世界遺産と世界史34.大航海時代

世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」のジェロニモス修道院
大航海時代の象徴、ジェロニモス修道院。ヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路発見を記念して、ポルトガル王マヌエル1世が建設した。ゴシック建築にイスラム装飾や海・航海関係の装飾をふんだんに使用したマヌエル様式の最高傑作とうたわれている。世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」構成資産

中世、世界の最先端はアジアにあった。
科学や哲学は西アジア、陶器や磁器はペルシアや中国、香辛料や金は南アジアや東南アジア……
そしてこうした富はインド商人やアラブ商人が西アジアに伝え、西アジアでは東方貿易(レヴァント貿易)を牛耳るイタリアの海洋都市やオスマン帝国(オスマン・トルコ)が独占していた。

業者を介すれば介するほど値段はつり上がり、香辛料は同じ重さの銀と同程度の価値があったという。

地中海はイタリアやオスマン帝国の独壇場。
そこでレコンキスタ(国土回復運動)を終えつつあった15世紀後半のスペイン王国やポルトガル王国は、その勢いのまま国土拡張路線を大西洋に向けた。

 

しかし一般的には、大西洋の向こうには地球の果てとなる巨大な滝があるとか、アフリカから南に行くほど太陽に接近し、やがて海は煮えたぎり、すべてが燃え上がるといった伝説が信じられていた。

そして赤道に近づくにつれて暑くなる気候や黒人の肌の色がそれを証明していると考えられた。


地球球体説は紀元前のギリシア時代にすでに提唱されていたし、この時代にはトスカネリをはじめこれに賛成する科学者も少なくなかった。

航海士たちの中にも船が水平線の彼方に沈んでいく事実から、地球が丸いと考える者もいた。

そしてアフリカ南端を回ってインドに到達する航路があるという話や、西に進めばいずれインドにたどり着くという説も唱えられはじめていた。

もしこうした航路が発見できればインドとの直接取引によって莫大な富を得ることができる……

地中海貿易をあきらめたスペインやポルトガルは、こうして大西洋へと漕ぎ出した。


* * *

世界遺産「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区」
テルセイラ島のアングラ・ド・エロイズモ。15世紀前半にポルトガルが発見し、植民都市を築いた。世界遺産「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区」構成資産

アフリカ西岸への探検に先んじたのがポルトガル、特にエンリケ航海王子の時代だ。

遠隔地貿易によって快速帆船が誕生し、ルネサンス期に羅針盤も普及しており、未知の大海・大西洋を渡る技術的な準備は整っていた。

エンリケが目標としたのは、西アフリカと直接交易を行うアフリカ航路の探索。

そして可能ならば、アフリカを回ってインドに至る東回りのルート、いわゆるインド航路の発見だ。

 

しかしながら当時、アフリカがどこまで続くのか、そもそも果てはあるのか、地球は本当に丸いのか、そんなことすら定かではなかった。

彼は命知らずの航海士たちを集めては大西洋に送り出し、発見の報告を待っていた。

 

まずは15世紀前半、主要港であるリスボンから南西へ約1,000kmの位置にあるマデイラ島※に入植し、水や食糧を確保し、船の整備をしたり船員をリフレッシュさせるために航海基地を建設。

のちにこの島はワインや酒精強化ワインの生産で繁栄した。

世界遺産「マデイラ諸島のラウリシルヴァ(ポルトガル、1999年、自然遺産(ix)(x))」

 

さらにリスボンの西約1,600kmの位置にアゾレス諸島を発見。

アングラ・ド・エロイズモ①という街を築き、ピーコ島でもブドウ園を切り拓いてワイン生産を開始した。

※①世界遺産「アゾレス諸島のアングラ・ド・エロイズモの町の中心地区(ポルトガル、1983年、文化遺産(iv)(vi))」

 ②世界遺産「ピーコ島のブドウ園文化の景観(ポルトガル、2004年、文化遺産(iii)(v))」

世界遺産「アルト・ドウロ・ワイン生産地域」
世界遺産「アルト・ドウロ・ワイン生産地域」の景観。ワイン生産の歴史は紀元前のローマ時代まで遡る。イスラム王朝であるウマイヤ朝の支配以降ワイン作りは廃れたが、レコンキスタ(国土回復運動)後に修道士たちによって復活した

なぜこれほどワインを生産する必要があったのか?

それはワインがポルトガルの主要輸出品であったことに加えて、航海においてワインが水代わりに飲まれていたからだ。

熱帯地方を航海する場合、水は1か月ほどで腐りはじめたという。

条件によるが、度数は低いながらアルコール分を含むビールは2か月、ワインなら3か月ほどはもったようで、航海では腐りやすい順に水→ビール→ワインと飲み進めたという。

 

アルコール度数40%を超えるブランデー(ワインの蒸留酒)は、腐りはしないが水代わりにもならない。

そこで発酵途中のワインにブランデーを加え、アルコール度数20%ほどにした酒精強化ワインなども飲まれるようになった。

先述のマデイラ島で作られる酒精強化ワインがマデイラ・ワイン。

ポルトガル北部のアルト・ドウロ地区①で栽培されたブドウで生産され、ポルト②の港から出荷される酒精強化ワインがポート・ワインだ。

これらにスペインのシェリーを加えて世界三大酒精強化ワインという。

※①世界遺産「アルト・ドウロ・ワイン生産地域(ポルトガル、2001年、文化遺産(iii)(iv)(v))」

 ②世界遺産「ポルト歴史地区、ルイス1世橋およびセラ・ド・ピラール修道院(ポルトガル、1996年、文化遺産(iv))」

 

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ポルト歴史地区/ポルトガル

 

こうした島々を起点に、アフリカの南端を捜索するために南下を開始。

どこまで大陸が続くかわからないために、陸地を目で確認しながら船を進める近海航法をとり、そのため大陸に近いカーボベルデ諸島やゴレ島①、クンタ・キンテ島②といった島々に立ち寄りながらの航海となった。

カーボベルデにはヨーロッパ初となる熱帯地方の植民都市シダーデ・ヴェリヤ③が築かれ、のちにアフリカだけでなくアメリカ大陸への中継地点となり、ヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスも立ち寄っている。

これらの島々にはやがて城塞が築かれ、三角貿易の拠点として整備されていく。

※①世界遺産「ゴレ島(セネガル、1978年、文化遺産(vi))」

 ②世界遺産「クンタ・キンテ島と関連遺跡群(ガンビア、2003年、文化遺産(iii)(vi))」

 ③世界遺産「シダーデ・ヴェリヤ、リベイラ・グランデの歴史都市(カーボベルデ、2009年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

世界遺産「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群」のエルミナ城塞
黄金海岸に築かれたエルミナ城塞。この辺りには名産品の名を取った象牙海岸、奴隷海岸等があり、それぞれ城塞で守られていた。世界遺産「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群」構成資産

1470年代までにサハラ砂漠を越えてギニア湾に到達。

ポルトガルはこの時点でアフリカの金を直接取引できるようになり、大きな成果を得た(それまではサハラ砂漠を縦断するベルベル人やアラブ人を介する必要があった)。

エンリケ航海王子の事業を継いだジョアン2世はアフリカ航路の独占を宣言し、ギニア湾にエルミナ城塞※を建設して睨みを利かせた

16~17世紀にはこの辺りにイギリスやオランダも城塞※を建設し、奴隷貿易の一大拠点として繁栄する。

※世界遺産「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群(ガーナ、1979年、文化遺産(vi))」

 

1488年、前年にリスボンを出発したバルトロメウ・ディアスはアフリカで嵐に遭い、13日間も漂流を続けていた。

大陸を見失ったディアスは東にあるはずの大陸を見つけることができない。

仕方なく北上してみると、大陸が北東へ延びている。

こうしてアフリカ最南端のアグラス岬を発見し、ヨーロッパの船舶としてはじめてインド洋へ進出した。

 

インドへ進路を切ろうとしたディアスだったが船員の反対もあって泣く泣く帰国。

ジョアン2世はディアスを祝福し、嵐に遭った岬を喜望峰※と命名した。

※世界遺産「ケープ植物区保護地域群(南アフリカ、2004年、自然遺産(ix)(x))」

世界遺産「キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群」のキルワ・キシワニ
キルワ・キシワニの城砦跡。大航海時代以前、モンスーンを利用したインド洋交易で栄えたが、ポルトガルに占領されてその支配下に落ちた。19世紀以降は寒村に打ち捨てられた廃墟となっている。世界遺産「キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群」構成資産

アフリカ南端が確認されると、インド航路の発見は時間の問題となった。

1497年、ポルトガル王マヌエル1世の命を受けたヴァスコ・ダ・ガマがリスボンを出発。

翌年春には喜望峰とアグラス岬を越え、モザンビーク島①に到達した。

 

インド洋では紀元前からモンスーン(季節風)を利用したインド洋交易が行われていた(詳細は「25.アフリカの交易とイスラム教」参照)。

南アフリカ-東アフリカ-アラビア半島-インド-東南アジア-中国は古くから交易を行っており、直接ではないにせよつながりを持っていた。

ヴァスコ・ダ・ガマはモザンビーク島①、モンバサ②、マリンディで食糧や航路の情報を集め、アラブ商人を水先案内人に雇ってアフリカからインドへと旅立った。

 

そして1498年5月20日、ついにインドのカリカットに到着。

待望のインド航路を発見した。

 

しかしカリカットでは資金も尽き、海賊と間違われてよい待遇が受けられず、軟禁されてしまう。

一行は住民を人質にとると秘密裏に出向し、追撃に来た敵船を砲撃して追い払った。

帰路のアフリカではマリンディ、ザンジバル島のストーンタウン③、キルワ・キシワニ④、モザンビーク島①などに寄港。

16世紀にはモザンビーク島にサン・ガブリエル要塞①、モンバサにジーザス要塞②が建設されてポルトガルの拠点となり、ストーンタウン③、キルワ・キシワニ④などもポルトガルの支配下に入った。

※①世界遺産「モザンビーク島(モザンビーク、1991年、文化遺産(iv)(vi))」

 ②世界遺産「モンバサのジーザス要塞(ケニア、2011年、文化遺産(ii)(v))」

 ③世界遺産「ザンジバル島のストーンタウン(タンザニア、2000年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

 ④世界遺産「キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群(タンザニア、1981年、文化遺産(iii))」

 

[関連サイト]

ザンジバル島のストーンタウン/タンザニア

世界遺産「リオデジャネイロ:山と海の間のカリオカの景観」
世界遺産「リオデジャネイロ:山と海の間のカリオカの景観」。カリオカとは先住民族トゥピの言葉で「白い家」。ポルトガル人入植者を見たトゥピ族がこう呼んだことにはじまり、この街や住民を示す言葉となった。キリスト像は高さ40m、手の幅30mを誇る
世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」のベレンの塔
リスボン港とテージョ川の防衛・監視のために建てられたベレンの塔

帰国したヴァスコ・ダ・ガマはポルトガルをあげての歓迎を受けた。

マヌエル1世は彼をインド提督に任命すると、インド航路発見を記念してジェロニモス修道院やベレンの塔※を建設した。

※世界遺産「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔(ポルトガル、1983年、2008年拡大、文化遺産(iii)(vi))」

 

[関連サイト]

ジェロニモス修道院とベレンの塔/ポルトガル

 

1500年、マヌエル1世はカブラルをインドに派遣。

しかし一行は嵐に遭遇し、大きく西に流されて南アメリカ大陸、ポルト・セグーロに漂着する。

商人たちはブラジルの木(パウ・ブラジル)を発見してこの地を「ブラジル」と名付け、ポルトガルの領有を宣言した。

この地の森林はブラジル発見の地ということで「ディスカヴァリー・コースト大西洋岸森林保護区群(ブラジル、1999年、自然遺産(ix)(x))」の名前で世界遺産に登録されている。

 

なお、ポルトガルは1549年にポルト・セグーロの北に植民都市サルバドール①を建設し、総督府と大聖堂を置いてポルトガル領ブラジルの首都としている(のちにリオデジャネイロ②に遷都)。

まもなく南アメリカ大陸のほとんどがスペインの植民地となる中で、こうしてブラジルのみがポルトガル領として残される。

※①世界遺産「サルバドール・デ・バイア歴史地区(ブラジル、1985年、文化遺産(iv)(vi))」

 ②世界遺産「リオデジャネイロ:山と海の間のカリオカの景観(ブラジル、2012年、文化遺産(v)(vi))」

 

[関連サイト]

サルバドール・デ・バイア歴史地区/ブラジル

カブラルはその後、進路を元に戻してアフリカからインドのカリカットに到達。

カリカットで王や商人たちとインド交易の交渉を行うがうまくゆかず、結局商人たちを襲って荷物を奪い、逃げ去ってしまう。

 

1502年、ヴァスコ・ダ・ガマが第二回航海に出発。

この時点でポルトガルは友好的な交易を断念し、軍事力によるインド交易独占に舵を切っていた。

途中キルワ・キシワニなどを攻撃して支配下に治めたあと、カリカットでも市街を砲撃。

商船を焼き払い、乗客や住民を虐殺して香辛料をはじめとする金品を奪い去った。

 

1506年にはインド総督としてアフォンソ・デ・アルブケルケを派遣。

アルブケルケは紅海のソコトラ島①やインドのゴア②、マラッカ王国の首都マラッカ③を占領。

特にゴアとマラッカをポルトガルの拠点として整備した。

※①世界遺産「ソコトラ諸島(イエメン、2008年、自然遺産(x))」

 ②世界遺産「ゴアの教会群と修道院群(インド、1986年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ③世界遺産「マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群(マレーシア、2008年、文化遺産(ii)(iii)(iv))」

 

[関連サイト]

マラッカとジョージタウン/マレーシア

世界遺産「マカオ歴史地区」のセナド広場
世界遺産「マカオ歴史地区」のセナド広場。1557年にポルトガル人居留地となり、1845~1999年までポルトガル領だった。イエズス会の拠点が置かれ、フランシスコ・ザビエルも一時ここで活動を行った

このあとポルトガルはスンダ列島やモルッカ諸島(現在のインドネシア)に進出し、さらに中国のマカオ①やセイロン(スリランカ)のゴール②などに拠点を建設する。

そして中国のジャンク船に乗ったポルトガル商人が種子島に漂着したのが1543年。

こうしてポルトガルはアジアの極東にまでその手を広げていった。

※①世界遺産「マカオ歴史地区(中国、2005年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「ゴール旧市街とその要塞群(スリランカ、1988年、文化遺産(iv))」

 

* * *

目をスペインに転じよう。

ポルトガルが東回りでインドを目指し、その要所要所に城塞を築いて航路の独占を図ったため、スペインは西回りでのインド到達を目指すことになった。

 

ジェノヴァの航海士コロンブスは自ら西回りルートの探索を売り込むが、航海には莫大な費用が掛かるためなかなか協力が得られない。

しかし1492年、ナスル朝の首都グラナダにあるアルハンブラ宮殿※に入城してレコンキスタを終了させたスペイン王国のカトリック両王(フェルナンド2世とイザベル1世)は、領土の拡大とキリスト教布教の継続を目指してコロンブスの案を承認。

コロンブスとサンタ・フェ協約を締結し、コロンブスを発見された土地の総督とすること、そこからあがる利益の1割をコロンブスが得ることなどを取り決め、資金提供を申し出た。

 

そして1492年8月3日、コロンブスはインドを目指し、サンタ・マリア号、ニーニャ号、ピンタ号の3隻でスペインを出発する。

下はリドリー・スコット監督『1492 コロンブス』予告編だ。 

※世界遺産「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン地区(スペイン、1984年、1994年拡大、文化遺産(i)(iii)(iv))」

コロンブスはいくつかの島に寄港し、最後にスペイン領だったカナリア諸島のゴメラ島①に立ち寄って水や食糧を補給する。

のちにスペインはカナリア諸島のテネリフェ島②に植民都市サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ③を建設している。

※①世界遺産「ガラホナイ国立公園(スペイン、1986年、自然遺産(vii)(ix))」

 ②世界遺産「テイデ国立公園(スペイン、2007年、自然遺産(vii)(viii))」

 ③世界遺産「サン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナ(スペイン、1999年、文化遺産(ii)(iv))」

 

カナリア諸島を出て約2か月、コロンブス一行は陸地を発見することができない。

船員たちの反発をなだめすかしながら航海を続けたコロンブスは、10月12日、ついに陸地=サン・サルバドル島を発見する。

いわゆる「新大陸」の「発見」だ。

 

しかしながら新大陸といっても、コロンブスの第一回航海はカリブ海の大アンティル諸島に到達しただけで、大陸本土は見てもいない。

さらにコロンブスより500年近く前の11世紀初頭、ノルマン人レイフ・エリクソンが大西洋を横断して現在のカナダのニューファンドランド島に到達し、街※を切り拓いている(「20.東欧の形成とビザンツ帝国」参照)。

それ以前に、アメリカ先住民は1~3万年も前からこの大陸に住みついている。

従ってぼくの持っている現在の世界史の教科書では「新大陸」の文字も「発見」の文字も使われていない。

※世界遺産「ランス・オ・メドー国定史跡(カナダ、1978年、文化遺産(vi))」

 

コロンブスはサン・サルバドル島を探索して人間を発見し、彼らをインドの人=インディオ(英語でインディアン)と命名。

先住民たちは一行を親切に歓待するが、コロンブスらは彼らから財宝を略奪。

さらにキューバ島(現在のキューバ)、イスパニョーラ島(現在のハイチ&ドミニカ共和国)を発見して同様に略奪した。

しかしながらコロンブスはこの航海でインドの手掛かりを見つけることができなかった。

世界遺産「サント・ドミンゴ植民都市」のサンタ・マリア・ラ・メノル大聖堂
世界遺産「サント・ドミンゴ植民都市」のサンタ・マリア・ラ・メノル大聖堂。銅像はコロンブス。サント・ドミンゴはカリブ海最古の植民都市で、ここを拠点としてアメリカ探索が行われた

1493年にいったん帰国したものの、黄金と奴隷の獲得を目標に、同年に第二回航海に出発。

イスパニョーラ島に到着したコロンブスは植民都市を建設する。

これが世界遺産「サント・ドミンゴ植民都市(ドミニカ共和国、1990年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」で、その後まもなくして新大陸初となる宮殿(コロンブス宮殿)や大聖堂(サンタ・マリア・ラ・メノル大聖堂)が建設された。

 

前回の航海の略奪もあって、先住民たちのコロンブスら白人に対する憎悪は消えていなかった。

こうした反抗的な態度をとる先住民に対し、コロンブスは武力で制圧。

この航海で一行は数万~十数万人の先住民を虐殺し、略奪・拷問・強姦を働いたといわれている。

 

結局コロンブスは計四回の航海を行ったが、インドも香辛料も莫大な黄金も発見することはできなかった。

それ以前に、実は北アメリカ大陸本土には到達すらしておらず、大陸に上陸したと言えるのは南アメリカ大陸のオリノコ川付近だけだった。

ただ、残虐な征服方法はその後のコンキスタドール(新大陸征服者)たちのモデルとなり、南北アメリカ大陸における大虐殺・奴隷化・植民地化のさきがけとなった。

 

1494年、新世界に対する相次ぐ発見を受けて、ポルトガルとスペインは教皇の承認を背景にトルデシリャス条約を締結(前年に決められた教皇子午線を改定)。

だいたい西経46度37分付近より東をポルトガル領、西をスペイン領に定めた。

これにより南北アメリカ大陸のほとんどがスペイン領となり、ポルトガルはアフリカ・アジアにおける優位を保った。

 

コロンブスは最後まで発見した島々をアジアだと信じていた。

しかし当初はスペイン、のちにポルトガルの要請を受けたイタリア人、アメリゴ・ヴェスプッチが1500年前後に四回の航海を行ってカリブ海やブラジル沿岸を探索。

アジアの香辛料がないばかりか、アジアやアフリカよりさらに南まで大陸が張り出している点から、コロンブスやカブラルが探検した土地がアジアではないことを確かめた。

こうして「新大陸」は彼の名を取って「アメリカ」と名づけられた。

世界遺産「オールド・ハバナとその要塞群」のハバナ大聖堂
世界遺産「オールド・ハバナとその要塞群」のハバナ大聖堂。ハバナはサンティアゴ・デ・キューバに続いてキューバ総督府の首都となり、やがてカリブ海有数の貿易港に発展した

新大陸はたしかにインドではないようだ。

そうなると問題はふたつ。

この大陸に黄金や香辛料はあるのか?

この大陸の向こうにインドはあるのか?

 

前者の夢を追って多くのスペイン人コンキスタドールが南北アメリカ大陸の探索を行った。

そして探索のために拠点となる植民都市を建設し、街を要塞化。

こうして先住民だけでなく、海賊や追随するポルトガルやオランダ、イギリス、ドイツといった他国の船の襲撃に備えた。

 

たとえばスペイン人たちがキューバ島を征服して造った街がサンティアゴ・デ・キューバ①やハバナ②、トリニダード③、カマグェイ④、シエンフェゴス⑤で、プエルトリコ島に築いた都市がサン・ファン⑥だ。

南アメリカ大陸ではコロ⑦、サンタ・クルーズ・デ・モンポス⑧、カルタヘナ⑨といった都市が拠点となり、中央アメリカではカンペチェ⑩を皮切りに、ベラクルス、パナマ⑪、ポルトベロ⑫などが築かれた。

こうした街はアメリカとヨーロッパをつなぐ中継貿易で栄えただけでなく、のちの時代にタバコやサトウキビのプランテーションが築かれて、奴隷労働によって産品を輸出した。

※①世界遺産「サンティアゴ・デ・キューバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城(キューバ、1997年、文化遺産(iv)(v))」

 ②世界遺産「オールド・ハバナとその要塞群(キューバ、1982年、文化遺産(iv)(v))」

 ③世界遺産「トリニダードとロス・インヘニオス渓谷(キューバ、1988年、文化遺産(iv)(v))」

 ④世界遺産「カマグェイの歴史地区(キューバ、2008年、文化遺産(iv)(v))」

 ⑤世界遺産「シエンフェゴスの都市歴史地区(キューバ、2005年、文化遺産(ii)(iv))」

 ⑥世界遺産「プエルト・リコのラ・フォルタレサとサン・ファン国定史跡(アメリカ、1983年、文化遺産(vi))」

 ⑦世界遺産「コロとその港(ベネズエラ、1993年、文化遺産(iv)(v))」

 ⑧世界遺産「サンタ・クルーズ・デ・モンポスの歴史地区(コロンビア、1995年、文化遺産(iv)(v))」

 ⑨世界遺産「カルタヘナの港、要塞群と建造物群(コロンビア、1984年、文化遺産(iv)(vi))」

 ⑩世界遺産「カンペチェ歴史的要塞都市(メキシコ、1999年、文化遺産(ii)(iv))」

 ⑪世界遺産「パナマ・ビエホ古代遺跡とパナマの歴史地区(パナマ、1997年、2003年拡大、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ⑫世界遺産「パナマのカリブ海沿岸の要塞群:ポルトベロとサン・ロレンソ(パナマ、1980年、文化遺産(i)(iv))」

世界遺産「セビリアの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館」のセビリア大聖堂
世界遺産「セビリアの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館」のセビリア大聖堂。大聖堂にはコロンブスの墓があり、インディアス古文書館にはコロンブスやマゼランをはじめとするコンキスタドールたちの数多くの書簡や日記・地図が収められている

当時のヨーロッパ人としてはじめて太平洋を発見したのがバルボアだ。

1513年、バルボア率いる一行がパナマ地峡を横断して太平洋に到達。

これによってアメリカ大陸が南北ふたつの大陸からなること、その西に大きな海があることが明らかになった。

また、バルボアは先住民から南の地に「黄金の国」があるという情報を得る。

この情報をもとにさらなる探検の準備をするが、部下のフランシスコ・ピサロ(後述するインカ帝国の発見者)に裏切られて処刑されてしまう。

なお、マヤ、アステカ、インカといった中央アメリカ、南アメリカの文明が滅びる過程は後述する。

一方、「この大陸の向こうにインドがあるのか?」という問いを追ったのがマゼランだ。

マゼランはポルトガル人で、インドやマラッカにも航海したことのあるベテラン航海士。

香辛料諸島(モルッカ諸島)と呼ばれる名産地があることも知っていた。

しかしながらポルトガルの待遇に不満を抱いていたマゼランはスペインに接近。

スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の任命を受け、西回りによる香辛料諸島到達を目標に、1519年8月10日、5隻の船と270人の乗組員とともにセビリア※の港を出帆する。

※世界遺産「セビリアの大聖堂、アルカサルとインディアス古文書館(スペイン、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(vi))」

 

1520年、南アメリカのマゼラン海峡を抜けて太平洋に到達する。

ここから3か月以上にわたって大海原をひたすら西に向けて航海するが、陸地を発見できずに餓死寸前という有り様。

船に巣くったネズミさえ食べ尽くしたという。

 

なんとかマリアナ諸島、フィリピン諸島に到着すると、以前マラッカで見聞きしていた言葉と似ていることからとうとうアジアにたどり着いたことを確認。

この時点で地球が丸いことが実証された。

 

しかし。

フィリピンのセブ島やマクタン島で布教を行いつつアジアへの航路を探るうちに、キリスト教への改宗を強要され、服従を誓わされた先住民の一部が反乱を起こし、マゼランを殺害してしまう。

 

残った一行は1521年、目的地である香辛料諸島に到着。

香辛料を積み込むと進路を南西に取り、ポルトガルの船団に見つからないようにインドを迂回しながら帰路につく。

そして1522年9月6日、ついにセビリアに帰国。

世界初となる世界周航(世界一周)を完了する。

3年にわたる航海を経てスペインに到着できたのは、ヴィクトリア号に乗るたった18人だった。

世界遺産「フィリピンのバロック様式教会群」のアスンシオン教会
スペインが16世紀に築いた4つの教会を登録した世界遺産「フィリピンのバロック様式教会群」。写真はサンタ・マリアのアスンシオン教会

トルデシリャス条約でポルトガルとスペインを分ける子午線(北極と南極をつなぐ線)が決められていたが、マゼラン隊の世界一周成功を受けて、どこまでが各国の領域なのかを決定づけるもう一本の子午線を決める必要に迫られた。

そこで両国は1529年にサラゴサ条約を締結。

だいたい東経144度30分より西がポルトガル領、東がスペイン領と定められた。

といってもアジアではサラゴサ条約通り正確に分割されたわけではなく、たとえばフィリピン諸島はスペインによって占領されて支配下に収まった。

世界遺産「フィリピンのバロック様式教会群(フィリピン、1993年、文化遺産(ii)(iv))」や「古都ビガン(フィリピン、1999年、文化遺産(ii)(iv))」はスペイン植民時代に建てられたものだ。


* * *

ヨーロッパ列強の版図の推移


アメリカ大陸では、特に中央アメリカと南アメリカのアンデス山脈周辺で高度な文明が栄えていた。

15世紀に入っても中央アメリカではアステカ、マヤ、ミステカといった諸文明が繁栄しており、南アメリカではインカ帝国がアンデス諸文明をほぼ統一していた(詳細は「16.南北アメリカ大陸の古代文明」参照)。

 

1517年、スペイン人たちはユカタン半島を発見し、ここを起点にマヤ文明の諸都市に到達。

これまでアメリカでは発見されていなかった高度な文明と遭遇した。

 

エルナン・コルテスはこの頃全盛を誇っていたアステカ文明の存在を確認。

その首都テノチティトランは人口20万~30万を誇るほど繁栄を極めていた。

一方コルテスの軍勢はわずか500人。

そこでアステカと争っていた諸民族を味方につけてテノチティトランへ向かった。

 

アステカには古くから伝わる言い伝えがあった。

セ・アカトルと呼ばれる一の葦の年に、羽を持つヘビの神ケツァルコアトル(マヤ文明のククルカン)がふたたびこの地上に姿を現すという伝説だ。

そしてケツァルコアトルは白い肌を持つ人間に化身するのだという。

世界遺産「古都グアナファトとその銀鉱群」
1548年に銀鉱脈が発見されてから急速に発展したメキシコのグアナファト。全盛期には世界の銀の25%を産出し、その富を背景に豪華なバロックの家々が築かれた。街並みはもっとも美しい植民都市のひとつに数えられている。世界遺産「古都グアナファトとその銀鉱群」構成資産
世界遺産「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」のメキシコシティ・メトロポリタン大聖堂
テノチティトランを破壊し、アステカの中央神殿の上に築いたメキシコシティのメトロポリタン大聖堂。その裏には中央神殿跡テンプロ・マヨールがある

1519年、セ・アカトルの年。

この年にコルテスはテノチティトランに到達。

アステカ王モクテスマ2世ははじめて白人を見て、神の遣いとして丁重に迎え入れ、神の飲み物であるカカオトル(チョコレート飲料)を振る舞う。

コルテスは都市のあまりの大きさと繁栄ぶりに驚き、軍勢を整えるためにいったん撤退する。

 

1521年、コルテスはスペイン軍と諸民族連合軍を率いてテノチティトランを急襲。

そして街を徹底的に破壊して略奪し、廃墟の上に植民都市を建設する。

これが現在のメキシコの首都メキシコシティ①だ。

やがて街には大聖堂や宮殿が築かれ、ヌエバ・エスパーニャ副王領の首都となり、1551年にはメキシコ大学(現、メキシコ国立自治大学②)が建てられ、中央アメリカの要衝として繁栄する。

※①世界遺産「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ(メキシコ、1987年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(v))」

 ②世界遺産「メキシコ国立自治大学(UNAM)の中央大学都市キャンパス(メキシコ、2007年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

アステカの滅亡を機にスペイン人たちはいっせいに中央アメリカへ侵入。

植民都市を築きながら隅々まで探検し、諸文明を従えた。

世界遺産に登録されている中央アメリカの植民都市関連の遺産の例には以下がある(これまでに出てきたものを除く)。

なお、プエブラはコルテスが築いた町だ。

  • オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡(メキシコ、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))
  • プエブラ歴史地区(メキシコ、1987年、文化遺産(ii)(iv))
  • 古都グアナファトとその銀鉱群(メキシコ、1988年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))
  • モレリア歴史地区(メキシコ、1991年、文化遺産(ii)(iv)(vi))
  • サカテカス歴史地区(メキシコ、1993年、文化遺産(ii)(iv))
  • ケレタロの歴史史跡地区(メキシコ、1996年、文化遺産(ii)(iv))
  • トラコタルパンの歴史遺跡地帯(メキシコ、1998年、文化遺産(ii)(iv))
  • アンティグア・グアテマラ(グアテマラ、1979年、文化遺産(ii)(iii)(iv))
  • レオン・ビエホ遺跡群(ニカラグア、2000年、文化遺産(iii)(iv))
  • レオン大聖堂(ニカラグア、2011年、文化遺産(ii)(iv))
  • サン・アントニオ伝道施設群(アメリカ、2015年、文化遺産(ii))

 

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味わう世界遺産4:神の贈り物 チョコレート

アンティグア・グアテマラ/グアテマラ


* * *

世界遺産「クスコ市街」の景観
インカ時代には「大地のヘソ」といわれた世界遺産「クスコ市街」。左下が中央広場=プラザ・デ・アルマスで、スペインによって太陽の神殿コリンカチャはサント・ドミンゴ教会、ビラコチャ神殿はクスコ大聖堂、ワイナ・カパック宮殿はラ・コンパーニャ・デ・ヘスス教会へと建て替えられた
クスコの12角の石
中央下がクスコの12角の石。複雑な形状を「カミソリ一枚通さない」精度で組み合わせ、地震に強い構造を実現した。スペインの建てた建物は地震によってしばしば破壊されたが、インカの壁はビクともしなかったという

南に黄金の国がある――

実際インカ帝国の首都クスコ※の建物は黄金の帯に覆われ、黄金の庭、黄金の庭石、黄金の神像や黄金のトウモロコシなどによって、街が黄金色に輝いていたという。

こうした伝説とコルテスの成功を耳にして功を急いだフランシスコ・ピサロは、1531年、160人の兵を率いてパナマからペルーに到達する。

※世界遺産「クスコ市街(ペルー、1983年、文化遺産(iii)(iv))」

 

[関連サイト]

クスコ市街/ペルー

 

この頃、インカ帝国では王位を巡ってふたりの兄弟が争っていた。

クスコのアタワルパとキト①(現在のエクアドルの首都)のワスカルだ。

1532年、アタワルパはキトでワスカルを倒してインカ皇帝を統一し、3万の兵を率いてクスコへ凱旋する。

その途中、温泉街カハマルカ②でくつろぐアタワルパだったが、ここに現れたのがピサロだ。

※①世界遺産「キト市街(エクアドル、1978年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②ペルーの世界遺産暫定リスト記載

この時代の先住民に対する占領は、相手に聖書を持たせてキリスト教への改宗を迫り、拒否すると「神を冒涜した」ということで銃や爆薬を用いて攻撃し、虐殺・略奪するというコロンブス以来の手法で行われていた。

アタワルパに対しても同様だ。

言葉も通じず、文字も知らないアタワルパが聖書を投げ捨てると、神への侮辱でありスペインに対する宣戦布告であるとしていっせいに攻撃を開始。

見たこともない近代兵器の前に敗れ去り、皇帝は捕縛されてしまう。

 

アタワルパはクスコにある太陽の神殿コリンカチャに幽閉され、その際に部屋いっぱいの黄金と銀を提供する代わりに解放することをピサロに要求。

ピサロはこれに同意して金銀を手に入れるが、約束を反故にしてアタワルパを処刑してしまう(1533年、インカ帝国滅亡)。

マチュピチュの絶景
マチュピチュの絶景。幻の都ビルカバンバは下からは見えない空中に築かれたという伝説があったことから、一時はビルカバンバ発見が期待された

スペイン人に対してマンコ・インカや最後の皇帝トゥパク・アマルがアンデス山中のビルカバンバ山脈に逃げ込んでゲリラ戦を展開。

しかしながら1572年、トゥパク・アマルが捕らえられ、クスコで処刑されてインカ帝国は完全に滅亡する。

マンコ・インカらは山に逃げ込む際、帝国の莫大な財宝を持ち込んだという伝説が残されており、このためビルカバンバ探索が続けられた。

 

時代はずっと下って1911年。

幻の都ビルカバンバ探索の途中でアメリカ・イェール大学の教授ハイラム・ビンガムが空中都市の噂を聞きつける。

そして先住民の子供に案内させて発見したのがマチュピチュ※だ。

しかしながらマチュピチュはパチャクティ王の離宮と考えられており、ビルカバンバに隠された秘宝はいまなお未発見のままとなっている。

※世界遺産「マチュピチュの歴史保護区(ペルー、1983年、文化遺産(i)(iii)、自然遺産(vii)(ix))」

 

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マチュピチュの歴史保護区/ペルー

世界遺産「リマ歴史地区」のマヨール広場
世界遺産「リマ歴史地区」のアルマス広場。中央がピサロが礎石を置いた南米最古の教会・リマ大聖堂で、ピサロの棺もここに収められている。植民都市の建物はルネサンス、バロック、アンダルシア、コロニアル、マヌエル等、種々の建築様式が混在しているところが特徴だ

スペイン人たちはキトやクスコを破壊して財宝を略奪し、インカ帝国の宮殿を大聖堂に建て替え、周囲にヨーロッパ風の街並みを築き上げた。

中南米はもちろん、アフリカやアジアでも植民都市には必ず中心に大聖堂があり、大聖堂の前には中央広場(北米でいうセントラル・パーク、スペインのパルケ・セントラル、中米のソカロ、南米のセントロやプラザ・デ・アルマス)が広がっている。

それはヨーロッパによる力の支配の象徴であると同時に、キリスト教の布教によって永続的な搾取を狙った心の支配の象徴でもあった。

 

1535年、ピサロは黄金の積み出し港としてスペインのマドリードを模して港湾都市リマ①(現在のペルーの首都)を建設。

1544年にリマはペルー副王領の首都となり、さらにセロ・リコ銀山②が発見されると、ヨーロッパがインフレを起こすほどの銀を輸出して大いに繁栄した(後述)。

※①世界遺産「リマ歴史地区(ペルー、1988年、1991年拡大、文化遺産(iv))」

 ②世界遺産「ポトシ市街(ボリビア、1987年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

世界遺産「古都スクレ」の
1538年にフランシスコ・ピサロが築いた世界遺産「古都スクレ」の市庁舎。植民都市はパステル・カラーが美しい街並みが多いが、スクレは白い建物が多く、「白の街」と呼ばれている。現在のボリビアの憲法上の首都

これ以外にも植民都市を築きながら南アメリカの隅々まで入植を開始。

ただし、トリデシリャス条約にしたがってブラジルだけはポルトガル領とされた。

世界遺産に登録されている南アメリカの植民都市や関連の物件の例には以下がある(これまでに出てきたものを除く)。

 

ただし、サン・ルイスのようにもともとフランスが建設したもの、サンクリストヴォンのようにポルトガル・スペイン同君連合時代に築いたもの、スペイン領の中に建設されたポルトガルのコロニア・デル・サクラメントなど、時代によって宗主国を変えた都市も少なくない。

 

■スペインの植民都市

  • サンタ・アナ・デ・ロス・リオス・クエンカの歴史地区(エクアドル、1999年、文化遺産(ii)(iv)(v))
  • バルパライソの海港都市の歴史的街並み(チリ、2003年、文化遺産(iii))
  • アレキパ市歴史地区(ペルー、2000年、文化遺産(i)(iv))
  • 古都スクレ(ボリビア、1991年、文化遺産(iv))

 

■ポルトガルの植民都市

  • コロニア・デル・サクラメントの歴史的街並み(ウルグアイ、1995年、文化遺産(iv))
  • 古都オウロ・プレート(ブラジル、1980年、文化遺産(i)(iii))
  • オリンダ歴史地区(ブラジル、1982年、文化遺産(ii)(iv))
  • サルバドール・デ・バイア歴史地区(ブラジル、1985年、文化遺産(iv)(vi))
  • ディアマンティーナ歴史地区(ブラジル、1999年、文化遺産(ii)(iv))
  • サン・ルイス歴史地区(ブラジル、1997年、文化遺産(iii)(iv)(v))
  • ゴイアス歴史地区(ブラジル、2001年、文化遺産(ii)(iv))
  • サンクリストヴォンの町のサンフランシスコ広場(ブラジル、2010年、文化遺産(ii)(iv))
  • リオデジャネイロ:山と海の間のカリオカの景観(ブラジル、2012年、文化遺産(v)(vi))

 

こうした植民都市の他に、世界各国でキリスト教の普及活動に努めたイエズス会が関連する世界遺産も少なくない。

アジア、アメリカ、アフリカにおけるイエズス会関連の世界遺産の例には以下がある(イエズス会については「36.宗教改革」参照)。

 

■イエズス会に関係するアジア、中南米、アフリカの世界遺産の例

  • ゴアの教会群と修道院群(インド、1986年、文化遺産(ii)(iv)(vi))のボム・ジェズ聖堂
  • マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群(マレーシア、2008年、文化遺産(ii)(iii)(iv))のセント・ポール教会やセント・フランシスコ・ザビエル教会
  • マカオ歴史地区(中国、2005年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))の聖ポール天主堂や聖ローレンス教会
  • 古都グアナファトとその銀鉱群(メキシコ、1988年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))
  • カンペチェ歴史的要塞都市(メキシコ、1999年、文化遺産(ii)(iv))
  • サン・ミゲルの要塞都市とヘスス・デ・ナサレノ・デ・アトトニルコの聖地(メキシコ、2008年、文化遺産(ii)(iv))
  • キト市街(エクアドル、1978年、文化遺産(ii)(iv)) 
  • グアラニーのイエズス会伝道施設群:サン・イグナシオ・ミニ、サンタ・アナ、ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレート、サンタ・マリア・ラ・マジョール[アルゼンチン]、サン・ミゲル・ダス・ミソオエス遺跡群[ブラジル](ブラジル/アルゼンチン、1983年、1984年拡大、文化遺産(iv))」
  • コルドバのイエズス会管区とエスタンシアス(アルゼンチン、2000年、文化遺産(ii)(iv))
  • ラ・サンティシマ・トリニダード・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道施設群(パラグアイ、1993年、文化遺産(iv))
  • チロエの教会群(チリ、2000年、文化遺産(ii)(iii))
  • チキトスのイエズス会伝道施設群(ボリビア、1990年、文化遺産(iv)(v))
  • ファジル・ゲビ、ゴンダール地域(エチオピア、1979年、文化遺産(ii)(iii))
  • モザンビーク島(モザンビーク、1991年、文化遺産(iv)(vi)) 

* * *

セロ・リコ銀山とポトシ市街
セロ・リコ銀山とポトシ市街。この山で約800万人が犠牲になったといわれており、「人を食う山」と恐れられた

アステカやインカから黄金や銀を略奪したスペインだったが、手近な財宝を奪い尽くすと継続的に利益を出すふたつの方法を考え出す。

鉱山の開発とプランテーションの経営だ。

 

鉱山開発の最大の成功例がセロ・リコ銀山だ。

「ウサギを追っていたインディヘナ(先住民)たちが銀鉱脈を発見したらしい」

この噂を聞きつけたコンキスタドールたちは標高約4,000mの高所で世界最大の銀鉱脈を発見。

この山は「豊かな山」を意味するセロ・リコと名づけられた。

スペイン人たちは大聖堂や精錬所、造幣局を造って鉱山都市ポトシ①を建設。

先住民を奴隷として投入し、全世界の銀流通量の数倍といわれる銀を産出した。

この地で生産された銀はスクレ②で管理され、リマ③から輸出された。

※①世界遺産「ポトシ市街(ボリビア、1987年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「古都スクレ(ボリビア、1991年、文化遺産(iv))」

 ③世界遺産「リマ歴史地区(ペルー、1988年、1991年拡大、文化遺産(iv))」

 

銀山では他にボリビアのプラカヨ銀山①、メキシコのバレンシア銀山②やサカテカス③近郊の銀山が有名だ。

なお、メキシコシティとグアナファト②やサカテカスなどの鉱山都市を結び、アメリカ・ニューメキシコ州にまで抜ける道が「銀の道」と言われる「ティエラ・アデントロの王の道④」だ。

また、銀を抽出する際、スペインのアルマデン⑤やスロベニアのイドリア⑤で生産された水銀を用いたことから、水銀もこの道を使って輸送された。

 

※①ボリビアの世界遺産暫定リスト記載

 ②世界遺産「古都グアナファトとその銀鉱群(メキシコ、1988年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 ③世界遺産「サカテカス歴史地区(メキシコ、1993年、文化遺産(ii)(iv))」

 ④世界遺産「ティエラ・アデントロの王の道(メキシコ、2010年、文化遺産(ii)(iv))」

 ⑤世界遺産「水銀関連遺産:アルマデンとイドリア(スロベニア/スペイン、2012年、文化遺産(ii)(iv))」

世界遺産「ビニャーレス渓谷」
モゴーテと呼ばれる岩山が特徴的な世界遺産「ビニャーレス渓谷」の景観。タバコの名産地で、伝統的な製法で育てられるタバコによってキューバの名高い葉巻が作られる

代表的な金鉱山には17世紀に金鉱山が発見されてゴールド・ラッシュで沸き返った鉱山都市オウロ・プレート①や、18世紀にゴールド・ラッシュが起こったゴイアス②やコンゴーニャス③がある。

また、ダイヤモンド鉱山にはそのままダイヤの名前を取ったディアマンティーナ④がある。

※①世界遺産「古都オウロ・プレート(ブラジル、1980年、文化遺産(i)(iii))」

 ②世界遺産「ゴイアス歴史地区」(ブラジル、2001年、文化遺産(ii)(iv))」

 ③世界遺産「ボン・ジェズス・ド・コンゴーニャスの聖所(ブラジル、1985年、文化遺産(i)(iv))」

 ④世界遺産「ディアマンティーナ歴史地区(ブラジル、1999年、文化遺産(ii)(iv))」

 

プランテーションは先住民や黒人奴隷の安価な労働力を利用した大規模農園のことをいう。

南北アメリカ大陸では求めていた香辛料が見つからないため、それに変わるサトウキビやカカオ、コーヒー、タバコ等の農園を作って経営した。

労働にあたったのは、まずは奴隷狩りによって連れ去られた中南米の先住民。

先住民を狩り尽くすとアフリカから黒人奴隷を輸入して投入した。

プランテーションが関係する著名な世界遺産には以下がある。

ロス・インヘニオス渓谷はサトウキビ、ビニャーレス渓谷はタバコ、サルバドールはサトウキビやコーヒー等で栄え、労働力として投入された奴隷貿易も行われた。

  • トリニダードとロス・インヘニオス渓谷(キューバ、1988年、文化遺産(iv)(v))」
  • ビニャーレス渓谷(キューバ、1999年、文化遺産(iv))
  • キューバ南東部のコーヒー農園発祥地の景観(キューバ、2000年、文化遺産(iii)(iv))
  • コロンビアのコーヒー産地の文化的景観(コロンビア、2011年、文化遺産(v)(vi))
  • サルバドール・デ・バイア歴史地区(ブラジル、1985年、文化遺産(iv)(vi))

[関連サイト]

サルバドール・デ・バイア歴史地区/ブラジル

世界遺産「サルバドール・デ・バイア歴史地区」のサン・フランシスコ教会
世界遺産「サルバドール・デ・バイア歴史地区」のサン・フランシスコ教会。ブラジル・バロックの傑作で、オウロ・プレートから持ち運ばれた1tもの黄金を使ってチャペルが築かれている

中南米からもたらされた金や銀、各種産品はヨーロッパの経済を変えた。


中世の社会では次第に貨幣が浸透していったが、貨幣は金・銀で作られていた。

大航海時代に莫大な金・銀が流入したことによって貨幣の価値が下がり、相対的に物価が上昇してインフレが起こる。

結果、地代を貨幣で得ていた諸侯や騎士は没落し、一方で商工業者は物価が上がることで利益が増し、その立場を強めた(価格革命)。

 

西ヨーロッパではこうして荘園・農業経営が破綻したが、東ヨーロッパではプランテーションと似た半奴隷農民=農奴を利用した大農園=グーツヘルシャフト(農場領主制)が広がり、穀物を西ヨーロッパに輸出した。

農業を東ヨーロッパに任せた西ヨーロッパでは造船業をはじめとする工業や、植民地からもたらされる金・銀・砂糖・カカオなどを扱う商業が発展。

資本主義経済が発達すると同時に、貿易を一手に担う王の権力が増して諸侯や騎士・都市の力が低下。

この流れで中央集権化が進み、やがて重商主義を掲げる絶対君主制へと移行する。

 

こうして新世界貿易の価値が高まる一方で、地中海貿易や北海貿易が衰退。

おかげでイタリア海洋都市やオスマン帝国、ハンザ同盟の繁栄は終わりを告げ、逆に大西洋に面したスペイン、ポルトガル、のちにはオランダ、フランス、イギリスが躍進する(商業革命)。

 

生活面においてもヨーロッパは新世界の大きな影響を受けた。

以下のような産品はアメリカ大陸からもたらされたもので、それまでヨーロッパにもアジアにもアフリカにもなかったものだ。

  • トウモロコシ
  • ジャガイモ
  • トマト
  • タバコ
  • カカオ(チョコレート)
  • トウガラシ

つまり、ドイツのマッシュポテトもイタリアのトマトソースも韓国や四川やタイのトウガラシ料理も、あるいはあらゆるチョコレート菓子も、これ以前の時代にはなかったものなのだ。

 

これらが伝播するスピードでしばしば例に出されるのが梅毒だ。

一説によると梅毒もコロンブスがヨーロッパに持ち込んだもので、1512年には日本で確認されている。

1492年からわずか20年目の出来事だ。

 

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味わう世界遺産4:神の贈り物 チョコレート

 

 

ヨーロッパだけでなく、街の様子は南北アメリカ大陸やアフリカでも大きく変化した。

 

先述のように、中南米やアフリカの街はカテドラルとセントラル・パーク(セントロ、マヨール、ソカロ、プラザ・デ・アルマス)を中心に築かれた。

 

また、もともとモンゴロイド(黄色人種)しかいなかったアメリカに、ヨーロッパのコーカソイド(白色人種)が植民を行い、奴隷としてネグロイド(黒色人種)が連れてこられて多彩な混血が誕生した。

北米は血の一滴の掟=ワン・ドロップ・ルールで知られるように、一滴でも白人以外の血が混じったら黒人と見なす文化で混血は進まなかったが、ブラジルやコロンビア、ベネズエラに渡ったポルトガル人やスペイン人は現地の女性と結婚して子をもうけた。

こうして白人と先住民の混血・メスティソ、白人と黒人の混血・ムラート、先住民と黒人の混血・サンボと多彩な混血が存在する文化が生まれた。

 

ちなみに、奴隷貿易はもともとインド洋貿易でイスラム商人が行っていたものだ。

ポルトガルがこれを応用して16世紀にアフリカ-南米を結んで大西洋を渡る奴隷貿易を開始した。

17世紀にプランテーション経営が盛んになると、アフリカで奴隷を買い、アメリカでサトウキビやタバコ・綿花・コーヒー・チョコレートに変え、ヨーロッパから武器や陶磁器を送るという三角貿易が成立した。

 

奴隷貿易に使用された港は数多いが、世界遺産の中で「負の遺産」として知られているものでは以下がある。

  • 海商都市リヴァプール(イギリス、2004年、文化遺産(ii)(iii)(iv))
  • ゴレ島(セネガル、1978年、 文化遺産(vi))
  • ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群(ガーナ、1979年、 文化遺産(vi))
  • ザンジバル島のストーンタウン(タンザニア、2000年、文化遺産(ii)(iii)(vi))
  • クンタ・キンテ島と関連遺跡群(ガンビア、2003年、文化遺産(iii)(vi))
  • ル・モーンの文化的景観(モーリシャス、2008年、文化遺産(i)(vi))

 

* * *

世界遺産「アンティグア・グアテマラ」のラ・メルセー教会
コルテスの右腕アルバラード兄弟が先住民を虐殺して建設し、グアテマラ総督府の首都となったアンティグア。ラス・カサスも一時ここを拠点としていた。写真は精緻な漆喰装飾が美しいラ・メルセー教会。世界遺産「アンティグア・グアテマラ」構成資産

最後に、スペインの植民地支配の記録を紹介しておこう。


スペインは先住民を虐殺・略奪・強姦・拷問し、キリスト教への改宗を強要したことで知られている。

なぜ改宗を強要するかといえば、キリスト教と国王による支配体制に先住民たちを組み込むためだ。

そして改宗しない人間は人間未満の者として扱われ、奴隷狩りの対象となり、動物以下の扱いを受けた。

 

教会もこうした残虐行為に手を貸してはいたが、実際の惨劇を目の当たりにして反対する者もいた。

キリスト教化には奴隷から先住民を守る役割もあったし、残虐行為を伝え聞いたスペイン王室やローマ教皇はこれをいさめ、人道的に扱うよう注意したりもしている。

しかし当時ヨーロッパで支配的だったのは、未開で劣った人々に人間らしい文明・文化と宗教を与えるという大義名分であり、それによって支配や収奪は正当化された。

むしろ科学者や哲学者、神学者をはじめとする善悪判断に富んだ理性的な人々たちが、こう判断した。

 

個人的には、この思想は現代もあまり変わっていないのではないかと思う。

ぼくらの生活は途上国の人々の労働と資源を安く買い叩くことで成立している。

「未開で劣った人々に人間らしい文明・文化を与える」という大義名分がいまだに通用しており、その途上ではある程度の搾取は仕方のないものと考えられている。

 

スペイン人ラス・カサスはそんな支配に反対した司祭のひとり。

コンキスタドールたちとともに渡米して植民地経営に参加していたが、コルテスらの残虐行為を目の当たりにして改心し、スペイン王室にこうした蛮行を禁止するよう要望する。

これが『インディアス破壊についての簡潔な報告』だ。

一部を引用してみよう(ラス・カサス著、染田秀藤訳『インディアス破壊についての簡潔な報告』岩波文庫より)。

「村や地方へ戦いを仕掛けに行くとき、彼は、すでにスペイン人たちに降伏していたインディオたちをできるだけ大勢連れて行き、彼らを他のインディオたちと戦わせた。彼はだいたい一万人か二万人のインディオを連れて行ったが、彼らには食事を与えなかった。その代わり、彼はそのインディオたちに、彼らが捕らえたインディオたちを食べるのを許していた。そういうわけで、彼の陣営の中には人肉を売る店が現れ、そこでは彼の立会いのもとで子供が殺され、焼かれ、また、男が手足を切断されて殺された」

「プグナという非常にすばらしい島があり、大勢のインディオが暮らしていた。島の領主や住民は彼をまるで天使のように歓迎した。6か月経つと、スペイン人たちはインディオたちの食料を食べ尽くしたが、それからしばらくして、彼らはインディオたちが旱魃や凶作に備えて自分自身や妻子のために貯えていた小麦の倉を見つけた。インディオたちは仕方なくその小麦をスペイン人たちに差し出し、好きなように使ってください、食べてくださいと涙ながらに申し出た。スペイン人たちが最後に彼らに行った返礼とは、彼らを斬り殺すことであった。スペイン人たちは大勢のインディオを槍で突き刺したり、そのほか様々な非道の限りを尽くした。また、彼らは生け捕りにしたインディオをことごとく奴隷にした。こうして、彼らは島をほとんど完全に滅ぼしてしまった」

「スペイン人たちはインディオたちを殺し、その肉を公然と売っていた。『申し訳ないが、拙者が別のヤツを殺すまで、どれでもいいからその辺のヤツの四半分ほど貸してくれ。犬に食べさせてやりたいのだ』と、まるで豚か羊の肉の四半分を貸し借りするように、彼らは話し合っていた」

「インディアスが発見されてこのかた、どのインディオもキリスト教徒たちから悪事を働かれたり、強奪を受けたり、裏切られたりしない限り、彼らからキリスト教徒たちに害を加えたことは一度もなかった。インディオたちは、キリスト教徒たちの所業を見てはじめて、彼らがどのような人間で、何を望んでいるのかを知った。それまでは、彼らはキリスト教徒のことを不死身で、しかも、天からきた人だと思い、また、実際そのように彼らを歓迎していたのである」

「この40年間にキリスト教徒たちの暴虐的で極悪無残な所業のために男女、子供合わせて2100万人以上の人が残虐非道にも殺されたのはまったく確かなことである。それどころか、私は、1500万人以上のインディオが犠牲になったといっても、真実間違いではないと思う」

 

実際にはスペイン人に殺された人より、スペイン人がもたらした天然痘などの病気で亡くなる人の方が多かったようだ。

またスペイン人だけがこうした蛮行を犯したわけではなく、ドイツ人やイギリス人、フランス人等も荷担していた。

 

いずれにせよ中南米では数千万の先住民が亡くなった。

インカ帝国の人口は、一説では1/10にまで減ったという。

そして不足した労働力を補うために投入されたのが黒人奴隷だ。

奴隷貿易についてはいずれ解説するが、黒人奴隷はこれとは別に1,000万~2,000万人が犠牲になったといわれている。

 

なお、新世界に対するキリスト教布教に大きく貢献したのがイエズス会だ。

イエズス会については「36.宗教改革」を参照してほしい。

 


次回はルネサンスを紹介する。

 


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ぼくがこれまで撮影してきた写真を掲載していこうと思います。

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イギリスの世界遺産「ロンドン塔」
イギリスでもっとも歴史のある石造城塞であり、多くの囚人を収容した監獄兼処刑場で、世界一有名な幽霊屋敷でもある「ロンドン塔」。クリックで外部記事へ
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青の都・サマルカンド、グリ・アミール廟のイーワーンとドーム。世界遺産「文化交差路サマルカンド」構成資産。クリックで外部記事へ

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 なぜ今TPP等の地域協定なのか?

 なぜシンガポールは豊かなのか?

 なぜ米国は銃規制できないか?

 なぜハリウッドは強いのか?

 なぜ外国人が渋谷の交差点に?

 なぜイスラムは仏を狙うのか?

 なぜスイスは永世中立なのか?

 なぜ中華料理はおいしいのか?

 なぜ難民が増えているのか?

 なぜ五輪は4年に1度の開催か?

 なぜイランは核開発するのか?

 なぜ台湾は独立できないのか?

 なぜアフリカはいつも戦争?

 なぜシーア派とスンニ派がある?

 なぜブータンは幸せの国なのか?

 なぜ世界でパンデミックが拡大?

 なぜ世界に親日国が多いのか?

 なぜイスラムは遺跡を壊すか?

 なぜ米国とキューバが接近?

 なぜ訪日外国人が増えたのか?

 なぜギリシャ危機が問題か?

 なぜウクライナで米露が対立?

 なぜ世界中に中華街があるのか?

 なぜ柔道はJUDOに勝てないか?

 なぜ捕鯨は野蛮なのか?

 なぜイスラムは西洋と戦うのか?

 なぜ日本料理は世界で人気か?

 なぜ中南米はミスコンに強いか?

 なぜ中国で民主化・独立運動か?

 なぜ英・西で独立運動なのか?

・Bizコンパス 世界遺産連載

 世界遺産の夜明けを導く2遺跡

 人類の歴史に挑戦する負の遺産

 危機遺産リストと世界遺産

 世界遺産が世界遺産でなくなる日

 キング・オブ・世界遺産

 自然遺産を守る意味 

 聖地が示す世界遺産の限界

 世界遺産と平和への挑戦

 世界遺産登録と今後の日本の遺産

 なぜ世界遺産は欧州に多いのか

 産業遺産と新しい世界遺産

 自宅で楽しむ世界遺産 ワイン編

 W杯! ブラジルの歴史と世界遺産

 なぜ伊勢神宮は世界遺産でない?

 一度の旅行でたくさんの世界遺産

 夏休みに訪れたい海の世界遺産

 世界遺産はじめて行くならここ!

 最新の世界遺産を訪ねよう!

 世界遺産で野生動物と触れ合う

 パワースポットの「聖なる山」

 立入禁止! 非開放の世界遺産

 神々が降り立つ聖地の世界遺産

 絶景と人工美が融合した鉄道

 愛と美を称える世界遺産

・その他

『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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<旅論:たびロジー>

1.あなたは幸せですか?

.麻薬は悪? ゴキブリは汚い?

.裸とワイセツ

 

<エロス論:エロジー>

.遊びの本質

.おいしい、美しい、気持ちいい

.文化SM論

 

<絵と写真の話>

.アートと魂~抽象画とポロック

.ロスコの扉 ~ロスコ・ルーム~

10.写真と抽象芸術~グルスキー

 

<哲学的探究:哲学入門>

1.哲学とは何か?

2.「正しい-間違い」とは何か?

3.証明とは何か?

4.わかる・理解するとは何か?

5.力とは何か? 波とは何か?

6.物質とは何か?

7.見る・感じるとは何か?

8. 空間とは何か?

 

<哲学的考察:ウソだ!>

.無と偶然

.ことだま-はじめに言葉ありき

10.物質とは何か?

11.神とは何か?-一神教と多神教

 

<世界遺産NEWS>

慶州歴史地域の修復と真正性

来訪神行事を無形文化遺産推薦

カムチャツカ火山群で噴火続く

京都市が景観保護に新制度

陽明門&東大手門リニューアル

 

<世界遺産ランキング集>

登録基準に見る世界遺産

世界の七不思議

国内集計の世界遺産ランキング

海外集計の世界遺産ランキング

世界遺産国別ランキング

 

<UNESCOリスト集>

日本の遺産リスト

無形文化遺産リスト

世界の記憶リスト

世界遺産リスト

ユネスコエコパーク・リスト

世界ジオパーク・リスト

創造都市リスト

 

<世界遺産の見方>

知性的鑑賞法

感性的鑑賞法

異文化理解の方法論

正しい・間違いの基準

星と大地と古代遺跡

 

<味わう世界遺産>

.王様のワイン トカイ

.命の水 テキーラ

.ポルトガルの宝石 ポート

.神の贈り物チョコレート

 

<世界遺産で学ぶ世界の歴史>

.宇宙と地球の誕生

.地球と火山活動

.大陸移動と世界の形成

.生命の誕生 先カンブリア時代

.生命の進化 古生代から新生代へ

.人類の夜明け

.戦争の時代 ~メソポタミア

.古代エジプトの繁栄

.インダス文明と古代インド

10.長江・黄河文明と古代中国

11.欧州巨石文化とエーゲ文明

12.古代ギリシアの繁栄

13.アレクサンドロスとヘレニズム

14.シルクロードとクシャーナ&漢

15.東南&東アジア,アフリカの古代

16.南北アメリカ大陸の古代文明

17.共和政ローマと帝政ローマ

18.ローマの平和、そして分裂へ

19.民族大移動と西欧の形成

20.東欧の形成とビザンツ帝国

21.東西教会の分裂と十字軍

22.イスラム教とペルシア・アラブ

23.イスラム帝国の分裂

24.イスラムの拡散-インド,アジア

25.アフリカの交易とイスラム教

26.隋・唐・宋の時代

27.北方騎馬民族とその周辺

28.モンゴル帝国の世界征服

29.オスマン,サファヴィー,ムガル

30.中世ヨーロッパの飛躍

31.修道院とロマネスク&ゴシック

32.イギリス・フランスと百年戦争

33.ハプスブルク家とレコンキスタ

34.大航海時代

35.ルネサンス

36.宗教改革

37.絶対王政とオランダの台頭

38.三十年戦争とイギリス革命

39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア

40.明と清の繁栄

41.東・東南アジアの植民前史

42.産業革命とアメリカ独立革命

43.フランス革命とナポレオン

44.ウィーン体制と七月・二月革命

45.イタリアとドイツの成立

46.帝国主義と米英仏

47.アジアの衰退・植民地化

48.清、朝鮮、江戸の開国・滅亡

49.世界分割

50.第一次世界大戦

51.ファシズムと世界恐慌

52.第二次世界大戦

 

<世界遺産写真館>

1.文化交差路サマルカンド1

2.文化交差路サマルカンド2

3.アッパー・スヴァネティ

4.グラナダのアルハンブラ宮殿1

5.グラナダのアルハンブラ宮殿2

6.コトル

7.プレアヴィヒア寺院

8.福建の土楼1

9.福建の土楼2

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