世界遺産と世界史18.ローマの平和、そして分裂へ

アウグストゥス以降のおよそ200年間について、イギリスの歴史学者ギボンはこう記した。

「人類がもっとも幸福だった時代」

パックス・ロマーナ(ローマの平和)だ。

ローマのパンテオン
個人的にもっとも好きな人工建造物のひとつ、ローマのパンテオン。アウグストゥスがアグリッパに造らせ、のちにハドリアヌスが再建した。フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂クーポラをはじめ、ルネサンス建築にも大きな影響を与えた。世界遺産のローマ歴史地区、構成資産
バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂
世界遺産「バチカン市国」のサン・ピエトロ大聖堂。ここに立つオベリスクはカリグラがエジプトから運ばせたものといわれる

アウグストゥス(オクタウィアヌス)以降、ローマ帝国は最盛期を迎えるが、まったく安定していたわけではなかった。

第2代皇帝ティベリウスは内政を重視し、財政再建を行ったことで知られているが、24歳で第3代皇帝に即位したカリグラは史上稀に見る暴君で知られている。


まずは節制家ティベリウスの貯めた財産をばらまき、ローマ市民たちを手なずける。

愛馬インキタトゥスと馬小屋(というより居室)を金銀財宝で飾り、この馬を執政官に据えようと画策。

母や姉妹とも肉体関係を持ち、気に入った者がいれば男女関係なく部屋に呼びつける。

自分の地位を脅かす親類・腹心をことごとく暗殺。

財政が困窮すると貴族たちの妻や娘を集めて売春宿を経営し、市民に開放。

自分を神であると宣言し、自分の像を各地に建設される……等々だ。

 

結局カリグラはその行動がたたり、暗殺されてしまう。

彼を描いた映画の予告編が↓のティント・ブラス『カリギュラ』だが、公開時、この作品自体が倫理的に大問題になった。

予告編ながらアダルト・ビデオ並の描写があるので要注意。

ちなみに、カミュの戯曲『カリギュラ』はこれとまったく異なるカリグラ像が描かれている。

カリグラに次ぐ暴君といわれるのが第5代皇帝ネロだ。

妻、母、哲学者として有名な家庭教師セネカを相次いで殺害。

64年にはローマに火を放ち(ローマ大火)、その火を眺めながら詩を吟じていたという。

このように伝わっているが、しかし第4代皇帝クラウディウスを暗殺したと伝えられる母アグリッピナの方にも問題があったようだし、ローマ大火もネロが命じたという証拠はない。

 

ネロは大火後、黄金宮殿ドムス・アウレアを建設(トラヤヌス浴場下にある地下遺跡)。

また大火の放火犯としてキリスト教徒を大弾圧し、このときイエスの最初の弟子であり、使途のひとりであるペトロを逆さ十字の刑で処刑する。

ちなみに、のちにローマ皇帝コンスタンティヌスがペトロの墓の上に教会を建て、ルネサンスの時代に大幅に増改築されたのが聖ペトロの聖堂=サン・ピエトロ大聖堂※だ。

※世界遺産「バチカン市国(バチカン、1984年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 

[関連サイト]

バチカン市国

バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂内部
世界遺産「バチカン市国」登録のサン・ピエトロ大聖堂内部。左のクーポラは直径42mでミケランジェロの建築。右はベルニーニ作の大天蓋=バルダッキーノ。この地下に代々の教皇の棺が並んでいる
ローマ帝国最大版図
ローマ帝国最大版図

結局ネロは自殺。

これによりカエサルから続いていたユリウス・クラウディウス家の血は断絶する(ユリウス・クラウディウス朝の終了)。


さて。

ローマ帝国はアウグストゥスの時代から独裁色を強め、カリグラ、ネロは自ら神として振る舞った。

カリグラは自分の神像をユダヤ教の聖地エルサレムに設置しようとしたし、ネロはキリスト教を弾圧し、キリスト教徒を虐殺した。

これに反旗を翻したのがユダヤ人だ。

 

多神教の宗教は一般的に誰が何を信じていようと大らかで、相手の神を取り込んだり取り込まれたりしながら溶け込んでいくことが多い。

たとえばアケメネス朝ペルシアもアレクサンドロス帝国もローマ帝国も、大きな宗教弾圧はあまりなかった(弾圧した王や皇帝もいる)。

しかし一神教の宗教、特に偶像崇拝すら禁じるユダヤ教から見れば、ギリシアやローマの彫刻はさぞふしだらなものに見えたことだろう。

エルサレムの嘆きの壁
エルサレム旧市街にある嘆きの壁。この上にヘロデ王が紀元前20年に大増築したエルサレム神殿が立っていたといわれる

カリグラやネロの登場でユダヤ人の不満は頂点に達し、66年、ローマに対して反乱を起こす。

ユダヤ戦争だ。

 

68年のネロの自殺で一時混乱するが、ティトゥスの活躍もあって70年、ローマ帝国軍はついにエルサレムを攻略。

このときエルサレム神殿を徹底的に破壊する。

当時の神殿跡だといわれているのが「嘆きの壁①」で、以来現在に至るまで、エルサレム神殿の再建がユダヤ人の悲願とされている。

一方ティトゥスはローマに凱旋し、フォロ・ロマーノに立っているティトゥス凱旋門②を建設する。

※①世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請、1981年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

 ②世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

[関連サイト]

聖地エルサレム

ローマ歴史地区/イタリア・バチカン

 

この後、ユダヤ人の一部は戦闘を続け、やがて死海の畔の断崖に造られた要塞マサダ※に立てこもる。

3年近い籠城ののち、ローマ軍が周囲を取り囲んで補給路を断つと、女性と子供7人を除く960人が自決。

73年、マサダが陥落する。

現在もマサダはユダヤ人の誇りの地であり続けており、イスラエル国防軍の入隊式などが行われている。

※世界遺産「マサダ(イスラエル、2001年、文化遺産(iii)(iv)(vi))」

 

なお、2世紀には独立を求めるユダヤ人の反乱が起きており(バル・コクバの乱)、第二次ユダヤ戦争ともいわれている。

ハドリアヌスはユダヤ教を禁じ、ユダヤ人のエルサレム訪問さえ禁止した。

第一次・第二次ユダヤ戦争を通して、ユダヤ人の離散=ディアスポラが進展した。

なお、バル・コクバの乱で戦死したユダヤ人の遺体は世界遺産「ベート・シェアリムの墓地遺跡:ユダヤ再興を示すランドマーク」に葬られている。

ポンペイ、フォルムの列柱廊跡
奥の山、左が標高1,281mのヴェスヴィオ山、右が標高1,123mのソンマ山。左の柱はポンペイのフォルム(公共広場)の列柱廊跡

79年、ティトゥスが皇帝に即位。

この年の8月24日、イタリア南部のヴェスウィオ山が大噴火を起こす。

その結果、ポンペイやヘルクラネウム(エルコラーノ)、オプロンティス(トッレ・アンヌンツィアータ)といった街が火山灰の下に埋もれてしまう。

 

これらの街の記憶はやがて人々から消え去るが、命を奪ったその火山灰が遺跡を守り続けた。

そして1,600~1,700年後、18世紀。

農民が偶然大理石を掘り出したことをきっかけに調査隊が編成され、大規模な発掘を行った。

これらをまとめたのが世界遺産「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域(イタリア、1997年、文化遺産(iii)(iv)(v))」だ。

 

[関連サイト]

ポンペイ/イタリア

フォロ・ロマーノのアントニヌス・ファウスティナ神殿
フォロ・ロマーノのアントニヌス・ファウスティナ神殿。五賢帝ひとり、アントニヌス・ピウスが亡き妻ファウスティナに贈った神殿

ティトゥスはヴェスヴィオ火山の被害や、同年に起こったローマ火災の復旧に努めたらしい。

翌80年にはウェスパシアヌスの時代から建築が続けられていたコロッセオ※が完成する。

※世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

ローマ皇帝だが、アウグストゥス~ネロの時代はユリウス・クラウディウス家、ウェスパシアヌス~ドミティアヌス(ティトゥスの次の皇帝)まではフラウィウス家から出ていた。

しかしドミティアヌスの暗殺でその血も途絶えてしまう。

 

そこで元老院は執政官として実績を残していたネルウァを皇帝に推薦し、96年に即位する。

ネルウァは1年少々で病死してしまうが、後継者に名将トラヤヌスを指名。

こうして優秀な人間を皇帝に据える時代が続く。

このふたりを含め、96~180年にローマを治めた5人の皇帝、ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌスは五賢帝と呼ばれ、ローマ帝国の全盛期とされている。

ペトラのエド・ディル
ペトラのエド・ディル。ラベル2世の墓で、ローマ征服後は教会として使用された

この中で、ローマ帝国最大版図を築いたのがトラヤヌスだ。

 

106年にドナウ川を渡ってダキア(現在のルーマニア辺り)を征服。

ローマに残るトラヤヌスの記念柱はこのときの勝利を記念したものだ。

 

同年、ナバテア人の首都ペトラ※を支配。

113年には長年の敵パルティアの征服を目指して遠征を開始。

アルメニアとメソポタミアの領土を獲得し、ローマ帝国領はカスピ海とペルシア湾に到達した。

※世界遺産「ペトラ(ヨルダン、1985年、文化遺産(i)(iii)(iv))」

 

[関連サイト]

ペトラ/ヨルダン

ハドリアヌスの造ったヴィッラ・アドリアーナ
皇帝ハドリアヌスの夢、世界遺産「ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]」のカノープス。世界中で目にした美しい建物を参考に築き上げた別荘で、これもエジプトの運河を模しているといわれる

この跡を継いだのがハドリアヌスだ。

ハドリアヌスは帝国の拡大路線を変更し、アルメニアやメソポタミアを放棄。

現在のイギリス(ハドリアヌスの長城)やドイツに長城を築き、国境線を定めた。

国境線を固めることは、その外への領土拡大を半ばあきらめることでもあった。


ハドリアヌスは旅と芸術を愛したことでも知られている。

在位期間21年のうちローマにいたのは7年程度。

世界各地を視察して歩いては、自ら設計して都市計画を進めた。

実際世界中で「ハドリアヌスの○○」という遺跡を見かけたものだ。

下はハドリアヌスが関わった世界遺産のほんの一例だ。

ローマのサンタンジェロ城
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂と「和解の道」でつながるローマのサンタンジェロ城。ハドリアヌスの廟だったが、その後アウレリアヌスの城壁に組み込まれ、城塞として増築された

■ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂

イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi)

フォロ・ロマーノにあるウェヌスとローマ神殿はハドリアヌスの設計。パンテオンはハドリアヌスが再建したもので、サンタンジェロ城は自分の霊廟だ。ピンチョの丘に建つオベリスクは恋人アンティノウスに贈ったものと伝えられている。

 

関連サイト→ローマ歴史地区/イタリア・バチカン

 

■ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]

イタリア、1999年、文化遺産(i)(ii)(iii)

世界各地で見た建築物のデザインを取り入れ、集大成ともいえる別荘を建築した。それがアドリアーノ(=ハドリアヌス)のヴィッラ(=別荘)、ヴィッラ・アドリアーナだ。ハドリアヌスは晩年、この別荘に閉じこもり、寂しく余生をすごしたといわれている。

 

関連サイト→ヴィッラ・アドリアーナ/イタリア

 

■アテネのアクロポリス

ギリシア、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi)

ハドリアヌスはアテネに新市街ハドリアノポリスを建設した。ゼウス神殿やハドリアヌス図書館がその一例だ。いまに残るハドリアヌスの門は新市街と旧市街を分ける境界だった。

 

関連サイト→アテネのアクロポリス/ギリシア

 

■ローマ帝国の国境線

イギリス/ドイツ、1987年、2005・2008年拡大、文化遺産(ii)(iii)(iv))

イングランドとスコットランド国境にある「ハドリアヌスの長城」はケルト人の侵入に備えたもので、全長120kmに及ぶ。世界遺産には五賢帝のひとり、アントニヌス・ピウスが造った「アントニヌスの長城」と、ゲルマン人に対して造ったドミティアヌスの長城が含まれる。

ローマ帝国の国境線のハドリアヌスの長城
世界遺産「ローマ帝国の国境線」の構成資産、ハドリアヌスの長城。120年代に築かれたものだが、長らくこれがスコットランドとイングランドの国境となった。140年代にはさらに北にアントニヌス・ピウスが「アントニヌスの長城」を築いたが、すぐに放棄された
パムッカレ
パムッカレ。イギリスのパースとトルコのヒエラポリスはローマ帝国が誇る温泉都市

■ヒエラポリス-パムッカレ

トルコ、1988年、文化遺産(iii)(iv)、自然遺産(vii)

天然温泉パムッカレの上に広がる温泉都市ヒエラポリスを整備。円形劇場やアポロ神殿を築いた。

 

関連サイト→ヒエラポリス-パムッカレ/トルコ

 

■パルミラの遺跡

シリア、1980年、文化遺産(i)(ii)(iv)

ハドリアヌスはパルミラの美しさに感動し、自治権を与えたといわれている。ローマ記念門はハドリアヌスの来訪を記念したものといわれるが、確証はない。

 

関連サイト→パルミラの遺跡/シリア

 

■エルサレムの旧市街とその城壁群

ヨルダン申請、1981年、文化遺産(ii)(iii)(vi)

132~135年のバル・コクバの乱(第二次ユダヤ戦争)を鎮圧したハドリアヌスはユダヤ人をエルサレムから追放し、エルサレムをローマ風に改築する。エッケ・ホモ・アーチは彼のエルサレム征服を記念した凱旋門だった。

 

関連サイト→聖地エルサレム

 

■ペトラ

ヨルダン、1985年、文化遺産(i)(iii)(iv)

トラヤヌス帝に落とされたナバテア王国の都ペトラはハドリアヌスの時代にローマ遺跡が増築され、ペトラ・ハドリアヌスに名を変えた。

 

関連サイト→ペトラ/ヨルダン

 

■レプティス・マグナの古代遺跡

リビア、1982年、文化遺産(i)(ii)(iii)

フェニキアの植民市として栄えたが、ローマ帝国の属州になるとローマ風に建て替えられた。ハドリアヌス浴場はその名の通り彼の建築だ。

 

■カルタゴ遺跡

チュニジア、1979年、文化遺産(ii)(iii)(vi)

ローマ水道橋の中でも最長を誇るのがカルタゴに残るハドリアヌス水道橋で、全長は132kmに及ぶ。

 

レプティス・マグナのセプティミウス・セウェルス凱旋門
レプティス・マグナのセプティミウス・セウェルス凱旋門。ローマのフォロ・ロマーノにも同名の凱旋門がある

五賢帝期~ディオクレティアヌスの間のふたりの皇帝を紹介しておこう。


ひとりはセプティミウス・セウェルス。

アフリカのレプティス・マグナ①の出身で、皇帝になったのちにこの街を整備。

レプティス・マグナをカルタゴ②、アレキサンドリアと並ぶアフリカ三大都市に発展させた。

 

またパルティアとたびたび戦い、一時は大幅に領土を広げた。

その戦いを記念したのがローマとレプティス・マグナのセプティミウス・セウェルス凱旋門③だ。

また彼はハドリアヌス④の長城の改修したことでも知られている。

※①~④の世界遺産は上のハドリアヌス関連の世界遺産で記述

 

もうひとりはカラカラだ。

カラカラはニックネームのようなもので、名前をセプティミウス・バッシアヌスという。

セプティミウス・セウェルスの息子だ。

カラカラはアントニヌス勅令を出して、ローマとその属州の全自由人にローマ市民権を与え、民族による差別を解消した。

また、ローマに大浴場=カラカラ浴場※を造ったことでも知られている。

※世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

ローマのカラカラ浴場
カラカラ浴場。217年の建築で、多種多様な浴場があり、1,000人以上が入場できた。集会場やジム、食堂、図書館等を備えた総合娯楽施設だった

カラカラ帝は晩年西アジアに滞在し、ローマに戻ることはなかった。

贅沢三昧の生活を送っていたらしい。

彼の治世ではじまる3世紀にローマ帝国は何度も危機的な状況に陥った。

このため「3世紀の危機」と呼ばれている。

 

元凶は軍人皇帝だ。

トラキアの農民として生まれたマクシミヌス・トラクスはローマ帝国の一兵卒として入隊。

兵士たちの支持を集めて反乱を起こすと、235年、皇帝アレクサンデル・セウェルスを暗殺。

そのまま元老院を脅迫して帝位に就いてしまう。

 

以後、ローマ帝国各地の軍団がそれぞれ候補者を立てて元老院に迫る。

なかには元老院の許可を得ずに皇帝を名乗る者さえ存在した。

彼らが皇帝になっても別の軍団に暗殺され、新しい皇帝が就き、また暗殺され……を繰り返し、帝国は大混乱に陥る。

284年まで約50年続いた軍人皇帝時代で、元老院が認めた皇帝だけで20~30人もいるという。

 

この時代、人々の生活も困窮し、属州も反ローマ的な立場を取るようになっていた。

 

ローマは領土の拡大が限界に達し、奴隷の供給も限られるようになった。

また天然痘が流行したこともあって、人口は一気に減少。

労働者も軍人も不足するようになった。

カラカラが全自由人にローマ市民権を与えた理由のひとつだ。

 

領土の縮小と人口の減少は経済の衰退をもたらし、それを重税で補ったため人々の生活は困窮した。

市民は都市を捨てて小作人(コロヌス)になり、貴族の経営する農場で働いた(コロナートゥス制)。

軍人皇帝時代に中央の統制が弱まると、属州や貴族の力が増し、混乱は広がっていく。

スプリットのディオクレティアヌス宮殿
スプリットのディオクレティアヌス宮殿、地下ホール。宮殿自体は305年の竣工だが、その後1,700年にわたって改築・増築され、さまざまな建築様式が入り乱れている。世界遺産「スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿」構成資産

こうした軍人皇帝の時代を終わらせ、中央集権を復活させたのがディオクレティアヌスだ。


ディオクレティアヌスは残っていた共和政の影を全廃。

元老院の機能を奪い、権力を皇帝に集中させた。

さらには自ら神を称してエジプトのファラオ、ペルシアの王のような皇帝像を作り上げた。

ドミナートゥス制(専制君主制)だ。

 

また、広大なローマ領を4つに分割。

ふたりの正帝(アウグストゥス)とふたりの副帝(カエサル)を置いてテトラルキア(4分治制)を敷いた。

同様に、属州をさらに細かく分割して地方の力を削いだ。

 

この時代の貧困層にはキリスト教が広がっていた。

神を自認するディオクレティアヌスは、別に唯一神を祀り、大きな勢力になりつつあるキリスト教を危険視していたらしい。

303年に勅令を発してキリスト教を事実上禁止。

これに対する反乱に対して大弾圧を行った。

 

中央集権化は成功するが、305年、病気を患ってあっさり引退。

キリスト教弾圧も終了する。

そして世界遺産「スプリットの史跡群とディオクレティアヌス宮殿(クロアチア、1979年、文化遺産(ii)(iii)(iv))」の宮殿に移って余生をすごしたという。

 

テトラルキアの時代、皇帝同士の対立が起こるが、324年、これを統一して唯一の皇帝に就いたのがコンスタンティヌスだ。


コンスタンティヌスは国内の混乱を収めるためにコロヌスの移動を禁止。

身分や職業を固定化し、役人を中心とした官僚体制を整備。

皇帝を中心としたドミナートゥス制を強化した。

 

また、皇帝が神を名乗ることに対する反発は強く、キリスト教の拡大は防ぐことができなくなる。

ついに共同統治時代の313年、キリスト教をミラノ勅令で公認。

伝説では、夢の中で光り輝く十字架を見て、それによって戦争に勝ったとさえ伝えている。

そのときの勝利を祝ったのが、ローマのコロッセオ近くにあるコンスタンティヌス凱旋門※だ。

死の直前、自らもキリスト教に改宗し、洗礼を受けた。

※世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

ローマのコンスタンティヌス凱旋門
315年に建てられたローマのコンスタンティヌス凱旋門。奥に見えるのはコロッセオ。どちらも世界遺産だ
ベツレヘムの聖誕教会の地下、飼葉桶の聖洞窟
ベツレヘムの聖誕教会の地下、飼葉桶の聖洞窟を彩るベツレヘムの星。イエスはここで生まれたと信じられている

325年にはニケーア公会議を主催。

三位一体を主張するアタナシウス派の正当性を認め、イエスや聖霊の神性を否定するアリウス派を異端とした。

三位一体とは、父なる神、子なるイエス、聖霊の三者を同一の存在であると認める考え方。

キリスト教は一神教なので、唯一神の他にイエスや天使がいる事実をどのように解釈するのか、考え方が分かれていた。

 

この「一体」とか「化身」という考え方は多くの宗教に見られる。

たとえばヒンドゥー教の場合、ラーマやクリシュナ、シッダールタ(ブッダ。釈迦)らはヴィシュヌが姿を変えた化身とされている。

あれだけ多彩な神様がいるヒンドゥー教をシヴァ神の一神教とする考え方もあるくらいで、「一」と「多」の問題はとても難しい哲学的テーマとして扱われている。

 

キリスト教関係のことを少し追記しておこう。

339年、コンスタンティヌスはイエスが生まれたといわれるベツレヘムの馬小屋跡に教会を設立。

これをビザンツ帝国(東ローマ帝国)のユスティニアヌスが改修したのが聖誕教会で、世界遺産「イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路(パレスチナ、2012年、文化遺産(iv)(vi))」に登録されている。

 

380年にテオドシウス1世がキリスト教を国教化。

392年にはキリスト教以外の宗教を禁止。

393年にはギリシア・ローマの神々に捧げるオリンピア大祭(古代オリンピック)を廃止した。

 

アヤ・ソフィア
息子コンスタンティウス2世が造ったキリスト教会をユスティニアヌスが大増築したのがアヤ・ソフィアだ。世界遺産「イスタンブール歴史地域」構成資産

コンスタンティヌスの話に戻ろう。

330年には首都をローマからビザンチオンに遷都。

新首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール※)を建設する。

※世界遺産「イスタンブール歴史地域(トルコ、1985年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 

[関連サイト]

ベツレヘムの聖誕教会/パレスチナ

イスタンブール/トルコ

 

コンスタンティヌスはゲルマン人に対してたびたび遠征を行い、勝利した。

しかし彼がすでに亡くなっていた375年、フン人の移動に押されたゲルマン人が大移動を開始。

以後西ヨーロッパは大混乱に陥り、地図が大幅に描き換えられることになる。

それはまた現在の地図のベースとなる出来事でもあった。

詳細は次回以降に譲るが、簡単に記しておこう。

 

375年、ゲルマン人の大移動がはじまる。

378年、その一派であるゴート人の侵入を食い止めようとローマ皇帝ウァレンスが軍を進めるが、散々に打ち破られ、皇帝は戦死してしまう(アドリアノープルの戦い)。

395年、国を保つことの不可能を感じたテオドシウス1世は病床でふたりの息子に帝国を東西に分け与えた。

こうしてローマ帝国はミラノ(のちにラヴェンナ※に遷都)を首都とする西ローマ帝国と、コンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国=ビザンツ帝国に分裂する。

※世界遺産「ラヴェンナの初期キリスト教建築物群(イタリア、1996年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 

[関連サイト]

ラヴェンナの初期キリスト教建築物群/イタリア

 

結局西ローマ帝国はゲルマン人の移動に抗えず、476年、傭兵隊長オドアケルによって滅亡。

一方、ビザンツ帝国はゲルマン人の侵入をなんとか抑え、1453年に滅亡するまで、約1,000年もの間存続することになる。


次回はゲルマン人の大移動を解説する。

 


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 世界遺産で野生動物と触れ合う

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 立入禁止! 非開放の世界遺産

 神々が降り立つ聖地の世界遺産

 絶景と人工美が融合した鉄道

 愛と美を称える世界遺産

・その他

『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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<旅論:たびロジー>

1.あなたは幸せですか?

.麻薬は悪? ゴキブリは汚い?

.裸とワイセツ

 

<エロス論:エロジー>

.遊びの本質

.おいしい、美しい、気持ちいい

.文化SM論

 

<絵と写真の話>

.アートと魂~抽象画とポロック

.ロスコの扉 ~ロスコ・ルーム~

10.写真と抽象芸術~グルスキー

 

<哲学的探究:哲学入門>

1.哲学とは何か?

2.「正しい-間違い」とは何か?

3.証明とは何か?

4.わかる・理解するとは何か?

5.力とは何か? 波とは何か?

6.物質とは何か?

7.見る・感じるとは何か?

8.空間とは何か?

9.時間とは何か?

 

<哲学的考察:ウソだ!>

.無と偶然

.ことだま-はじめに言葉ありき

10.物質とは何か?

11.神とは何か?-一神教と多神教

 

<世界遺産NEWS>

米&イ、UNESCO脱退を表明

パルミラのライオン像、復元!

バーミヤン渓谷の磨崖仏復元法

サブラータ古代遺跡が戦闘被害

2017年新登録の世界ジオパーク

 

<世界遺産ランキング集>

登録基準に見る世界遺産

世界の七不思議

国内集計の世界遺産ランキング

海外集計の世界遺産ランキング

世界遺産国別ランキング

 

<UNESCOリスト集>

日本の遺産リスト

無形文化遺産リスト

世界の記憶リスト

世界遺産リスト

ユネスコエコパーク・リスト

世界ジオパーク・リスト

創造都市リスト

 

<世界遺産の見方>

知性的鑑賞法

感性的鑑賞法

異文化理解の方法論

正しい・間違いの基準

星と大地と古代遺跡

 

<味わう世界遺産>

.王様のワイン トカイ

.命の水 テキーラ

.ポルトガルの宝石 ポート

.神の贈り物チョコレート

 

<世界遺産で学ぶ世界の歴史>

.宇宙と地球の誕生

.地球と火山活動

.大陸移動と世界の形成

.生命の誕生 先カンブリア時代

.生命の進化 古生代から新生代へ

.人類の夜明け

.戦争の時代 ~メソポタミア

.古代エジプトの繁栄

.インダス文明と古代インド

10.長江・黄河文明と古代中国

11.欧州巨石文化とエーゲ文明

12.古代ギリシアの繁栄

13.アレクサンドロスとヘレニズム

14.シルクロードとクシャーナ&漢

15.東南&東アジア,アフリカの古代

16.南北アメリカ大陸の古代文明

17.共和政ローマと帝政ローマ

18.ローマの平和、そして分裂へ

19.民族大移動と西欧の形成

20.東欧の形成とビザンツ帝国

21.東西教会の分裂と十字軍

22.イスラム教とペルシア・アラブ

23.イスラム帝国の分裂

24.イスラムの拡散-インド,アジア

25.アフリカの交易とイスラム教

26.隋・唐・宋の時代

27.北方騎馬民族とその周辺

28.モンゴル帝国の世界征服

29.オスマン,サファヴィー,ムガル

30.中世ヨーロッパの飛躍

31.修道院とロマネスク&ゴシック

32.イギリス・フランスと百年戦争

33.ハプスブルク家とレコンキスタ

34.大航海時代

35.ルネサンス

36.宗教改革

37.絶対王政とオランダの台頭

38.三十年戦争とイギリス革命

39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア

40.明と清の繁栄

41.東・東南アジアの植民前史

42.産業革命とアメリカ独立革命

43.フランス革命とナポレオン

44.ウィーン体制と七月・二月革命

45.イタリアとドイツの成立

46.帝国主義と米英仏

47.アジアの衰退・植民地化

48.清、朝鮮、江戸の開国・滅亡

49.世界分割

50.第一次世界大戦

51.ファシズムと世界恐慌

52.第二次世界大戦

 

<世界遺産写真館>

1.文化交差路サマルカンド1

2.文化交差路サマルカンド2

3.アッパー・スヴァネティ

4.グラナダのアルハンブラ宮殿1

5.グラナダのアルハンブラ宮殿2

6.コトル

7.プレアヴィヒア寺院

8.福建の土楼1

9.福建の土楼2

10.フォンニャ-ケバン国立公園1

11.フォンニャ-ケバン国立公園2

12.カタルーニャ堂とサンパウ病院1

13.カタルーニャ堂とサンパウ病院2

14.オフリド地域1

15.オフリド地域2

16.古都京都の文化財1

17.古都京都の文化財2

18.アントニオ・ガウディ作品群1

19.アントニオ・ガウディ作品群2

20.アンコール1

21.アンコール2

22.アンコール3

 

<世界遺産攻略法>

1.世界遺産検定攻略の理念と背景

2.世界遺産検定の概要

3.試験戦略の一般論

4.試験戦略の理念

5.世界遺産検定の受検戦略

6.試験勉強の3要素

7.世界遺産検定 最効率学習法

8.時事問題・世界史・検定講座

9.マイスター試験の概要

10.マイスター試験問1・2対策

11.マイスター試験問3対策

12.マイスター試験時間術&解答術

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