世界遺産と世界史13.アレクサンドロスとヘレニズム時代

アレクサンドロス3世(アレキサンダー。以下、アレクサンドロス)の伝説は無数に伝わっている。
頭に二本の角を持ち、剛力無双。
人間を食べ、誰も乗りこなせなかった名馬ブケパロスを従わせると、派手な甲冑に身をまとって自ら敵陣に突っ込んでいく。
カイロネイアの戦いでも自ら精鋭部隊を率いてアテネ・テーベ連合軍溢れる中に突撃し、敵を蹴散らしたという。
アレクサンドロスはこのように絶大な行動力とカリスマ性をもってギリシアをまとめ上げ、紀元前334年、約4万の兵を率いてついにペルシア討伐に乗り出した。
彼が率いた精鋭のうち、特徴的なのが重装歩兵ファランクスと重装騎兵ヘタイロイだ。
ファランクスはサリッサと呼ばれる5mを超えるような長槍を持ち、これを一斉に敵に向けることで針の山のような防御壁を作って陣を進めた。
さらにその周囲をサリッサを持ったヘタイロイが馬に乗って敵の急所に突撃し、敵陣を打ち破った。
こうした戦術はギリシアの重装歩兵を進化させたもので、のちにローマに引き継がれてローマ帝国の地中海征服にも貢献した。
↓がアレクサンドロスの時代のファランクスだ。
紀元前334年。
ダーダネルス海峡を渡ってアジアに入り、グラニコス川を挟んでペルシア軍と対峙する(グラニコス河畔の戦い)。
アレクサンドロスはつかつか前に出ると槍を投げ、敵の将軍ミトリダテスをあっさり討ち取ってしまう。
勢いに乗るマケドニア軍はペルシア軍を蹴散らし、進軍を再開する。
紀元前333年。
ペルシア王ダレイオス3世は自ら10万~50万ほどの兵を率い、現在のトルコ・シリア国境にほど近いイッソスで迎え撃つ(イッソスの戦い)。
ペルシア軍は圧倒的数的優位にあったが、王自ら攻め立ててくる重装歩兵の攻撃を受けきれずに敗退。
ダレイオス3世は母や妻子を見捨てて逃げ去ってしまう。
アレクサンドロスは彼女らを捕らえたが、丁重にもてなしたという。
マケドニア軍は一旦進路を南に取り、フェニキア、エジプトを攻略する。
ティルス①など強く抵抗した都市もあったが、反ペルシア感情も強く、比較的簡単に落とせたらしい。
このとき造ったのがエジプトのギリシア植民市アレクサンドリア②だ。
といっても植民市は世界中に建築しており、その数は50を超える。
※①世界遺産「ティルス(レバノン、1984年、文化遺産(iii)(vi))」
②エジプトの世界遺産暫定リスト記載

紀元前331年。
アレクサンドロスは再び西へ兵を進めると、ガウガメラでダレイオス3世と対峙する(ガウガメラ、あるいはアルベラの戦い)。
このときマケドニア軍4万~5万に対して、ペルシア軍20万~100万。
それでもアレクサンドロスの陣を崩せず、ダレイオス3世はまたしても敗走。
マケドニア軍はこれを追い、バビロン①、スーサ②、ペルセポリス③といったペルシア諸都市を次々と破壊しながら進軍する。
※①イラクの世界遺産暫定リスト記載
②世界遺産「スーサ(イラン、2015年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv))」
③世界遺産「ペルセポリス(イラン、1979年、文化遺産(i)(iii)(vi))」
ところがダレイオス3世はサトラップ・ベッソスに裏切られ、暗殺されてしまう。
ベッソスはペルシア王アルタクセルクセスを名乗って抵抗するが、アレクサンドロスはこれを破って処刑。
これによりアケメネス朝は滅亡する。
アレクサンドロスの進軍の様子。水色がアケメネス朝の版図で緑がマケドニアだ

その後アレクサンドロスはバクトリア、ソグディアナといった現在のパキスタン~中央アジアの地域を攻め上がり、サマルカンド①を落とす。
特に彼はサマルカンドの美しさを讃えたという。
さらにカイバル峠を通り、インダス川を渡ってガンダーラのタキシラ②を占領すると、インドへ攻め込む準備を整える。
※①世界遺産「サマルカンド-文化交差路(ウズベキスタン、2001年、文化遺産(i)(ii)(iv))」
②世界遺産「タキシラ(パキスタン、1980年、文化遺産(iii)(vi))」
アレクサンドロスはさらに東へ進軍をしようとするも、疲れ果てた兵士たちの不満を聞き入れ、紀元前323年にスーサへ戻る。
そして首都をバビロンに定め、ペルシアの後継者を自認してシャーハンシャーを名乗り、植民市の建築、ペルシア人の積極登用、集団結婚式などを通してギリシアとペルシアの文化的・人種的な融合を進めた。
これがギリシア文化とオリエント文化が合わさったヘレニズム文化を育むことになる。
しかし同年、大王は大病を患い、「もっとも王にふさわしい者が国を治めよ」との言葉を遺して死去してしまう。
こうして後継者を定めなかったことがディアドコイ(後継者)戦争を誘発します。
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アレクサンドロスの時代から、アジアでギリシア人(マケドニア人)が建てた最後の王朝であるプトレマイオス朝エジプトの滅亡(紀元前30年)までをヘレニズム時代という。
ディアドコイ戦争をもっとも有利に運んだのがアンティゴノス1世だ。
一時は大帝国の再建さえ可能かと思われたが、他のディアドコイたちが同盟を組み、これに反対。
紀元前301年、アンティゴノス1世と連合軍が争ったイプソスの戦いに敗れると、帝国は分割統治されるようになる。
この後、大きな力を持ったのがヘレニズム三王国だ。
アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアで、他にも小国はあったものの、旧帝国領の多くをこの三か国が支配した。
このうち、最初に滅んだのがアンティゴノス2世が建てたアンティゴノス朝マケドニアだ。
バルカン半島内での争いに巻き込まれただけでなく、ローマ帝国が力を強めるとマケドニア戦争で討伐され、紀元前168年に滅亡する。

マケドニア人セレウコス1世が建てたセレウコス朝シリアは、三王国でももっとも大きな国土を治めた。
一時は小アジア(トルコ)からインダス川に至る広大な領土を支配したが、中央アジアのバクトリアでギリシア人移民たちが反乱を起こしてバクトリア王国を建国。
続いて遊牧系ペルシア人の一派、パルティア人のアルサケスがその西でパルティア王国(アルサケス朝)を興して独立してしまう。
ちなみに、バクトリアが作った都市シルカップは世界遺産「タキシラ(パキスタン、1980年、文化遺産(iii)(vi))」の一部で、バクトリアが築きはじめた仏教遺跡が「バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群(アフガニスタン、2003年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」だ。
また、パルティア初期の首都ニサも「ニサのパルティア要塞群(トルクメニスタン、2007年、文化遺産(ii)(iii))」として世界遺産登録されている。
セレウコス朝と入れ替わるように力を増したのがこのパルティアだ。
紀元前1世紀、ミトラダテス2世は首都をクテシフォンに遷し、セレウコス朝からメソポタミアを占領。
さらにバクトリアの領土を奪ってインドに進出すると、メソポタミアからインド北部に至る国家が誕生する。
セレウコス朝はローマ帝国とパルティアに挟まれると、紀元前63年、ローマのポンペイウスによって滅ぼされてしまう。
国境を接したローマとパルティアは8度にわたり戦いを繰り広げるが、結局決着はつくことがなかった。
この時代にローマとの最前線に造ったパルティアの軍事都市が世界遺産「ハトラ(イラク、1985年、文化遺産(ii)(iii)(iv)(vi))」だ。
二重に囲われた円形城壁に囲われた要塞都市で、ローマ帝国の攻撃をしばしば撃退した。
パルティアはローマを天敵としていたが、しかし貿易は活発に行っており、ヘレニズム文化の拡散に貢献した。
パルティアを滅ぼしたのはローマではなく、アケメネス朝ペルシアの再興を目指す同じペルシア人だった。
226年、アルダシール1世はクテシフォンを落とすとパルティアは滅亡。
ササン朝ペルシアが興り、ペルシア帝国が復活する。
以降の話は「22.イスラム教の成立とペルシア・アラブ」で紹介する。

さて、三王国でもっとも長く続いたのがマケドニア人プトレマイオス1世が建てたプトレマイオス朝エジプトだ。
特に首都アレクサンドリアは大いに繁栄し、古代最大の学芸所でミュージアムの語源にもなったムセイオン、その一機関で古代のあらゆる文献を集めたアレクサンドリア図書館、フィロンが著した「世界の七不思議」のひとつであるファロス島の大灯台などがあった。
これらの遺跡はエジプトの世界遺産暫定リストに記載されている。
プトレマイオス朝では古代エジプトのファラオの称号を継いでいた。
しかし末期になると権力闘争が激化して、王族同士で争いが絶えなかった。
しかも周囲の国々は次々とローマ帝国に組み込まれ、ローマの属州に落ちるのは時間の問題だった。
紀元前51年。
姉クレオパトラと弟プトレマイオス13世は父の遺言もあって兄弟で結婚し、エジプトの共同統治を開始する。
ところがまもなくプトレマイオス13世はクレオパトラを裏切り、追放してしまう。
ローマではこの頃カエサル(シーザー)とポンペイウスの争いが激化していた。
ポンペイウスはローマ内戦に敗れ、つてのあったエジプトに撤退する。
しかし、プトレマイオス13世はそのポンペイウスを殺害。
そんなとき、ポンペイウスを追っていたカエサルがエジプトに到着する。

伝説では、クレオパトラは絨毯に身をくるみ、贈り物としてカエサルの元に届けさせる。
絨毯から現れたクレオパトラを見たカエサルはひと目で恋に落ち、彼女を愛人にしたという。
カエサルの援護を得たクレオパトラは紀元前47年、ナイルの戦いでプトレマイオス13世を破る。
そしてふたりの間に息子カエサリオンが誕生する(異父説あり)。
紀元前44年。
クレオパトラはカエサリオンとともにローマにいたが、カエサルが暗殺されてしまう。
遺言により遺産が養子オクタウィアヌス(のちのローマ初代皇帝アウグストゥス)にわたるとエジプトに帰還。
カエサリオンをプトレマイオス15世に即位させ、息子とエジプトの共同統治をはじめる。
その後、オクタウィアヌスとライバル関係にあったアントニウスを魅惑し、彼と結婚(結婚はしていないともいわれる)。
結局3人の子をもうけることになる。
紀元前31年。
ローマにいたオクタウィアヌスは、アントニウスのパルティア戦の敗北や、クレオパトラに骨抜きにされて勝手な振る舞いを続ける態度に激怒して、討伐軍を指揮して攻撃を開始。
アントニウスとプトレマイオス朝連合軍はこのアクティウムの海戦で敗北する。
伝説では、クレオパトラの死の誤報を聞いたアントニウスは自刃し、駆け寄ったクレオパトラの腕の中で亡くなった。
そしてクレオパトラは毒蛇に乳房を噛ませ、アントニウスの後を追ったという。
オクタウィアヌスは彼らの遺言に従って、ふたりをともに葬ったと伝えられているが、その墓は発見されていない。
翌年紀元前30年、カエサリオンがオクタウィアヌスに殺害されるとプトレマイオス朝は完全に滅亡する。
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ヘレニズム時代を彩った三つの小国を紹介しよう。
ナバテア王国、パルミラ王国、ペルガモン王国だ。
紀元前2世紀ほどから西アジアの砂漠で活躍したのがナバテア人だ。
セレウコス朝シリアとプトレマイオス朝エジプトがシリア戦争で疲弊するなかで交易を担い、隊商貿易の中心に躍り出た。
もともと遊牧民だったが、人数が増えたことで首都ペトラ①やボスラ②、マダイン・サーレハ③といった都市を整備してナバテア王国を建国する。
※①世界遺産「ペトラ(ヨルダン、1985年、文化遺産(i)(iii)(iv))」
②世界遺産「古代都市ボスラ(シリア、1980年、2017年、文化遺産(i)(iii)(vi))」
③世界遺産「アル-ヒジュル古代遺跡[マダイン・サーレハ](サウジアラビア、2008年、文化遺産(ii)(iii))
特に重要視されたのが乳香だ。
乳香とはボスウェリアという荒野に生える植物から採れる最高級の樹脂で、お香や香料の原料として珍重された。
イエスが誕生した際、東方の博士はベツレヘム※を訪れ、この乳香、没薬(もつやく。コミフォラの樹脂)、黄金を贈ったといわれるほどだ。
世界遺産「香料の道-ネゲヴ砂漠都市(イスラエル、2005年、文化遺産(iii)(v))」はナバテア人が担った乳香・没薬貿易の途中にある諸都市遺跡を登録したもの。
同様の世界遺産に「フランキンセンス[乳香]の国土(オマーン、2000年、文化遺産(iii)(iv))」がある。
※世界遺産「イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路(パレスチナ、2012年、文化遺産(iv)(vi))」
しかし、106年にローマ帝国のトラヤヌス帝がペトラを占領してローマの属州に入ると次第に勢力が衰えていく。
そして数度の大地震を経て、ペトラは幻の都として忘れ去られることになる。
ちなみに、下の動画は『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』ペトラ登場のシーン。
細長い道がシークだ。
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アレクサンドロスの東方遠征以降に発展し、ローマとパルティアという大国の間で繁栄したのがパルミラ王国だ。
両国は長い間戦争状態にあったが、交易は盛んに行われており、パルミラ※がその一端を担った。
※世界遺産「パルミラの遺跡(シリア、1980年、2017年、文化遺産(i)(ii)(iv))」
パルミラはローマ属州だったが、267年、ササン朝のシャープール1世がエデッサの戦いでローマを破ると、女王ゼノビアは独立を図る。
彼女はエジプトの一部を占領したことからクレオパトラの末裔を称し、息子ウアヴァラトゥスにはローマ皇帝の称号である「アウグストゥス」を名乗らせる。
しかし272年、ローマ皇帝アウレリアヌスに破れるとパルミラは破壊され、ゼノビアは金の鎖につながれてローマに連れ去られたという。
[関連サイト]

そしてヘレニズム三王国と並んで小アジア西部に誕生した独立国がペルガモン王国だ。
エフェソス①、ペルガモン②を中心として繁栄した王国で、エフェソスのケルスス図書館とペルガモン図書館はアレクサンドリアの図書館と合わせて古代三大図書館と呼ばれている。
また、エフェソスはアレクサンドロスやアントニウス-クレオパトラのカップルも訪れた。
世界遺産関係だと、ペルガモン王国が建設し、ローマ帝国によって繁栄した温泉都市がヒエラポリス③だ。
しかし、ローマ帝国が拡大すると属領として取り込まれ、やがて王国は消滅した。
※①世界遺産「エフェソス(トルコ、2015年、文化遺産(iii)(iv)(vi))」
②世界遺産「ペルガモンとその重層的な文化的景観(トルコ、2014年、文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi))」
③世界遺産「ヒエラポリス-パムッカレ(トルコ、1988年、文化遺産(iii)(iv)、自然遺産(vii))」
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次回はシルクロードとクシャーナ朝、漢を解説する。