世界遺産と世界史17.共和政ローマと帝政ローマ

ローマ帝国が関係する世界遺産の数は軽く50を超える。

ひとつの文化・時代・国家がこれほど多くの世界遺産を生み出した例は他にない。

ローマを知らずして世界遺産は語れない――

ローマ帝国の版図の推移。途中出てくるWestern / Eastern Roman Empireは西ローマ帝国と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)を示す


チェルヴェテリの羨道墳
チェルヴェテリの羨道墳。チェルヴェテリとタルキニアは死者に捧げられたネクロポリスで、数千の墳墓が残されている

紀元前1000年頃、イタリアの地にはエトルリア人が住んでいた。

エトルリアはギリシアと交流しつつ、高度な建築技術を使って都市国家を形成していたようだ。

世界遺産に登録されているエトルリア人の墓地遺跡群が「チェルヴェテリとタルキニアのエトルリア古代都市群(イタリア、2004年、文化遺産(i)(iii)(iv))」だ。

 

そんな中にラテン人の一派がやって来て、紀元前8世紀頃、テベレ川の畔に都市国家を建てる。

ローマ※だ。

伝説によると、軍神マルス(ギリシア神アレス)の子として生まれたロムルスとレムスの兄弟がこの地に捨てられて、オオカミによって育てられる。

やがて成長すると兄弟間の争いが起こり、これを勝ち抜いたロムルスが最初に都を築いたという。

ローマという言葉はこのロムルスに由来する。

※世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

ローマはエトルリアやギリシアの文化を吸収し、急速に発展した。

最初は王を中心とした王政を敷いていたが、紀元前509年にエトルリア人の王を追放すると共和政に移行する。

共和政とは、君主を置かず、議会などの集団が政治を行うこと。

アテネやローマは王や皇帝を嫌い、権力がひとりに集中しないような政治を行った。

 

ちなみに、現在の日本やイギリスはそれぞれ天皇・王を君主とする立憲君主政

アメリカやフランスは共和政、中国や北朝鮮もほぼ一党独裁とはいえ共和政だ。

 

[関連サイト]

ローマ歴史地区/イタリア・バチカン

フォロ・ロマーノ
ローマの中枢フォロ・ロマーノ、ラテン語でフォルム・ロマヌム。フォルムはギリシアのアゴラと同じく広場や集会所を示す。人々はフォルムに集って政治(市民議会)・裁判・経済活動等を行った。中央がサトゥルヌス神殿、その左がセウェルス凱旋門
フォロ・ロマーノのクリア・ユリア
フォロ・ロマーノ。中央がクリア・ユリアで、元老院の議事堂だ。カエサルが建て、ディオクレティアヌスが再建した

ローマの場合、最高権力者は執政官(コンスル)で、現在の大統領のようなもの。

執政官による独裁を防ぐために任期を1年に限定し、ふたりの執政官を同時に置いていた。

執政官や大統領は世襲でなく、任期があって選挙や議会で選ばれることから皇帝や王とは大きく異なっている。

そしてその執政官に意見を述べる諮問機関が元老院(げんろういん)だ。

 

この元老院が絶大な力を持っていた。

執政官の候補者を選んだり、民会(人民集会=議会)の決定に許可を与えるのも元老院だし、非常時にはひとりの独裁官(ディクタトル)を立てて権力を集中させることもできた。

この元老院はほとんど世襲の貴族(パトリキ)によって運営されたため、執政官はほぼ貴族によって独占された。

共和政といっても、どちらかというと中国や北朝鮮のように一部の人間(中国や北朝鮮の場合は共産党、ローマの場合は貴族)が権力を独占する寡頭政治に近かった。

ローマ、アッピア街道のマイル・ストーン
ローマ、アッピア街道の最初のマイル・ストーン。始点はもちろんフォロ・ロマーノだ。サン・セバスティアーノ門の近くにある

この頃、軍を構成していたのは農民を中心とする平民(プレブス)。

平民には兵役の義務があり、軍に入隊して重装歩兵として活躍した。

軍が力を持つようになり、平民の発言権が強くなるのはギリシアと同じだ。


紀元前494年の聖山事件で平民は結集して不満を唱え、平民会と護民官の設置を勝ち取った。

平民会は平民の議会、護民官は元老院や執政官の決定に拒否権を持つ役人だ。

紀元前367年には、執政官のひとりは平民から選ばなければならないというリキニウス・セクスティウス法を制定。

紀元前287年には、平民会の決定をローマ国法とするというホルテンシウス法が定められた。

こうして貴族と平民の差は縮まったがアテネのように平等になることはなく、身分差も元老院も維持された。

 

平民たちを中心とする重装歩兵は絶大な力を発揮した。

紀元前3世紀にはイタリア半島をほぼ統一。

その過程で「すべての道はローマに通ず」といわれるように、アッピア街道をはじめとする道路(ローマ街道)を整備してイタリア全土を、のちの時代にはローマと属州を結んだ。

 

そしてローマは都市を征服すると、都市ごとに条件の異なる同盟を組み、各都市の貴族にローマ市民権を付与した。

都市ごとに条件を変えることで同盟を防ぎ、一部の人間をローマ人化することで都市内の平民・貴族の団結を妨げた。

分割統治だ。

フォロ・ロマーノ
こちらもフォロ・ロマーノ。本当に美しい。左奥がマクセンティウスのバシリカだ。フォロ・ロマーノは世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」の構成資産
アグリジェントのコンコルディア神殿
アグリジェントのコンコルディア神殿。協調の神コンコルディア(ギリシア神ハルモニエ)を祀っている

イタリア半島を統一するとその勢いでシチリア島に進出。

東部にあるギリシア人の植民市シラクサ①を落とす。

シチリア島西部はアグラカス②(アグリジェント)を中心にフェニキア人の勢力圏であり、シチリア島の先にあるフェニキア植民市・カルタゴ③と対峙することになった。

ポエニ戦争のはじまりだ。

※①世界遺産「シラクサとパンタリカの岩壁墓地遺跡(イタリア、2005年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「アグリジェントの遺跡地域(イタリア、1997年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 ③世界遺産「カルタゴ遺跡(リビア、1979年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

 

紀元前264~前241年の第一次ポエニ戦争はローマの勝利で、フェニキア勢力をシチリア島から一掃した。

そして紀元前218~前201年に行われたのが第二次ポエニ戦争、有名なハンニバル戦争だ。


ハンニバルはカルタゴの名将。

カルタゴは船の国フェニキアの植民市だったが、ハンニバルは制海権をいきなり放棄する。

5万~10万の兵とゾウを引き連れて、現在のモロッコからスペイン、フランスを陸路で抜けて、アルプス山脈越しにイタリアを攻撃する。

この行程で兵士は2万~3万に減ってはいたが、地中海の彼方で戦っていたはずのカルタゴ軍が突如北のアルプス山中に現れたのを見たローマ軍は混乱し、以来連戦連敗。

特に紀元前216年、カンネーの戦いに敗れると、ローマは絶望的な状況に陥った。


ハンニバルはローマの周辺の都市と結んで包囲網を築こうとするが、交渉はうまく進まない。

そんなとき、ローマに名将スキピオ(以下、大スキピオ)が登場する。

ローマ帝国の軍事戦略を解説した動画。映像だけ見ていてもおもしろい

 

カルタゴ
カルタゴ遺跡。ローマはカルタゴを破壊したあと、ローマ都市として再建した。世界遺産に登録されているのはほとんどローマ時代の遺跡だ

大スキピオはイタリア半島にいるハンニバルを無視してシチリアを奇襲して占領。

カルタゴ本土に迫る。

そのまま攻めていればローマは落ちていたともいわれるのだが、あわてたカルタゴはハンニバルを呼び戻し、大スキピオとの決戦に備える。

そして紀元前203年、カルタゴの南西、ザマで大スキピオを迎え撃つが、完敗(ザマの戦い)。

結局カルタゴは多くの海外領土を失った。

 

こうしてカルタゴは第二回ポエニ戦争に敗れるも急速に回復。

これに対してローマが戦争を仕掛け(紀元前149~前146年、第三次ポエニ戦争)、大スキピオの息子・小スキピオがカルタゴを徹底的に破壊した。


ローマの勢いは止まらない。

紀元前168年にはピュドナの戦いでアンティゴノス朝マケドニアを滅ぼし、ギリシアを征服。

この時点で西ヨーロッパの地中海沿岸部のほとんどを支配した。

これ以後ローマは西ヨーロッパ北部、西アジア、北アフリカに広く進出し、各地に植民市を造り、あるいは既存の都市をローマ風に造り替えていく。

ロンディニウム(ロンドン)、ルテティア(パリ①)、ウィンドボナ(ウィーン②)、ルグドゥヌム(リヨン③)、コロニア(ケルン)がその一例で、これらの都市はその基礎をこの時代に築いた。

※①世界遺産「パリのセーヌ河岸(フランス、1991年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ②世界遺産「ウィーン歴史地区(オーストリア、2001年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ③世界遺産「リヨン歴史地区(フランス、1998年、文化遺産(ii)(iv))」

 

ポエニ戦争後、属州から大量の奴隷が流入し、貴族たちは奴隷を使ってラティフンディウムという大農場の経営に乗り出す。

そこで作り出された安価な農作物がローマに流入し、ローマは大いに潤った。

一方で、ローマの農民は安価な農作物のおかげで没落し、土地を貴族に売って都市部に流入。

属州から莫大な富を得たローマはこうした没落農民=無産市民に「パンと見世物」を与えて養うことができた。


貴族と平民の差が拡大を続け、これを維持するためにより多くの奴隷、より多くの土地を必要としたローマは侵略戦争を継続する。

しかし財政状況は次第に悪化していき、市民権を持たない者が飢えはじめ、農民の没落によって重装歩兵のなり手が減少。

無理があちらこちらに出始めて、紀元前100年前後に「内乱の1世紀」を迎える。

マイル・ストーン
マイル・ストーンを置いたのもクラッスス兄弟だ

そのきっかけがグラッスス兄弟だ。

護民官となったグラックス兄弟は、貴族のラティフンディウムを没収して無産市民への再分配を行い、農民の回復を図るが、殺害されてしまう。

命の危険を感じた貴族たちは無産市民を雇って私兵を設置。

有力者たちはそれぞれ軍を持ち、覇を競うようになる。


この頃起こった大きな内乱を列挙しよう。

紀元前91~前88年、ローマの支配下にあった同盟市がローマ市民権を求めて反乱を起こす(同盟市戦争)。

紀元前88~前82年、貴族を中心とした閥族派のスラと、平民の支持を集めた平民派のマリウスが、互いの私兵を率いて戦闘を行う。

紀元前73~前71年、剣奴(奴隷剣闘士。グラディエーター)であるスパルタクスが反乱を起こしてローマ軍を散々に打ち負かす(スパルタクスの反乱)。

 

ちなみに、あのスタンリー・キューブリックが監督作品『スパルタカス』を残している。

また、剣奴たちの反乱を描いたリドリー・スコット監督の作品が↓だ。

闘技場の様子がよくわかる。

こうしてローマ国内は混乱し、すべてを統制できる強力な政権が待ち望まれるようになる。

そんな時代に登場した3人の実力者がポンペイウス、クラッスス、そしてカエサル(シーザー)だ。

 

ポンペイウスはセレウコス朝シリアを滅ぼし、フェニキア都市ティルス①やビブロス②、ヘブライ都市エルサレム③などを次々と落とした英雄。

クラッススはローマ随一の大富豪で、スパルタクスの反乱を鎮圧した功績があり、カエサルを経済的に支援した人物。

カエサルはヒスパニア(スペイン)の政治家で数々の借金やスキャンダルがあったが、ウェヌス(ギリシア神ヴィーナス)の末裔を名乗るほど美男子で、パンと見せ物を大盤振る舞いする人間性から平民に愛されたカリスマだ。

※①世界遺産「ティルス(レバノン、1984年、文化遺産(iii)(vi))」

 ②世界遺産「ビブロス(レバノン、1984年、文化遺産(iii)(iv)(vi))」

 ③世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請、1981年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

 

[関連サイト]

聖地エルサレム

 

紀元前70年にポンペイウス、クラッススが執政官に選ばれると、紀元前60年にはカエサルを加えて同盟を結び、政権を握る。

第一回三頭政治だ。

アルルの円形闘技場
アルルの街並み、左が円形闘技場。90年頃建てられた闘技場で、2万人を収容した。世界遺産「アルル、ローマ遺跡とロマネスク様式建造物群」の構成資産だ

この後、カエサルはガリア(現在のフランス)を攻め上がり、現在のドイツやイギリスの地にも遠征して多くの土地を獲得。

アルル①、オランジュ②など、征服した都市をローマ風に建て替えた。

※①世界遺産「アルル、ローマ遺跡とロマネスク様式建造物群(フランス、1981年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び”凱旋門”」(フランス、1981年、2007年拡大、文化遺産(iii)(vi))」

 

紀元前54年、政略結婚のためポンペイウスに嫁いでいたカエサルの娘ユリアが死去。

紀元前53年、宿敵パルティアへの遠征でクラッススが戦死。

三頭政治は終わり、ポンペイウスとカエサルの対決は避けられないものとなる。

 

ポンペイウスは元老院と結び、単独の執政官になるとカエサル征伐を決意。

カエサルは「賽は投げられた」とイタリア半島付け根にあるルビコン川を渡り、ローマ攻撃を開始する(ルビコン川より南への進軍は禁じられていた)。


そのままカエサルはローマを制圧。

ポンペイウスはなんとかエジプトに逃れるが、結局プトレマイオス13世によって暗殺されてしまう。

この後エジプトに入ったカエサルは、プトレマイオス13世と敵対関係にあったクレオパトラを愛人として息子カエサリオンをもうける。

この辺りは「13.アレクサンドロスとヘレニズム時代」に書いた通りだ。

 

ライバルがいなくなったカエサルは紀元前48年に独裁官に任命され、紀元前44年には終身独裁官となる。

そして民会と護民官の力を削り、元老院の議員数を大幅に増やし、さらには属州にも開放してこれを弱体化した。

こうして権力はカエサルひとりに集中し、ほとんど王に近い力を手に入れた。

ただ、この独裁期も平民を助け、同盟市に市民権を与えたり、ユリウス暦(太陽暦)を導入するなどして内政に努めたため、人々の支持を集めていたようだ。

 

しかし元老院の恨みを買ったカエサルは、結局紀元前44年、ブルートゥスらに暗殺されてしまう。

ローマのコロッセオ
約50,000人を収容したというローマの闘技場=コロッセオ。皇帝ウェスパシアヌスが着工し、ティトゥスが完成させた。ここで人対人、猛獣対猛獣、人対猛獣の戦いが行われた。世界遺産構成資産

政治は乱れかけたが、ここに登場するのが新たな3人の実力者だ。

 

カエサルの副官を務めていたレピドゥス、カエサルとともにガリア遠征を戦ったアントニウス、そしてカエサルの養子オクタウィアヌスだ。

この3人は同盟を組み、紀元前43年から第二回三頭政治を行った。


レピドゥスが早々に失脚すると、東方をアントニウス、西方をオクタウィアヌスが統治。

アントニウスは小アジアでエジプトの女王クレオパトラに魅せられると、ともに行動して3人の子をもうける。


しかし、アントニウスはパルティアの遠征で大敗。

アルメニアとの戦いでは勝利するが、ローマに戻らずアレキサンドリアに凱旋。

まるで東方ローマの王のように振る舞い、ローマを無視するアントニウスに激怒したオクタウィアヌスはエジプト征伐を決意する。

 

紀元前31年、アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラを破り、ふたりを自殺に追い込む。

そして翌年カエサリオンを殺害してプトレマイオス朝エジプトを滅ぼし、エジプトを支配下に収めた。

 

このあとオクタウィアヌスはローマの歴史を大きく変えることになる。

 

紀元前29年、オクタウィアヌスはローマに凱旋すると元老院の第一人者=プリンケプスとなる。

紀元前27年、ローマ軍最高司令官インペラトルになり、さらに元老院はオクタウィアヌスにアウグストゥス(尊厳者)の称号を授与。

カエサルの養子であったことからカエサルの名を持つ彼は、こうして「インペラトル・カエサル・アウグストゥス」を名乗るようになる(以下、オクタウィアヌスはアウグストゥスと表記する)。

共和政の終わり、帝政のはじまりだ。

ポン・デュ・ガール
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」。アウグストゥスが全幅の信頼を寄せるアグリッパの建築と見られており、ガルドン渓谷をまたぐ高さ約49mの三層アーチで、50km彼方のニームへ水を運んでいる
トリーア
トリーアのポルタ・ニグラ。「黒い門」の名を持つローマ遺跡。当時トリーアは「アウグスタ・トレヴェロールム」という名で、アウグストゥスの名を冠していた。トリーアはテトラルキア(4分治制)の時代、4首都のひとつだった

帝政とは、皇帝による独裁政治のこと。

しかし、ローマでは王や皇帝は極端に嫌われており、王のように振る舞ったカエサルも暗殺されてしまった。

このためアウグストゥスはけっして王や皇帝を名乗らなかった。

あくまで市民を代表する元首=プリンケプスによる政治、すなわち元首制=プリンキパトゥスであるというわけだ。

 

しかし、この「インペラトル・カエサル・アウグストゥス」という名前。

「インペラトル」はカエサルも名乗った称号で、1世紀以降、皇帝を示す言葉として認識され、英語の「エンペラー」の語源になった。

「カエサル」も皇帝を表すドイツ語「シーザー」やロシア語「ツァーリ」、ギリシア語やアラビア語・トルコ語の「カイセル」の語源。

「アウグストゥス」はのちにローマ正帝を示す名詞になり(副帝はカエサル)、やはり皇帝を示した。
つまりインペラトル、カエサル、アウグストゥスはいずれものちに皇帝を示す言葉となった。

逆に言えば、彼の時代に皇帝を示す明確な言葉は存在せず、さまざまな官位や称号の集合体だったのだ。


ちなみに、カエサルとアウグストゥスは自分の誕生月をカレンダーに入れている。

ユリウス・カエサル→July、アウグストゥス→Augustだ。

 

とにもかくにもこうして紀元前27年、実質的に帝政が始動。

ローマ帝国がはじまる。

 

結果的にカエサルがベースを作り、アウグストゥスが完成させた中央集権化は成功。

ローマはこれまでにないほど安定し、以降ローマの平和=パックス・ロマーナと呼ばれる200年間を迎える。

メリダのミラグロス水道橋
メリダのミラグロス水道橋。メリダの当時の名は「エメリタ・アウグスタ」。アウグストゥスが戦略的に重要なグアディアナ川の畔に街を造った。世界遺産「メリダの遺跡群」の構成資産
バールベックのジュピター神殿跡
バールベックのユピテル神殿。柱の直径はなんと2m、高さは22mに達し、アテネのパルテノン神殿の倍近い大きさを誇る

アウグストゥスもカエサル同様、各地にローマ都市を造り、あるいはローマ風に整備した。

一例を紹介しよう。

 

のちに「スペインのローマ」とまでいわれるほど繁栄した植民市が彼の名を冠するエメリタ・アウグスタ、現在のメリダ①だ。

ゲルマン人に対する前線都市として築いたのがアウグスタ・トレヴェロールムで、現在のトリーア②になる。

世界遺産ではないが、彼の名を冠する都市にはカエサラ・アウグスタ(現在のサラゴサ)、アウグスタ・プラエトリア(現在のアオスタ)などが挙げられる。


また、アルル③やオランジュ④、リヨン⑤に闘技場や円形劇場を造り、遠く東方でもバールベック⑥にローマ最高神ユピテル(ギリシア神ジュピター)を祀るユピテル神殿を建設した。

そしてカエサルに続いてフォロ・ロマーノ⑦を整備し、自身の墓であるアウグストゥス霊廟⑦を築いた。

また、アウグストゥスの腹心アグリッパはアルル~リヨンにかけてをガリア経営の要と考えてアグリッパ街道を整備したほか、その途中、ガール川周辺にローマ水道橋ポン・デュ・ガール⑧を建設した。

 

※①世界遺産「メリダの遺跡群(スペイン、1993年、文化遺産(iii)(iv))」

 ②世界遺産「トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会(ドイツ、1986年、文化遺産(i)(iii)(iv)(vi))」

 ③世界遺産「アルル、ローマ遺跡とロマネスク様式建造物群(フランス、1981年、文化遺産(ii)(iv))」

 ④世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び”凱旋門”(フランス、1981年、2007年拡大、文化遺産(iii)(vi))」

 ⑤世界遺産「リヨン歴史地区(フランス、1998年、文化遺産(ii)(iv))」

 ⑥世界遺産「バールベック(レバノン、1984年、文化遺産(i)(iv))」

 ⑦世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ⑧世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋](フランス、1985年、2007年拡大、文化遺産(i)(iii)(iv))」



次回はパックス・ロマーナ~ローマ帝国の分裂までを解説する。

 

 

―――― コラム:ローマ帝国が関係する世界遺産 ――――

 

ローマ帝国はヨーロッパや地中海沿岸全域に進出し、各地に植民市を建設した。

すでに発展していた都市には凱旋門や水道橋、劇場、闘技場、公共浴場等を建設し、各地を征服した代わりに当地の貴族たちに最先端の文明と豊かさを提供した。

 

当時のヨーロッパ・地中海都市でローマの影響を受けていない都市はほとんどない。

以下にその代表的な世界遺産を列挙しよう。

ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の世界遺産は省いている。

ヒエラポリスの円形劇場
皇帝ハドリアヌスの時代に造られたヒエラポリスの円形劇場。綿の城=パムッカレという天然温泉場に造られた都市がヒエラポリスで、世界遺産「ヒエラポリス-パムッカレ」はそのため自然・文化遺産双方の普遍的価値を持つ複合遺産として登録されている
ヴェローナ市の円形闘技場
ヴェローナ市の円形闘技場。25,000人を収容し、現在でもコンサートやオペラの公演に使用されている

<ヨーロッパ:イタリア>

  • ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))
  • ナポリ歴史地区(イタリア、1995年、文化遺産(ii)(iv))
  • ラヴェンナの初期キリスト教建築物群(イタリア、1996年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)
  • アグリジェントの遺跡地域(イタリア、1997年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))
  • ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(イタリア、1997年、文化遺産(i)(ii)(iii))
  • ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域(イタリア、1997年、文化遺産(iii)(iv)(v))
  • アクイレイアの遺跡地域と総主教聖堂バシリカ(イタリア、1998年、文化遺産(iii)(iv)(vi))
  • パエストゥムとヴェリアの古代遺跡群を含むチレントとディアノ渓谷国立公園とパドゥーラのカルトゥジオ修道院(イタリア、1998年、文化遺産(iii)(iv))
  • ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ](イタリア、1999年、文化遺産(i)(ii)(iii))
  • ヴェローナ市(イタリア、2000年、文化遺産(ii)(iv))
  • シラクサとパンタリカの岩壁墓地遺跡(イタリア、2005年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))
  • マントヴァとサッビオネータ(イタリア、2008年、文化遺産(i)(ii)(iii))
  • イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年](イタリア、2011年、文化遺産(ii)(iii)(vi))
メリダの円形劇場
約6,000人を収容したメリダの円形劇場。スペインのローマ遺跡では世界遺産「メリダの遺跡群」が随一

<ヨーロッパ:スペイン、フランス>

  • コルドバ歴史地区(スペイン、1984年、1994年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))
  • アビラの旧市街と城壁外の教会群(スペイン、1985年、2007年拡大、文化遺産(iii)(iv))
  • セゴビア旧市街とローマ水道橋(スペイン、1985年、文化遺産(i)(iii)(iv))
  • メリダの遺跡群(スペイン、1993年、文化遺産(iii)(iv))
  • ラス・メドゥラス(スペイン、1997年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))
  • タラゴナの遺跡群(スペイン、2000年、文化遺産(ii)(iii))
  • ルーゴのローマの城壁群(スペイン、2000年、文化遺産(iv))
  • アルル、ローマ遺跡とロマネスク様式建造物群(フランス、1981年、文化遺産(ii)(iv))
  • オランジュのローマ劇場とその周辺及び”凱旋門”(フランス、1981年、2007年拡大、文化遺産(iii)(vi))
  • ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋](フランス、1985年、2007年拡大、文化遺産(i)(iii)(iv))
  • 歴史的城塞都市カルカソンヌ(フランス、1997年、文化遺産(ii)(iv))
  • リヨン歴史地区(フランス、1998年、文化遺産(ii)(iv))
パース市街のローマ浴場
パース市街のローマ浴場。ローマの勢力はイギリスに及び、温泉が湧くこの地に温泉都市を建築した

<ヨーロッパ:その他(トルコ、イスラエルを除く)>

  • バース市街(イギリス、1987年、文化遺産(i)(ii)(iv))
  • ローマ帝国の国境線(イギリス/ドイツ、1987年、2005・2008年拡大、文化遺産(ii)(iii)(iv))
  • エヴォラ歴史地区(ポルトガル、1986年、文化遺産(ii)(iv))
  • ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア、バチカン市国共通) 1980、1990 文化遺産 (i)(ii)(iii)(iv)(vi)
  • バチカン市国(バチカン、1984年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))
  • テッサロニキの初期キリスト教とビザンチン様式の建造物群(ギリシア、1988年、文化遺産(i)(ii)(iv))
  • トリーアのローマ遺跡群、聖ペテロ大聖堂及び聖母マリア教会(ドイツ、1986年、文化遺産(i)(iii)(iv)(vi))
  • ウィーン歴史地区(オーストリア、2001年、文化遺産(ii)(iv)(vi))
  • ペーチ[ソピアネ]にある初期キリスト教墓地遺跡(ハンガリー、2000年、文化遺産(iii)(iv))
  • スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿(クロアチア、1979年、文化遺産(ii)(iii)(iv))
  • ガムジグラード-ロムリア、ガレリウス宮殿(セルビア、2007年、文化遺産(iii)(iv))
  • オラシュチエ山脈のダキア人の要塞群(ルーマニア、1999年、文化遺産(ii)(iii)(iv))
  • ブトリント(アルバニア、1992年、1999・2007年拡大、文化遺産(iii))
  • パフォス(キプロス、1980年、文化遺産(iii)(vi))
パルミラのローマ記念門
パルミラのローマ記念門。ハドリアヌスの来訪を記念して建てられたといわれている

<アジア、トルコ、イスラエル)>

  • イスタンブール歴史地域(トルコ、1985年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))
  • クサントス、レトーン(トルコ、1988年、文化遺産(ii)(iii))
  • ヒエラポリス-パムッカレ(トルコ、1988年、文化遺産(iii)(iv)、自然遺産(vii))
  • トロイの古代遺跡(トルコ、1998年、文化遺産(ii)(iii)(vi))
  • アンジャル(レバノン、1984年、文化遺産(iii)(iv))
  • ティルス(レバノン、1984年、文化遺産(iii)(vi))
  • バールベック(レバノン、1984年、文化遺産(i)(iv))
  • ビブロス(レバノン、1984年、文化遺産(iii)(iv)(vi))
  • 古都ダマスクス(シリア、1979年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))
  • 古代都市ボスラ(シリア、1980年、文化遺産(i)(iii)(vi))
  • パルミラの遺跡(シリア、1980年、文化遺産(i)(ii)(iv))
  • 古都アレッポ(シリア、1986年、文化遺産(iii)(iv))
  • マサダ(イスラエル、2001年、文化遺産(iii)(iv)(vi))
  • ペトラ(ヨルダン、1985年、文化遺産(i)(iii)(iv))
  • ウム・エル-ラサス[キャストロ・メファ](ヨルダン、2004年、文化遺産(i)(iv)(vi))
  • エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請、1981年、文化遺産(ii)(iii)(vi))
レプティス・マグナ
レプティス・マグナ。カルタゴ同様、フェニキア植民市として発展した都市で、この街の出身者である皇帝セプティミウス・セウェルスが大増築を行った

<アフリカ>

  • アブ・メナ(エジプト、1979年、文化遺産(iv))
  • レプティス・マグナの古代遺跡(リビア、1982年、文化遺産(i)(ii)(iii))
  • キレーネの古代遺跡(リビア、1982年、文化遺産(ii)(iii)(vi))
  • サブラータの古代遺跡(リビア、1982年、文化遺産(iii))
  • エル・ジェムの円形闘技場(チュニジア、1979年、文化遺産(iv)(vi))
  • カルタゴ遺跡(チュニジア、1979年、文化遺産(ii)(iii)(vi))
  • ドゥッガ/チュッガ(チュニジア、1997年、文化遺産(ii)(iii))
  • ジェミラ(アルジェリア、1982年、文化遺産(iii)(iv))
  • ティムガッド(アルジェリア、1982年、文化遺産(ii)(iii)(iv))
  • ティパサ(アルジェリア、1982年、文化遺産(iii)(iv))
  • ヴォルビリスの古代遺跡(モロッコ、1997年、2008年拡大、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))

 

[関連サイト]

ローマ歴史地区/イタリア・バチカン

ポンペイ/イタリア

コルドバ歴史地区/スペイン

ヴィッラ・アドリアーナ/イタリア

バチカン市国

セゴビア旧市街とローマ水道橋/スペイン

ウィーン歴史地区/オーストリア

イスタンブール/トルコ

ヒエラポリス-パムッカレ/トルコ

パルミラの遺跡/シリア

古都アレッポ/シリア

ペトラ/ヨルダン

聖地エルサレム

ラヴェンナの初期キリスト教建築物群/イタリア

 


News

世界遺産カテゴリー "WORLD HERITAGE" にて新シリーズ「世界遺産写真館」を立ち上げました。

ぼくがこれまで撮影してきた写真を掲載していこうと思います。

 →世界遺産写真館

イギリスの世界遺産「ロンドン塔」
イギリスでもっとも歴史のある石造城塞であり、多くの囚人を収容した監獄兼処刑場で、世界一有名な幽霊屋敷でもある「ロンドン塔」。クリックで外部記事へ
世界遺産「文化交差路サマルカンド」のグリ・アミール廟、イーワーン
青の都・サマルカンド、グリ・アミール廟のイーワーンとドーム。世界遺産「文化交差路サマルカンド」構成資産。クリックで外部記事へ

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・All About 世界遺産 新記事

 世界一の幽霊屋敷 ロンドン塔

 青の都サマルカンド

 学生が訪れたい世界の絶景

 2017年おすすめの世界遺産

 日本の世界遺産名所12選

 ル・コルビュジエの建築作品

Bizコンパス 世界の名言

 リンカーン 人民の人民による

 チャップリン 勇気・想像力・金

 本田宗一郎「挑戦した失敗」

 岡本太郎「毒を持て」

 ディズニー「未完成」

 ジョブズ「愚かであれ」

 ナポレオン「不可能はない」

 高杉晋作「おもしろき世」

 エジソン「1%の才能99%の汗」

・Bizコンパス 国際情勢連載

 なぜLCCが世界を席巻?

 なぜ日本のGDPは低迷?

 なぜ今TPP等の地域協定なのか?

 なぜシンガポールは豊かなのか?

 なぜ米国は銃規制できないか?

 なぜハリウッドは強いのか?

 なぜ外国人が渋谷の交差点に?

 なぜイスラムは仏を狙うのか?

 なぜスイスは永世中立なのか?

 なぜ中華料理はおいしいのか?

 なぜ難民が増えているのか?

 なぜ五輪は4年に1度の開催か?

 なぜイランは核開発するのか?

 なぜ台湾は独立できないのか?

 なぜアフリカはいつも戦争?

 なぜシーア派とスンニ派がある?

 なぜブータンは幸せの国なのか?

 なぜ世界でパンデミックが拡大?

 なぜ世界に親日国が多いのか?

 なぜイスラムは遺跡を壊すか?

 なぜ米国とキューバが接近?

 なぜ訪日外国人が増えたのか?

 なぜギリシャ危機が問題か?

 なぜウクライナで米露が対立?

 なぜ世界中に中華街があるのか?

 なぜ柔道はJUDOに勝てないか?

 なぜ捕鯨は野蛮なのか?

 なぜイスラムは西洋と戦うのか?

 なぜ日本料理は世界で人気か?

 なぜ中南米はミスコンに強いか?

 なぜ中国で民主化・独立運動か?

 なぜ英・西で独立運動なのか?

・Bizコンパス 世界遺産連載

 世界遺産の夜明けを導く2遺跡

 人類の歴史に挑戦する負の遺産

 危機遺産リストと世界遺産

 世界遺産が世界遺産でなくなる日

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 自宅で楽しむ世界遺産 ワイン編

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 なぜ伊勢神宮は世界遺産でない?

 一度の旅行でたくさんの世界遺産

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 世界遺産で野生動物と触れ合う

 パワースポットの「聖なる山」

 立入禁止! 非開放の世界遺産

 神々が降り立つ聖地の世界遺産

 絶景と人工美が融合した鉄道

 愛と美を称える世界遺産

・その他

『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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