世界遺産と世界史35.ルネサンス

世界遺産「フィレンツェ歴史地区」サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ
ジョットの鐘楼から眺めたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ(ドーム)とフィレンツェの街並み。オレンジ屋根の家並みが美しい。世界遺産「フィレンツェ歴史地区」構成資産
「サモトラケのニケ」
「サモトラケのニケ」ルーヴル美術館。古代ギリシアの傑作ながら作者・制作年不明

ヨーロッパで人類の知性と感性が最初に爆発したのは古代ギリシア・ローマの時代だ。


15~16世紀にトスカネリが地球球体説、コペルニクスが地動説を唱えるのだが、紀元前3世紀のギリシアではエラトステネスがすでに地球の周を計算しているし、アリスタルコスは地球が太陽の周りを回っていると主張していた。

アテネ※をはじめとする諸ポリスが採用した民主制やレウキッポスとその弟子デモクリトスの原子説に至っては、18~19世紀、フランス革命以降の民主化運動やドルトンの原子説によってようやく浸透していくアイデアなのだ。

※世界遺産「アテネのアクロポリス(ギリシア、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

芸術も同様だ。

ローマ帝国の滅亡と民族大移動による混乱、開拓時代の貧困の中で華やかな文化は廃れ、変わって「あの世=天国」でのすばらしい生活を説くキリスト教が浸透していく。

そして宗教が生活の中心を占め、「この世」は「あの世」のための修行の場となり、個人の思想・感情・感覚は厳しく制限・管理されるようになる。

キリスト教はイエスと聖人以外の偶像崇拝を禁止していたので人間を描く絵はほとんど認められなかったし、ギリシア・ローマの自由奔放な絵や彫刻はわいせつなものと見なされた。

こうして絵画や彫刻・建築に関する技術は失われ、科学とともにその成果は約2,000年間も封印されることになる。

ミケランジェロ「ピエタ」
ミケランジェロ「ピエタ」1498-1500年、サン・ピエトロ大聖堂。ミケランジェロの最高傑作のひとつ

ヨーロッパでギリシア・ローマの思想や科学・哲学・芸術が失われていくのに反して、盛んに研究を行っていたのがウマイヤ朝やアッバース朝、後ウマイヤ朝、マムルーク朝といったイスラム諸国だ。

こうした国々ではモスクに付属して高等教育機関・マドラサを併設し、神学はもちろん、それを根拠づける哲学や科学を研究・教育した。

その中でギリシアやローマの進んだ哲学・科学も取り上げられて、彼らの著書も翻訳された。

フェズのカラウィーン・モスク①のマドラサ=カラウィーン大学や、カイロのアズハル・モスク②のマドラサ=アズハル大学(のちのカイロ大学)がその一例だ。

※①世界遺産「フェズ旧市街(モロッコ、1981年、文化遺産(ii)(v))」

 ②世界遺産「カイロ歴史地区(エジプト、1979年、文化遺産(i)(v)(vi))」

 

[関連サイト]

フェズ旧市街/モロッコ


11世紀にはじまる十字軍の遠征以降、東方貿易(レヴァント貿易)によって西アジア・アフリカとヨーロッパの貿易が活発化すると、ギリシア・ローマの巨匠たちの著作や研究成果が逆輸入された。

こうした文献は、最初はシチリア島のパレルモやイベリア半島のトレド※でアラビア語からラテン語に翻訳され、やがてこれがブームになって大翻訳時代を迎える。

そして商業ルネサンスでヨーロッパが豊かになると各地に大学が建設され、文芸の復興が進められた。

いわゆる12世紀ルネサンスだ。

この辺りの話は「30.中世ヨーロッパの飛躍」参照。

※世界遺産「古都トレド(スペイン、1986年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 

この時代の中心は地中海貿易を牛耳っていたイタリアの諸都市とビザンツ帝国、15世紀半ば以降はオスマン帝国(オスマン・トルコ)だ。

そしてイタリア人たちはギリシアやローマの哲学や科学・芸術を研究していくうちに、このイタリアにはたくさんのすぐれた芸術作品があることに気づく。

世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」のローマのパンテオン
ローマのパンテオン。アウグストゥス(オクタウィアヌス)の命でアグリッパが建設し、それをハドリアヌスが2世紀に再建したローマ建築の傑作だ。世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂」構成資産

たとえばローマのパンテオン①。

ローマン・コンクリートによって造られた直径約43mのドームは中世の技術では再現不可能といわれ、ブルネレスキをはじめとするルネサンスの名建築家たちによって盛んに研究された。

その成果がフィレンツェの象徴、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)②の巨大なクーポラ(ドーム)だ。

※①世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア、1982年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

14~16世紀、東方貿易で得た富を背景にイタリアの諸都市で哲学・科学・芸術が奨励され、ローマ・ギリシア以来の飛躍がもたらされる。

特に15世紀以降、グーテンベルクが体系化した活版印刷が導入されると知識の伝達・蓄積に大きく貢献し、一般の人々にまで本や書物を通して情報が浸透していく。

これが文芸復興=ルネサンスだ。

 

ここでいう「復興」とは、ギリシア・ローマの芸術や科学を再認識し、美や喜び・自由といった個人の感覚や感情を取り戻すこと。

「あの世」ではなく「この世」で生きる者としての人間の「再生」。

これこそがルネサンスのテーマだった。

 

* * *

ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」
ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」1485年頃、ウフィツィ美術館
ボッティチェリ「春」
ボッティチェリ「春(プリマヴェーラ)」1477~1478年頃、ウフィツィ美術館

上はウフィツィ美術館※に収蔵されているボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」、右は同「春(プリマヴェーラ)」。

人の身体の美しさ、恋の幸福感、光の温もり、春の息吹、色彩の楽しみ……

人間のあらゆる喜びが込められている。

この世のすばらしさが溢れ出している。

※世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア、1982年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

しかし、中世キリスト教世界においてはこれほど異端的な絵はない。

裸の男女、多神教的な神や天使や天女、この世の賛美に隠された天の否定……

魔女裁判や宗教裁判(異端審問)が行われていたこの時代に、こうした非キリスト教的要素はいかに説明されたのか?

その役割を果たしたのが文学や哲学だ。

ボッティチェリ「地獄図」
ボッティチェリ「地獄図」1490年代、アポストリカ図書館。ダンテ『神曲』の地獄像を描いている

フィレンツェの詩人ダンテの『神曲』にはキリスト教の天使や悪魔はもちろん、ギリシア・ローマの神々から歴史上の人物まで多彩な神や人間が登場する。

そしてそれらの中心にキリスト教の唯一神がいることを壮大に物語った。

 

また、哲学のネオ・プラトニズムではすべての原因には最終原因があることを論理的に突き詰めていく。

ぼくが生きている原因、人が存在する原因、地球が存在する原因、宇宙が存在する原因、ビッグバンが起こった原因といった具合に、何かが起こる原因の原因の原因…を考える。

そうすると、最終的に必ずひとつの原因にたどり着く。

というのは、ふたつの原因がある場合、原因がふたつある理由が最終原因になるからだ。

最終原因を「一」とするのがプラトンやアリストテレスが成立させた古代ギリシアのプラトニズムだが、これを唯一神と結びつけたのがネオ・プラトニズムだ。

 

こうした文学や哲学によってこの世のすべてがキリスト教の神によってまとめられ、再定義された。

こうしてルネサンスは正当化され、教皇や王の庇護さえ受けることに成功した。

 

[関連記事]

哲学的考察:ウソだ!11.神とは何か? 前編<一神教と多神教>

 

* * *

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ内部
フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ内部、ヴァザーリ作「最後の審判」。世界の終わりに神が全人類を復活させ、一人ひとりを天国と地獄に裁いていく様子を描いたもの
フィレンツェのサン・ロレンツォ教会
メディチ家がブルネレスキに設計を依頼したルネサンスの傑作、サン・ロレンツォ教会。ファサードに大理石をはめれば完成だったが、未完に終わる。世界遺産「フィレンツェ歴史地区」構成資産

ルネサンス初期の主人公はフィレンツェ※だ。

ローマ時代に花の女神フローラの街として栄えたフィレンツェは12世紀にコムーネ(自治都市)となり、東方貿易と毛織物業でイタリア屈指の都市に成長する。

そして13~14世紀、フィレンツェで金融業を営み、急速に頭角を現すのがメディチ家だ。

※世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア、1982年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

中世キリスト教社会では利息を取って利益を上げる金融業が禁止されていたが、時代はルネサンス前夜。

教会の腐敗や教皇権の衰退、新しい価値観の登場・容認を受けてメディチ家はいち早く金融業に乗り出し、急速に支持を集めた。

商業・工業が盛り上がるとそれを仲介する金融業は巨大な富を生み出し、メディチ家は一気に名家へと成り上がる。

サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。全体はソラーリの設計で、アプスのみブラマンテが手掛けている

そして莫大な寄付金を寄贈することで教皇の承認を取りつけ、実質的にフィレンツェを支配。

15世紀にはローマ教皇庁の財務を引き受け、ロンドン①やアヴィニョン②、ブリュッセル③、ブルージュ④、バーゼル、リューベック④、ピサ⑤、ミラノ⑥などに支店を出した。

そしてフィレンツェの発行するフローリン金貨がヨーロッパの基軸通貨となると、実質的にヨーロッパの金融市場を支配して繁栄を極めた。


※①世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院及び聖マーガレット教会(イギリス、1987年、2008年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ①世界遺産「ロンドン塔(イギリス、1988年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋(フランス、1995年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ③世界遺産「ブリュッセルのグランプラス(ベルギー、1998年、文化遺産(ii)(iv))」

 ④世界遺産「ブルージュ歴史地区(ベルギー、2000年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ⑤世界遺産「ハンザ同盟都市リューベック(ドイツ、1987年、文化遺産(iv))」

 ⑥世界遺産「ピサのドゥオモ広場(イタリア、1987年、2007年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 ⑦世界遺産「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院(イタリア、1980年、文化遺産(i)(ii))」

ローマのパンテオン内部
ローマの神々を祀ったパンテオン内部。オクルスと呼ばれる穴は採光用に設けられたもので、直径9mもある。天頂まで高さ約43mで、ドームの直径も約43m。1,900年も前にこれほどのドームが造られ、それが残っていることは奇跡に近い

メディチ家は芸術を奨励し、ボッティチェリやミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、アンジェリコをはじめとする芸術家を庇護。

これを伝え聞いた芸術家たちはフィレンツェに集い、また1453年にコンスタンティノープルが陥落してビザンツ帝国が滅亡すると、ビザンツ芸術の担い手たちがフィレンツェに亡命して芸術活動を盛り上げた。

 

フィレンツェでも最高傑作といわれるのがサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、通称ドゥオーモ(大聖堂という意味)だ。

特徴的なのがブルネレスキ設計の巨大なクーポラで、直径45mのドームは1434年に完成するまで「無謀」「不可能」と揶揄され続けたという。

先述した通り、これはブルネレスキがローマのパンテオン※を研究した成果で、わずかながらもその大きさでパンテオンを上回って見せた。

脇に立つサン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼も非常に美しく、イタリア・ゴシックとルネサンスが混在する荘厳な姿で人々を魅了している。

フィレンツェの建造物やルネサンスについては関連記事を参照のこと。

※世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン市国、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

[関連記事]

ウェストミンスターとビッグベン/イギリス

ロンドン塔/イギリス

ブリュッセルのグランプラス/ベルギー

ブルージュ歴史地区/ベルギー

フィレンツェ歴史地区/イタリア

ローマ歴史地区/イタリア・バチカン

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」
レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」1495-1498年、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院。イエスが処刑される前夜に12人の使徒とともにとった最後の夕食を描いている
ティヴォリのエステ家別荘
世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘」のイタリア式庭園。フランスの世界遺産「ベルサイユの宮殿と庭園(フランス、1979年、2007年拡大、文化遺産(i)(ii)(vi))」に大きな影響を与え、噴水を用いた庭園のモデルとなった

フィレンツェに続いて芸術家を庇護したのがミラノ①のスフォルツァ家やフェッラーラ②のエステ家だ。

ミラノの代表的な建物がサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で、スフォルツァ家の依頼でレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたのが同修道院の『最後の晩餐』だ。

一方、フェッラーラは13~15世紀に整備されたエステ家による計画都市で、碁盤の目状の道路網・緑豊かな庭園・同じ高さの建物など、街をキャンパスに見立てて初期ルネサンスの美しい街並みを描き出した。

また、エステ家はローマ郊外のティヴォリに別荘③を建てており、これが噴水や滝を駆使したイタリア・ルネサンス庭園の傑作として知られている。

※①世界遺産「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院(イタリア、1980年、文化遺産(i)(ii))

 ②世界遺産「フェッラーラ:ルネサンス期の市街とポー川デルタ地帯(イタリア、1995年、1999年拡大、文化遺産(ii)(iii)(iv)(v)(vi))」

 ③世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘(イタリア、2001年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

これ以外に初期・盛期ルネサンスの傑作としてよく挙げられる建物には、ウルビーノのドゥカーレ宮殿①、マントヴァのサンタンドレア聖堂②、フィレンツェのサン・ロレンツォ教会③やサント・スピリト教会③、教皇ピウス2世の築いたルネサンス都市ピエンツァ④などがある。

※①世界遺産「ウルビーノ歴史地区(イタリア、1998年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「マントヴァとサッビオネータ(イタリア、2008年、文化遺産(i)(ii)(iii))」

 ③世界遺産「フィレンツェ歴史地区(イタリア、1982年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ④世界遺産「ピエンツァ市街の歴史地区(イタリア、1996年、文化遺産(i)(ii)(iv))

世界遺産「バチカン市国」のサン・ピエトロ大聖堂
東西約210m、南北約160m、高さ約130mのラテン十字形の教会堂、サン・ピエトロ大聖堂。ファサード(正面)はカルロ・マデルノやベルニーニ、クーポラはミケランジェロの設計。世界遺産「バチカン市国」構成資産
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」カレッジ・メディチ別邸
ルネサンス様式の美しい別荘で知られるカレッジ・メディチ別邸。世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群(イタリア、2013年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」にはメディチ家の12の邸宅とふたつの庭園が登録されている (C)sailko

1494~1559年、フランス王国と神聖ローマ帝国の間でイタリアの領有を巡ってイタリア戦争が起こる。

まず1494年にシャルル8世がフィレンツェに侵入してメディチ家を追放。

これに対して教皇アレクサンドル6世、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世、イタリア諸都市が神聖同盟を結んで対抗する。

しかしフランスはミラノに攻め込み、1499年にルイ12世がスフォルツァ家を追放してミラノを占領してしまう。

 

メディチ家はハプスブルク家の支援を得てフィレンツェに帰還すると、1513年にメディチ家のジョヴァンニがレオ10世として教皇に即位。

1519年にスペイン王カルロス1世とフランス王フランソワ1世が神聖ローマ皇帝の座を争うが、皇帝選挙でカルロス1世が当選してカール5世として帝位に就く。

そして1521年、レオ10世とカール5世は同盟を結んでミラノを奪還し、スフォルツァ家を復帰させる。

こうしたイタリア戦争初期の混乱の中でフィレンツェ、ミラノを中心とした初期ルネサンスの繁栄は終了し、代わりにメディチ家の血を引くレオ10世が教皇庁のあるローマで芸術を保護し、ルネサンスは最盛期を迎える。

サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂
サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂。教皇のバビロン捕囚まで教皇庁がここに置かれ、教皇は隣接するラテラノ宮殿で生活していた

その最大の成果がサン・ピエトロ大聖堂①だ。

サン・ピエトロ大聖堂は使徒ペトロが亡くなった場所にローマ帝国のコンスタンティヌスが教会堂を建てたことにはじまる。

カトリックの教皇庁は当初ローマのサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂②にあったが、9世紀にはサン・ピエトロ大聖堂に移され、14世紀のアヴィニョン捕囚③後には宮殿が併設された。

※①世界遺産「バチカン市国(バチカン、1984年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「ローマ歴史地区、教皇領とサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(イタリア/バチカン、1980年、1990年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 ③世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋(フランス、1995年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 

16世紀はじめに教皇ユリウス2世が改築を決め、ブラマンテに設計を依頼。

レオ10世の時代には世界中に信者を増やしたカトリックの首席教会堂にふさわしいものにするために、ラファエロらを指名してラテン十字形のより豪壮な聖堂を目指した。

レオ10世が改築費用を捻出するために発行した贖宥状(しょくゆうじょう。免罪符)が、「お金を払えば罪が許されるなんていう教えはおかしい」ということで宗教改革のきっかけになるのだが、それは次回解説する。

サン・ピエトロ大聖堂の設計はロマーノ、ミケランジェロ、ベルニーニらの手を経てたびたび変更され、およそ100年の時を経て完成に至る。

長い建築期間の間に時代はルネサンス→マニエリスム(後期ルネサンス)→バロックと進み、それぞれの影響を受けた豪華絢爛かつ世界最大級の大聖堂が誕生した。 

サン・ピエトロ大聖堂のクーポラ
ミケランジェロが設計したサン・ピエトロ大聖堂のクーポラ。完全な球ではなく縦に長い造りで、形を崩してダイナミズムを生み出す後期ルネサンス~バロックの技法が使われている
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
ベネチアの湾に浮かぶサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。アンドレア・パラディオの設計で、16~17世紀に建てられた

しかしこの繁栄は長く続きはしなかった。

教皇レオ10世の跡を継いだクレメンス7世は、それまでの関係を裏切ってフランスと手を結ぶ。

1527年、これに怒った皇帝カール5世はローマに侵入して教皇軍を打ち破り、兵士たちによってローマは破壊・略奪を受けて荒廃(ローマ略奪)。

これによってローマにおけるルネサンスも終了を迎える。

イタリア戦争はこのあとも続くが、これについては次回以降解説する。

 

イタリア・ルネサンスはこのあとベネチア①、ジェノヴァ②、ヴェローナ③、ヴィチェンツァ④、ヴァレッタ⑤等に重心が移る。

著名なルネサンス建築としては、ベネチアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会、ジェノヴァのストラーデ・ヌオーヴェ沿いの宮殿群、ヴェローナのマドンナ・ディ・カンパーニャ教会、ヴィチェンツァのバシリカ・パラディアーナやオリンピコ劇場が挙げられる。

※①世界遺産「ベネチアとその潟(イタリア、1987年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(v)(vi))」

 ②世界遺産「ジェノヴァ:レ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度(イタリア、2006年、文化遺産(ii)(iv))

 ③世界遺産「ヴェローナ市(イタリア、2000年、文化遺産(ii)(iv))」

 ④世界遺産「ヴィチェンツァ市街とヴェネト地方のパッラーディオ様式の邸宅群(イタリア、1994年、1996年拡大、文化遺産(i)(ii))」

 ⑤世界遺産「ヴァレッタ市街(マルタ、1980年、文化遺産(i)(vi))

 

[関連サイト]

ベネチアとその潟/イタリア

シャンボール城
フランス・ルネサンスの傑作シャンボール城。ここを居城としたフランソワ1世をはじめ、フランスやドイツの王や皇帝はイタリア・ルネサンス期の芸術家を招集し、自国にもアートを根付かせた

イタリアで起こったルネサンスは、15~16世紀になるとヨーロッパに広く普及していく。

主にイタリアより北の国々で起こったことから「北方ルネサンス」と呼ばれている。

ロマネスク、ゴシックや各地の文化が融合した多彩な展開が見られる点が特徴で、逆にいえばイタリア・ルネサンスとかなり隔たりのある建物も少なくない。

 

北方ルネサンスの代表的な例を挙げると、葱坊主とルネサンスが融合したモスクワのウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)①、ゴシック様式との融合が美しいクラクフのヴァヴェル城②、フランス王フランソワ1世がダ・ヴィンチを招いてアドバイスを受けたといわれるシャンボール城③や多彩な建築様式が混在したルーヴル宮殿(現、ルーブル美術館)④、フォンテーヌブロー派の絵画や彫刻を生んだフォンテーヌブロー⑤、イタリア・ルネサンスの伝統を色濃く残すスペインのウベダとバエーサ⑥、ルネサンス&ゴシックの巨大な城塞ハイデルベルク城⑦、ルネサンス式の街並みが美しいザモシチ⑧やチェスキー・クルムロフ⑨、リヨン⑩などがある。

※①世界遺産「モスクワのクレムリンと赤の広場(ロシア、1990年、文化遺産(i)(ii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「クラクフ歴史地区(ポーランド、1978年、文化遺産(iv))」

 ③世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷(フランス、1981年、2000年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ④世界遺産「パリのセーヌ河岸(フランス、1991年、文化遺産(i)(ii)(iv))

 ⑤世界遺産「フォンテーヌブローの宮殿と庭園(フランス、1981年、文化遺産(ii)(vi))」

 ⑥世界遺産「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群(スペイン、2003年、文化遺産(ii)(iv))」

 ⑦ドイツの世界遺産暫定リスト記載

 ⑧世界遺産「ザモシチ旧市街(ポーランド、1992年、文化遺産(iv))」

 ⑨世界遺産「チェスキー・クルムロフ歴史地区(チェコ、1992年、文化遺産(iv))」

 ⑩世界遺産「リヨン歴史地区(フランス、1998年、文化遺産(ii)(iv))

 

[関連サイト]

チェスキー・クルムロフ/チェコ

フォンテーヌブローの宮殿と庭園/フランス

 

* * *

世界遺産「フィレンツェ歴史地区」のサント・スピリト教会
ブルネレスキ設計のサント・スピリト教会。ベルニーニが「世界一美しい教会」といい、ミケランジェロやダ・ヴィンチも絶賛したという。世界遺産「フィレンツェ歴史地区」構成資産

ルネサンスのテーマは「この世」で生きる者としての人間の「再生」にある。

人間の再生とは人間の感覚・感情を取り戻し、人が人らしくあること(人文主義=ヒューマニズム)。

そしてこの世界をありのままに捉えること。

 

たとえば絵。

それまで絵といえば神や聖人の物語を伝えるためのもので、背景には必ずキリスト教の世界観があり、思想や教訓が刻み込まれていた。

人間の感覚が捉えたものをすなおに描き出したものではなかったし、まして美や喜び、あるいは反対に醜さや悲しみといった感情は巧みに隠された。

ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」
ティツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」1538年頃、ウフィツィ美術館

しかしルネサンスの時代、芸術家たちはキリスト教の先入観を取り払い、自分の感覚が捉えたものをそのままキャンパスに写し、日常生活の喜怒哀楽や季節の巡り・恋の熱狂といった当たり前の感情を思うままに描き出した。

ミケランジェロは人間の骨格・筋肉をダイナミックに表現し、ダ・ヴィンチは解剖まで行って人体を正確に模写した。

ボッティチェリは愛や季節の喜びを讃え、ティツィアーノは生や死を色彩豊かに生き生きと描いて見せた。

 

こうした流れの中で、芸術家たちはやがて人間を離れて物を物として捉える自由な視線を手に入れる。

自然をありのままに見る風景画や静物画の誕生だ(風景画や静物画自体は岩絵や洞窟壁画に見られるように昔からあった)。

そして「自然をありのままに見る」というのは「先入観を排除する」ということ。

厳密にいえばこれは不可能で、この不可能に対する挑戦がアートの永遠のテーマでもある。

こうしてルネサンス芸術は思想を越えて、ついにアートに到達する。

このあたりは関連記事で書いているので参照のこと。

そしてこうした動きが農村風景や花瓶などの静物画を描いたネーデルランドのフランドル派やフランスのフォンテーヌブロー派に引き継がれていく。

 

この視線は文学でも同様だ。

イタリアのペトラルカ『叙情詩集』、ボッカチオ『デカメロン』、イギリスのチョーサー『カンタベリ物語』、シェークスピア『ハムレット』『ロミオとジュリエット』、スペインのセルバンテス『ドン=キホーテ』といった小説は、聖書とほとんど無関係に書き下ろされた。

 

[関連記事]

Art 2:絵&写真の話

サン・ピエトロ広場
サン・ピエトロ大聖堂のクーポラから眺めた景色。中央の楕円がミケランジェロ設計のサン・ピエトロ広場。この楕円もバロックならでは。上の道は「和解の道」と呼ばれ、ローマのサンタンジェロ城に続いている
世界遺産「ザモシチ旧市街」のザモシチ旧市庁舎
ポーランドの世界遺産「ザモシチ旧市街」のザモシチ旧市庁舎。要塞都市ザモシチには16~17世紀のルネサンスの街並みが残されている

さて。

自然をありのままに見ることは、物事を客観的に観察して事実を正確に捉えるということ。

これを突き詰めたのが科学だ。

こうした科学的手法があらゆる場所に適用された(科学革命)。

 

先ほどの絵。

風景と絵を客観的に観察していくうちに、黄金比を用いると美しく見えることや、物を描くときに消失点に注意を払うと立体感を出すことができることを発見する(Wikipediaの解説→遠近法の透視図法)。


たとえば建築。

円や正方形・長方形を組み合わせ、シンメトリー(対称)を駆使して均整のとれた建物を建設した。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は左右対称をなすラテン十字の頭に半球のドームを乗せたもので、円と直線を組み合わせた幾何学的な均衡がルネサンス建築のひとつの特徴となっている。

ちなみに、次のバロック建築になるとサン・ピエトロ大聖堂のドームや広場のように円は楕円になり、派手な装飾と曲線を多用したダイナミックで感情的な作風に変わっていく。

 

たとえば天体。

中世、人間のいるこの地上が世界の中心であることを疑う者はほとんどいなかった。

したがって地球の周りを星々が回っていると考える天動説が一般的だった。

普通の星の動きはそれで簡単に説明できたが、それではどうにも説明できない奇妙な動きをする星があった。

これらを恒(つね)なる星=恒星に対して、惑う星=惑星と呼ぶ。

世界遺産「ヴァレッタ市街」
ヨハネ騎士団(のちのマルタ騎士団)が建設した城郭都市ヴァレッタ。のちにルネサンス様式の街並みが整備された。中央は聖ヨハネ准司教座聖堂。世界遺産「ヴァレッタ市街」構成資産

簡単に説明してみると……

オリオン座は1月1日の23時頃、真南に見えるのだが(南中)、翌日の同じ時刻には約1度、西の位置に現れる。

1か月後の同じ時刻には30度西、3か月後には90度、つまり西の地平線ギリギリの場所にあり、1年後の1月1日には360度動いて同じ位置に帰ってくる(同じ位置に戻るために要する時間を1年と呼び、1日に動く角度を1度という)

全天で肉眼で見える星は6,000~8,000個ほどといわれているが、99.9%がこれと同じ動きをしている。

どの星も同じ動きをしているので星座がズレたりすることはない。

 

ところが金星・火星・木星・土星などの惑星は、西に動いていたかと思ったら東に動きはじめたり、他の星は南や北に動くことはないのに南北にズレてみたりと惑うばかり。

他の星のように1年後に同じ場所に戻ってくることもないし、大きくなったり小さくなったり、月のように満ち欠けするものもある。

これを天動説で説明するためには非常に複雑なモデルを想定しなければならなかった。

下は天動説で惑星の動きを解明しようとしたギリシア時代のプトレマイオスの太陽系モデルだ。

ちなみに、以下は公転はもちろん銀河系の動きをも考慮した太陽系モデル。

なんだかかっこいい。

ところが地動説だとこれをとてもシンプルに説明できる。

キリスト教的世界観を離れて自由に考察すれば、よりシンプルな仮説を正しいと考える方がはるかに合理的だ(ただし、合理的なだけで完全な証明は不可能)。

こうしてコペルニクスによって地動説が提唱され、トスカネリによって地球球体説が支持されるようになる。

 

[関連記事]

世界遺産と建築 1.星と大地と古代遺跡 ~星に願いを~

 

このように自然をありのままに捉えて、自由かつ合理的に考えることで科学は発達したが、こうした考えはキリスト教と対立することにもなった。

たとえば神は人間の住むこの世界を中心に天地創造したはずなのに、地動説が説明するように地球が宇宙の片隅にあるとなると聖書と矛盾してしまう。

 

そのためコペルニクスの考えを引き継ぎ、地球の自転や宇宙の無限を説いたジョルダーノ・ブルーノは宗教裁判で有罪を宣告され、火刑に処せられてしまった。

ガリレオが宗教裁判で地動説を撤回し、小声で「それでも地球は動く」と語った逸話はあまりに有名だ。

ルネサンスで写実的な視線が普及したが、しかし宗教から完全に独立できたわけではなかった。

 

最後に、ルネサンス期に起こったもっとも大きな科学的事件を紹介しておこう。

いわゆるルネサンス三大発明、羅針盤・火薬・活版印刷術の普及だ。

といっても、いずれもこの時代に発明されたものでもヨーロッパで生まれたものでもない。

すべて中国発の技術で、羅針盤と火薬は10~11世紀の宋ですでに知られており、活版印刷はさらに古い時代の発明だ。

しかし羅針盤の普及が大航海時代を導き、火薬は大砲や鉄砲の登場によって戦争を劇的に変え、活版印刷術によって本が普及して知識の蓄積と伝達は飛躍的に低コスト化・高速化・大容量化した。

これらの技術を洗練・普及させることで、辺境にすぎなかったヨーロッパは世界を支配する礎を築く。

 

こうして大航海時代・ルネサンス・宗教改革によって中世が終わり近世がスタート。

ヨーロッパの時代が幕を開ける。

 


次回はルネサンスとともに人々の心の在り方を変えた宗教改革を紹介する。 

 


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