世界遺産と世界史38.三十年戦争とイギリス革命

16世紀、ヨーロッパは新世界からもたらされる金銀やルネサンス以後の科学・芸術の発達、商工業の隆盛、人口の増加で大いに繁栄した。

しかし17世紀に入ると経済は停滞して不況に突入。

寒冷化による凶作・飢饉や相次ぐ戦争によって人口も減少した。


国家間の対立も複雑化し、カトリック(旧教)とプロテスタント(新教)の争いに加えてハプスブルク家とブルボン家といった王家の勢力争いが絡み合い、東方ではオスマン帝国の圧力も受けていた。

イギリスでは革命が起こり、フランスは戦争の連続、ドイツは三十年戦争で荒廃し、スペインとポルトガルは没落。

こうしたことから「17世紀の危機」と呼ばれている。

大国の中で唯一春を謳歌したのがオランダで、それゆえ「オランダの世紀」とも称される(オランダの台頭は前回参照)。


三十年戦争に入る前に、少し北欧の歴史を振り返ってみたい。


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世界遺産「クロンボー城」
フレデリク2世が完成させた北欧ルネサンス様式の城塞、世界遺産「クロンボー城」。北海とバルト海をつなぐ要衝・エーレスンド海峡に位置し、ここで得られる通行税がデンマーク財政を支えた (C)Dr.Splif at en.wikipedia

<北欧とポーランドの中世・近世>


北欧は11世紀頃、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンが成立していた(「世界遺産と世界史20.東欧の形成とビザンツ帝国」参照)。

現在北欧というとこれにフィンランドとアイスランドが加わるが、フィンランドは長らくスウェーデンの支配下にあって独立は19世紀、アイスランドはデンマークの植民地で20世紀まで独立を待つことになる。


11世紀前半にデンマーク王子クヌートがクヌート1世としてイングランド王に就くと、デンマーク王・ノルウェー王を兼ねて北海帝国を成立させる。

最盛期は北海沿岸の多くを支配したが、11世紀半ばにイングランド、デンマーク、ノルウェーがそれぞれの王を立てて分裂した。

世界遺産「ロスキレ大聖堂」
カルマル同盟の指導者マルグレーテをはじめ、デンマーク王室の霊廟を収めるロスキレ大聖堂

1397年にはデンマークの王女であり摂政マルグレーテが主導して、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンがカルマル同盟を結成。

3王国はそれぞれ対等とされたが実質的にはデンマークを盟主とする連合体で、エーリク7世が3王国の王位に就いて同君連合となった。

カルマル同盟は北海・バルト海を実質的に支配した。

 

その象徴的な城砦がクロンボー城※だ。

クロンボー城は北海とバルト海を結び、デンマークとスウェーデンの国境となるエーレスンド海峡に突き出したシェラン島の岬に建てられた城砦で、ここを通る船舶から通行税を徴収する目的でエーリク7世が建設し、フレデリク2世が改修した。

※世界遺産「クロンボー城(デンマーク、2000年、文化遺産(iv))」

 

1523年にスウェーデンがカルマル同盟を離脱するが、2か国は20世紀までデンマーク=ノルウェー二重王国として同君連合を継続する。

ただ、二重王国といっても実質的にノルウェーはデンマークの従属国で、以降の歴史では「デンマーク」とのみ表記されることも多い。

デンマーク=ノルウェーにはプロテスタントが浸透し、17世紀には東インド会社を作って重商主義を進めて西アフリカやインド・カリブ海に進出する。

 

この時代に関係があるデンマークの世界遺産には、王室の墓所でありデンマーク第一の教会であるロスキレ大聖堂①や、王室の狩猟場だったストア・ディアヘーヴェ②やグリブスコウ②、イェーヤスボー②などの狩猟場がある。

※①世界遺産「ロスキレ大聖堂(デンマーク、1995年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「シェラン島北部のパル・フォルス狩猟景観(デンマーク、2015年、文化遺産(ii)(iv))」

世界遺産「ドロットニングホルムの王領地」
スウェーデン国王フレデリク1世が王女に贈った世界遺産のドロットニングホルム宮殿。バロック様式の豪奢な造りで、18世紀にはグスタフ3世がロココ式に改修した (C)Holger Ellgaard
世界遺産「レーロース鉱山都市とその周辺」
スウェーデンの財政を助けたレーロースの鉱山。世界遺産「レーロース鉱山都市とその周辺(ノルウェー、1980年、2010年拡大、文化遺産(iii)(iv)(v))」構成資産

一方、カルマル同盟を離脱し、デンマークの支配から脱したスウェーデンはグスタフ・バーサを国王として独立(バーサ朝)。

プロテスタント国となり、フィンランドを領有した。


スウェーデンが強国となるのは17世紀のことだ。

国王グスタフ・アドルフはデンマーク=ノルウェーやポーランド=リトアニア共和国、ロシアと戦い、三十年戦争にも参戦して獅子奮迅の活躍を見せ、「北方の獅子」の異名をとる。

三十年戦争の最中に没するが、その後は娘のクリスチーナ女王が国をまとめ、現在のスウェーデン、ノルウェーの一部、フィンランド、エストニア、ラトビア、ドイツ北部の一部を領有してバルト海沿岸を制圧。

バルト帝国を成立させた。


世界遺産でいえばカールスクローナ①がスウェーデン海軍の軍港にあたり、造船所を中心に17~18世紀の街並みが残っている。

また、ドロットニングホルムは「北欧のベルサイユ」の異名を持つ宮殿で、1744年に建設され、バルト帝国の繁栄を見せつけた。

※①世界遺産「カールスクローナの軍港(スウェーデン、1998年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「ドロットニングホルムの王領地(スウェーデン、1991年、文化遺産(iv))」


この頃のスウェーデンの繁栄を伝える世界遺産としては、銅生産で財政を支えたファールン①や鉄鋼山レーロース②、15世紀の素朴な街並みが残るガンメルスタード③、要塞都市ヴィスビュー④、などがある。

※①世界遺産「ファールンの大銅山地域(スウェーデン、2001年、文化遺産(ii)(iii)(v))」

 ②世界遺産「レーロース鉱山都市とその周辺(ノルウェー、1980年、2010年拡大、文化遺産(iii)(iv)(v))」

 ③世界遺産「ルーレオーのガンメルスタードの教会街(スウェーデン、1996年、文化遺産(ii)(iv)(v))」

 ④世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー(スウェーデン、1995年、文化遺産(iv)(v))」

世界遺産「クラクフ歴史地区」
ポーランド王家の戴冠式が行われたクラクフのヴァヴェル大聖堂。左の塔はジグムントの塔。クラクフは13世紀にモンゴル軍の襲来、17世紀に三十年戦争、18世紀に大北方戦争で荒廃したが、そのたびに蘇った。世界遺産「クラクフ歴史地区」構成資産
ついでにポーランド史も概観しておこう。
ドイツ騎士団については「世界遺産と世界史21.東西教会の分裂と十字軍」参照。

10世紀、スラブ系ポラニエ人のミエシュコ1世がポーランドを統一し、首都をクラクフ※に置いてピアスト朝を建国。
続くボレスワフ1世はキリスト教を受け入れて、ローマ教皇よりポーランド王の認定を受けた。
こうしてポーランドは北欧と異なり、ローマ・カトリックを信奉していく。
※世界遺産「クラクフ歴史地区(ポーランド、1978年、文化遺産(iv))」

1241年、バトゥ率いるモンゴル帝国が襲来。
クラクフは落城し、同年4月9日のリーグニッツの戦い(ワールシュタットの戦い)では、ポーランド王国、ハンガリー王国、神聖ローマ帝国、ドイツ騎士団、聖ヨハネ騎士団、テンプル騎士団などを集めたヨーロッパ連合軍が惨敗を喫した。
ポーランドは壊滅的な被害を受けたが、14世紀に再統一された。

14世紀、ヤドビガが女王になるとヤギェウォ朝が成立。
ヤドビガはリトアニア大公国のヨガイラ大公と結婚してポーランド=リトアニア連合王国が誕生する。
リトアニアは非キリスト教国でドイツ騎士団と戦争を繰り返していたが、結婚を機にヨガイラはローマ・カトリックに改宗した。
それまでしばしばポーランド領を脅かしていたドイツ騎士団はポーランド=リトアニアと敵対するが、1410年にタンネンベルクの戦いで敗れて以降、騎士団領を徐々に喪失し、のちにプロイセン公国となる土地を除いて吸収されていく。

ポーランド=リトアニアは15世紀後半にはハンガリーとベーメン(ボヘミア)をおさえてバルト海から黒海にかけての多くを支配して黄金時代を築く。
世界遺産「ワルシャワ歴史地区」
17~18世紀に街並みが残るワルシャワの王宮広場。ポーランドの首都として発展したが、第二次世界大戦時、ナチス・ドイツのポーランド侵攻で壊滅的な被害を受けた。戦後、写真や画家の絵をもとに以前のまま復元された

オスマン帝国のスレイマン1世がヨーロッパに進出すると、1526年のモハーチの戦いでオスマン軍に大敗。

この戦いでハンガリーとベーメンはオーストリアとオスマン帝国の手に渡る。

16世紀後半には国王を選挙で決めるようになり、ポーランド=リトアニア共和国が成立。

首都もワルシャワ※に遷された。

※世界遺産「ワルシャワ歴史地区(ポーランド、1980年、文化遺産(ii)(vi))」


この頃のポーランド=リトアニアに関する世界遺産としては、ポーランド経済を塩で支えたヴィエリチカ岩塩坑①、16世紀に建設されたルネサンス様式の町ザモシチ②、ドイツ騎士団の町でポーランド領となったトルニ③、リトアニアの中央に位置する要衝ヴィルニュス④などがある。

※①世界遺産「ヴィエリチカ・ボフニャ王立岩塩坑(ポーランド1978年、2008・2013年拡大、文化遺産(iv))」

 ②世界遺産「ザモシチ旧市街(ポーランド、1992年、文化遺産(iv))」

 ③世界遺産「中世都市トルニ(ポーランド、1997年、文化遺産(ii)(iv))」

 ④世界遺産「ヴィルニュス歴史地区(ポーランド、1994年、文化遺産(ii)(iv))」


[関連サイト]

ヴィエリチカ岩塩坑/ポーランド


なお、ドイツ騎士団がプロイセンとなる過程や大北方戦争、ポーランド分割については「世界遺産と世界史39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア」を参照。


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世界遺産「プラハ歴史地区。
ボヘミア王の居城、プラハ城。高い建物は城内にあるゴシック様式の大聖堂、聖ヴィート。三十年戦争ではスウェーデン軍の略奪にあった。世界遺産「プラハ歴史地区」構成資産 (C)Martin Hlauka

<三十年戦争>


ボヘミア(ベーメン)は現在のチェコの中部と北部にあたる土地で、神聖ローマ帝国内の王国。

首都はプラハ①で、クトナー・ホラ②が第二の都だ。

※①世界遺産「プラハ歴史地区(チェコ、1992年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「クトナー・ホラ:聖バルバラ教会とセドレツの聖母マリア大聖堂のある歴史都市(チェコ、1995年、文化遺産(ii)(iv))」


[関連サイト]

プラハ歴史地区/チェコ


1555年のアウクスブルクの和議で諸侯の信仰の自由が認められており、ボヘミアの領主はルター派を奉じるプロテスタントだった。

しかし、17世紀はじめに就任したボヘミア王フェルディナント2世が熱心なカトリックだったため、プロテスタントの弾圧を開始。

これに対して1618年、ルター派とカルヴァン派が連合(ユニオン)を組んでプラハ城を襲撃し、反乱を起こす。

なお、フェルディナント2世が整備していたロマネスク様式の町がチェスキー・クルムロフ※だ。

※世界遺産「チェスキー・クルムロフ歴史地区(チェコ、1992年、文化遺産(iv))」


[関連サイト]

チェスキー・クルムロフ/チェコ

ジャック・カロ「戦争の惨禍 No.11 首吊り」
ジャック・カロ「戦争の惨禍 No.11 首吊り」1633年。「戦争の惨禍」は三十年戦争の残虐性を描いたシリーズ。この「首吊り」は処刑を行う傭兵隊の様子を描いている
世界遺産「オロモウツの聖三位一体柱」
オロモウツはスウェーデン占領時に荒廃したが、三十年戦争終結後、聖三位一体柱をはじめバロック様式の華やかな街並みが建設された (C)Michal Manas

この内戦に対して国外からの干渉が相次ぎ、フェルディナント2世側にはオーストリアのハプスブルク家(神聖ローマ皇帝)や旧教諸侯、スペインがついた。

一方ユニオン側にはデンマークやスウェーデンに加えて、ハプスブルク家打倒を目指すフランスが旧教国ながら参戦し、資金面でイギリス、オランダが協力した。

傭兵隊長あがりで神聖ローマ帝国司令官に抜擢されたヴァレンシュタインの活躍で当初は旧教側が優位に立つが、スウェーデン国王グスタフ・アドルフが参戦するとユニオン側が勢いを盛り返す。


戦争は30年の間続いたが、戦い続けていたわけではなかった。

戦闘が起こるたびに傭兵たちを雇い入れて戦うわけだが、傭兵は金さえ稼げればいずれの軍にも従った。

そして戦闘が終わるとドイツの国土を略奪して回ったため、戦争で荒廃した国土がさらに荒らされ、人口は1/3まで急減したといわれる。

三十年戦争時に略奪・破壊された世界遺産には、スウェーデン軍によって損壊したクロミェルジーシュ城①、スウェーデン軍の破壊後に造られたバロック様式の柱・聖三位一体柱②、戦後造られたヤヴォルとシフィドニツァの木造教会③、三十年戦争とルイ14世の侵略によって崩壊したロルシュ修道院④などがある。

※①世界遺産「クロミェルジーシュの庭園群と城(チェコ、1998年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「オロモウツの聖三位一体柱(チェコ、2000年、文化遺産(i)(iv))」

 ③世界遺産「ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群(ポーランド、2001年、文化遺産(iii)(iv)(vi))」

 ④世界遺産「ロルシュの王立修道院とアルテンミュンスター(ドイツ、1991年、文化遺産(iii)(iv))」

世界遺産「ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群」
シフィドニツァの平和教会。三十年戦争でポーランドではカトリックの優位が確認されたが、そんな中でプロテスタントの教会は3棟のみ、石やレンガ・金属を使わない条件で建てることを許された。それが世界遺産のヤヴォルとシフィドニツァで、グウォグフは焼失した

結局一進一退のまま戦争は1648年に終結。

ウェストファリア条約では大まかに以下が決定した。

  • 諸侯の主権の承認
  • カルヴァン派を含む信仰の自由の確認
  • スイス、オランダの独立の承認
  • スウェーデンのポンメルン領有の承認
  • フランスのアルザス領有の承認


これまでも神聖ローマ帝国は諸侯・騎士の集まりだったが、諸侯の主権の確認により300以上の土地が領邦国家として事実上独立し、神聖ローマ皇帝はほぼ象徴君主となった。

この結果、中央集権化が進んだ他の大国とは反対に、ドイツでは解体が進んだ。

信仰の自由についてはアウクスブルクの和議を確認したうえでルター派のみならずカルヴァン派の信仰を認めた。


三十年戦争はヨーロッパの多くの国が参加する世界的戦争となった。

これにより「国」という枠組みが重要度を増し、主権国家という形が一般的なものとなった。

また、主権国家間の関係を促進するために国際会議や国際条約が広まり、主権国家体制が確立された。


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世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院及び聖マーガレット教会」
英国議会が置かれたウェストミンスター宮殿。右の塔が時計塔ビッグベン。左の塔がヴィクトリア・タワーで権利の章典が収められている。世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院及び聖マーガレット教会(イギリス、1987年、2008年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv))」構成資産

<イギリス革命>


イギリスの絶対王政はテューダー朝の下で進められた(それまでの歴史は「世界遺産と世界史36.宗教改革」参照)。


全盛期を築いたのはエリザベス1世だ。

生涯独身を貫いたエリザベス1世は「処女王」と呼ばれ、後継者を尋ねられると「私はイングランドと結婚した」と答えたという。

一説では、女に手を出しまくったあげくに母アン・ブーリンを処刑した父・ヘンリー8世がトラウマになったのではないかもといわれる。


エリザベス1世は就任早々、ヘンリー8世がプロテスタントを推し進め、メアリー1世がカトリックを復活させた新教・旧教問題に決着をつける必要に迫られた。

1559年、ヘンリー8世が制定した首長法を再制定し、国王が唯一の首長であり、教会の統治者であることを確認。

同年に統一法を制定してプロテスタントで礼拝様式を統一した。

これで国王を頂点とするイギリス国教会(総本山はカンタベリー大聖堂※)の優位が確定した。

※世界遺産「カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院及び聖マーティン教会(イギリス、1988年、文化遺産(i)(ii)(vi))」

世界遺産「エディンバラの旧市街と新市街
スコットランドの首都エディンバラのホリールード宮殿。12世紀の建設で、15世紀からスコットランド王室の居城となった。世界遺産「エディンバラの旧市街と新市街(イギリス、1995年、文化遺産(ii)(iv))」構成資産 (C)Kim Traynor

エリザベス1世はスペインのフェリペ2世に結婚を迫られるがこれを拒否。

世界最強の海上帝国に対抗するため、海賊たちに私掠特許状を与えてイギリス艦船以外に対する海賊行為を認めた。


この頃海賊として活躍していたのがドレイクとその従兄弟ホーキンスだ。

ドレイクは1577年にエリザベス1世の支援で世界一周の航海に乗り出し、1580年に帰還。

ポルトガルのマゼラン以来となる人類史上二度目の世界周航に成功した。

ドレイク等が持ち込んだ香辛料が莫大な富を生み、スポンサーであるエリザベス1世に莫大な富をもたらした。


1588年、英西戦争におけるアマルダ海戦では常備軍を持たないイギリスは圧倒的に不利だったが、エリザベス1世はドレイクを司令官として起用して戦い、奇跡的な勝利を収めた。


1600年にはイギリス東インド会社を設立して植民地の開発・経営を委託。

これによってイギリス財政は向上し、アジアにおける優位を勝ち取った。

また、北米でもヴァージニア植民地に進出し、植民地経営に乗り出した。


この頃、イギリスでは羊毛業が急速に発展して基幹産業になっていた。

農地の領主は農民が耕作していた農地を取り上げて生垣や塀で囲い込み(第一次エンクロージャー)、その羊毛をフランドルやオランダに売ることで莫大な利益を上げ、さらに加工業も発達して毛織物業については両国を凌ぐほどまでに成長した。

また、東インド会社による植民地経営は羊毛の輸出先を多様化した。

 

この頃、地方で力を握っていたのがジェントリ(郷紳)と呼ばれる地主層だ。

多くの土地を手にしたジェントリは騎士となり、地方で政治を含む多くな力を握った。

第一エンクロージャーを主導したのも彼らで、ピューリタンが多かったことからイギリス革命(ピューリタン革命+名誉革命)でも大きな役割を果たした。

これに対して独立自営農民をヨーマンと呼び、その下に小作が位置する。

第一エンクロージャーによって農民としての立場を失った小作人たちは都市に流れて工場で労働を行い、やがて産業革命の担い手となっていく。


さて、エリザベス1世には子供がいなかったことから後継者選びに難航し、結局スコットランド王ジェームズ1世が王位に就く。

ステュアート朝の誕生だ。

世界遺産「河港都市グリニッジ」
イギリスが航海術の向上を図るために1675年に設置したのがグリニッジ天文台だ。ここの経度と時間を指標とすることで経度を知ることができた。1851年には経度0度に定められ、世界標準時が誕生した。レーザーが示しているのが経度0度を示すグリニッジ子午線。世界遺産「河港都市グリニッジ(イギリス、1997年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」構成資産

ジェームズ1世が進めたのは専制政治で、王権神授説を唱えて議会を無視する行動が目立った。

また、自分が統治する国教会を強制し、勢力を増していたカルヴァン派プロテスタント=ピューリタン(清教徒)を否定した。


跡を継いだ息子・チャールズ1世もこうした政策を継続。

議会無視とピューリタン弾圧に対して1628年、議会は「法の支配」を提唱して「権利の請願」を可決し、議会の承認なしでの課税を戒めた。

これに対してチャールズ1世は議会を解散し、以後11年間議会の開催を拒否した。


そんな最中の1630年代、カルヴァン派が多勢を占めるスコットランドで反乱が勃発。

チャールズ1世は鎮圧に乗り出すが、戦費不足もあって敗退してしまう。


1640年、戦費不足とスコットランドに対する賠償金支払いのため、新たな課税を行おうと久々に議会を招集する(短期議会)。

開催されるや否や議会は王を厳しく非難。

王はすぐに議会を解散するが、再び召集(長期議会)。

ここでも非難されると、王党派と議会派の間で内戦が起こる(1640~60年、ピューリタン革命/清教徒革命)。


議会派の中でも長老による統制を求める長老派や、それぞれの教派の独立を認める独立派、参政権などの平等を求める水平派があった。

当初は軍を持つ王党派が優勢だったが、独立派のクロムウェルがピューリタンを集めて鉄騎隊を編成すると立場が逆転。

高いモチベーションを持ち、高度に訓練された鉄騎隊の活躍で盛り返すと、クロムウェルはチャールズ1世を処刑して王政を終わらせ、イギリス史上で唯一の共和政(君主政では世襲の王などに権力が集中するのに対して、多数の者が代表者を選出して国を治める政治形態)期を立ち上げる。

クロムウェルの半生を描いたケン・ヒューズ監督『クロムウェル』の予告編


クロムウェルはこの勢いのまま長老派と水平派を弾圧。

カトリックと王党派が多くを占めるアイルランドを占領し、土地を収奪したうえに虐殺を敢行する。

これによりアイルランド人口の20~40%が失われたといわれる。

同時期にスコットランドも占領し、これ以降、アイルランドとスコットランドは実質的にイングランドの植民地となる。


クロムウェルはまた重商主義を推し進め、1651年に航海法を制定。

イギリスとその植民地へ送られる輸送品に対して、イギリスか原産国、あるいは最初の積出港の所属国の船によって運ぶことを義務付けた。

これにより中継貿易を行うオランダは大打撃を受け、両国の間で第一次英蘭戦争(1652~54年)が勃発する。

この戦いはイギリスが勝利し、航海法を認めさせた。


1653年、クロムウェルは終身の護国卿となり、共和政の中で独裁体制を確立する。

1658年のクロムウェル没後、息子リチャードが護国卿を継ぐが、議会は独裁制に反対してチャールズ1世の息子チャールズ2世を担ぎ出し、1660年に王政を復活させる(王政復古)。

世界遺産「バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群」
世界遺産「バミューダ島の古都セント・ジョージと関連要塞群(イギリス、2000年、文化遺産(iv))」に登録されているセント・ジョージの港。17世紀にイギリス人が入植して港を築き、貿易拠点とした (C)Captain-tucker

ところが議会の意に反してチャールズ2世はカトリックを擁護し、王権神授説を信奉して絶対王政の復活を図る。

これに対して議会は1673年に審査法を制定して官僚を国教会の者(国教徒)に限定し、1679年の人身保護法では法による裏付けのない不当な逮捕や処罰を禁じた。

審査法はのちに取り下げられたが、人身保護法は現在でもイギリスで生きている。


また、チャールズ2世は議会の承認のないままオランダとの間で第二次英蘭戦争(1665~67年)、第三次英蘭戦争(1672~74年)を戦った。

第二次ではアメリカにおいてオランダの植民地ニューネーデルランドを侵略してニューアムステルダムをニューヨークと改称した。

第三次ではフランスのオランダ侵略戦争と呼応してオランダを攻撃。

オランダ総督オラニエ公ウィレムの活躍もあって進撃は阻まれ、予算不足もあって撤退した。

この後、ウィレムはイギリスとの関係改善を図ってチャールズ2世の弟であるジェームズ2世の娘メアリ(のちの女王メアリ2世)と結婚して関係改善を図っている。


チャールズ2世に続いて王位に就くと見られたジェームズ2世は、やはりカトリック寄りで王権神授説の支持者。

議会はこれを認めるか認めないかで分裂し、国王の権威を認めるトーリー党と、議会を優先するホイッグ党という現在に続く政党が誕生する。


結局、ジェームズ2世がそのまま国王となり、カトリック・絶対王政を推進。

トーリー党とホイッグ党は協力してジェームズ2世の排除を決め、1688年にジェームズ2世の娘メアリと、その夫であるウィレムをオランダから迎え入れる。

ふたりはオランダ軍とともに上陸するが、ジェームズ2世がフランスに亡命したため無血革命となった(名誉革命)。

世界遺産「海商都市リヴァプール」
18~19世紀、ヨーロッパ-アフリカ-アメリカをつなぐ三角貿易でイギリスの繁栄を支えた世界遺産「海商都市リヴァプール(イギリス、2004年、文化遺産(ii)(iii)(iv))」のキャッスル・ストリート。奴隷貿易に加担していたことから負の遺産の側面も持つ

1689年、ふたりは議会の示した「権利の宣言」を承認し、翌年これをまとめた「権利の章典」を公布した。

権利の章典は国民の権利と自由を成文化したもので、立法権や徴税権・王の任免権などが議会にあることを示している。

マグナ・カルタや権利の請願とともに現在もイギリス憲法の中核をなしている。


メアリはメアリ2世、ウィレムはウィリアム3世としてともに王位に就いて共同統治を開始。

ウィレムは英蘭戦争時の敵将だったが、プロテスタントであることと、妻と母がステュアート家の血を引いていたことからこの決定がなされた。


この頃のイギリスの財政状況は非常に悪かった。

英蘭戦争以外にも南ネーデルラント継承戦争(1667~68年)、オランダ侵略戦争(1672~78年)、ファルツ戦争(1688~97年)、新大陸ではウィリアム王戦争(1689~97年)が起き、主にフランスを相手に戦っていた(「世界遺産と世界史37.絶対王政とオランダの台頭」の<フランスの絶対王政>参照)。

1689年のウィリアム王戦争開始以降、1815年のナポレオン戦争の終結までを第二次百年戦争ということもあるくらいだ。


この資金難に対応するために、1694年にイングランド銀行を創設。

政府が発行する国債をイングランド銀行が引き受け、その代わりに金ではなく、金と交換可能な兌換紙幣(交換できる紙幣)=銀行券を発行した。

政府は税金で補填できるので破綻する可能性は少なく、銀行券は高く信頼された。

そのうえ政府の必要資金は他の事業に比べて膨大であったため、銀行券は莫大な量が発行された。

このため他の銀行の銀行券がすぐに金に交換されたのに対して、イングランド銀行の銀行券は金と同様の価値を持ち、広く普及した。


1833年には銀行券が法廷紙幣となり、1844年には銀行券発券の独占権を得た。

こうしてイングランド銀行は現在の中央銀行の役割を担い、財政は安定した。

ロンドンは世界金融の中心となり、イングランド銀行は「世界の銀行」と評された。

この資金力が植民地戦争におけるイギリスの勝利と産業革命の基礎になったといわれている。

世界遺産「ブレナム宮殿」
1704年、マールバラ公ジョン・チャーチルはブレナムの戦いでフランス軍を撃破し、その戦功でこのブレナム宮殿が贈られた

メアリ2世、ウィリアム3世没後、メアリ2世の妹にあたるアン女王が王位に就く。

この頃オーストリア・ハプスブルク家とフランス・ブルボン家の間でスペインの後継者問題が争われていたが、イギリスはオーストリア側で参戦(スペイン継承戦争。1701~13年)。

同じ頃、アメリカではフランスとの間でアン女王戦争(1702~13年)が戦われた。

一連の戦いで、イギリスはジブラルタルやニューファンドランド、ハドソン湾などを手に入れた。

なお、この戦争で活躍したジョン・チャーチルにアン女王が贈った宮殿がブレナム宮殿※だ。

※世界遺産「ブレナム宮殿(イギリス、1987年、文化遺産(ii)(iv))」

 

1707年、イングランドとスコットランドの間で合同法が成立し、同君連合ではなく、議会や行政組織をひとつにする合同が成立。

実質的にイングランドによる併合だったが、グレートブリテン王国が誕生して現在のイギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)に一歩近づいた。


1714年、アン女王が亡くなるとステュアート朝が断絶。

議会は遠縁にあたるドイツのハノーヴァー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒを呼び寄せてジョージ1世として即位させた。


ジョージ1世はすでに50過ぎだったし、ハノーヴァーが大北方戦争の最中であったためドイツ滞在が多く、英語も話せなかった。

そのためイギリスには関心が薄く、やがて内閣に政治を委任。

議会は国王ではなく議会に対して責任を負う責任内閣制が浸透し、絶対王政は完全に終結して「国王は君臨すれど統治せず」というイギリス型の立憲政体が定着していく。

 

なお、イギリス議会とウェストミンスターについては下記を参照。

18世紀のフランスとの攻防について、ヨーロッパでの展開については「世界遺産と世界史37.絶対王政とオランダの台頭」、英仏植民地戦争については「世界遺産と世界史39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア」を見ていただきたい。

 

[関連サイト]

ウェストミンスターとビッグベン/イギリス



次回は啓蒙専制君主とプロイセン・ロシアの台頭を開設する。

 


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世界遺産カテゴリー "WORLD HERITAGE" にて新シリーズ「世界遺産写真館」を立ち上げました。

ぼくがこれまで撮影してきた写真を掲載していこうと思います。

 →世界遺産写真館

イギリスの世界遺産「ロンドン塔」
イギリスでもっとも歴史のある石造城塞であり、多くの囚人を収容した監獄兼処刑場で、世界一有名な幽霊屋敷でもある「ロンドン塔」。クリックで外部記事へ
世界遺産「文化交差路サマルカンド」のグリ・アミール廟、イーワーン
青の都・サマルカンド、グリ・アミール廟のイーワーンとドーム。世界遺産「文化交差路サマルカンド」構成資産。クリックで外部記事へ

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『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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2.文化交差路サマルカンド2

3.アッパー・スヴァネティ

4.グラナダのアルハンブラ宮殿1

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