世界遺産と世界史22.イスラム教の成立とペルシア・アラブ

メッカのマスジド・ハラームとカーバ神殿
イスラム教最高の聖地、サウジアラビア・メッカのマスジド・ハラーム(ハラーム・モスク。世界遺産ではない)。イスラム教徒以外のメッカとメディナへの立ち入りは厳しく制限されており、まして異教徒がこのモスクに立ち入ることは許されない。中央奥にある黒い四角がカーバ神殿

1971年、イラン・パーレヴィー朝のムハンマド・レザー・パーレヴィー国王は、ペルセポリス※でイラン建国2,500年祭を祝った。

これは、アケメネス朝こそこの地を支配するペルシア人の正当な起源であることをアピールしたもので、ペルシアの誇りの宣言だった。

(ただし、現在ペルシア人はイランの人口の約半分程度にすぎない)

※世界遺産「ペルセポリス(イラン、1979年、文化遺産(i)(iii)(vi))」

 

「西アジア」「中東」というと「アラブ人」を思い浮かべる人が多いが、イランはペルシア人(イラン人)、イスラエルはユダヤ人、トルコはトルコ人、パキスタンはパンジャーブ人が主要構成民族となっている。

それ以外の多くの中東・西アジア諸国は「アラブ世界」と呼ばれ、いずれの国も多民族国家ではあるものの主要構成民族はアラブ人だ。


ちなみに、「西アジア」はアジア西部、イランやアフガニスタン辺りからアラビア半島、トルコ、イスラエル、レバノンまでを示すことが多い。

「中東」という場合は西アジアに加えてパキスタンやエジプトが加わり、スーダンやリビア、モロッコなど北アフリカのイスラム諸国が加わることもある。

「アラブ世界」「アラブ諸国」は政治的にはアラブ連盟加盟国を指すことが多いが、地理的には中東から非アラブ人国家、つまりパキスタンやイラン、トルコ、イスラエルといった国々を除いた地域を示す。

 

こうした地域ではイスラエルを除くほとんどの国がイスラム教を奉じている。

ヨーロッパに盛んに修道院や教会が建築され、キリスト教文化が浸透していく時代に、西アジア・中東・アラブ世界ではイスラム教が誕生し、拡大していく。

 

[関連サイト]

 ペルセポリス/イラン

* * *

まずイラン周辺から眺めていこう。


ローマ帝国のライバルとして覇を競い合ったペルシア人国家パルティア。

パルティアはシルクロード※を抑えて大いに栄えたが、ローマとの戦いで疲弊し、226年に同じペルシア人アルダシール1世が建てたササン朝ペルシアによって滅ぼされてしまう。

※世界遺産「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網(カザフスタン/キルギス/中国共通、2014年、文化遺産(ii)(iii)(v)(vi))」。他にウズベキスタン/タジキスタンの世界遺産暫定リスト記載


ササン朝が目指したのはアケメネス朝が築いたペルシア帝国の再興。

ゾロアスター教を奉じ、諸王の王(シャー。皇帝)を名乗り、遠征を繰り返して3世紀半ばにはメソポタミア一帯を支配下に収める。

イランのナクシュ・ロスタム
ダレイオス1世をはじめアケメネス朝4人の王墓が並ぶイランのナクシュ・ロスタム

ローマ帝国と戦争を繰り返すのはパルティア時代と同様だ。

第2代皇帝シャープール1世はローマ皇帝ウァレリアヌス率いるローマ軍と対峙し、260年、ウァレリアヌスを捕らえることに成功する(エデッサの戦い)。

これによりローマ帝国の影響力は大幅に減退し、一方ササン朝は西アジアで大きくその名を高めることとなる。

エデッサの戦いの様子はペルセポリス近くにある王家の谷ナクシュ・ロスタム①のレリーフに刻まれている。


その後、都市国家パルミラ②に破れて西方への進出は阻まれるが、東方ではクシャーナ朝を破ってインダス川から中央アジアにまで版図を広げた。

※①イランの世界遺産暫定リスト記載

 ②世界遺産「パルミラの遺跡(シリア、1980年、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 

5世紀には黒海やカスピ海の北に興ったフン帝国と国境を接するが、同盟に成功。

その東、中央アジアにエフタルが建国されると、時の皇帝ホスロー1世は突厥(とっけつ)と結んでこれを滅亡に導いた。

ホスロー1世は皇帝ユスティニアヌスが治めるビザンツ帝国(東ローマ帝国)に攻め込み、打ち破ったのちに休戦協定を締結。

東西が安定したこの時代はササン朝の最盛期といわれている。

デルベントのイスラム墓地
デルベントのイスラム墓地。デルベントはササン朝、ウマイヤ朝、アッバース朝、モンゴル帝国、サファヴィー朝、オスマン帝国、ロシア帝国等々、多数の国家の支配を受けた多文化融合都市

ホスロー1世は多くの城塞を整備し、街を建設した。

世界遺産に登録されているものとしては「デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群(ロシア、2003年、文化遺産(iii)(iv))」が挙げられる。

また、ゾロアスター教の聖地である世界遺産「タフテ・スレマーン(イラン、2003年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」はこの頃多くの信者を集めて繁栄した。

ササン朝時代のすぐれた水利システムには「シューシュタルの歴史的水利施設(イラン、2009年、文化遺産(i)(ii)(v))」があり、美しい水上都市を築き上げた。

この頃建設がはじまったイラン東部の城塞が「バムとその文化的景観(イラン、2004年、2007年拡大、文化遺産(ii)(iii)(iv)(v)」のアルゲ・バムだ。

 

ホスロー2世が治めた7世紀初頭、ササン朝はエジプトや小アジアを攻略し、一時はビザンツ帝国の首都コンスタンティノープル※を包囲する。

一連の戦争で領土は広がったものの、相次ぐ戦争と西のビザンツ・東の突厥の圧力もあってササン朝は次第に疲弊。

やがて内乱が起きて軍は撤退し、ホスロー2世は暗殺されてしまう。

※世界遺産「イスタンブール歴史地域(トルコ、1985年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」

 

7世紀半ばにアラビア半島でイスラム教が成立すると、イスラム教を奉じるアラブ人たちが連合してササン朝に侵入。

642年のニハーヴァンドの戦いで大敗を喫すると、アラブ人の侵入は歯止めが利かなくなり、652年にササン朝は滅亡する。

 

[関連サイト]

 パルミラの遺跡/シリア

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メディナ、預言者のモスク
イスラム教第二の聖地、メディナの「預言者のモスク」(世界遺産ではない)。ムハンマドが622年に建てた最古のモスクだが、現在の建物は15世紀に再建され、数々の修復を受けたもの。ムハンマドの墓が収められている
コーラン
神の言葉をそのまま記したとされる『コーラン』の一節

イスラム教の成立を見てみよう。

 

まずは一神教という概念について。
一神教にもいろいろあって、大きく分けると以下のような区分がある。

  • 唯一神教:世界にはただひとつの神しか存在しない
  • 拝一神教:世界には複数の神が存在し、その中でひとつの神だけを崇拝する
  • 単一神教:世界には複数の神が存在し、主神を中心に複数の神を崇拝する

 

しかし、一神教と多神教の区別はそう簡単ではない。

神が姿を変えて現れる「化身(けしん)」という概念を使えば、多神教のように見えても唯一神教になりえてしまう。


たとえばキリスト教やイスラム教は唯一神教とされるが、イエスや聖母マリア、天使ミカエルやガブリエルをはじめ数多くの神、あるいは神に準じる存在が登場する(解釈は教派によって異なる)。

シヴァ・ブラフマー・ビシュヌの三大主神を筆頭に無数の神々が存在するヒンドゥー教の場合でも、すべてをシヴァの化身と考える教派もあって、この解釈によるとヒンドゥー教は唯一神教ということになる。

神道の場合も同様で、天照大神(あまてらすおおみかみ)やイザナギ、イザナミが登場する以前、高天原(たかまのはら。天)には天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)という最高神がいて、この神から八百万(やおよろず)の神々が派生したとも考えられる。


「生物の起源は神々である」と考えると、今度は「神々の起源は神の神である」と考えざるをえない。

最初の原因、原因の原因を追究していくと、ただひとつの原因に行き着かざるをえないわけで……

個人的には「一」と「多」を巡る問題はいずれも人間の思考の問題であると考える。


また、この「神」という概念が難しい。

多くの人は神=人間の偉くなったようなもの=人格神を想像するが、そもそも神は人間の思考の領域外の存在であるから、「人間らしい」とかなんとか言えるはずがない。

というのは、思考=言葉なので、言葉にできるのであればそれは思考外の存在ではない。

つまり神ではない。


アリストテレス的に言うならば、神はすべての物質の原因であり(質料因=家の場合なら木材やそれを構成する素粒子)、すべての形相の原因であり(形相因=家というものの形や概念)、すべての作用の原因であり(作用因=作用が生まれる方法・家を建てる方法)、すべての目的の原因(目的因=家がもたらす効果・建てた理由)で、それ以上言葉にできないものだ。

「神は○○である」と言葉にできるのであれば、「神が○○である理由」が問えるわけで、その理由こそがより深い原因=神に近いものになるからだ。

 

そして神が「原因の原因」を表す概念であるならば、唯一神は宗教・宗派を問わずすべて同じもの、ということになる。 

言葉にできない究極の原因を神とするならば、宗教・宗派の違いに意味はない。

 

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、いずれの神にも固有名詞がない。

ヤハウェやアッラーは神の名ではなく、神という概念を示す言葉だ。

神に固有名詞をつけない理由、偶像崇拝を禁じる理由……

それはきっとこうした理由によるのだろうと思う。

 

[関連記事]

ウソだ!11:神とは何か? 前編 <一神教と多神教>

 

* * *

エルサレム、岩のドーム
イスラム教第三の聖地、エルサレムの「岩のドーム」。伝説によると、ムハンマドはある夜天使ジブリルに導かれ、天馬ブラークに乗ってカーバ神殿を飛び立ち、この場に降り立った。そして光のはしごを登り、神に謁見したという。聖なる岩にはムハンマドの足跡が穿たれている
イスラム教の至宝カーバ
マスジド・ハラームのカーバ(黒い建物)。ここにイスラム教の至宝、カーバの黒石が収められている

ともかく。

西アジアでは神に関するさまざまな概念・伝説があったが、これらをヘブライ人の唯一神教のもとにまとめて編纂したのが『旧約聖書』だ。

唯一神の考え方自体はいずれも同じだし、同じ西アジアで暮らす者同士、アラブ人もユダヤ教の唯一神の考え方や『旧約聖書』には大きな影響を受けていた。


神から啓示を受けた者を「預言者」という(未来を予知する「予言」とは異なる)。

イスラム教では『旧約聖書』に登場するノア、アブラハム、モーセや、『新約聖書』のイエスをはじめとする聖職者たちを、神々と交流を行った預言者と位置づけている。

そして、最後の預言者とされるのがムハンマド(マホメット)だ。


610年、メッカ郊外のヒラー山で瞑想を行っていたムハンマドのもとに大天使ジブリル(ガブリエル)が現れて、唯一神(アッラー)の啓示を授ける。

ムハンマドは文字を書くことができなかったので神の言葉は口頭で伝えられ、その一部が後日、彼の話を聞いた他のアラブ人によって文書化された。

 

7世紀半ば、口伝やこうした文書を1冊にまとめて『コーラン』が完成する。

天使ジブリルはムハンマドが理解できるアラビア語で啓示を伝えたとされている。

そのため『コーラン』はムハンマドが考えた言葉ではなく、そのまま「神の言葉」ということになる。

イスラム教徒は母国語でなくてもアラビア語を学習するものなのだが、それは神の言葉を直接読むことができるようになるためだ。

礼拝(サラート)の呼び掛け、アザーン。イスラム教の街ではモスクのミナレット(塔)から毎日5回、このアザーンが街中に流される

 

サウジアラビア国旗
イスラム教の五行のひとつ、信仰告白(シャハーダ「アッラーは唯一にしてムハンマドはアッラーの使徒なり」)をデザイン化したサウジアラビア国旗。砂漠が多い中東では緑が神聖視され、ムハンマドのターバンも緑色だったようだ

こうしてムハンマドを「最後の預言者」とすることでこれ以上の預言者の登場を防ぎ、『コーラン』を神の言葉とすることで他の聖典よりも上位に位置づけた。

 

この新興宗教に対してメッカの人々が迫害を行ったため、622年、ムハンマドはメッカからメディナに移住する。

これをヒジュラと呼び、イスラム教国ではヒジュラを行った622年7月16日を紀元とした太陰暦=ヒジュラ暦を採用している。

 

メディナの地でムハンマドはイスラム共同体ウンマを編成し、ウンマを中心に信者の輪を広げていく。

力を蓄えると、630年にはメッカを攻略してカーバ神殿を奪取。

天から降ってきたという聖なる黒石を除いて神々の像を破壊し、カーバ神殿を取り囲むマスジド・ハラームをイスラム教最高のモスクとして整備した。

 

これ以降、カーバ神殿の方角に向かって1日5回行う礼拝=サラート、少なくとも生涯一度はカーバ神殿を訪ねる巡礼=ハッジをはじめ、イスラム教徒が行う五大義務は五行として整備された。

 

イスラム教徒にとって最大の義務を六信五行という。

六信は神・天使・啓典・預言者・来世・使命に対する信仰を、五行は信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼を示す。

ウマイヤ朝の版図の推移


ウマイヤ朝最大版図(8世紀)
8世紀、ウマイヤ朝最大版図。アッバース朝の最盛期もほぼ同程度を支配下に収めた

632年にムハンマドが没すると、イスラム教の下に結集したアラブ人たちは「カリフ」と呼ばれる預言者の代理人・イスラム教指導者を掲げて結集する。

カリフは教主と訳され、役割としてはカトリックの教皇、正教会の総主教に近い。

のちの時代になるとカリフが支配者=スルタンを使命するようになるが、これは教皇-皇帝あるいは国王の関係に近い。

初代カリフがアブー・バクル、第2代がウマル、第3代がウスマーン、そして第4代がアリーだ。

 

こうして立場を固めたアラブ人は積極的に外征に漕ぎ出す。

まずは西のシリア、エジプトを占領すると、続いて東のペルシア人国家ササン朝を攻撃。

642年のニハーヴァンドの戦いに勝利するとササン朝は瓦解し、652年に滅亡する。


ムハンマド以降は後継者争いが絶えず、第2~3代カリフはいずれも暗殺。

特に、第3代のウスマーンはウマイヤ家の出身だったが、ウスマーンが暗殺されてムハンマドの血を引くアリーが第4代を継ぐと、ウマイヤ家のシリア総督ムアーウィヤが強く反発して戦争を開始。

アリーはムアーウィヤを追い詰めるが、あと一歩のところで和議を結ぶ。

しかし、この混乱を見たハワーリジュ派という一派がアリーとムアーウィヤ両者の暗殺を企て、アリーの暗殺に成功する。

 

第5代カリフに就いたのはムアーウィヤ。

661年、ムアーウィヤは拠点をダマスカス※に定め、カリフの世襲を開始する。

アリーまでの時代を正統カリフ時代と呼び、ウマイヤ家が世襲するイスラム国家をウマイヤ朝という。

ウマイヤ朝はアラブ人主導であったため、アラブ帝国と呼ばれることもある。

※世界遺産「古都ダマスカス(シリア、1979年、2011年拡大、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」

 

ムハンマドは7人の子供を残していたが、末娘のファーティマを除いて亡くなっていた。

アリーは第1~3代カリフと異なり、ムハンマドの父方の従弟で、ファーティマと結婚をしており、ムハンマドと同じ血を持つ者。

アリーとファーティマの子孫、つまりムハンマドの血縁者のみを指導者=イマームとして認める派閥をアリーの党派=アリー・シーアと呼ぶ。シーア派だ。

 

イマームはムハンマドのように神から直接啓示を受けてはいないが、その無謬性(誤ることがないこと)が認められており、それゆえ指導者にふさわしいと考えられた。

彼らはアリー以外のカリフを認めず、アリーとファーティマの血を引くハサンやフサインをイマームに立ててシーア派を形成した。

しかしウマイヤ朝はこれを弾圧し、アリーの息子フサインは680年のカルバラーの戦いに敗れて戦死。

シーア派はこれ以後も第12代までイマームを立て、少数派ながらイランやイラク、レバノン、イエメン、バーレーンなどを中心に信仰されていくことになる。

 

ウマイヤ朝の最盛期を築いたのが第5代カリフのアブド・アルマリクとその息子で第6代カリフのワリード1世だ。

アブド・アルマリクは中央アジアのソグディアナやパキスタン南部のシンド、北アフリカのモロッコに進出し、691年にはエルサレム①に岩のドームとアル・アクサ・モスク(銀のドーム)を建設。

ワリード1世はさらにインド北部やイベリア半島の西ゴート王国を攻略して最大版図を築いた。

温泉離宮アムラ城②やダマスカスのウマイヤド・モスク、保養都市アンジャル③はワリード1世による建設だ。

※①世界遺産「エルサレムの旧市街とその城壁群(ヨルダン申請、1981年、文化遺産(ii)(iii)(vi))」

 ②世界遺産「アムラ城(ヨルダン、1985年、文化遺産(i)(iii)(iv)」

 ③世界遺産「アンジャル(レバノン、1984年、文化遺産(iii)(iv))」

 

なお、西ゴート王国は711年に滅亡したが、貴族ペラーヨが反乱を起こしてアストゥリアス王国(首都カンガス・デ・オニス、のちにオビエド①)を建国し、イスラム教勢力に対するキリスト教勢力の国土回復運動レコンキスタが開始されている。

アルフォンソ2世の時代にサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂②が建設され、巡礼地③として祀られただけでなく、キリスト教勢力が精神的に結集した。

アストゥリアス王国は10世紀はじめに首都をレオンに遷し、レオン王国となっている。

※①世界遺産「オビエド歴史地区とアストゥリアス王国の建造物群(スペイン、1985年、1998年拡大、文化遺産(i)(ii)(iv))」

 ②世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラ[旧市街](スペイン、1985年、文化遺産(i)(ii)(vi))」

 ③世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミーノ・フランセスとスペイン北部の巡礼路群(フランス、1993年、2015年拡大、文化遺産(ii)(iv)(vi))」

 

広大な領域を支配したウマイヤ朝だったが、アラブ人を優遇し、他民族にのみ地租(ハラージュ)や人頭税(ジズヤ)等を課したため、各地で不満が鬱積。

また、ウマイヤ朝のカリフ就任を否定するシーア派をはじめ、イスラム教徒の中にも反ウマイヤ家を掲げる派閥も多く、次第に求心力を失っていった。

 

[関連サイト]

聖地エルサレム

ダマスカスのウマイヤド・モスク
イスラム教第四の聖地、ダマスカスのウマイヤド・モスク。もともとローマ最高神ユピテルを祀るユピテル神殿で、4世紀にそれをローマ皇帝テオドシウス1世が洗礼者ヨハネの聖堂に改修し、それをワリード1世がモスクへと建て替えた。現存最古のモスクといわれる
カイルアンの大モスク
世界遺産「カイルアン(チュニジア、1988年、文化遺産(i)(ii)(iii)(v)(vi))」登録の大モスク。ウマイヤ朝の対ビザンツ駐屯地として発展し、9世紀にはアグラブ朝の首都として繁栄した。世界遺産「チュニス旧市街(チュニジア、1979年、文化遺産(ii)(iii)(v))」もウマイヤ朝の建造

732年にイベリア半島からフランク王国へ侵入したものの、トゥール・ポワティエ間の戦いに敗北。

この頃からムハンマドの叔父の血を引くアッバース家がシーア派と手を組み、反ウマイヤ家で結集。

750年、アブー・アル・アッバースがカリフに推挙され、アッバース朝を打ち立てた。

アッバース朝の成立はアッバース革命といわれるように、イスラム教の転回点となった。

 

まず、アラブ人の特権を否定し、すべてのイスラム教徒に対して『コーラン』の下の平等を実現した。

またシーア派と異なり、アリー以外の第1~3代のカリフも正統カリフとして認めた。

そしてこれまでの慣行=スンナやイスラム社会の多数派による合意事項を重視する民主的な思想を標榜した。

こうした思想はシーア派に対してスンニ派と呼ばれる。


こうしてウマイヤ朝=アラブ帝国はイスラム教の下に再編され、人種間の差別の少ないアッバース朝=イスラム帝国に引き継がれた。


751年には高仙芝を中心とした唐の軍勢が迫り来るが、アッバース朝はこれをタラス河畔の戦いで撃破。

これを機に製紙法が西アジアに伝わり、やがてヨーロッパへ伝播したことが知られているが、製紙法のみならず中国・中央アジアの種々の文明はもちろん、インド、ヨーロッパ、北アフリカの文明が集結し、アッバース朝は世界最先端の文明を築くに至る。

その一例が学問で、古代ギリシアの哲学や数学はアッバース朝の時代に盛んに研究され、その成果がやがて東方貿易(レヴァント貿易)を通して西ヨーロッパに逆輸入され、14世紀にはじまるルネサンス(文芸復興)の一因となる。

 

8世紀半ばにはアブー・アル・アッバースの跡を継いだマンスールが「神の都」バグダード※を建設。

バグダードは世界最大の都市に成長する。

アッバース朝最盛期といわれるのが第5代カリフ、ハールーン・アッラシードの時代で、ビザンツ帝国を果敢に攻撃して勝利を収めた。

※イラクの世界遺産暫定リスト記載

 

アッバース朝下ではバグダードをはじめ、各地でモスクやマドラサを中心とした華やかなイスラム都市が建設されていた。

そのひとつが学術都市ザビード※で、アル・アシャエル・モスクのマドラサはアラビア半島の学問の中心として繁栄し、「イエメンのバグダード」といわれるほどの繁栄を築いた。

※世界遺産「古都ザビード(イエメン、1993年、文化遺産(ii)(iv)(vi))

 

次回はイスラム帝国の分裂を紹介する。

 


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『朝日新聞 世界の扉』記事執筆。『地球の歩き方 MOOK 世界のビーチBEST100』『ノジュール』に旅のスペシャリスト・達人として参加。『PEN』でアフリカの世界遺産執筆。『MONOQLO』世界遺産特集取材協力。『女性セブン』で日本の世界遺産を解説。エクスナレッジ『聖地建築巡礼 世界遺産から現代建築まで、73の聖地を巡る旅』、洋泉社ムック『負の世界遺産』執筆。RKBラジオ、FM TOKYOで世界遺産特集出演。その他企業・大学広報誌等。

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.古代エジプトの繁栄

.インダス文明と古代インド

10.長江・黄河文明と古代中国

11.欧州巨石文化とエーゲ文明

12.古代ギリシアの繁栄

13.アレクサンドロスとヘレニズム

14.シルクロードとクシャーナ&漢

15.東南&東アジア,アフリカの古代

16.南北アメリカ大陸の古代文明

17.共和政ローマと帝政ローマ

18.ローマの平和、そして分裂へ

19.民族大移動と西欧の形成

20.東欧の形成とビザンツ帝国

21.東西教会の分裂と十字軍

22.イスラム教とペルシア・アラブ

23.イスラム帝国の分裂

24.イスラムの拡散-インド,アジア

25.アフリカの交易とイスラム教

26.隋・唐・宋の時代

27.北方騎馬民族とその周辺

28.モンゴル帝国の世界征服

29.オスマン,サファヴィー,ムガル

30.中世ヨーロッパの飛躍

31.修道院とロマネスク&ゴシック

32.イギリス・フランスと百年戦争

33.ハプスブルク家とレコンキスタ

34.大航海時代

35.ルネサンス

36.宗教改革

37.絶対王政とオランダの台頭

38.三十年戦争とイギリス革命

39.啓蒙思想とプロイセン、ロシア

40.明と清の繁栄

41.東・東南アジアの植民前史

42.産業革命とアメリカ独立革命

43.フランス革命とナポレオン

44.ウィーン体制と七月・二月革命

45.イタリアとドイツの成立

46.帝国主義と米英仏

47.アジアの衰退・植民地化

48.清、朝鮮、江戸の開国・滅亡

49.世界分割

50.第一次世界大戦

51.ファシズムと世界恐慌

52.第二次世界大戦

 

<世界遺産写真館>

1.文化交差路サマルカンド1

2.文化交差路サマルカンド2

3.アッパー・スヴァネティ

4.グラナダのアルハンブラ宮殿1

5.グラナダのアルハンブラ宮殿2

6.コトル

7.プレアヴィヒア寺院

8.福建の土楼1

9.福建の土楼2

10.フォンニャ-ケバン国立公園1

11.フォンニャ-ケバン国立公園2

12.カタルーニャ堂とサンパウ病院1

13.カタルーニャ堂とサンパウ病院2

14.オフリド地域1

15.オフリド地域2

16.古都京都の文化財1

17.古都京都の文化財2

18.アントニオ・ガウディ作品群1

19.アントニオ・ガウディ作品群2

20.アンコール1

21.アンコール2

22.アンコール3

 

<世界遺産攻略法>

1.世界遺産検定攻略の理念と背景

2.世界遺産検定の概要

3.試験戦略の一般論

4.試験戦略の理念

5.世界遺産検定の受検戦略

6.試験勉強の3要素

7.世界遺産検定 最効率学習法

8.時事問題・世界史・検定講座

9.マイスター試験の概要

10.マイスター試験問1・2対策

11.マイスター試験問3対策

12.マイスター試験時間術&解答術

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