(iii)(iv))」

 

[関連サイト]

 

昌徳宮/韓国

 

財政が逼迫しているので高い税をかけて宦官が徴収に乗り出すが、強引な取り立てが反発を呼び、各地で反乱が頻発。

政府内でも宦官による悪政を批判する東林党と非東林党との間で対立が起こる。

世界遺産「万里の長城」山海関
ヌルハチやホンタイジがどうしても破れなかった「天下第一関」山海関。明代の長城の東端のひとつだが、経度的には虎山が東端とされる。ちなみに、西端の嘉峪関は「天下第一雄関」といわれている
世界遺産「北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群」瀋陽故宮の大政殿
清の最初の首都・瀋陽に築かれた瀋陽故宮の大政殿。ヌルハチの建設で、八角形であるのはモンゴルの移動式住居パオを模して造られたためといわれる (C)Wilson44691

16世紀末、中国東北部で急速に力を伸ばしていたのが女真族だ。

ヌルハチは秀吉の朝鮮出兵や各地の反乱に追われる明の隙をついて勢力を拡大し、1616年に後金を建国。

遼河以東の女真族を統一すると盛京(瀋陽※)に宮殿を築いて首都とした。

※世界遺産「北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群(中国、1987年、2004年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」


[関連サイト]

北京と瀋陽の明・清朝皇宮群/中国

 

ヌルハチは遼河を越えて明に戦いを挑むが、万里の長城のひとつの東端で、難攻不落で知られる山海関①が落とせず戦死してしまう。

 

息子のホンタイジが跡を継ぐと内モンゴルを平定してハーンを襲名し、元朝の玉璽(ぎょくじ。皇帝の印章)をモンゴル系の部族から入手。

女真族・モンゴル系・中国東北部の漢民族の支持を受けたホンタイジは1636年に皇帝に即位して清を建国する。

 

ホンタイジの即位を認めなかったのが明に朝貢していた朝鮮王朝だ。

これに激怒したホンタイジは自ら軍を率いて鴨緑江を渡り、またたく間に首都・漢城(現在のソウル)を落とす。

国王・仁祖らは南漢山城②に立てこもるが、打開策なく降伏。

以後属国として朝貢させ、日本を除く東の地域をほぼ平定した。

※②世界遺産「万里の長城(中国、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ③世界遺産「南漢山城(韓国、2014年、文化遺産(ii)(iv))」

 

[関連サイト]

 

万里の長城/中国


この頃、国名を後金から清に変更したのに合わせて自らの民族を女真族から満州族に変えている。

これに伴い、以下では満州族と表記する。

なお、「満州」は仏教の文殊菩薩の文殊に由来するといわれるが、定かではない。

世界遺産「万里の長城」山海関の老龍頭
呉三桂が守り抜いた山海関の老龍頭。渤海に突き出したその姿は「最果て」を感じさせる

清建国の時点では明と清は併存していたが、明にはすでに地方の反乱を抑える力がなかった。

1630年代になると農民たちが蜂起して李自成の乱が勃発。

都市を破壊・略奪しながら移動を繰り返す反乱軍に対応できず、かといって清に対抗するために山海関に送っていた軍を戻すこともできなかった。


1644年、李自成は北京を包囲してついにこれを落とす。

といっても官僚たちは紫禁城から逃げ出し、市民は李自成等を歓迎したという。

最後の皇帝・崇禎(すうてい)帝は首を吊って自害し、ここに明は滅亡。

李自成は略奪したのち紫禁城に火を放ち、これを完全に破壊したという。


その頃、山海関で明軍の将として清と戦っていたのが呉三桂だ。

北京落城の報を受けた呉三桂は、李自成からこれまで通り山海関の守備の命を受けるが、これを拒否。

山海関を開城すると敵である清に降伏してしまう。


こうしてヌルハチ、ホンタイジの二代にわたって落とせなかった山海関がついに落ち、清の進撃がはじまる。


* * *

清朝の版図の推移

 

<清>


李自成の乱が起こる前年、ホンタイジの息子・順治帝はわずか6歳で皇帝に即位していた。

政治の実権を握っていたのはホンタイジの弟である摂政ドルゴンだ。


ドルゴンは呉三桂を先頭に攻め上がると、李自成の軍を打ち破って北京に入城。

李自成は西安に逃れてその後暗殺されたという。


順治帝は首都を北京に遷して紫禁城の再建を開始。

もっとも清朝前半期の王たちは、夏場については北京を離れて遊牧生活を行っていた。


ドルゴンや順治帝は呉三桂のような明の優秀な武将を取り立て、宦官を廃して政治の純化に努めた。

そして各地の反乱を平定し、科挙や儒学をはじめとする明の諸制度を継続して地方に安心感を与えた。

その一方で、満州族の髪形である弁髪(多くの頭髪を剃り、一部を編んで後ろに垂らした髪型)を強要し、清に対する忠誠を目に見える形で誓わせた。


順治帝に続く康熙帝(こうきてい)・雍正帝(ようせいてい)・乾隆帝(けんりゅうてい)の時代に清は全盛期を迎える。

康熙帝が即位したあと、雲南・広東・福建の3つの藩で反乱が起こる(三藩の乱:1673~81年)。

これら三藩には雲南の呉三桂をはじめ漢民族の藩王を置いていたが、地方が安定してきたため藩の廃止を決定。

これに反対して三藩の藩王が蜂起した。


この反乱に台湾で活動していた鄭成功が呼応。

鄭成功は日本の平戸で生まれ日本人の母親を持つ人物で、明を再興するため抗清運動を展開していた。

1661年にオランダを追放して台湾を占領すると、海軍力を用いて清を攻撃した。


陸と海、両面から苦しめられたが、康熙帝は1681年に三藩の乱を鎮圧。

海禁を行い、遷界令を出して広東省や福建省などの沿岸部から住人を内地に強制移住させると、鄭成功の資金源を断って、1683年に台湾を攻略した。

こうして相次いで反乱を鎮めたことで、清の中国統一が確立した。


なお、遷界令撤回後に土地に戻ったもともとの住人を本地人、人がいなくなった沿岸部に新たに移住した漢民族を客家(ハッカ)と呼ぶ。

本地人と客家の争い=土客械闘は清末まで続くことになる。


外征では、モンゴル高原を広く支配していたオイラート系のジュンガル王国とその周辺諸国を攻撃し、ジュンガルを冊封国とすることに成功。

清の皇帝はモンゴルのハーンでもあり、清のモンゴル支配を確認した。

また、1689年にはロシアのピョートル大帝とネルチンスク条約を結んで国境線を画定している。

世界遺産「安徽南部の古村落-西逓・宏村」宏村
水墨画のような美しさから「中国画里郷村」と称される宏村。明・清代に栄えた新安商人(徽商)の拠点で、人々は世界遺産「黄山」の麓のこの村を出て商売を行い、富を得て故郷に錦を飾った。世界遺産「安徽南部の古村落-西逓・宏村(中国、2000年、文化遺産(iii)(iv)(v))」構成資産

文化的には『康熙字典』や『古今図書集成』など数多くの書物を編纂させて儒学を奨励する一方で、意に沿わない書物を禁書として多くの文人を弾圧した(文字の獄)。

『康熙字典』は数多くの文字の字体や字義・字音を収めて今日でも漢字の原本とされており、日本の漢和辞典にも多大な影響を与えている。

また、イエズス会士のブーヴェ等に命じて作らせた『皇輿全覧図』は長らく中国地図の原本となった。


順治帝や康熙帝は大砲や天文学をはじめ先進的な技術を有するキリスト教宣教師を利用していた。

たとえばアダム・シャールやフェルビーストは大砲を清に贈っており、これらは外征で大いに活躍した。


イエズス会は中国社会への浸透を第一に考えてこうした贈り物を送り、信者たちが孔子や氏神を祀ることも認めていたが、ドミニコ会やフランシスコ会がこれに反対して典礼問題に発展。

ローマ教皇がこうした行為を禁じたことから、康熙帝はイエズス会以外の布教を禁止した。

世界遺産「明・清朝の皇帝陵墓群」泰陵
清西陵にある雍正帝の陵墓、泰陵。清西陵には雍正帝ら4人の、清東陵には康熙帝や乾隆帝等8人の陵がある。なお、ヌルハチは福陵、ホンタイジは昭陵が陵墓だ。世界遺産「明・清朝の皇帝陵墓群」構成遺産 (C)Fanghong

続く雍正帝はラサ※を攻略してグシ・ハーン朝を征服し、チベットを分割して四川省や雲南省・甘粛省などを取り込んだ。

1727年にはロシアとキャフタ条約を結び、モンゴルとの国境を画定させた。

※世界遺産「ラサのポタラ宮歴史地区(中国、1994年、2000・2001年拡大、文化遺産(i)(iv)(vi))」


[関連サイト]

ラサのポタラ宮/中国


雍正帝は内政において、数々の変更を行った。

皇帝直属の諮問機関である軍機処を設け、内閣をはじめとする官僚を無視して皇帝独裁を強化。

学者に対しては文字の獄で弾圧し、思想統制を行った。

また、税の銀納を進めて税制を簡略化して納税率を向上させ(地丁銀制)、キリスト教に関しては全面的に布教を禁止して国内から排除し、イエズス会士に対してのみ滞在を認めた。


清の最大版図、つまり中国史上最大版図を築くのが乾隆帝だ。

十全武功と呼ばれる十度の外征を行い、トンブリー王朝(タイ)、ネパール王国(首都カトマンズ※)、コンバウン朝(ミャンマー)、タイソン朝(西山朝。ベトナム)などに朝貢させた。

また、モンゴルのジュンガル王国を攻めてこれを滅ぼし、東トルキスタンを領土にくわえて新疆(しんきょう)と命名した。

現在の新疆ウイグル地区がこれだ。

※世界遺産「カトマンズの谷(ネパール、1979年、2006年、文化遺産(iii)(iv)(vi))」


[関連サイト]

カトマンズの谷/ネパール

世界遺産「承徳の避暑山荘と外八廟」外八廟の普陀宗乗之廟
康熙帝が夏の離宮として建設した避暑山荘。その周囲には外八廟という寺院群が建てられた。こちらは乾隆帝が建設させた外八廟の普陀宗乗之廟で、ラサのポタラ宮を模している。世界遺産「承徳の避暑山荘と外八廟(中国、1994年、文化遺産(ii)(iv))」構成資産 (C)Gisling
世界遺産「中国大運河」余姚運河の通済橋
雍正帝の時代に築かれた余姚運河の通済橋。気候の異なる中国を縦に貫く大運河は南北の物流を促進する動脈として機能し、特に海禁時代に重要視された。世界遺産「中国大運河」構成資産 (C)Siyuwj

モンゴルや青海・チベット・新疆といった辺境には理藩院を置いて統治させた。

それほど引き締めが強かったわけではなく、むしろチベットのダライ・ラマやウイグルのベクといった宗教指導者を尊重し、チベット仏教やイスラム教を保護して人心の掌握に努めた。


もっとも、内モンゴルやチベット、新疆の人々は、清の属国であることを認識していなかった者も多かった。

たとえばチベットのダライ・ラマは清との関係を対等と考えていた。

これが現在のチベットや新疆ウイグル、内モンゴルの独立問題につながっている。


乾隆帝は自国の領土を広げると同時に、広州を除いて海禁を実施して鎖国を進めた。

イエズス会は布教の自由を要求したが認められず、中国での活動を停止した。



次回はモンゴル、チベット、朝鮮半島、沖縄、日本、ベトナム、タイ、ミャンマー、ラオス、マレーシアといった明・清周辺の動きを紹介する。

 


News

★世界遺産カテゴリー "WORLD HERITAGE" にて新シリーズ「世界遺産検定攻略法」が始動! 最難関の1級とマイスター攻略を中心に、受検戦略や学習法を紹介します。

 →世界遺産検定攻略法

★世界遺産カテゴリー "WORLD HERITAGE" にて新シリーズ「世界遺産写真館」を立ち上げました。

ぼくがこれまで撮影してきた写真を掲載していこうと思います。

 →世界遺産写真館

世界遺産「シェーンブルン宮殿と庭園群」
フランス・ブルボン家のベルサイユ宮殿に対抗して、オーストリア・ハプスブルク家が贅と粋を尽くした世界遺産「シェーンブルン宮殿と庭園群」。クリックで外部記事へ。
イギリスの世界遺産「ロンドン塔」
イギリスでもっとも歴史のある石造城塞であり、多くの囚人を収容した監獄兼処刑場で、世界一有名な幽霊屋敷でもある「ロンドン塔」。クリックで外部記事へ

Topics

・Facebook, twitterです

 ART+LOGIC=TRAVEL Facebook

 dai hasegawa twitter

・All About 世界遺産 新記事

 2017年新登録の世界遺産

 シェーンブルン宮殿

 世界一の幽霊屋敷 ロンドン塔

 青の都サマルカンド

 学生が訪れたい世界の絶景

Bizコンパス 世界の名言

 リンカーン 人民の人民による

 チャップリン 勇気・想像力・金

 本田宗一郎「挑戦した失敗」

 岡本太郎「毒を持て」

 ディズニー「未完成」

 ジョブズ「愚かであれ」

 ナポレオン「不可能はない」

 高杉晋作「おもしろき世」

 エジソン「1%の才能99%の汗」

・Bizコンパス 国際情勢連載

 なぜLCCが世界を席巻?

 なぜ日本のGDPは低迷?

 なぜ今TPP等の地域協定なのか?

 なぜシンガポールは豊かなのか?

 なぜ米国は銃規制できないか?

 なぜハリウッドは強いのか?

 なぜ外国人が渋谷の交差点に?

 なぜイスラムは仏を狙うのか?

 なぜスイスは永世中立なのか?

 なぜ中華料理はおいしいのか?

 なぜ難民が増えているのか?

 なぜ五輪は4年に1度の開催か?

 なぜイランは核開発するのか?

 なぜ台湾は独立できないのか?

 なぜアフリカはいつも戦争?

 なぜシーア派とスンニ派がある?

 なぜブータンは幸せの国なのか?

 なぜ世界でパンデミックが拡大?

 なぜ世界に親日国が多いのか?

 なぜイスラムは遺跡を壊すか?

 なぜ米国とキューバが接近?

 なぜ訪日外国人が増えたのか?

 なぜギリシャ危機が問題か?

 なぜウクライナで米露が対立?

 なぜ世界中に中華街があるのか?

 なぜ柔道はJUDOに勝てないか?

 なぜ捕鯨は野蛮なのか?

 なぜイスラムは西洋と戦うのか?

 なぜ日本料理は世界で人気か?

 なぜ中南米はミスコンに強いか?

 なぜ中国で民主化・独立運動か?

 なぜ英・西で独立運動なのか?

・Bizコンパス 世界遺産連載

 世界遺産の夜明けを導く2遺跡

 人類の歴史に挑戦する負の遺産

 危機遺産リストと世界遺産

 世界遺産が世界遺産でなくなる日

 キング・オブ・世界遺産

 自然遺産を守る意味 

 聖地が示す世界遺産の限界

 世界遺産と平和への挑戦

 世界遺産登録と今後の日本の遺産

 なぜ世界遺産は欧州に多いのか

 産業遺産と新しい世界遺産

 自宅で楽しむ世界遺産 ワイン編

 W杯! ブラジルの歴史と世界遺産

 なぜ伊勢神宮は世界遺産でない?

 一度の旅行でたくさんの世界遺産

 夏休みに訪れたい海の世界遺産

 世界遺産はじめて行くならここ!

 最新の世界遺産を訪ねよう!

 世界遺産で野生動物と触れ合う

 パワースポットの「聖なる山」

 立入禁止! 非開放の世界遺産

 神々が降り立つ聖地の世界遺産

 絶景と人工美が融合した鉄道

 愛と美を称える世界遺産

・その他

『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

New articles

<旅論:たびロジー>

1.あなたは幸せですか?

.麻薬は悪? ゴキブリは汚い?

.裸とワイセツ

 

<エロス論:エロジー>

.遊びの本質

.おいしい、美しい、気持ちいい

.文化SM論

 

<絵と写真の話>

.アートと魂~抽象画とポロック

.ロスコの扉 ~ロスコ・ルーム~

10.写真と抽象芸術~グルスキー

 

<哲学的探究:哲学入門>

1.哲学とは何か?

2.「正しい-間違い」とは何か?

3.証明とは何か?

4.わかる・理解するとは何か?

5.力とは何か? 波とは何か?

6.物質とは何か?

7.見る・感じるとは何か?

8.空間とは何か?

9.時間とは何か?

 

<哲学的考察:ウソだ!>

.無と偶然

.ことだま-はじめに言葉ありき

10.物質とは何か?

11.神とは何か?-一神教と多神教

 

<世界遺産NEWS>

九寨溝の地震被害の状況

ビャウォヴィエジャ伐採停止命令

百舌鳥・古市古墳群の推薦決定

混乱が続くエルサレム旧市街

沖ノ島、全面上陸禁止へ

 

<世界遺産ランキング集>

登録基準に見る世界遺産

世界の七不思議

国内集計の世界遺産ランキング

海外集計の世界遺産ランキング

世界遺産国別ランキング

 

<UNESCOリスト集>

日本の遺産リスト

無形文化遺産リスト

世界の記憶リスト

世界遺産リスト

ユネスコエコパーク・リスト

世界ジオパーク・リスト

創造都市リスト

 

<世界遺産の見方>

知性的鑑賞法

感性的鑑賞法

異文化理解の方法論

正しい・間違いの基準

星と大地と古代遺跡

 

<味わう世界遺産>

.王様のワイン トカイ

.命の水 テキーラ

.ポルトガルの宝石 ポート

.神の贈り物チョコレート

 

<世界遺産で学ぶ世界の歴史>

.宇宙と地球の誕生

.地球と火山活動

.大陸移動と世界の形成

.生命の誕生 先カンブリア時代

.生命の進化 古生代から新生代へ

.人類の夜明け

.戦争の時代 ~メソポタミア

.古代エジプトの繁栄

.インダス文明と古代インド

10.長江・黄河文明と古代中国

11.欧州巨石文化とエーゲ文明

12.古代ギリシアの繁栄

13.アレクサンドロスとヘレニズム

14.シルクロードとクシャーナ&漢

15.東南&東アジア,アフリカの古代

16.南北アメリカ大陸の古代文明

17.共和政ローマと帝政ローマ

18.ローマの平和、そして分裂へ

19.民族大移動と西欧の形成

20.東欧の形成とビザンツ帝国

21.東西教会の分裂と十字軍

22.イスラム教とペルシア・アラブ

23.イスラム帝国の分裂

24.イスラムの拡散-インド,アジア

25.アフリカの交易とイスラム教

26.隋・唐・宋の時代

27.北方騎馬民族とその周辺

28.モンゴル帝国の世界征服

29.オスマン,サファヴィー,ムガル

30.中世ヨーロッパの飛躍

31.修道院とロマネスク&ゴシック

32.イギリス・フランスと百年戦争

33.ハプスブルク家とレコンキスタ

34.大航海時代

35.ルネサンス

36.宗教改革

37.絶対王政とオランダの台頭

38.三十年戦争とイギリス革命

39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア

40.明と清の繁栄

41.東・東南アジアの植民前史

42.産業革命とアメリカ独立革命

43.フランス革命とナポレオン

44.ウィーン体制と七月・二月革命

45.イタリアとドイツの成立

46.帝国主義と米英仏

47.アジアの衰退・植民地化

48.清、朝鮮、江戸の開国・滅亡

49.世界分割

50.第一次世界大戦

51.ファシズムと世界恐慌

52.第二次世界大戦

 

<世界遺産写真館>

1.文化交差路サマルカンド1

2.文化交差路サマルカンド2

3.アッパー・スヴァネティ

4.グラナダのアルハンブラ宮殿1

5.グラナダのアルハンブラ宮殿2

6.コトル

7.プレアヴィヒア寺院

8.福建の土楼1

9.福建の土楼2

10.フォンニャ-ケバン国立公園1

11.フォンニャ-ケバン国立公園2

12.カタルーニャ堂とサンパウ病院1

13.カタルーニャ堂とサンパウ病院2

14.オフリド地域1

15.オフリド地域2

16.古都京都の文化財1

17.古都京都の文化財2

18.アントニオ・ガウディ作品群1

19.アントニオ・ガウディ作品群2

 

<世界遺産攻略法>

1.世界遺産検定攻略の理念と背景

2.世界遺産検定の概要

3.試験戦略の一般論

4.試験戦略の理念

5.世界遺産検定の受検戦略

6.試験勉強の3要素

7.世界遺産検定 最効率学習法

8.時事問題・世界史・検定講座

9.マイスター試験の概要

10.マイスター試験問1・2対策

11.マイスター試験問3対策

12.マイスター試験時間術&解答術

Blog

Link

Search

Site map

○Travel[旅]

○World heritage[世界遺産]

○Art[芸術]

○Logic[哲学]

○Library[私的図書館]

○Profile[プロフィール]

○Work[仕事について]

○Inquiry[お問合せ]

○Blog[ブログ]

※本サイトはリンクフリーです