世界遺産と世界史30.中世ヨーロッパの飛躍

世界遺産「ブルージュ歴史地区」
中世、羊毛業で栄えた世界遺産「ブルージュ歴史地区」。写真は運河の終点ファン・エイク広場付近。左の塔がポールテルス・ロッジで、ここから船を監視した。家々は当時の商人たちが建てたもので、いちばん右の建物の切妻破風が特徴的

西ローマ帝国滅亡前後から、ゲルマン人・ノルマン人・スラブ人・アジア人等が次々とヨーロッパに進出(民族大移動)。

東西ヨーロッパはその姿を大きく変えた。

いわゆる「中世」の幕開けだ。

 

オリエント(西アジアや北アフリカ)から見れば、中世初期のヨーロッパは地中海沿岸を除けば森に閉ざされた辺境中の辺境。

文化・文明の最先端はアジアにあり、農産物にしても水産物にしても暖かい地域の多彩な産物に比べれば貧相なものだったに違いない。


これが変わりはじめるのが11~13世紀だ。

諸民族の大移動が終わり、人々は自然を開拓して都市を築き、落ち着きを取り戻す。

そして大開墾時代、商業ルネサンス、大翻訳時代、12世紀ルネサンスといった数々のイノベーションを経て、経済と文化が飛躍。

やがて大航海時代へとつながる「ヨーロッパの時代」が幕を開ける。

世界遺産「チェスキー・クルムロフ歴史地区」
13世紀にボヘミアの貴族ロジェンベルク家が深い森を切り開いて造り上げた世界遺産「チェスキー・クルムロフ歴史地区(チェコ、1992年、文化遺産(iv))」。ブルタヴァ川がΩ型に湾曲するその中に位置する街並みが非常に美しい

 

■大開墾時代


古くからヨーロッパに住んでいた「森の民」ケルト人は大地とともに暮らしていた。

そして自然のあらゆる場所に神様や妖精を見て、巨人や人魚、火の精や水の精などの伝説を伝えた。

そんな世界観を表した作品がスタジオジブリ制作『借りぐらしのアリエッティ』だ。


この作品の原作はメアリー・ノートン著『床下の小人たち』。

イギリスに伝わるケルト神話をもとに作られた作品なのだ。

自然を畏敬する温かい思想は日本の八百万(やおよろず)の神に通じるものがある。


ところが『グリム童話』で描かれる森は恐怖そのもの。

「赤ずきん」でも「ヘンゼルとグレーテル」でも森は避けるべき場所であり、野獣や魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈する恐怖の対象だ(ただし「白雪姫」のような例もある)。


中世にヨーロッパ中に広がったキリスト教思想には、根底にこのような考え方がある。

「生めよ、増えよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚、空の鳥、地を這うすべての生物を支配せよ」(『旧約聖書』「創世記」より)

 

新たにヨーロッパに定住をはじめたキリスト教徒にとって森は支配すべき敵であり、切り拓いて手なずけるべき相手だったのかもしれない。

11~13世紀の大開墾時代、鉄器を手に入れた人々は次々と森を伐採して街を造り、畑を開いて農業を行った。

当初は畑の地力がなくなると新たに森を開墾して移動するという略奪農業。

おかげで森は一気に減少し、たとえばイングランドでは森の約9割が消え去ったといわれている。

 

やがて畑を春耕地-秋耕地-休耕地の三つに分けて輪作を行う三圃制が成立。

この工夫によって移動の必要がなくなると郊外の森を切り開いて放牧地を造り、ウシやヒツジなどの家畜を飼って混合農業を行った。

家畜は有輪鋤(ウシに鋤を引かせる道具)などによって農業生産にも大いに貢献した。

 

当初農民、というより農奴たちは、諸侯や騎士と主従関係を結んで仕えていた。

諸侯や騎士は大きな荘園(領地)を持っており、農奴を保護し封土を与える代わりに、種々の税や貢納・賦役(労働)を義務として課した。

領主の所有物となった農奴は荘園で作物や家畜を育て、それを食べ、農奴同士で結婚し、子供を産み、生活のすべてが荘園内で完結していた。

この頃の荘園は国王の力さえ及ばず、役人の立ち入りを禁止し(不輸不入法)、農奴に対しても移動の自由を奪っていた。

宮崎駿企画・脚本、メアリー・ノートン原作、米林宏昌監督

『借りぐらしのアリエッティ』予告編

 

しかし、こうした封建制は13世紀に崩れはじめる。

後述するように商業が活発になると貨幣経済が浸透。

諸侯や騎士は農奴に土地を貸し出し、地代を貨幣で納めさせるように変化する。

農業技術の恩恵で収穫量が飛躍的に増えたこともあり、農奴たちの中には大きな富を築く者も現れ、こうした富農は農業経営者として独立した(独立自営農民)。

 

また、14世紀にはペスト(黒死病)が大流行。

ヨーロッパ全人口の3~5割、2,000~3,000万人が病死したといわれている。

 

ペストはペスト菌がもたらす伝染病で、治療が行われなかった場合の致死率はあのエボラ出血熱と同程度の50~90%。

ある種のノミが媒介するのだが、そのノミはネズミによって運ばれるため、中世にはネズミがペストの原因と考えられた。

 

もともとペストはモンゴルや中央アジア、西アジアで流行していたのだが、ペスト菌を持ったネズミが東方貿易(レヴァント貿易)を行う貿易船に乗り込んでイタリアやフランスに上陸したらしい。

大開墾時代後の畑や街はネズミの生息に最適で、森林の伐採はフクロウやオオカミといった天敵の減少をももたらして、ネズミはその数を拡大。

ペストは瞬く間にヨーロッパに広がった。

このためペストは「森からの復讐」などといわれることもある。

 

貨幣経済への以降や農業人口の減少のおかげで農民が立場を強める一方で、中世都市の興隆もあって諸侯や騎士は弱体化。

これに歯止めをかけるために封建制を強める動きも出るのだが(封建反動)、1358年にはフランスでジャックリーの乱、1381年にはイギリスでワット・タイラーの乱が勃発。

反乱は鎮圧されたが、諸侯・騎士の没落は進んだ。

 

諸侯や騎士に変わって力をつけるのが国王と都市で、この流れで中央集権化がはじまるのだが、この辺りは後述する。

世界遺産「ベネチアとその潟」
ゲルマン人の大移動から逃れてきた人々が、5世紀に潟に杭を打って水上都市を築いたことにはじまる世界遺産「ベネチアとその潟」。ジェノヴァ、ピサ、アマルフィと並ぶイタリア四大海洋都市国家だったが、14世紀に商敵ジェノヴァとの戦いに勝利して地中海貿易の覇者となった
世界遺産「アマルフィ海岸」
世界遺産「アマルフィ海岸」登録のアマルフィの街並み。9世紀にナポリ公国から独立したアマルフィはいち早く羅針盤を導入して東方貿易を行い、ヨーロッパ・西アジア・北アフリカを結ぶ三角貿易で9~11世紀に繁栄した

 

■商業ルネサンス


中世初期ヨーロッパの地方を支配していたのは以下のような都市と身分だ。

  • 帝国都市:ローマ帝国、神聖ローマ帝国、関連の王国が造った都市で、宮廷が置かれたり、戦略上の要衝に置かれた。領主は皇帝や国王。
  • 司教都市:教区を統括する司教座(カテドラ)が置かれた都市で、キリスト教を広めるために建設された。領主は大司教や司教、あるいはそれらを統括する教皇。
  • 諸侯:皇帝や国王から封土を授かった貴族。といっても、完全に独立して地方の王として振る舞う諸侯や、国王がいても諸侯の代表にすぎないケースも多かった。公・侯・伯・子・男の爵位(公爵、侯爵、伯爵…)は諸侯の上下関係を示し、彼らの治める領地が公国や侯国・伯国だ。
  • 騎士:皇帝や国王に仕える戦士階級で封土を持つ。身分的には国王や諸侯も騎士階級で、有力騎士が諸侯と呼ばれた。

人口が増えるにつれてこれ以外の都市も続々誕生。

大開墾時代に人口が急増して交通ネットワークが整備されると、都市も急激に増えていった。

荘園で農業を続ける諸侯や騎士に対して、新しい都市住民は地中海や北海を渡って商業を行い、あるいは輸出用に毛織物などの産業を興して輸出。

貨幣経済を導入して莫大な富を蓄積する。

世界遺産「ピサのドゥオモ広場」登録の大聖堂付属洗礼堂
世界遺産「ピサのドゥオモ広場」登録の大聖堂付属洗礼堂。ピサはアマルフィ衰退後にジェノヴァとともにティレニア海を支配したが、13世紀にそのジェノヴァに敗れて衰退する

このひとつのきっかけが十字軍だ。


十字軍の影響は、政治的な側面はもちろん、文化的にも経済的にも非常に大きなものだった。

キリスト教とイスラム教という宗教上の対立はあっても文化・経済の交流は活発化して、地中海ではヨーロッパと西アジア・北アフリカを結ぶ東方貿易が発展。

アジアから香辛料や絹織物・宝飾品などを輸入し、ヨーロッパから毛織物や銀を輸出した。


これにより東方貿易の中心を担ったイタリアの都市国家が大いに発達。

ベネチア①、ジェノヴァ②、ピサ③、アマルフィ④、ナポリ⑤などは貿易港として、内陸部にあるミラノ⑥、フィレンツェ⑦などは毛織物業や金融業によって繁栄した。

一方、東方の貿易港としてはコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)⑧、トレビゾンド(現在のトラブゾン)、アレキサンドリアなどがあり、イタリア以外の貿易港だと南フランスのマルセイユ、イベリア半島のバレンシア⑨、北アフリカのチュニス⑩などが活発化した。
※①世界遺産「ベネチアとその潟(イタリア、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi))」

 ②世界遺産「ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度(イタリア、2006年、文化遺産(ii)(iv))」

 ③世界遺産「ピサのドゥオモ広場(イタリア、1987年、2007年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 ④世界遺産「アマルフィ海岸(イタリア、1997年、文化遺産(ii)(iv)(v))」

 ⑤世界遺産「ナポリ歴史地区(イタリア、1995年、文化遺産(ii)(iv))」

 ⑥世界遺産「レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院(イタリア、1980年、文化遺産(i)(ii))」

 ⑦世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア、1982年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ⑧世界遺産「イスタンブール歴史地域(トルコ、1985年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 ⑨世界遺産「バレンシアのラ・ロンハ・デ・ラ・セダ(スペイン、1996年、文化遺産(i)(iv))」

 ⑩世界遺産「チュニス旧市街(チュニジア、1979年、文化遺産(ii)(iii)(v))」

 

[関連サイト]

ベネチアとその潟/イタリア

フィレンツェ歴史地区/イタリア

アマルフィ海岸/イタリア

イスタンブール/トルコ

世界遺産「リガ歴史地区」
「バルト海の真珠」の異名を持つ世界遺産「リガ歴史地区」。13世紀にインノケンティウス3世が派遣した北方十字軍によってキリスト教化し、バルト海貿易によって栄えてハンザ同盟に加盟した
ベルゲン旧市街のブリッゲン
ハンザ同盟の四大在外商館のひとつが置かれたベルゲン旧市街。その中心にあったのが世界遺産「ブリッゲン」の倉庫群だ。倉庫にはタラの干物や塩漬けが山積みされ、西ヨーロッパへ輸出された

同様に、北・東ヨーロッパでも北方十字軍やノルマン人の大移動の影響から文化・経済の交流が進み、北海・バルト海貿易が発達。

北方からマスや塩漬けのタラをはじめとする魚介類や木材が西ヨーロッパに輸入され、西ヨーロッパからは毛織物や銀・穀物などが輸出された。

北・東ヨーロッパやバルト三国の貿易港としてベルゲン(中心地がブリッゲン)①、ストックホルム、リガ②、ノヴゴロド③等が、ヨーロッパ側の貿易港としてダンツィヒ(グダニスク)、リューベック④、ブレーメン⑤、ブルージュ⑥等が繁栄した。

※①世界遺産「ブリッゲン(ノルウェー、1979年、文化遺産(iii))」

 ②世界遺産「リガ歴史地区(ラトビア、1997年、文化遺産(i)(ii))」

 ③世界遺産「ノヴゴロドの文化財とその周辺地区(ロシア、1992年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ④世界遺産「ハンザ同盟都市リューベック(ドイツ、1987年、文化遺産(iv))」

 ⑤世界遺産「ブレーメンのマルクト広場の市庁舎とローラント像(ドイツ、2004年、文化遺産(iii)(iv)(vi))」

 ⑥世界遺産「ブルージュ歴史地区(ベルギー、2000年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 

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ブルージュ歴史地区/ベルギー

地中海商業圏と北方商業圏の急速な発展を受けて、主要輸出品である毛織物業が大いに振興する。

その中心を担ったのが加工地であるフランドル地方のガン(ヘント)、ブルージュ(前⑥)、ブリュッセル①、アルトウェルペンや、羊毛の生産地であるグレートブリテン島のロンドン②といった都市だ。

※①世界遺産「ブリュッセルのグラン・プラス(ベルギー、1998年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院及び聖マーガレット教会(イギリス、1987年、2008年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ②世界遺産「ロンドン塔(イギリス、1988年、文化遺産(ii)(iv))」

 

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ブリュッセルのグラン・プラス/ベルギー

ウェストミンスターとビッグベン/イギリス


また、地中海商業圏と北方商業圏を結ぶフランスやドイツの内陸の要衝も発達し、パリ①、プロヴァン②、リヨン③、ケルン④、ニュルンベルク、アウクスブルクといった都市が飛躍した。

たとえばリヨンなどは典型的な中継貿易地で、イタリアから絹を輸入して絹織物を輸出することで大いに栄え、のちに自由都市となって独立した。

※①世界遺産「パリのセーヌ河岸(フランス、1991年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ②世界遺産「中世市場都市プロヴァン(フランス、2001年、文化遺産(ii)(iv))」

 ③世界遺産「リヨン歴史地区(フランス、1998年、文化遺産(ii)(iv))」

 ④世界遺産「ケルン大聖堂(ドイツ、1996年、2008年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 

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ケルン大聖堂/ドイツ


こうして11~12世紀にヨーロッパ全域で商業が活性化して都市が発展する。

商業ルネサンスだ。

ハンザ同盟の盟主リューベックの象徴、ホルステイン門
ハンザ同盟の盟主リューベックの象徴、ホルステイン門。リューベックは12世紀にホルステイン伯によって造られた街で、この門は15世紀の建造。世界遺産「ハンザ同盟都市リューベック」構成資産
世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」
13世紀に北方十字軍が軍事拠点を築いた世界遺産「タリン歴史地区[旧市街]」。最北のハンザ同盟都市で、スカンジナビア半島、ノヴゴロド王国、西ヨーロッパを結んで繁栄した

それまで地方を支配していたのは諸侯や騎士、あるいは教会勢力である大司教や司教だった。

しかし商工業が発達し、貨幣経済が浸透すると、自治都市は諸侯や騎士たちを超える富を手に入れ、自治を求めるようになる。

イタリアの諸都市は自治権を獲得して司教都市からコムーネという自治都市へ移行。

ドイツでも都市は神聖ローマ皇帝から特許状を得て、諸侯や騎士・司教の統制を離れて自由都市となった。


こうして独立した都市は自らを守るために城壁で街を囲み(城郭都市)、軍を保持。

お互いを守るために都市同士で同盟を組み、イタリアのロンバルディア同盟やドイツのハンザ同盟が結成された。

ロンバルディア同盟都市にはミラノ(世界遺産名、先述)、ヴェローナ①、マントヴァ②、ブレシア③、パドヴァ④、ヴィチェンツァ⑤等がある。

ハンザ同盟はリューベック(先述)を盟主とするもので、在外四大商館はロンドン(先述)、ブルージュ(先述)、ベルゲン(先述)、ノヴゴロド(先述)に置かれた。

世界遺産が関わっているハンザ同盟都市だけでも、ベルゲン(先述)、ヴィスビュー⑥、リガ(先述)、タリン⑦、ヴロツワフ⑧、クラクフ⑨、トルニ⑩、ヴィスマール⑪、シュトラールズント⑪、ケルン(先述)、ゴスラー⑫、ヒルデスハイム⑬、ブレーメン(先述)、ストックホルム⑭などがある。

※①世界遺産「ヴェローナ市(イタリア、2000年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「マントヴァとサッビオネータ(イタリア、2008年、文化遺産(i)(ii)(iii))」

 ③世界遺産「イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年](イタリア、2011年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

 ④世界遺産「パドヴァの植物園[オルト・ボタニコ](イタリア、1997年、文化遺産(ii)(iii))」

 ⑤世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群(イタリア、1994年、1996年拡大、文化遺産(i)(ii))」

 ⑥世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー(スウェーデン、1995年、文化遺産(iv)(v))」

 ⑦世界遺産「タリン歴史地区[旧市街](エストニア、1997年、2008年拡大、文化遺産(ii)(iv))」

 ⑧世界遺産「ヴロツワフの百周年記念ホール(ポーランド、2006年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ⑨世界遺産「クラクフ歴史地区(ポーランド、1978年、文化遺産(iv))」

 ⑩世界遺産「中世都市トルニ(ポーランド、1997年、文化遺産(ii)(iv))」

 ⑪世界遺産「シュトラールズント及びヴィスマールの歴史地区(ドイツ、2002年、文化遺産(ii)(iv))」

 ⑫世界遺産「ランメルスベルク鉱山と古都ゴスラーとオーバーハルツ水利管理システム(ドイツ、1992年、2008・2010年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 ⑬世界遺産「ヒルデスハイムの聖マリア大聖堂と聖ミカエル教会(ドイツ、1985年、2008年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii))」

 ⑭世界遺産「ドロットニングホルムの王領地(スウェーデン、1991年、文化遺産(iv))」

一方、イギリスやフランスでは国王が都市の自治を認める代わりに税を納めさせた。

こうして都市は国王に近づき、地方を治めていた諸侯や騎士の手を離れた。

これらの国で王の権力がドイツやイタリアに比べて強いのはこうした時代背景による。

こうして中央集権化が進み、やがて絶対王政へと発展する。

 

また、中世の自治都市では自分たちの産業を守るためにギルドと呼ばれる同業者組合を作った。

最初に生まれたのが遠隔地商業を担う商人たちによる商人ギルドで、貿易と富を独占して都市の市政を担った。

これに対して手工業者が手工業ギルドを結成し、商人ギルドとのツンフト闘争を通じて地位を向上させた。


ギルドに参加できるのは基本的に親方という手工業の経営者のみで、親方は職人や徒弟に技術を教え、労働させた。

そしてギルドはそれぞれの産業を独占し、商品の価格や品質をコントロールした。

経済発展局面においてこうした独占体制はギルドたちに大きな富をもたらし、商業のいっそうの発展をもたらした。

 

一方、農奴の中には荘園の中の生活に耐えられず、豊かな都市に逃げ込む者もいた。

諸侯や騎士の追跡があれば荘園に戻されたが、一定期間をすぎると自由を得て都市の住人となった。

これを表すのが「都市の空気は自由にする」という言葉だ。

これによって商業従事者が増え、これも都市の拡大と強化をもたらした。

世界遺産「中世都市トルニ」
北方十字軍の拠点として、13世紀にドイツ騎士団が建設した城郭都市トルニ(世界遺産「中世都市トルニ」)。写真中央は聖ヨハネ聖堂

 

■教会・教皇の衰退


21.東西教会の分裂と十字軍」で書いた通り、1076年に教皇グレゴリウス7世は神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を破門。

教皇の後ろ盾を失った皇帝に対して諸侯・騎士はいっせいに反旗を翻して帝位の廃位を要求。

これに対してハインリヒ4世は1077年、イタリアのカノッサで教皇に謝罪し、許しを請うた(カノッサの屈辱)。

ハインリヒ4世はドイツ以外の土地で聖職者を任命する聖職叙任権を放棄し、教皇の優位が確認された(1122年、ヴォルムス協約)。

 

11~13世紀、教皇ウルバヌス2世やインノケンティウス3世は十字軍を結成すると、神聖ローマ帝国やイギリス、フランス、ベネチア等々、各地の王や諸侯・騎士をまとめてカトリック連合軍を組織。

1215年にインノケンティウス3世が「教皇は太陽であり、皇帝は月なり」が語った通り、教皇権はここに絶頂を迎えた。

 

しかし。

十字軍が失敗に終わって教皇に対する信頼は失墜。

諸侯・騎士が力を失い王が勢力を伸ばしたイギリスやフランスでは、次第に教皇との対立が表面化する。

その最大の出来事が1303年のアナーニ事件だ。

 

当時の教皇はボニファティウス8世で、インノケンティウス3世同様、教皇至上主義者。

教皇は1302年にウナム・サンクタムという勅書を発すると、教皇の絶対権を主張する。

 

一方、フランス国王フィリップ4世は繰り返されるイギリスとの戦いの費用を調達するために、1302年に貴族・聖職者・平民からなる三部会を開いて聖職者に対する課税を検討。

カノッサの屈辱のように身内に裏切られないように国内の意見を固めてから課税に踏み切った。

 

ボニファティウス8世はこれに反発してフィリップ4世を破門。

フィリップ4世は激怒してボニファティウス8世を彼の出身地であるイタリアのアナーニで捕らえてしまう。

ボニファティウス8世はまもなく釈放されたが、わずか3週間後に憤死する。

 

1305年、フィリップ4世が支持するクレメンス5世が教皇に即位。

1309年には教皇庁をローマから南フランスのアヴィニョンに遷し、実質的にフランスの支配下に置いた(教皇のバビロン捕囚。アヴィニョン捕囚)。

こうしてフランスは教皇に対する国王の優位を確認し、教皇と国王の序列は覆った。

なお、このとき造られた建造物群が世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋(フランス、1995年、文化遺産(i)(ii)(iv))」だ。

アヴィニョン
1309~1377年まで教皇庁が置かれたアヴィニョン。左の建物が世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋」登録の教皇庁宮殿

1377年、時の教皇グレゴリウス11世は教皇庁をローマに戻す。

翌年グレゴリウス11世が死去すると、ローマではウルバヌス6世が教皇に就任。

一方、アヴィニョンでもクレメンス7世が教皇を名乗って即位し、ふたりの教皇が並び立つ大シスマ=教会大分裂がはじまる。

 

こうした世俗的な争いを繰り返す教会に対し、イギリスのジョン・ウィクリフは聖書の教えから離れているとカトリックを非難。

聖書の教えに戻ることを主張し、聖書を英訳してイギリスに広めた。

旧市街広場のヤン・フス像。世界遺産「プラハ歴史地区」構成資産
比較的自由な信仰が認められたプラハではフスに共感する者も多かった。旧市街広場のヤン・フス像。世界遺産「プラハ歴史地区」構成資産

ボヘミア(現在のチェコ)でもウィクリフに共感したヤン・フスがやはりカトリックを批判。

1411年、ローマの教皇ヨハネス23世が戦費調達のために、それを買って敵を倒せば罪が許されるという贖宥状(しょくゆうじょう。免罪符)を発行すると、ウィクリフ同様に聖書主義を掲げてこれを非難した。

フスの主張はボヘミア民衆の支持を集め、ボヘミアは国を二分するほどに混乱した。

 

こうした混乱を収拾するために神聖ローマ皇帝ジギスムントの提唱で開催されたのが1414年のコンスタンツ公会議だ。

この会議でローマ、アヴィニョン、その和解案として教皇位が与えられていた人物、計3人の教皇を廃位。

そしてローマ教皇庁を正統として、1417年にマルティヌス5世が即位して大シスマを終結させた。

 

また、コンスタンツ公会議ではすでに亡くなっていたウィクリフとボヘミアで活動中のフスの異端を決議。

ウィクリフは墓を暴かれて遺体が焼かれ、フスも火刑に処せられ、遺灰は打ち捨てられた。

フスの最後の言葉が「真実は勝つ」であり、現在でもチョコ人の心の拠り所となっている。

 

フス処刑後の1419年、プラハ①でフス派と神聖ローマ帝国との間でフス戦争が勃発。

クトナー・ホラ②を拠点とする神聖ローマ皇帝ジギスムントはローマ教皇マルティヌス5世とともに十字軍を組織して送り込んだ。

フス派は当初火器を駆使して十字軍を何度も打ち破ったが、フス派は内紛と資金の枯渇で1436年に大敗を喫して敗北が確定した。

※①世界遺産「プラハ歴史地区(チェコ、1992年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「クトナー・ホラ:聖バルバラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂のある歴史都市(チェコ、1995年、文化遺産(ii)(iv)」

 

ウィクリフ、フスが去ったあともキリスト教の改革を求める運動は後を絶たなかった。

これに対して教会側は異端審問や魔女狩りで対抗したが、こうした運動がやがて16世紀の宗教改革へと発展する。

 

[関連サイト]

プラハ歴史地区/チェコ

世界遺産「プラハ歴史地区」
黄金の町、百塔の町、北のローマ……さまざまな異名を持つ世界遺産「プラハ歴史地区」。写真は全域がプラハ城内で、中央上がプラハの象徴・聖ヴィート大聖堂。世界最大の城ともいわれ、ウィーンに遷都するまで神聖ローマ帝国の聖都として繁栄した

 

■大翻訳時代と12世紀ルネサンスと大学


古代ギリシアやローマで生まれた芸術や学問は、異教に対して非寛容なキリスト教が浸透していく過程で失われていった。

これらを研究したのはイスラム圏の大学で、アッバース朝やマムルーク朝をはじめとするイスラム王朝の庇護下で大いに研究が進められた。

そしてプラトンやアリストテレスをはじめとする古代ギリシアやローマの著作やその研究成果がヨーロッパに逆輸入され、いっせいに翻訳された。

これが大翻訳時代であり、それ以後の文化的興隆を12世紀ルネサンスと呼ぶ。

 

大翻訳時代の中心となったのが一時イスラム諸国の支配下にあったシチリア島のパレルモやイベリア半島のトレド※で、ここでアラビア語からラテン語に翻訳された。

また、数学や計算において圧倒的な利便性を誇るアラビア数字が採用された。

※世界遺産「古都トレド(スペイン、1986年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))

 

この時代にアリストテレスをはじめとするギリシア哲学やアラビア哲学の影響を受けてスコラ哲学が誕生する。

矛盾律をはじめとする科学的思考法を発展させると同時に、宗教を哲学的に解釈したうえですべての学問の上に位置づけた。
その代表的な人物がアンセルムスだ。

アンセルムスは「知らんがために我信ず」と書き、ものを理解する根底に信仰が必要であることを示し、「哲学は神学の婢(はしため)」という考え方を打ち出した。

またオッカムは、仮説を立てる際には不要な仮定を省いてなるべくシンプルに考察すべきであるという「オッカムの剃刀(カミソリ)」と呼ばれる科学的思考法を提唱した。


アンセルムスは実在論、オッカムはアベラールらと並んで唯名論の旗手。

この世界に物質などが実在するという考え方が実在論で、物質をはじめとする物はすべて名前にすぎないというのが唯名論だ。

たとえばリンゴの姿は可視光線を人間の目がとらえ、それを元に脳が作り出した映像だ。

物質というのはすべてこのように人間の思考が生み出した映像であり、その映像は各人の知っている知識(名前)によって加工される。

物質が実在するのか、名前だけの存在なのか、簡単に解決しない問題であることがわかる。

この議論を普遍論争と呼ぶ。

世界遺産「コインブラ大学-アルタとソフィア」
世界遺産「コインブラ大学-アルタとソフィア」のアルタ地区。コインブラ大学はポルトガル王国の政治・経済・文化をリードしたほか、イエズス会の教会(旧カテドラル)や修道院(サンタクルス修道院)が併設されてキリスト教大学としても機能した

実在論と唯名論を近づけたのがトマス・アクィナスで、著書『神学大全』はスコラ哲学の集大成といわれている。

また、ロジャー・ベーコンは実験を重んじ、実証主義的な手法の先駆者となった。

このように、宗教と哲学をベースに科学的手法が発達するのがこの時代なのだ。

 

こうした思想が広がり、イスラム圏のマドラサ(モスクと併設した高等教育機関)の影響もあって、12世紀頃からヨーロッパでも盛んに大学が造られた。

ヨーロッパ最古の大学といわれるのがイタリアのボローニャ大学(11世紀、法学部設置)やサレルノ大学(医学部)で、12世紀にはパリ大学(神学部)やオックスフォード大学、13世紀にはケンブリッジ大学やナポリ大学をはじめとして数多く大学が登場する。

特にローマ教皇庁は最高の教育機関をストゥディウム・ゲネラリアとして認定。

学問を修めた修道士を送り込んで宗教と哲学、科学の振興に努めた。

上記の大学はすべてストゥディウム・ゲネラリアだ。

 

中世の大学が世界遺産に登録された例としては、ポルトガルのコインブラ大学①、スペインの大学都市アルカラ・デ・エナレス②がある。

コインブラ大学はポルトガル王国の政治・経済・文化を担う人物の養成を目指して造られたストゥディウム・ゲネラリアで、アルカラ・デ・エナレスはスペイン王国が13世紀のストゥディウム・ゲネラリアを発展させて造った大学都市だ。

※①世界遺産「コインブラ大学-アルタとソフィア(ポルトガル、2013年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「アルカラ・デ・エナレスの大学と歴史地区(スペイン、1998年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 


次回は修道院の活動とロマネスク、ゴシック建築を紹介する。

 


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世界遺産カテゴリー "WORLD HERITAGE" にて新シリーズ「世界遺産写真館」を立ち上げました。

ぼくがこれまで撮影してきた写真を掲載していこうと思います。

 →世界遺産写真館

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青の都・サマルカンド、グリ・アミール廟のイーワーンとドーム。世界遺産「文化交差路サマルカンド」構成資産。クリックで外部記事へ

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『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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