世界遺産と世界史36.宗教改革

サン・ピエトロ大聖堂、ペトロの像
カトリックの首席教会堂=サン・ピエトロ大聖堂に掲げられたペトロの像。イエスの12使徒のひとりであるペトロはこの場に葬られたと伝えられている。手に持っているのは天国の鍵。世界遺産「バチカン市国」構成資産

現世における利益を否定し、心の平穏を説くその教えとは裏腹に、領地や役職を巡って勢力争いを繰り広げる中世のカトリック教会に対して、人々の信頼は徐々に失われていった。

そうした不満の現れの一例が生涯をキリスト教に捧げる修道士たちの活動であり(「31.修道院とロマネスク&ゴシック」)、ウィクリフやフスの教会改革運動だった(「30.中世ヨーロッパの飛躍」“教会・教皇の衰退”)。

 

また、ルネサンス以降「自由な視線」を手に入れた人々は、教会に服従するだけでなく、さまざまな思想を持つようになっていた。

加えてグーテンベルクが大規模に導入した活版印刷術の影響も大きかった。

それまで聖書は非常に貴重なものであるうえにラテン語で書かれていたためにほとんどの人は読むことができなかった。

そのためキリスト教の教えは教会で与えられるものであったのだが、印刷された聖書が一般に普及すると、その思想は聖書を通して直接庶民の手に伝えられるようになった。

 

「私は神に仕えているのであって、教会に仕えているのではない」

このような思想が広がるのも当然といえば当然だったのだろう。

 

* * *

世界遺産「アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルターの記念建造物群」のルター・ホール
ルターが暮らしていたヴィッテンベルクのルター・ホール。現在は博物館として公開されている。世界遺産「アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルターの記念建造物群」構成資産

宗教改革の直接の契機はレオ10世の贖宥状(しょくゆうじょう。免罪符)にあるといわれている(「35.ルネサンス」参照)。

レオ10世はサン・ピエトロ大聖堂※の改築費用を捻出するために贖宥状を発行。

「教会で祈り、寄進を行うことで罪が許される」ものとし、許された証として発行したのが贖宥状だ。

1411年にヨハネス23世が贖宥状を発行してフスが反対しているように、それまでにも教皇が贖宥状を発行することがあり、その風当たりは強かった。

※世界遺産「バチカン市国(バチカン市国、1984年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi)))」


[関連サイト]

バチカン市国


1517年、アイスレーベン生まれのドイツ人神学者マルティン・ルターはヴィッテンベルク城付属聖堂※の扉に贖宥状への反対と教会の腐敗を弾劾した文書を貼り付ける。

いわゆる95か条の論題だ。

※世界遺産「アイスレーベンとヴィッテンベルクにあるルターの記念建造物群(ドイツ、1996年、文化遺産(iv)(vi))」

 

ルターが主張したのは、聖書に書かれたイエスの言葉のみを信じること(福音信仰。聖書主義)。

聖書にはお金によって罪が許されるなどと書かれていないし、「幸いなるかな、心の貧しき者。天の御国は彼の者のものなり」(『新約聖書』マタイ福音書「山上の垂訓」より。豊かな富も強い心も持たない弱き者こそ、自分の心をすなおに見つめ、心を神に解き放つことができる)等と記されている。

聖書の内容と教会の行いは大きく離れており、この点で教会は強く非難された。

 

贖宥状が発行されたのは主に神聖ローマ帝国、つまりドイツの地だ。

「帝国」とはいうものの諸侯や都市といった地方政権の集合体で、強力な王がいないために教会の介入を受けやすく、「ローマの牝牛」と呼ばれて資金源となっていた。

ローマ(バチカン)※の教皇庁に対する反発を強めていたドイツの諸侯や都市はルターの主張に賛同し、その信仰はドイツ各地に広まった。

※世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

世界遺産「ヴァルトブルク城」
ゲーテが愛したことで知られる世界遺産「ヴァルトブルク城」。カール5世に自説の撤回を求められたルターはこれを拒否すると帝国から追放され、この城に隠れ住んで『新約聖書』の翻訳に注力した

これに対してレオ10世は1521年にルターを破門。

教皇庁による報復を恐れた神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)はルターを追放するが、ルターはザクセン選帝侯フリードリヒ3世の保護下でヴァルトブルク城※に身を隠し、この地で聖書をドイツ語に翻訳した。

ドイツ語版『新約聖書』が印刷されて普及すると人々は聖書に気軽に触れることができるようになり、ルターの聖書主義はより多くの人々の支持を得た。

※世界遺産「ヴァルトブルク城(ドイツ、1999年、文化遺産(iii)(vi))」

 

ルターの考えを踏襲し、ドイツ農民の解放に尽力したのがトーマス・ミュンツァーだ。

生まれながら領主に仕える農奴たちは、教皇はもちろん帝国や諸侯の権威をも否定。

1524~1525年にはドイツ農民戦争が起こり、農奴制廃止を求めて反乱を起こした。

 

ルターは農民たちに対して同情的だったが暴力的な手法を否定。

結局農民戦争は諸侯たちによって鎮圧され、ミュンツァーは処刑された。

ルターは教皇庁を打ち倒すような運動は肯定せず、その代わり領内でカトリックの影響を排除した教会組織を整備して、聖書に基づく教えを広める領邦教会を支援した。

ティツィアーノ『カール5世騎馬像』1548年、プラド美術館
ティツィアーノ『カール5世騎馬像』1548年、プラド美術館

この頃、カール5世は難しい立場にいた。

ハプスブルク家はスペイン・オーストリア・アメリカ大陸等々を支配して「太陽の沈まぬ帝国」を築きつつあったが、イタリアの領有を巡ってフランス王国・ヴァロワ家と戦争状態にあった(1494~1559年、イタリア戦争)。

カトリックの盟主を自認していたはずのフランスはあろうことかイスラム教国のオスマン帝国(オスマン・トルコ)と手を結び、さらにプロテスタント諸侯とも和解してハプスブルク包囲網を構築する。

 

カール5世は教皇レオ10世とは同盟関係にあり、フランスのイタリア侵入に対して連合して戦い、1525年のパヴィアの戦いではフランス王フランソワ1世を捕らえて勝利していた。

ところが1526年、教皇クレメンス7世はフランソワ1世やイングランド王ヘンリー8世とコニャック同盟を結んでしまう。

これに激怒したカール5世は翌1527年にローマに侵入し、街を徹底的に破壊(ローマ略奪)。

これによってローマのルネサンスは終わりを告げる。

 

1529年にはオスマン帝国のスレイマン1世が神聖ローマ帝国の帝都ウィーン※を包囲(第一次ウィーン包囲)。

カール5世はなんとかこれを撃退したものの、オスマン帝国の圧力はなかなか消えなかった。

※世界遺産「ウィーン歴史地区(オーストリア、2001年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 世界遺産「シェーンブルン宮殿と庭園群(オーストリア、1996年、文化遺産(i)(iv))」

 

[関連サイト]

ウィーン歴史地区/オーストリア

このようにカール5世は政治的にも宗教的にも国内外に問題を抱えていた。

1526年に信教の自由を認めてルター派(ルーテル派)領邦教会の活動を許可するが、1529年に撤回。

これに対してルター派諸侯はカール5世に抗議書 "Protestatio" を提出する。

これが新教徒に与えられた抗議者 "Protestant"(プロテスタント)という言葉の語源となる。

プロテスタントたちは1530年にはアウクスブルクの信仰告白を公表してルター派の立場や思想を明確化し、翌1531年にはシュマルカルデン同盟を結成してカール5世に対抗した。

 

1542年にイタリア戦争が激化してフランスと神聖ローマ帝国が戦争を再開。

この混乱に乗じてシュマルカルデン同盟が蜂起して内乱を起こす。

カール5世は1544年にフランスと和議を結ぶと内乱の鎮圧に乗り出し、1546~47年にかけてシュマルカルデン戦争が勃発。

鎮圧には成功するもののプロテスタントの勢いを抑えることはできず、1555年のアウクスブルクの和議において、諸侯に対しカトリックとルター派の選択権を認めた。

ただし、カルヴァン派などの他教派や個人に対する信仰の自由は認められず、諸侯や都市の教派に従うものとされた。

 

* * *

ロンドン塔
世界遺産「ロンドン塔」。ヘンリー8世はこの塔に2番目の妻アン・ブーリンや5番目の妻ジェーン・グレイ、『ユートピア』の著者トマス・モアらを幽閉し、処刑した。アン・ブーリンの霊の目撃例は少なくないという話も

スイスではチューリヒでツヴィングリ、ジュネーヴでファレルが宗教改革を先導していた。

これらを集大成したのがジャン・カルヴァンだ。

カルヴァンは1540年代からジュネーヴで教会を中心とする政治体制を整え、聖書に基づく厳格な戒律を定めて神権政治を展開した。

また教会や司教・司祭(神父)の権威を否定し、信仰のあつい者こそ他者を導く資格があるとして(万人祭司主義)、一般の信者を長老や牧師に任命した(長老制)。

 

カルヴァン派はルター派が大勢を占めるドイツ以外の西ヨーロッパに広く広がり、フランスではユグノー、オランダではゴイセン、イングランドではピューリタン、スコットランドではプレスビテリアンの名で浸透した。

 

特に大きな影響を受けたのがイングランドだ。

イングランドはそれまでカトリックを庇護し、プロテスタントを弾圧する立場をとっていた。

しかしながら国王ヘンリー8世の離婚問題を機に、イングランドと教皇庁との関係は一気に悪化していく。

 

ヘンリー8世は必要のない者は処刑し、必要な女は必ず手に入れたという国王だ。

妻キャサリンとの婚姻が無効であることを教皇クレメンス7世に認めさせようと働きかけたが、そのもくろみはことごとく失敗。

恋人アン・ブーリンとの結婚が進まず、怒ったヘンリー8世は教皇の首位権を否定すると、1534年に国王至上法(首長法)を公布して国王こそイングランドにおける教会の長であることを宣言した。

そしてヘンリー8世はキャサリンとの結婚を無効とし、アンとの結婚を実現する。

 

ふたりの女性の運命は残酷なものだった。

キャサリンはキムボルトン城に幽閉されたのち、1536年に死去。

このときヘンリー8世とアンはその死を記念してダンス会を催したという。

 

アンはのちにエリザベス1世となる娘を出産していたが、そのアンも同じ1536年に国王暗殺と姦通の疑惑をかけられてロンドン塔※に幽閉され、処刑されてしまう。

ヘンリー8世は処刑翌日にはジェーン・シーモアと再婚し、一方アンの霊は翌日からロンドン塔に出没するようになったといわれている。

※世界遺産「ロンドン塔(イギリス、1988年、文化遺産(ii)(iv))」

 

[関連サイト]

ロンドン塔/イギリス

世界遺産「カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院及び聖マーティン教会」のカンタベリー大聖堂
英国国教会の総本山、カンタベリー大聖堂。12世紀、ヘンリー2世に殺された大司教トマス・ベケットが、死後信者たちの病気を次々と治したという伝説から聖地として祀られるようになった。世界遺産「カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院及び聖マーティン教会」構成資産
カンタベリー大聖堂の「聖書の窓」
「聖書の窓」と呼ばれるカンタベリー大聖堂の美しいステンドグラス

ヘンリー8世はカンタベリー大聖堂※を総本山とする司教制度を整備し、教皇直属の修道院を廃止して土地と財産を没収。

国王を頂点とした教会組織を整備し、英国国教会が誕生した。

※世界遺産「カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院及び聖マーティン教会(イギリス、1988年、文化遺産(i)(ii)(vi))」

 

当時はまだカトリック的な色彩を多分に残していたが、次第にプロテスタントの信者や教えがイングランドに流入。

ヘンリー8世の跡を継いだエドワード6世はカトリック的な礼拝方式を改め、プロテスタント式の礼拝や祈祷を広く採用した。

続くメアリー1世は密かにカトリックへの復帰を企てていたが、これに失敗。

エリザベス1世の時代の1559年には議会で統一法が採択され、英国国教会は正式に教皇庁と袂を分かった。


この語の話は「世界遺産と世界史38.三十年戦争とイギリス革命」を参照。

シェカール・カプール監督『エリザベス』予告編。プロテスタントを信じるイングランド女王エリザベス1世が教皇・カトリック諸国・プロテスタント運動の中で苦悩する様子を描き出している

 

* * *

世界遺産「カルヴァリア・ゼブジトフスカ:マニエリスム様式の建築と公園の景観複合体と巡礼公園」
反宗教改革の一環で、ポーランドではイエスの死の前後を見つめ直そうという活動が展開した。世界遺産「カルヴァリア・ゼブジトフスカ:マニエリスム様式の建築と公園の景観複合体と巡礼公園(ポーランド、1999年、文化遺産(ii)(iv))」では、最後の晩餐やイエスの処刑、墓、昇天などが再現されている

カトリックに対して高まる批判に対して教皇庁でも内部改革を行った。

対抗宗教改革(反宗教改革)だ。

 

その最たるものが1545~63年に行われたトリエント公会議で、聖職者の腐敗防止を掲げ、教会法を遵守して反社会的な行為を取り締まり、教会の引き締めを図った。

一方で教皇の首位権を確認し、プロテスタントからの非難が多かった聖母マリアや聖人・聖遺物への崇拝に対してもその意義を認め、思想・信仰に関しては従来の主張を踏襲した。

 

こうした改革によって、世俗化した教会はその権威を取り戻し、場合によっては魔女裁判をはじめとする異端審問によって他宗教や他教派を取り締まり、厳しく弾圧した。

その結果、ヨーロッパ南部を中心にプロテスタントの勢力は大きく削られたが、カトリックとプロテスタントの争いは激化し、やがてオランダ独立戦争やユグノー戦争、三十年戦争といった本格的な宗教戦争へと発展していく。

 

15~16世紀はスペインやポルトガルがアメリカ大陸やインド航路の「発見」によって新世界貿易を開始した大航海時代の幕開けともいえる時代でもあった。

教皇庁は新世界に対する布教にも力を注ぎ、ドミニコ会やイエズス会を支持してカトリックの普及に努めた。

イエズス会は世界各国の世界遺産にも多大な貢献をしている。

ほんの少しだけ紹介しておこう。

世界遺産「チロエの教会群」のイチュアク教会
世界遺産「チロエの教会群」の14の構成資産のひとつであるイチュアク教会。チロエ島にはイエズス会の教会が多数造られたが、ロマネスクやゴシックの影響を受けながらも独自の建築様式で建てられた(チロエ様式)
世界遺産「マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群」のセント・ポール教会
マラッカのセント・ポール教会に立つフランシスコ・ザビエル像。世界遺産「マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群」構成資産

1534年、パリ大学の同志だったイグナティウス・デ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエルら6人はパリのモンマルトルに集まって、清貧・貞潔・エルサレム巡礼の悲願と、神と教皇への服従を誓う(モンマルトルの誓い)。

 

1540年に教皇の認可を得ると異教徒やプロテスタントに対して布教活動を行い、カトリックの布教に尽力。

高い教育水準を誇るイエズス会士たちは神学はもちろん文学や語学に通じており、そのため各地の大学に赴任して指導を行った。

世界遺産でいえばスペインのコインブラ大学やポルトガルのエヴォラ大学、リトアニアのヴィルニュス大学がその一例だ。

これによりプロテスタントの勢いを食い止めることにも貢献した。

 

また世界各国に宣教師を派遣し、フランシスコ・ザビエルやルイス・フロイス、ルイス・デ・アルメイダらは日本にも訪れた。

イエズス会が関係する世界遺産を見るとその活動の広さがわかる。

 

ちなみに下は1986年公開のローランド・ジョフィ監督『ミッション』予告編。

パラグアイの世界遺産「ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群」を舞台にした映画で、グアラニー族に対するイエズス会の布教の様子を描いている。

スペイン・ポルトガルの領有権争いや奴隷売買、グアラニー族内の対立など、当時の植民地世界の複雑な様相を描き出している。

世界遺産「ゴアの教会群と修道院群」のボム・ジェズ聖堂
フランシスコ・ザビエルの棺が祀られているゴアのボム・ジェズ聖堂。ゴアはイエズス会の東方布教の拠点となっていた。世界遺産「ゴアの教会群と修道院群」の構成資産
  • チェスキー・クルムロフ歴史地区(チェコ、1992年、文化遺産(iv))の聖ヴィート教会
  • クトナー・ホラ:聖バルバラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂のある歴史都市(チェコ、1995年、文化遺産(ii)(iv))
  • 古都トレド(スペイン、1986年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))
  • サラマンカ旧市街(スペイン、1988年、文化遺産(i)(ii)(iv))
  • サン・ミジャン・ユソとサン・ミジャン・スソの修道院群(スペイン、1997年、文化遺産(ii)(iv)(vi))
  • エヴォラ歴史地区(ポルトガル、1986年、文化遺産(ii)(iv))のエヴォラ大学
  • コインブラ大学-アルタとソフィア(ポルトガル、2013年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))
  • ドブロブニク旧市街(クロアチア、1979年、1994年拡大、文化遺産(i)(iii)(iv))のイエズス会教会・神学校
  • ヴィルニュス歴史地区(リトアニア、1994年、文化遺産(ii)(iv))のヴィルニュス大学
  • ゴアの教会群と修道院群(インド、1986年、文化遺産(ii)(iv)(vi))のボム・ジェズ聖堂
  • マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群(マレーシア、2008年、文化遺産(ii)(iii)(iv))のセント・ポール教会やセント・フランシスコ・ザビエル教会
  • マカオ歴史地区(中国、2005年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))の聖ポール天主堂や聖ローレンス教会
  • 古都グアナファトとその銀鉱群(メキシコ、1988年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))
  • カンペチェ歴史的要塞都市(メキシコ、1999年、文化遺産(ii)(iv))
  • サン・ミゲルの要塞都市とヘスス・デ・ナサレノ・デ・アトトニルコの聖地(メキシコ、2008年、文化遺産(ii)(iv))
  • キト市街(エクアドル、1978年、文化遺産(ii)(iv)) 
  • グアラニーのイエズス会伝道施設群:サン・イグナシオ・ミニ、サンタ・アナ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート、サンタ・マリア・ラ・マジョール[アルゼンチン]、サン・ミゲル・ダス・ミソオエス遺跡群[ブラジル](ブラジル/アルゼンチン、1983年、1984年拡大、文化遺産(iv))」
  • コルドバのイエズス会管区とエスタンシアス(アルゼンチン、2000年、文化遺産(ii)(iv))
  • ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群(パラグアイ、1993年、文化遺産(iv))
  • チロエの教会群(チリ、2000年、文化遺産(ii)(iii))
  • チキトスのイエズス会伝道施設群(ボリビア、1990年、文化遺産(iv)(v))
  • ファジル・ゲビ、ゴンダール地域(エチオピア、1979年、文化遺産(ii)(iii))
  • モザンビーク島(モザンビーク、1991年、文化遺産(iv)(vi))
 

[関連サイト]

チェスキー・クルムロフ/チェコ

ドブロブニク旧市街/クロアチア

マラッカとジョージタウン/マレーシア

 

 

次回は絶対王政を紹介する。

 


News

世界遺産カテゴリー "WORLD HERITAGE" にて新シリーズ「世界遺産写真館」を立ち上げました。

ぼくがこれまで撮影してきた写真を掲載していこうと思います。

 →世界遺産写真館

イギリスの世界遺産「ロンドン塔」
イギリスでもっとも歴史のある石造城塞であり、多くの囚人を収容した監獄兼処刑場で、世界一有名な幽霊屋敷でもある「ロンドン塔」。クリックで外部記事へ
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青の都・サマルカンド、グリ・アミール廟のイーワーンとドーム。世界遺産「文化交差路サマルカンド」構成資産。クリックで外部記事へ

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 ジョブズ「愚かであれ」

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 高杉晋作「おもしろき世」

 エジソン「1%の才能99%の汗」

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 なぜLCCが世界を席巻?

 なぜ日本のGDPは低迷?

 なぜ今TPP等の地域協定なのか?

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 なぜ米国は銃規制できないか?

 なぜハリウッドは強いのか?

 なぜ外国人が渋谷の交差点に?

 なぜイスラムは仏を狙うのか?

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『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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45.イタリアとドイツの成立

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47.アジアの衰退・植民地化

48.清、朝鮮、江戸の開国・滅亡

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