世界遺産と世界史32.イングランド・フランスと百年戦争

中世、西ヨーロッパでは以下のような人たちが勢力を誇っていた。

  • 教皇:ローマ・カトリックの盟主、西ヨーロッパの精神的支柱
  • 大司教、司教:教皇の下で地方をまとめる教会の地域権力者
  • 皇帝:ローマ帝国の頂点。この時代は神聖ローマ帝国の君主で教皇から承認を得た
  • 国王:国家の君主。地方政権でも独立性が高いと国と呼ばれる
  • 諸侯:皇帝や国王に土地を奉じられた世襲領主・特権階級
  • 騎士:皇帝や国王に仕える戦士階級で小領地を持っていた。諸侯と合わせて貴族を構成する
  • 城主:城郭都市の領主

この中で実際に誰が力を持っていたのか?

その事情は国や地域、時代によってずいぶん異なっていた。

 

たとえば神聖ローマ帝国。

領内にはボヘミア(現在のチェコ)王やザクセン王、ケルン大司教、ブランデンブルク辺境伯などがいて、皇帝は形的にはこれらの上に君臨していた。

しかし、地方はほぼ独立状態にあり、皇帝は大司教や諸侯・騎士らによって選ばれた代表者にすぎず(皇帝を選ぶ選挙権がある貴族を選帝侯という)、地方に介入する力はなかった。


たとえばフランドル伯領やブルゴーニュ公国。

諸侯・騎士には公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五爵をはじめとする位があった。

「伯領」は「伯爵の領地」というような意味で、独立性が高くなるとブルゴーニュ公国のように「国」という言葉が使われる。

これらの爵位は皇帝や国王から与えられるもので、フランドル伯は一応フランス王の下にいたが、実際は半ば独立しているような状態だった。

だからフランスはいつもこうした国々に独立させまいと構えていたし、隣の神聖ローマ帝国はフランドルやブルゴーニュを取り込むか独立させて味方につけようと画策していた。

 

この辺りの事情を今回と次回で国ごとに追ってみたい。

本章は以下の順番で解説する

  • イングランド王国の王権
  • フランス王国の王権
  • 百年戦争とバラ戦争
ウェストミンスター寺院
英国王が戴冠を行うウェストミンスター寺院。フランス王はランスのノートル・ダム大聖堂、神聖ローマ皇帝はアーヘン大聖堂、ローマ教皇はサン・ピエトロ大聖堂と、戴冠を行う場所は各国でほぼ決まっている。上記はすべて世界遺産

<イングランド王国の王権>


イングランドでは1066年にノルマンディー公国のギヨーム2世がウェストミンスター寺院※で戴冠。

ウィリアム1世としてイングランド王に即位してノルマン朝がスタートしていた。

ノルマン人によるイングランド征服、いわゆるノルマン・コンクェストだ(それ以前のイギリス史は「20.東欧の形成とビザンツ帝国」参照)。

※世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院及び聖マーガレット教会(イギリス、1987年、2008年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 

[関連サイト]

ウェストミンスターとビッグベン/イギリス

 

しかしながらノルマン朝は4代で断絶。

このときイングランドに呼ばれて1154年に王位に就き、プランタジネット朝を開くのがフランスのアンジュー伯アンリ、すなわちイングランド王ヘンリー2世だ。

(なお、○○朝というのは「○○家の王朝」という意味で、ぼくが王になると長谷川朝になる)

 

ウィリアム1世はイングランド王であると同時に、フランス王から封土を与えられたノルマンディー公(公爵)でもあった。

同じようにヘンリー2世はイングランド王であり、フランスのアンジュー伯(伯爵)。

イングランドとフランスの関係はこのように非常に複雑なものになっていた。

 

イングランド王国はフランス北部のノルマンディー公国に加え、アンジュー伯が治めていたフランス西部のアンジュー伯領を得た。

さらにヘンリー2世はスコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランスの一部を得てアンジュー帝国と呼ばれる大きな領域を支配した。

 

ヘンリー2世が治めていた領地の一例がフランスのアキテーヌ地方だ。

アキテーヌ公と結婚したことからこの地を得たのだが、アキテーヌ地方の特産品はワイン。

特にボルドーのサン・テミリオン地域①で採れ、ボルドーの港②から運ばれたワインはイギリスの貴族たちを魅了し、サン・テミリオンは特別管理区となり、フランスはワインの本場となった。

※①世界遺産「サン・テミリオン地域(フランス、1999年、文化遺産(iii)(iv)」

 ②世界遺産「ボルドー、リューヌ港(フランス、2007年、文化遺産(ii)(iv)」

 

ところがヘンリー2世の独善的な政治やジョンへの偏愛に対する不満などから、3人の息子は父を裏切り、フランス王ルイ7世に接近。

さらに愛息ジョンにも裏切られ、ヘンリー2世は失意のうちに最期を迎える。

 

ヘンリー2世の跡を継いだのは、そのジョン。

ここでフランス王フィリップ2世はアンジュー伯が保有するフランス領の没収を宣言し、ノルマンディー地方を除く領地を剥奪してブルターニュ公アーサーに与えた。

 

これに怒ったジョンはフランスに戦争を仕掛けるが、大陸のほとんどの諸侯はフィリップ2世の側につき、ジョンはノルマンディー地方さえ失ってしまう。

大幅に土地を失ったジョンは後日「失地王」という不名誉な名を与えられている。

世界遺産「カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院及び聖マーティン教会」のカンタベリー大聖堂
7世紀に建設されたイギリス初の修道院が起源といわれるカンタベリー大聖堂。16世紀にカトリックを離れ、英国国教会の総本山となった。世界遺産「カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院及び聖マーティン教会」構成資産

さらにジョンは、イングランドにおけるカトリックの拠点であり、のちにイギリス国教会の総本山となるカンタベリー大聖堂※の長であるカンタベリー大司教の後継者を巡って、教皇インノケンティウス3世と対立。

当時は教皇権の絶頂期にあり、教皇は1209年にジョンを破門。

さらにインノケンティウス3世はフランスにイングランド攻撃を打診する。

ジョンはイングランドを教皇に寄進し、教皇領にするという荒技でなんとか破門は解かれた。

※世界遺産「カンタベリー大聖堂、聖オーガスティン大修道院及び聖マーティン教会(イギリス、1988年、文化遺産(i)(ii)(vi))」

 

この頃フランスは、商業革命の中心であり毛織物業で栄えたフランドル伯が何かにつけて独立を匂わせるために、併合を狙って軍を進めていた。

フランドルは現在のオランダ・ベルギー・ルクセンブルク・フランス東部にあたる土地で、いわゆるベネルクスとほぼ重なっている。

フランク王国の分裂時に西フランク王国(のちのフランス王国)に所属したが、東フランク王国(のちの神聖ローマ帝国)との境にあって高度な自治が認められていた。

 

イングランドを打ち破り、勢力を拡大するフィリップ2世に対し、フランドル伯は神聖ローマ帝国と結んでこれに対抗。

イングランド王ジョンも参戦し、フランドル伯・神聖ローマ帝国と連合してフランスと戦った。

しかし1214年のブーヴィーヌの戦いで連合軍はフランス軍に大敗。

ジョンは失地回復に失敗し、フランスはフランドルの支配を確認、神聖ローマ皇帝オットー4世は追放された。

 

度重なる戦のために重税を課し、しかも敗戦続きで多くの領地を失ったジョンに対し、諸侯・騎士は協力してジョンに対抗。

1215年、諸侯は「王といえども法の下にある」ことを大憲章=マグナ・カルタによって確認し、課税をはじめとする重大な決定には諸侯や司教の承認が必要であることなどを了承させた。

マグナ・カルタは国王の権利を制限するものであり、現在のイギリス憲法を構成する法律のひとつとされている(イギリスには日本国憲法のようにひとつの憲法典は存在せず、マグナ・カルタをはじめとする多くの成文法や不文法が憲法を構成する)。 

世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院及び聖マーガレット教会」のウェストミンスター宮殿
チャールズ・バリー設計のネオ・ゴシック建築が美しいウェストミンスター宮殿。国王の居城だっただけでなく、模範議会もここに置かれた。ウェストミンスター・ホールには11世紀以来の議会跡が残っている。世界遺産「ウェストミンスター宮殿、ウェストミンスター寺院及び聖マーガレット教会」構成資産
世界遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」のビューマリス城
13世紀にエドワード1世が築いたビューマリス城。世界遺産「グウィネズのエドワード1世の城群と市壁群」構成資産 (C)Pam-Brophy

ジョンの跡を継いだヘンリー3世は、フランスとの戦いやウェストミンスター寺院の大改修を実施(ほぼ現在の姿が完成)。

その費用調達にマグナ・カルタを無視して重税を課したため、シモン・ド・モンフォールを中心とする諸侯・騎士は国王に対して挙兵。

反乱軍は勝利して、1265年にシモン・ド・モンフォール議会を開催してマグナ・カルタを承認させた。

 

続くエドワード1世は1295年に庶民代表を集めて議会を招集(模範議会)。

議会は定期的に招集されるようになり、エドワード3世の治世である1343年には貴族・聖職者からなる貴族院(上院)と、都市代表者からなる庶民員(下院)が設けられた。

これが貴族と市民からなる二院制の原型となる。


また、エドワード1世はウェールズ大公グリフィスを倒してウェールズを征服。

このときウェールズで生まれた息子がエドワード2世で、これを記念して「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号が与えられた。

現在でもイギリスの第一王位継承者である皇太子(現在でいえばチャールズ)がプリンス・オブ・ウェールズと呼ばれているが、これに由来する。

 

こうしてイングランドでは議会が成立して王権は弱体化していくが、この流れは百年戦争とバラ戦争によって変わることになる。

これらについては後述するが、少しフランス史を追いつかせよう。

世界遺産「パリのセーヌ河岸」登録のノートル・ダム大聖堂
12~13世紀に完成したフランス・ゴシックの傑作、パリのノートル・ダム大聖堂。ノートル・ダムはフランス語で「我が貴婦人」の意で、聖母マリアを意味する。カトリックの教会や聖堂にはこの名を冠するものが多い。世界遺産「パリのセーヌ河岸」構成資産

<フランス王国の王権>

 

フランスでは「19.民族大移動と西欧の形成」で書いた通り、987年にパリ伯であるユーグ・カペーがフランス王国を建てていた。

国王といっても伯爵にすぎないわけで、諸侯・貴族の代表ではあったがその勢力はパリ※周辺に限られていた。

※世界遺産「パリのセーヌ河岸(フランス、1991年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 

フランスの当面の脅威は北フランスに興ったノルマンディー公国だ。

しかもノルマンディー公がイングランド王に即位したことから、目の前に突如イングランド領が誕生。

さらにアンジュー伯・ヘンリー2世が即位すると、フランス北部と西部の多くがイングランド・アンジュー帝国に奪われてしまう。

 

ヘンリー2世が没し、ジョンがイングランド王に就くと、フィリップ2世はイングランドからノルマンディー以外の土地を収奪。

さらにフランドル・イングランド・神聖ローマ帝国連合軍を打ち破り、フランドルへの影響力を強めた。

 

フィリップ2世は1189年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、イングランド王リチャード1世とともに第三回十字軍を結成してもいる。

十字軍はアッコ①を攻略してエルサレム王国を再興して聖地エルサレム②に迫るが、複雑な関係を持つ3国だけに統率はとれずに苦戦。

結局エジプト・アイユーブ朝の英雄サラディン(サラーフッディーン、サラーフ=アッディーン)に敗れて攻略は失敗する。

十字軍については「21.東西教会の分裂と十字軍」参照。

※①世界遺産「アッコ旧市街(イスラエル、2001年、文化遺産(ii)(iii)(v))」

 ②世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請、1981年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」


[関連サイト]

聖地エルサレム

世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋」
世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋」の街並み。アルビジョワ十字軍の際にはルイ8世の軍に占領された。また1309~1377年には教皇庁がローマ(バチカン)からここに遷され、「教皇のバビロン捕囚」の舞台となった。奥の建物がアヴィニョン教皇庁

さらにルイ8世、ルイ9世の時代には教皇インノケンティウス3世の呼び掛けに応じ、フランス南部で信者を増やしていたキリスト教の異端・カタリ派(アルビジョワ派)に対するアルビジョワ十字軍に参加。

難攻不落の城郭都市カルカソンヌ①を落とすと、アルビ②、アヴィニョン③、そして最大の拠点トゥールーズ④を落とし、南フランスの諸侯・騎士を手なずけて王権を広げた。

※①世界遺産「歴史的城塞都市カルカソンヌ(フランス、1997年、文化遺産(ii)(iv))」

 ②世界遺産「アルビ司教都市(フランス、2010年、文化遺産(iv)(v))」

 ③世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋(フランス、1995年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ④世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(フランス、1998年、文化遺産(ii)(iv)(vi)」構成資産

 

王権が特に強まるのがフィリップ4世の時代だ。

フィリップ4世は対立が深まるイングランドとの戦費を調達するために、1302年に第一身分である大司教や司教、第二身分である諸侯・騎士、第三身分である都市民からなる三部会を開いて聖職者に対する課税を打診。

イングランドや神聖ローマ帝国で諸侯や騎士が国王や皇帝に反旗を翻したことを意識して、事前に了承を得てから課税に踏み切った。

 

聖職者への課税に反対した教皇ボニファティウス8世はフィリップ4世を破門するが、逆にイタリアのアナーニで捕らえられ、まもなく憤死してしまう(1303年、アナーニ事件)。

このあとフィリップ4世は息のかかったクレメンス5世を教皇に即位させ、1309年には教皇庁をローマから南フランスのアヴィニョン※に遷し、フランスの支配下に置いた(教皇のバビロン捕囚。アヴィニョン捕囚)。

この前後の話は「30.中世ヨーロッパの飛躍」参照。

※世界遺産「アヴィニョン歴史地区:教皇庁宮殿、司教関連建造物群及びアヴィニョン橋(フランス、1995年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

フィリップ4世の息子は3人いたのだが、その全員が病死。

カペー家の本家が断絶したため、王位は分家であるヴァロワ家が継ぎ、1328年にフィリップ6世が即位してヴァロワ朝がスタートした。

 

これに異議を唱えたのがイングランド王エドワード3世だ。

彼の母はフィリップ4世の娘イザベラであることから、王位継承権は自分にあると主張した。

 

この頃の両国の最大の争点はフランドル地方だった。

ガン(ヘント)、ブルージュ①、ブリュッセル②、アルトウェルペンといった都市を中心としたフランドルは毛織物業で栄えた北方商業圏の中心地。

イングランドは羊毛をフランドルに輸出することで栄えていたし、フランスは強い経済力を持つフランドルを支配下に置くことで国力を増していた。

フィリップ2世、フィリップ4世の時代にもフランスはフランドルの直接支配を試みるが、いずれも失敗。

イングランドはこれを阻止するためにフランドル側について戦っていた。

※①世界遺産「ブルージュ歴史地区(ベルギー、2000年、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 ②世界遺産「ブリュッセルのグランプラス(ベルギー、1998年、文化遺産(ii)(iv))」

 

[関連サイト]

ブルージュ歴史地区/ベルギー

ブリュッセルのグランプラス/ベルギー

 

こうして両国の対立は決定的になり、1339年、ついに百年戦争が勃発する。

世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」登録のシノン城
もともとはアンジュー伯の居城となっていたシノン城。フランスが領有するとシャルル7世などが本拠とした。百年戦争の際、ジャンヌ・ダルクがここを訪ねて以来、フランスの大攻勢がはじまった。世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」構成資産

<百年戦争とバラ戦争>

 

エドワード3世はフランドル伯・神聖ローマ帝国と結んでフランスへ侵攻。

イングランドはエドワード黒太子のすぐれた戦略や、フランスの弩(いしゆみ)の数倍の連射能力を持つ長弓を駆使して戦いを優位に進め、1340年のスロイスの海戦、1346年のクレシーの戦い、1356年のポワティエの戦いで大勝。

ポワティエの戦いではフィリップ6世の跡を継いだフランス王ジャン2世を捕縛した。

ジャン2世は捕虜のままロンドンで死去し、シャルル5世がその跡を継いだ。

 

イングランドはフランス本土で戦い、その土地を荒らす焦土作戦を展開。

街を破壊して村を焼きながら進軍した。

さらにこの頃ヨーロッパでペストが大流行。

加えて重税を課したため農民一揆も頻発し、1358年にはフランスでジャックリーの乱、1381年にはイングランドでワットタイラーの乱が勃発した。

 

百年戦争といっても百年戦い続けていたわけではなく、戦っては休戦の繰り返し。

休戦の間に戦費を調達したが、傭兵たちは休戦の間稼ぎがないためフランスの地方を略奪して回った。

焦土作戦・ペスト・一揆・略奪によってフランスの国土は荒廃し、諸侯や貴族は没落した。

 

イングランドでは1380年にエドワード3世が死去。

リチャード2世が継いだが、議会を軽視し、フランスに対して弱気な態度をとったため議会と主戦派の反感を招き、1399年に逮捕。

ロンドン塔※に幽閉されたのち廃位となり、ヘンリー4世のランカスター朝が興り、その死後ヘンリー5世が跡を継いだ。

※世界遺産「ロンドン塔(イギリス、1988年、文化遺産(ii)(iv))」

 

[関連サイト]

ロンドン塔/イギリス

ロンドン塔とタワー・ブリッジ
世界遺産「ロンドン塔」とタワー・ブリッジ。ロンドン塔は当初城壁を備えた宮殿として建築されたが、宮殿がウェストミンスターに移されると牢獄や動物園として利用された。リチャード2世やバラ戦争のヘンリー6世、クロムウェルなどが幽閉されている

ヘンリー5世は主戦派でフランス王位を要求し、ノルマンディーに上陸。

1415年にアジャンクールの戦いで大勝し、ノルマンディーを奪取。

1420年にはトロワ条約を結んでフランス北部の多くの土地を手に入れた。

 

また、ヘンリー5世はシャルル6世の娘カトリーヌと結婚し、その子をフランスの皇太子(第一王位継承者)とすることを約束させた。

1422年にヘンリー5世とシャルル6世が死去すると、イングランドは国王として生まれたばかりのヘンリー6世を立て、約束通りフランス王にも即位させた。

 

こうしてイングランド・フランス二重王国が誕生。

元フランス皇太子シャルル7世はこれに反対して王位就任を宣言して対抗したが、フランスの命運はほぼ尽きたかに思われた。


ここで登場するのがジャンヌ・ダルクだ。

下はリュック・ベッソン監督、ミラ・ジョボヴィッチ主演『ジャンヌ・ダルク』予告編。

ドミニク・アングル『シャルル7世の戴冠式のジャンヌ・ダルク』1851-54年、ルーヴル美術館
ドミニク・アングル『シャルル7世の戴冠式のジャンヌ・ダルク』1851-54年、ルーヴル美術館

農家の家に生まれたジャンヌ・ダルクは12歳の頃「イングランドを倒し、フランスを助けよ」という神の声を聞く。

1429年、彼女はロワール渓谷のシノン城※でシャルル7世に面会すると、軍を授かってフランス最後の拠点オルレアンへ進軍。

オルレアンはイングランド軍の包囲を受けていたが、これを打ち破って解放した。

※世界遺産「シュリー・シュル・ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷(フランス、1981年、2000年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 

フランスはこれで勢いを盛り返し、同年にパテーの戦いに勝利して勢力を回復。

シャルル7世はランスのノートル・ダム大聖堂で戴冠式を行い、フランス王に就任した。

※世界遺産「ランスのノートル・ダム大聖堂、サン・レミ旧大修道院及びトー宮殿(フランス、1991年、文化遺産(i)(ii)(vi))」

 

しかしながらジャンヌ・ダルクは翌年1430年にイングランド軍に捕らえられてしまう。

シャルル7世はジャンヌ・ダルクの解放を要求せず、戦って助け出すこともしなかったといわれ、非難を浴びた。

ジャンヌ・ダルクは宗教裁判(異端審問)にかけられたが審問官の質問をことごとくかわし、異端の証拠は出なかったが、結局1431年に男装の罪で火刑に処せられた。

なお、百年戦争終結後に彼女の無罪が確認され、20世紀に入って聖人に列せられている。

 

このあとシャルル7世はパリを中心としたイル・ド・フランスやノルマンディーを奪回し、イングランドを駆逐。

1453年にカスティヨンの戦いに勝利して、百年戦争は幕を閉じる。

 

フランスでは戦争による荒廃で諸侯や騎士といった地方政権が没落し、変わって商人を中心とした都市が台頭。

国王は国に税を納めることで都市の独立を認めたため地方政権はさらに弱体化し、国は有力な財源を得て中央集権化を進めた。 

一方のイングランドは混乱を極めていた。

百年戦争において、ランカスター朝・ヘンリー5世の時代まで、イングランドはフランスに対して圧倒的優位に立っていた。

しかし1429年以降形勢は逆転し、赤バラを紋章に持つ和平派・ランカスター家と、白バラを紋章に掲げる主戦派・ヨーク家が対立を深めていた。

そして1453年の敗戦を機に責任問題に発展し、1455年に両家はとうとう戦闘を開始。

国土を二分し、血で血を洗う凄惨な戦争へと発展する。

 

度重なる内乱で王位は右に左に動くが、結局ランカスター家の血を引くテューダー家のヘンリー7世が即位してヨーク家の娘と結婚。

両家の妥協が成立し、テューダー朝が誕生して戦争は終結した。

百年戦争・バラ戦争を通じ、イングランドにおいても諸侯や貴族は没落し、国と都市の権威が増した。


なお、これ以後のフランス絶対王政期については「世界遺産と世界史37.絶対王政」で紹介する。

 


次回は神聖ローマ帝国、スイス、スペインの動きを解説する。

 


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ぼくがこれまで撮影してきた写真を掲載していこうと思います。

 →世界遺産写真館

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フランス・ブルボン家のベルサイユ宮殿に対抗して、オーストリア・ハプスブルク家が贅と粋を尽くした世界遺産「シェーンブルン宮殿と庭園群」。クリックで外部記事へ。
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イギリスでもっとも歴史のある石造城塞であり、多くの囚人を収容した監獄兼処刑場で、世界一有名な幽霊屋敷でもある「ロンドン塔」。クリックで外部記事へ

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 なぜLCCが世界を席巻?

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 なぜシンガポールは豊かなのか?

 なぜ米国は銃規制できないか?

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15.東南&東アジア,アフリカの古代

16.南北アメリカ大陸の古代文明

17.共和政ローマと帝政ローマ

18.ローマの平和、そして分裂へ

19.民族大移動と西欧の形成

20.東欧の形成とビザンツ帝国

21.東西教会の分裂と十字軍

22.イスラム教とペルシア・アラブ

23.イスラム帝国の分裂

24.イスラムの拡散-インド,アジア

25.アフリカの交易とイスラム教

26.隋・唐・宋の時代

27.北方騎馬民族とその周辺

28.モンゴル帝国の世界征服

29.オスマン,サファヴィー,ムガル

30.中世ヨーロッパの飛躍

31.修道院とロマネスク&ゴシック

32.イギリス・フランスと百年戦争

33.ハプスブルク家とレコンキスタ

34.大航海時代

35.ルネサンス

36.宗教改革

37.絶対王政とオランダの台頭

38.三十年戦争とイギリス革命

39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア

40.明と清の繁栄

41.東・東南アジアの植民前史

42.産業革命とアメリカ独立革命

43.フランス革命とナポレオン

44.ウィーン体制と七月・二月革命

45.イタリアとドイツの成立

46.帝国主義と米英仏

47.アジアの衰退・植民地化

48.清、朝鮮、江戸の開国・滅亡

49.世界分割

50.第一次世界大戦

51.ファシズムと世界恐慌

52.第二次世界大戦

 

<世界遺産写真館>

1.文化交差路サマルカンド1

2.文化交差路サマルカンド2

3.アッパー・スヴァネティ

4.グラナダのアルハンブラ宮殿1

5.グラナダのアルハンブラ宮殿2

6.コトル

7.プレアヴィヒア寺院

8.福建の土楼1

9.福建の土楼2

10.フォンニャ-ケバン国立公園1

11.フォンニャ-ケバン国立公園2

12.カタルーニャ堂とサンパウ病院1

13.カタルーニャ堂とサンパウ病院2

14.オフリド地域1

15.オフリド地域2

16.古都京都の文化財1

17.古都京都の文化財2

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