世界遺産と世界史27.北方騎馬民族とその周辺

中国北部から東ヨーロッパや西アジアにかけて、砂漠やステップ・草原を中心とする広大な乾燥地帯が広がっている。

砂漠やステップで生活するのは簡単ではなかったが、移動は比較的容易で、そのため古来ラクダを利用した交易が行われていた。

シルクロード※だ。

※世界遺産「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網(カザフスタン/キルギス/中国共通、2014年、文化遺産(ii)(iii)(v)(vi))」。他にウズベキスタン/タジキスタンの世界遺産暫定リスト記載

※世界遺産暫定リストにはシルクロード関係の以下の資産が記載されている

  • ウズベキスタンのシルクロード遺跡(ウズベキスタン)
  • タジキスタンのシルクロード遺跡(タジキスタン)
  • キルギスのシルクロード遺跡(キルギス)
  • シルクロード(カザフスタン)
  • トルクメニスタンのシルクロード遺跡(トルクメニスタン)
  • シルクルート[シルクロード](イラン)
  • インドのシルクロード遺跡(インド)

 

一方草原ではヤギやヒツジ、ロバ、ウマ、高地ではヤクなどを放牧し、家畜のエサとなる緑を求めて移動を繰り返しながら遊牧生活を行っていた。

モンゴルの草原風景
モンゴルの草原風景。後ろの白い建物はモンゴルの伝統的移動家屋・ゲル。ゲルはテントと同様組み立て式で、移動のたびに畳まれ、組み立てられる。ゲルと関連の文化は「モンゴル・ゲルと関連の習慣に関する伝統技能(モンゴル、2013年、代表リスト)」として無形文化遺産に登録されている

特に重要だったのがウマだ。

ウマは馬肉として貴重なタンパク源となっただけでなく、ミルクは不足しがちなビタミンを補い、ヨーグルトやバター、チーズ、馬乳酒に加工されて携帯・移動食にもなった。

また、ウマは生活用品の運搬の役を担い、農耕を行う際には畑を耕し、その背に乗ること(騎馬)ですばやい移動も可能となった。


当然戦争にも利用され、太古の昔から騎馬隊が活躍し、紀元前3000年頃にはメソポタミアで戦車(戦闘馬車)が発明され、まもなく馬上から弓を射る弓騎兵が登場した。


そして内陸アジアはウマの名産地。

中国や西アジアの先進国はウマを手に入れるために遊牧騎馬民族と貿易を行い、あるいは傭兵として雇って騎馬軍団を結成した。

一時西アジアを席巻したトルコ人奴隷マムルークがその一例だ。


もちろん騎馬民族が国を創り、中国や西アジアに攻め込むこともあった。

紀元前においては中央アジアのスキタイや東アジアの匈奴、鮮卑がその例で、春秋戦国・秦・漢時代の万里の長城※は彼らが操るウマの侵入を防ぐためのものだった(匈奴、鮮卑については「14.シルクロードとクシャーナ朝&漢」参照)。

※世界遺産「万里の長城(中国、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

こうした騎馬民族は定住生活を行う農耕民とよい関係を保ち、お互いを支え合っていた。

紀元前5000年にまでさかのぼってそんな生活を伝えているのがサラズム※だ。

※世界遺産「サラズムの遺跡(タジキスタン、2010年、文化遺産(ii)(iii))


以下では鮮卑の国・北魏が滅びる6世紀からモンゴル(元)に制圧される13世紀までの北方騎馬民族と、朝鮮、日本の歴史を見てみよう。

 

[関連サイト]

万里の長城/中国

* * *

この時代、騎馬民族の中で特に大きな勢力を誇ったのがトルコ系、モンゴル系、チベット系だ。

まずはこれら3民族の主な国家を見てみよう。

矢印は国家がこの順番で移り変わったことを示しているのではなく、著名な国家を順番に並べた程度のもの。


■トルコ系

高車→突厥→ウイグル→キルギス→天山ウイグル

     →カラ・ハーン朝→ガズナ朝、セルジューク朝、マムルーク朝 etc.

■モンゴル系

柔然→遼(キタイ)→西遼(カラ・キタイ)→モンゴル→元

 

■チベット系

吐蕃→西夏

南詔→大理

突厥の最大版図
突厥の最大版図。薄い青は隋だが、隋と東西突厥を足した領域が、おおよそ唐の最大版図となる

<トルコ系>

 

6世紀に中央アジア~東アジアにかけて大領域を支配したのがトルコ系の突厥(とっけつ)だ。

552年に柔然から独立した突厥は騎馬軍団を率いてモンゴル系の柔然を滅ぼすと、内陸アジアの広くを占領。

この国がトルコの起源と考えられており、1952年にはトルコ建国1,400周年を祝っている。

 

6世紀後半に内紛が起きたり隋の離間の策を受けて東突厥と西突厥に分裂。

7世紀には唐の太宗が東突厥を攻撃して唐に組み入れ、続く高宗が西突厥を征伐してこれも版図に取り込んだ。

 

こうして唐は突厥の領土を加え、中央アジアにまで進出する。

前回紹介した地図「7世紀前後のアジア」はこの頃のものだ。


東突厥、西突厥は唐の羈縻(きび)体制下に入ったものの王族はそのまま存続していた。

これを滅ぼして8~9世紀に覇を唱えたのがウイグルだ。


ウイグルは東突厥の弱体化に乗じて744年にできたトルコ系国家。

首都はオルドゥバリクで、カラバルガスン遺跡※として伝わっている。

※世界遺産「オルホン渓谷の文化的景観(モンゴル、2004年、文化遺産(ii)(iii)(iv))」←この世界遺産には突厥の遺跡ホショー・ツァイダムなども含まれる

 

755年に安史の乱が起こると、唐の要請を受けて軍を派遣。

唐とともに反乱軍を打ち破って長安や洛陽を奪還する。

ウイグルはその後、弱体化した唐にたびたび侵入してその領土を奪い、西方、河西回廊やタリム盆地を巡って国境を接する吐蕃(とばん)とも対立する。

 

ところがウイグルは同じトルコ系のキルギスの反乱を受けて840年に滅亡。

キルギスも長続きせず、まもなく分裂する。

 

トルコ人はこのあと天山ウイグルや甘州ウイグルを建国するものの大きな勢力を保つことができず、モンゴル人の内陸アジア進出を受けて多くの者が西に向かう。

 

840年、中央アジアに誕生したカラ・ハーン朝はウイグルから逃れた人々によって建てられたと考えられている。

トルコ人初のイスラム国家で、これを皮切りに、ガズナ朝、セルジューク朝、ホラズム朝、マムルーク朝、デリー・スルタン朝といった国々を建国し、トルコ人は西アジアや南アジアへと進出し、イスラム化していく。

特に小アジア(現在のトルコのある場所。アナトリア半島)に多くのトルコ人が入るのはセルジューク朝以来のことだ。

この辺りは「世界遺産と世界史23.イスラム帝国の分裂」を参照してほしい。

 

* * *

世界遺産「万里の長城」八達嶺
世界遺産「万里の長城」登録の八達嶺。もともと万里の長城は騎馬民族のウマを防ぐためのもので、土や泥、日干しレンガを積み上げた堤防のようなものだった。八達嶺のような美しい城壁は明代のもの

<モンゴル系>


トルコ系に変わって中国北方を支配するのがモンゴル系の諸民族だ。


遼河流域で暮らしていた契丹(きったん)もそのひとつ。

耶律阿保機(やりつあぼき)が916年に皇帝を名乗ってキタイとして独立するが、のちに中国風に遼という国名をつけた。

 

遼は西のモンゴル高原に進出し、東の渤海(ぼっかい。後述)をも撃破。

さらに五代十国の後晋から燕雲十六州を割譲させると、万里の長城より内側の中国内地に進出し、

北京や大同といった要衝を手に入れた。

政治体制としては、北方遊牧民に対しては部族制をとり、中国内地に対しては州県制を用いて二重統治を行った。

 

宋が中国を統一したのち、太宗は燕雲十六州を奪還するために遼を攻撃。

西夏と同盟してこれを撃退したのち、遼の聖宗は逆に1004年、宋へ攻撃を仕掛ける。

結局宋の真宗は、宋を兄、遼を弟として宋が遼に毎年金銭・物品を贈る和約を結ぶ(せん淵の盟)。

12世紀前後の東アジア
12世紀前後の東アジア

遼はこの後、宋、西夏と安定した関係を保って繁栄したが、満州周辺に暮らしていたツングース系・女真族が反旗を翻し、1115年に完顔阿骨打(わんやんあぐだ)が金を建てて独立。

金は宋、西夏と結んで遼を攻め、1125年にこれを滅ぼした。

 

このとき西に逃れた耶律大石が中央アジアで興した国が西遼(カラ・キタイ)だ。

西遼は一時カラ・ハーン朝を倒して繁栄するが、モンゴルが興るとこれに帰順し、その後滅ぼされた。

 

金は宋、西夏とともに遼を倒し、燕雲十六州を奪還したが、報償を渋る宋に対して攻撃を仕掛けて1127年に首都・開封を占領。

宋の皇帝・欽宗とその一族を捕縛し、皇女を後宮や売春宿に送ってしまった(靖康の変)。


たまたま難を逃れた欽宗の弟・趙構は南に逃れ、同年、臨安(現在の杭州※)を首都に南宋を建国。

1142年には金を君、南宋を臣とする和議を結び(紹興の和約)、淮河を境に中国は北の金と南の南宋に分断された。

※世界遺産「杭州西湖の文化的景観(中国、2011年、文化遺産(ii)(iii)(vi)」

 

金は首都を燕京(現在の北京)に遷都し、中国統一を目指して南宋を攻撃するが、南宋は豊かな穀物生産を背景に経済力を急速に伸ばしており、征服に失敗。

13世紀に入ると国内でも反乱が相次いで衰退し、1206年に興ったチンギス・ハーンのモンゴルの侵入を許し、1234年にオゴタイの攻撃を受けて滅亡する。

 

* * *

吐蕃の首都ラサ
唐の玄宗の娘、文成公主が建立したジョカン屋上。中央奥に見えるのがダライ・ラマの居城、ポタラ宮だ。いずれも世界遺産「ラサのポタラ宮歴史地区」構成資産

<チベット系>


チベット高原では古くからチベット系の諸民族が活動していた。


633年、ソンツェン・ガンポは隋や唐に対抗する必要からチベット初の統一王朝を建てる。

これが吐蕃だ。

そして首都ラサ※にあるマルポリの丘に宮殿を建設。

これが17世紀に改築されて現在のポタラ宮になる。

※世界遺産「ラサのポタラ宮歴史地区(中国、1994年、2000・2001年拡大、文化遺産(i)(iv)(vi))」

 

この頃チベット人の間では、インド、ネパールから伝わった密教色の強い仏教がチベットの土着信仰と融合してチベット仏教として広がっていた。

吐蕃はチベット仏教を庇護し、チベット文字を広めたことから急速に拡大し、ラサはチベット仏教の聖地として崇められるようになる。


ソンツェン・ガンポは唐と戦闘を繰り返すが、640年に唐の玄宗の娘である文成公主を娶り、唐の冊封体制に入る。

文成公主も熱心な仏教徒であったことからラサににラモチェ(小昭寺)やジョカン(大昭寺)を建設。

特にジョカンは、チベット仏教徒にとって生涯一度は訪れるべき最高の聖地とされた。

なお、世界遺産「ラサのポタラ宮歴史地区」はポタラ宮、ジョカン、のちに登場するダライ・ラマの離宮ノルブリンカの3つを構成資産としている。

 

[関連サイト]

ラサのポタラ宮/中国


吐蕃と唐は戦争・和平を繰り返すが、唐が力を失うと吐蕃はたびたび唐の領内に侵入。

755年の安史の乱で混乱すると、763年には首都・長安にまで到達した。

唐はウイグルの協力を得て安史の乱を平定すると、その勢いで吐蕃を撃退する。

 

9世紀後半、吐蕃は内乱と唐の攻撃により混乱し、統一王朝は消滅。

ラサを中心とするチベット高原中央部は、1254年のモンゴルによる統一まで地方政権が並び立つことになる(この時代も吐蕃と呼ぶこともある)。

 

8世紀頃から中国南西部、現在の雲南省を中心とした地域に誕生したチベット系の王国が南詔(なんしょう)だ。

雲南地方は中国-ミャンマー-インド-ペルシアを結ぶ西南シルクロードと、中国-チベットを結ぶ交通の要衝。

唐、吐蕃の勢力下に入る時代もあったが、8世紀に南詔として独立した。

 

南詔は当初唐の冊封体制に入ったが、同じチベット系の吐蕃とも同盟し、冊封を受けた。

安史の乱で唐が混乱すると吐蕃とともに唐を攻めるが、その後は唐との関係を修復し、吐蕃と敵対する時代もあった。

 

一時はラオス、ベトナムの一部をも支配下に治めた南詔だが、内乱によって902年に滅亡。

しばらく混乱が続いたあと、チベット系ペー族による大理が937年に雲南周辺を再統一する。

麗江旧市街
世界遺産「麗江旧市街」。中国の都市は城壁に囲まれているものだが、平和を愛したナシ族の街には城壁がない。ちなみに、長安を模した日本の平城京や平安京に城壁がないのは、日本がすでに領域国家として成立しており、周辺に脅威となる勢力がいなかったからといわれている

8~9世紀、南詔・大理の西でチベット系ナシ族が城壁のない小さな都市国家・麗江を建設する。

ナシ族はトンパ文字という象形文字を用い、チベットや中国文化を巧みに融合させて華やかな文化を築いた。

 

12世紀には水路を張り巡らせ、屋根に特産の青い瓦を敷き詰めて、青く輝く美しい街並みを造り上げた。

これが世界遺産「麗江旧市街(中国、1997年、文化遺産(ii)(iv)(v))」だ。


1038年には中国の北西でチベット系タングート族の李元昊(りげんこう)が西夏を建てる。

西夏は遼やラサのチベット政権と同盟を結んで宋に対抗。

1115年に金が興ると西夏は宋、金と同盟して遼を攻め、これを撃破。

遼滅亡後、金が1127年に宋を滅ぼすと、混乱に乗じて中国北西部の多くの土地を奪取する。

 

チベット系の諸民族はこうして中国の北西~南西にかけてを広く治めていたが、13世紀にモンゴルが興ると次第に吸収されていく。

モンゴル帝国については次回、モンゴル帝国以後のチベット史については「世界遺産と世界史41.東アジア・東南アジアの植民前史」参照。

 

[関連サイト]

麗江旧市街/中国

* * *

仏国寺の大雄殿と多宝塔
仏国寺の大雄殿と多宝塔。「仏国」は極楽浄土を示し、仏の世界を表現するという意味で、日本の世界遺産「平泉-仏国土[浄土]を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」に通じるものがある。世界遺産「石窟庵と仏国寺」構成資産

満州・朝鮮半島とその周辺、668年に滅亡する高句麗以降の様子を見てみよう。

勢力図は前回の「800年前後の東アジア」参照。

 

698年、高句麗が治めていた満州・遼河周辺に大祚栄(だいそえい)が建てた国が渤海だ。

基本的には唐の冊封体制に入ったが、国境を接する朝鮮半島の新羅を牽制するために、日本とも盛んに交易を行った。

渤海は遼河から日本海にかけての広くを支配するが、916年に遼が興ると926年に滅ぼされた。

 

朝鮮半島では、新羅が勢力を広めて朝鮮半島の多くを版図に収める。

新羅も唐に朝貢し、冊封体制に入っている期間が長かった。

新羅の首都が金城で、その中心は世界遺産「慶州歴史地域(韓国、2000年、文化遺産(ii)(iii))」に登録されている。

また、唐との国境線上に長城を築いたが、それをベースに作られたのが世界遺産「南漢山城(韓国、2014年、文化遺産(ii)(iv))」だ。

 

新羅は仏教を奉じており、数々の寺院を築いた。

新羅仏教の最高峰といわれるのが世界遺産「石窟庵と仏国寺(韓国、1995年、文化遺産(i)(iv))」だ。

また、世界遺産「八萬大蔵経の納められた伽耶山海印寺(韓国、1995年、文化遺産(iv)(vi))」も新羅時代(9世紀)の開山で、海印寺に収められた版木によって印刷された高麗八萬大蔵経は、日本を含む国内外に渡って仏教の伝導に貢献した。


朝鮮半島は10世紀に新羅、後百済、後高句麗の後三国時代に突入する。

918年、後高句麗の将軍・王建が反乱を起こして高麗を建国。

高麗は935年に新羅、936年に後百済を滅ぼして朝鮮半島を統一する。

 

太祖・王建は故郷に城壁を張り巡らせると、王宮を築いて首都・開州(現在の開城。ケソン)※を建設。

以来1392年まで開城は高麗の首都として繁栄する。

※世界遺産「開城の歴史的建造物と遺跡(北朝鮮、2013年、文化遺産(ii)(iii))」


こちらもモンゴル帝国の話は次回、それ以降は「世界遺産と世界史41.東アジア・東南アジアの植民前史」へ。

 

* * *

法隆寺、西院伽藍
法隆寺、西院伽藍。左が金堂、中央が中門、右が五重塔。有名な金堂の壁画はインドの世界遺産「アジャンター石窟群」や中国の世界遺産「莫高窟」の影響を色濃く残していたが、1949年の火災で損傷してしまった
東大寺、大仏殿
東大寺、大仏殿。聖武天皇は各国に国分寺の建造を命じたが、その総本山=総国分寺が東大寺だ。本尊はいわゆる「奈良の大仏」で、盧舎那仏

ほんの少しだけ、日本の歴史にも触れておこう。


6世紀後半、ちょうど隋が中国を統一した頃、日本は豪族が勢力を競った古墳時代から、大和王権による飛鳥時代へと移行。

女帝・推古天皇と摂政・聖徳太子が冠位十二階や十七条憲法を制定して天皇を中心とする中央集権体制を整える。

 

この頃、百済より伝わった仏教が広まり、588年には蘇我馬子が法興寺(その後身が現在の飛鳥寺と元興寺)を起工。

607年には推古天皇と聖徳太子が法隆寺を建設する。

 

法隆寺の創建当時の建物は焼失し、現在見られる西院伽藍①は8世紀初頭に再建されたものだが、それでも現存する世界最古の木造建造物と考えられている。

法隆寺の柱はギリシア・アテネのパルテノン神殿②などで使用された古代ギリシアのエンタシスで、玉虫厨子の図柄はヘレニズム・ペルシアの影響を受けている。

また、層塔はインドのストゥーパが中国で発達したもので、シルクロードを通って伝えられた世界各地の影響を見ることができる。

※①世界遺産「法隆寺地域の仏教建造物(日本、1993年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「アテネのアクロポリス(ギリシア、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」 

 

[関連サイト]

アテネのアクロポリス/ギリシア

 

日本は隋に対して遣隋使、唐に対して遣唐使を送って大陸の進んだ文化を取り入れ、新羅や百済、渤海とも交易を行った。

特に百済とは同盟関係にあり、唐と新羅が百済を攻めると日本は百済に援軍を送っている(663年、白村江の戦い。結果は敗北)。

 

710年、藤原京から奈良盆地の平城京に遷都。

周囲に興福寺、東大寺、唐招提寺、春日大社をはじめとする寺院群が整備された。

藤原京、平城京、平安京といった都はいずれも長安をはじめとする中国の計画都市を模倣したものだ。

これらの建物は世界遺産「古都奈良の文化財(日本、1998年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))」に登録されている。

東寺。別名、教王護国寺
東寺の五重塔。王を教え、導き、守る寺という意味から教王護国寺という異名を持つ。真言宗の寺で、嵯峨天皇から空海に下賜された

794年、桓武天皇が平安京に遷都。

804年には遣唐使船に乗って空海と最澄が唐を訪れ、仏教を学んだ。

帰国後、空海は高野山の金剛峯寺①と京都の東寺②を、最澄は比叡山の延暦寺②を開いている。

この後仏教は日本全土に拡大するが、その過程で神道の神々と融合し(神仏習合)、仏が姿を変えた化身が日本の神々であると考えられた(本地垂迹説)。

※①世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(日本、2004年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「古都京都の文化財[京都市、宇治市、大津市](日本、1994年、文化遺産(ii)(iv))」

 

11世紀、藤原氏→平氏と政権が移り、奥州では奥州藤原氏が中尊寺を中心に平泉①を建設。

同じ頃、中国地方では厳島神社②が造られた。

※①世界遺産「平泉-仏国土[浄土]を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群(日本、2011年、文化遺産(ii)(vi))」

 ②世界遺産「厳島神社(日本、1996年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 

世界との関係では、12世紀には中国に興った宋との間で日宋貿易を開始。

1192年に興る鎌倉時代には、元、高麗、南宋といった大陸の連合軍が1274年と1281年に来襲(文永、弘安の役)するが、暴風の助けもあってこれを退けている。


室町時代以降の話は「世界遺産と世界史41.東アジア・東南アジアの植民前史」を参照。

 


次回はモンゴル・元の世界征服を紹介する。

 


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 なぜ今TPP等の地域協定なのか?

 なぜシンガポールは豊かなのか?

 なぜ米国は銃規制できないか?

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 なぜ外国人が渋谷の交差点に?

 なぜイスラムは仏を狙うのか?

 なぜスイスは永世中立なのか?

 なぜ中華料理はおいしいのか?

 なぜ難民が増えているのか?

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『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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16.南北アメリカ大陸の古代文明

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18.ローマの平和、そして分裂へ

19.民族大移動と西欧の形成

20.東欧の形成とビザンツ帝国

21.東西教会の分裂と十字軍

22.イスラム教とペルシア・アラブ

23.イスラム帝国の分裂

24.イスラムの拡散-インド,アジア

25.アフリカの交易とイスラム教

26.隋・唐・宋の時代

27.北方騎馬民族とその周辺

28.モンゴル帝国の世界征服

29.オスマン,サファヴィー,ムガル

30.中世ヨーロッパの飛躍

31.修道院とロマネスク&ゴシック

32.イギリス・フランスと百年戦争

33.ハプスブルク家とレコンキスタ

34.大航海時代

35.ルネサンス

36.宗教改革

37.絶対王政とオランダの台頭

38.三十年戦争とイギリス革命

39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア

40.明と清の繁栄

41.東・東南アジアの植民前史

42.産業革命とアメリカ独立革命

43.フランス革命とナポレオン

44.ウィーン体制と七月・二月革命

45.イタリアとドイツの成立

46.帝国主義と米英仏

47.アジアの衰退・植民地化

48.清、朝鮮、江戸の開国・滅亡

49.世界分割

50.第一次世界大戦

51.ファシズムと世界恐慌

52.第二次世界大戦

 

<世界遺産写真館>

1.文化交差路サマルカンド1

2.文化交差路サマルカンド2

3.アッパー・スヴァネティ

4.グラナダのアルハンブラ宮殿1

5.グラナダのアルハンブラ宮殿2

6.コトル

7.プレアヴィヒア寺院

8.福建の土楼1

9.福建の土楼2

10.フォンニャ-ケバン国立公園1

11.フォンニャ-ケバン国立公園2

12.カタルーニャ堂とサンパウ病院1

13.カタルーニャ堂とサンパウ病院2

14.オフリド地域1

15.オフリド地域2

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